131.交渉
レギン兄を味方に率いれたいと思ったのは、宰相派に対するスパイがほしいと思ったからだけど、レギン兄弟の情を見て話が通じる人なんではないかと思ったからだ。
話が通じるなら圧倒的な優位を保っている今しか交渉する機会はない。
『条件があるそうだ。弟を助けてほしいらしい』
予想された条件だけど、すでに遅すぎた。
「残念だけど、弟は亡くなった」
殺したとは言っていないが、レギン兄もそこは察するだろう。
『客人の条件はなんだ?と聞いている』
「もしレギンの遺体に戻れるなら戻ってほしい。その上で、あの首輪を着けて王国に戻ってほしいだけだ」
明確な敵対宣言はしないが脅しは必要だ。鳥熱に限ったことではないが、無人島では戦っている暇なんてない。
『戻れるそうだ。我と変わるので猫の玉を遺体に触れさせてほしいと言っている』
「わかった」
しばらくすると、シュバイツは眠るように伏せると、ゆっくりと起き上がる。
『他人に体を貸したのは初めてだな。ヴォルフ、これが猫の玉だ』
本当にビー玉のような、アメのような宝石だった。
「では、私が……」
カルラが手を出そうとしたので、僕は慌てて止める。
「ここまで来てレギン兄を信用していない訳じゃないけど、こういうのはもっとも弱い僕がやるべきだから」
「わかりました。気をつけて」
僕は念のために袖で猫の玉を摘まむと、波打ち際で横たわったままになっているレギン遺体に近づいた。
遺体はピクリともうごかない。僕には完全に死んでいるように見えた。
これで猫の玉が有効なら恐ろしいアーティファクトだと思う。倫理的な面を後回しにしても強力な魔導兵器だ。
「じゃあ、つけるよ」
僕はレギンの遺体の額に猫の玉をつける。するとレギンの遺体が柔らかな光に包まれた。魔法の術式が見える。ウリ丸の回復魔法の術式とは違うが明らかに回復魔法だ。効果は弱いし効率も悪いので、少し状態をよくする程度だ。
光がレギンの遺体に吸い込まれると、レギンはゆっくりと目を開けた。
「……ありがとう。悪いが約束は守れぬ。この体はまた死ぬ……」
僕はレギンの最後の言葉の意味がわかった。
「兄弟でやすらかに眠ってくれ」
そういうとレギンの瞼を優しく撫でて閉じた。レギンは苦痛に満ちた体を抱えるようにして、でも安らかに眠った。
「なくなったのですか?」
カルラが後ろから声をかけてくる。僕は振り向かずに頷いた。
レギン弟は兄を思い、兄が助かるために行動した。レギン兄は弟の気持ちを知りながら弟と共に眠ることを選んだ。
そして、後に残ったのは魂のない猫の玉だけだ。
僕はそれを拾い上げると懐にしまった。あとでレギン兄弟と共に埋葬しよう。
僕が魔工師ならば解析も出来たのかもしれないが、あいにくと専門外だった。
「カルラ、レギンを埋葬したいんだ。悪いけど、また穴を掘ってもらえる?」
「ええ。もちろんです」
カルラは森の入り口辺りにひとり分の穴を掘ってくれた。
アイリとふたりでレギンの遺体を運ぶ。穴にレギンの遺体を横たえると、カルラが掘り出した土をかけてくれた。レギンひとり分の小山ができる。僕は手頃な石を持ち、その上において墓標の代わりにした。
少しの間、目を閉じて黙祷する。
レギン兄弟を殺したのは僕たちだが、なんともやるせない気もする。同じ国の人間なのに、その国の王女を暗殺する理不尽な命令を受けて、知り合いのいない無人島で永遠に眠ることになるのだ。
宰相派がカルラの何を恐れているか明白ではあるが、数多くの命を失うことになっても取るべき手段とは思えない。
現に王弟バルドは戦死狙いでミスマッチな戦場へ送り込むだけでだ。カルラにするように直接的な手段は取っていない。
そういえば、宰相派で一番高い王位継承権を持った人のことを聞いてなかった。宰相が担いでいる御輿はカルラへ暗殺者が仕向けられていることを知っているのか気になった。
「戻ろうか」
そろそろ、ドーラがシャルたちを連れて戻ってきてもおかしくはない。
「あたしも義に殉じたいな」
アイリがポツリと呟いた。
◆ ◆ ◆
砂浜にみんなが揃うといない間に起きたことを共有した。
「なるほど。レギン兄弟というのは人間らしい心も持っていたのだな」
ドーラが感心したように頷く。
「それでこれからのことなんだけど……」
「宰相を殺すのか?」
ドーラがワクワクしたような声で聞いてくる。戦いは苦手なんじゃなかったっけ?
「そう簡単には殺せないよ。殺したところで、宰相の代わりがすぐに出てきて何も変わらないか、宰相がいない隙に大規模な戦争を仕掛けられて国が滅びるか、どちらかだよ」
「人間は複雑でいかんな」
ドーラが単純過ぎるのではないかと思うけど、それは言わないでおいた。
「これから、不足した物資を補給すると共に、ハフステファイア領には脅しをかけておいた方がいいと思うんだ」
「具体的には? メテオーア全力で打ちましょうか?」
だから、どうしてそう血気盛んなんだろう。カルラも色々頭に来ていることはあると思うが、メテオーア全力なんてしたら、それこそハフステファイア領が滅びかねないよ。
自分の国の国力を削ってどうするのさ。
「やはり、カルラ様がお帰りになって、苦戦されている対フリーデン宗教国戦で活躍なさるしかないのではないでしょうか」
クララが自分の希望を述べる。それをしたらカルラが余計に狙われるよね?
「確かな後ろ楯がない状態で目立つとランゲンフェルトの戦いの二の舞になるよ」
「そこで、王弟バルド様の庇護を受けるのです!」
なるほど、いい考えかもしれない、とパッと見は思えた。
「では、ドーラに乗って買い物するついでにフリーデン宗教国をぶっ潰しましょう」
クララの明るい声を聞いたら、これはダメな案だとすぐに気がついた。
宗教国の頭を潰して支配するとか、どう考えてもその後にゲリラ戦の泥沼化が見えている。
だからこそバルドも苦戦されているんだと思えた。
「とりあえず、カルラの姿が知られていない都市へいき買い物だけでもしようか」
「ならば、フリーデン宗教国へ行きましょう。それなら私のことを知っているものはいないでしょうし、叔父様が何に苦戦されているかもはっきりします。はっきりしたら叔父様の手伝いをしましょう」
カルラが何を言っているかわからなかった。
「敵国に行くお姫様なんて聞いたことないよ!」
「私もたまに敵国に行きますし、普通では?」
シャルがこれまた訳のわからない援護射撃を始める。シャルの国の敵国ってドーラの事だよね?
「我もたまに行くぞ」
そう言えばドーラもお姫様と言っていたっけ。
「なんで、世の中のお姫様で珍しいのが固まっちゃったのか……」
僕は頭を抱えるしかない。
「大丈夫だろう。あたしも潜入したことがあるが、ビルネンベルクの民より理性的だぞ」
それはビルネンベルク王国の問題なのではないかと思った。でも、宗教というのは大抵人間を救う仕組みを兼ね備えている。だから、誰にでも広がり得るし、誰にとっても都合のよい文句が並ぶのだと思う。
「じゃあ、フリーデン宗教国へ行こうか。まずは洗濯だね」
今来ている服は汚れてしまっているので、町中を歩くのには目立つ。破けているのは仕方ないとしても汚れは落としておきたかった。
それにはサポニンを含む植物を探さねば。サポニンは石鹸の材料に使われる成分で大抵の植物には入っている。
汚れには二種類あり、脂系の汚れは単にお湯で揉んだだけでは取れにくい。またたんぱく質系の汚れはアルカリ性の物質につけておく必要がある。
アルカリ性の物質は木灰がたくさんあるので、これを使えば簡単に作り出せる。
「これから洗濯の仕方を教えるね。まずは温泉へ行こうか」
僕が声をあげると「やっぱり温泉が好きなのではないか」とか「はだかになって洗濯?」とか誤解しまくりの発言が聞こえてきたが無視した。
裸で洗濯とか誰がするのさ!
もちろん温泉は好きだけど、女の子と裸のお付き合いをするために入るわけじゃないんだよ。体の疲れや汚れを落とすために入るものなんだ。
「みんな、真面目に綺麗にしないと連れていかないからね!」
僕が怒ったように言うと、みんな急に黙って黙々と歩き始めた。
これじゃあ、僕が空気を読んでいないみたいじゃないか。
「ヴォルフは素直じゃないな」
肩に止まったドーラが慰めてくる。
「生物というものはもっと本能に従って生きるものだ。ヴォルフももっと本能を受け入れろ」
なんか、よい話風にまとめてるけど、それじゃ、人間の社会ではやっていけないんだよ。本能に従って生きていたら一生牢屋に入るか、すぐに打ち首だよ。
そんな僕の心の叫びは聞こえないので、みんな温泉へ歩いていくのだった。




