119.逃走
三人組はドラゴンを恐れて砂浜ではなく森の中に潜伏することを選んだのに、僕はそれをすっかり忘れていた。
今やドラゴンはカルラに従順なペットのようで、西の森から砂浜に飛んできて大人しく寝ている。
結果として、砂浜には僕とカルラ、シャル、ウリ丸、ドラゴン以外にバッツがいる。
バッツはドラゴンを警戒しながら、砂浜を見て回っていた。たぶん、僕たち以外に人間がいた痕跡がないか見て回っているのだろう。
僕たちは三人組に信用されていない。当然ではあるが、普通は目の前にあるものしか警戒しないものだ。
やはり凄腕だと感心する。
「ヴォルフ様……」
シャルが弱々しく服を引く。まだ魔力の補充か必要そうだ。
「うん。わかった」
僕は頷くと、カルラに「シャルの怪我の治療をしたいから着いてきて」と言った。
「バッツ。僕たちは東の岩場の上にある洞窟でシャルの怪我の手当てをしてきます」
「俺も手伝いたいところだが、おじさんはいない方がやりやすいだろう。傷を洗う用の酒だ。持っていけ。あと血を拭く布もやろう」
信用はしていないが、優しくはしてくれる。強者の余裕のようなものを感じた。
「ありがとうございます」
僕はありがたく受けとると、カルラに渡し、シャルを背負った。
少しよろけながら岩場を登り、洞窟の中に入る。
「火を起こしますね」
カルラは洞窟の中にあった流木に小石を置くと、小石が高速で回転しはじめた。すぐに煙が上がり、小石に削られた木屑に火がつき始める。
「すごい。いつの間にそんな魔法の使い方を……」
僕が感嘆の声をあげると、カルラは憮然とした表情で「アイリが火を起こすのを見て覚えました」と答えた。
「シャルに少し魔力を分け与えるね」
これからすることの意味を前置きし、指をなめさせる。シャルは大人しく指をなめた。
「魔力を分け与える……?」
カルラには色々説明しないとならないことがある。それにはまずバッツに話を聞かれていないか確認しなくては。
「これから内密な話をするからトロポで音が外に漏れないようにできる?」
「はい」
カルラはすぐにトロポを唱えた。
「カルラはあの三人組とアイリに命を狙われる覚えがある?」
カルラは急に緊張したようだった。
「あります」
そして、観念したかのように答えた。
「ヴォルフには話していないことがたくさんあります」
「うん。でも、今は聞かない。ドラゴンをどうやっていうこと聞かせたかはわからないけど、あれに乗って逃げよう」
「わかりました。その前にこの黒髪の女性について聞かせてください」
なんとなく避難がましい雰囲気だ。僕は後ろめたいことはないのに、冷や汗が出てくる。
「それはわたくしから説明いたします」
なめていた指を話すと、シャルはカルラに向き合った。
「わたくしはシャルロッテ。黒虎という魔物の王女です。今は変身の魔法で人間型になっていますが、元の姿は黒虎です」
カルラの驚いた表情に苦笑しながらシャルは続ける。
「皆様とお会いした黒虎はシュバイツという別のものです。わたくしは魔力を食べられないという病気にかかっていて死ぬ寸前だったところをヴォルフ様に助けられました」
そこで言葉を切って僕の方を見る。しかし、すぐにカルラに視線を戻す。
「わたくしのことはペットとして扱っていただいて結構です。奥様」
な、何て言うことを言うんだ。その姿で言ったら完全に誤解されるじゃないか!
「ペットなんてダメだよ。ヴォルフが何をしたか何となく理解したけど、二番目の奥様ということで」
狼狽える僕を尻目に正妻の余裕でカルラは答えた。
「じゃ、じゃあ、シャルもある程度回復したことだし、ドラゴンに乗って王都へ逃げよう」
「ふふ。わかりました。はやく結婚しないと、ヴォルフのお嫁さんがいっぱい増えそうですし」
僕はこの無人島でお嫁さんが二人も増えるのは異世界だからかな?と考えていた。
僕たちが東の洞窟を出ると、バッツが岩場を上ってきている最中だった。
なにか慌てているようだ。
「バッツ、何かあったんですか?」
「おう、坊主。大声で呼んだのに聞こえなかったのか?」
たぶん、トロポのせいだ。何があったのだろう。
「ドラゴンがどっかいっちまいやがったぞ」
カルラは慌てて何かを確認している。
「本当だ。逃げてる」
ここでまさかのドラゴンの逃走である。僕たちが逃げる前にドラゴンに逃げられてしまった。
逃走プランは完全にオシャカだった。
「ありゃ、帰ってくるのか? お嬢ちゃん」
バッツがカルラに問いかける。カルラは首を横にふった。
「気がつくのが遅すぎました。もう私の魔法の射程外です」
射程内ならどうするつもりだったのかは聞かないで置こう。
「そうか……」
バッツたちもドラゴンを当てにしていたようで、少し気落ちしているように見える。
「まあ、気にするな。明日ぐらいには俺たちの仲間が迎えに来るはずだ。そうしたら一緒に連れて帰ってやろう」
ちょっと前なら嬉しい気遣いなのだが、三人組と敵対しているふたりの少女を庇護下に持つと背筋が寒くなる提案だった。
「あ、ありがとうございます」
僕は形だけのお礼を言うので精一杯だ。
「こっちは女性と坊主だけのほうが安心して眠れるだろう。アイリスが来たら俺は森に帰るよ」
護衛するという名目でついてきているので、断るわけにはいかない。アイリの実力を知っているだけ余計に。
アイリの話で思い出したが、アイリはカルラの名前を知っている。カルラがゼビオやコンラートに話さないとは思えないが、話していなかったとしたら敵対行為は命取りだ。
「あー、お嬢ちゃんは名前は何て言ったかな?」
この質問はどう答えてもダメなやつだ。今正直に答えるのはもちろんダメだし、偽名を名乗ってもアイリから本当の名前を聞いたコンラートたちが気がつく。
「ビルネンベルク王国第三王女カルラです」
え?
カルラが本当の名前を言ってしまったことより、衝撃の肩書きがついていることの方が気になっていたしまった。
今「王女」と言ったような。
「それは失礼しました」
バッツはカルラの前で膝をつく。
「ドライファッハ騎士団からカルラ様の捜索に来ているバッツと申します。他のふたりも同じ騎士、アイリスは騎士見習いになります」
「ドライファッハ……確か騎士しか住人になれないという特殊な領地でしたね。そのドライファッハの騎士がどうしてここに?」
「実は宰相の刺客が放たれたことがわかり急いで姫の身を守るために近くにいた我々が駆けつけたのですが、飛空船の墜落の報を受け、地点へ向かう途中で嵐にあって遭難し、ここに着きました。そうしたら偶然にも姫がここにいたというわけです」
バッツの言うことを全部鵜呑みにできない。そもそも飛空船に乗っていることを知りながら、船で来たのはなぜか。助ける対象の顔を知らないのはなぜか。ここは殺す方だったとしても、顔を知らないのはおかしい。
本当に急に呼ばれた可能性は高い。たまたま三人がカルラを知らなかっただけで、顔を知っているものが一緒にいた可能性もある。
「そう。ならば、お前たちは一度帰り、私は見つからなかったと報告しなさい。おそらく海に沈んだと」
「カルラは王都へいかずとも無人島からは出るべきでは?」
僕は思わず口を出してしまった。カルラが王女ということに動揺していたからか、カルラにはカルラの事情があるということを忘れていた。
「心配なさらないでください。今は帰れませんが、必ず王都でお菓子を食べるお約束は守ります」
「カルラ様。失礼かと思いますが、騎士見習いのアイリスをおいていきます。ここは宰相派には知れていませんが、護衛は必要性でしょう」
「ドラゴンを御せる私に護衛ですか……」
あ、ちょっと嫌みなのかな。怒っているような。
「アイリスはあれで役に立ちます。好きにお使いください」
バッツはどうしてもアイリをおいていきたいようだった。
僕は詳しい事情が全然わからないけど、宰相から命を狙われる第三王女って、すごく異常なことは分かる。
権力争いにしたって、第三王女という地位は担ぐ御輿にしては低すぎるのではないだろうか。
「坊主、カルラ様を頼む」
簡単に引き下がったのは意外だった。カルラはコンラートたちドライファッハ騎士団にとっては重要な人物のはずだ。
それを無人島に残していくのを了承するなんて、違和感がある。
「カルラは本当にいいの?」
「はい。ヴォルフには苦労をかけますが、しばらく、この無人島で暮らしましょう」
無人島においていかれるのは不安ではあるが、カルラは今やこの島では最強の存在になっている。そして、黒虎の姫が仲間になったので、島で暮らすことは容易になっている。
それでも、人間が暮らしている街とここでは生活に関することのレベルが違う。少しでもなにかがあったらと考えると僕は心から賛成しかねた。
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