101.漂着
僕は生前、さえない中学生だった。
運動もダメ、勉強もダメ、容姿も並以下。
最後に残った性格も全てを周りの所為にする癖があり、とても良いとは言えなかった。
だから僕は死んでリセットされ異世界へ転生する「異世界転生小説」が大好きだった。
最初は小説投稿サイトでランキング作品ばかり読んでいたが、読む速度が更新速度を上回ると新着をチェックするようになる。新着で面白い小説を見つけると、すぐにブックマークしたり、感想を書いたり、レビューをつけるようになった。
作者の人たちは僕のような頭の悪い感想やレビューでも喜んでくれて、僕は益々小説を読むことにのめりこんでいった。
だが、ある日、魔が差した。
もう魔が差したとしか言えないのだ。
道路に飛び出した猫を見た瞬間、その時読んでいた小説の導入が頭に浮かんだ。
『確かあの猫を助ければ、異世界に行けるはず』
そう思って猫を助けようとしたとき、僕は反対車線から来たトラックに跳ねられて宙を舞った。猫が無事に道路を渡り切るのが見えた気がした。
『よかった。これで転生できる』
生前の最後にそんなことを考えたと思う。
◆ ◆ ◆
水が跳ねる音が耳元で聞こえる。
僕はすぐに飛び上起きようとした。しかし、うまく腕に力が入らない。力を入れようとすると痛みが走る。折れてはいないようだが、筋肉繊維がなんらかのダメージを負っているかもしれない。
痛みをこらえながらゆっくり身を起こすと、砂浜にいることに気が付いた。
あたりを見回してみても僕の知っている土地ではない。そもそも植生が違う。
僕が住んでいたザッカーバーグ領は、とても温暖で一年中青々とした植物が生えているような土地だった。シダ植物が多く、その葉を使って魚籠を編んで魚取りに出かけたものだ。
しかし、周囲には笹や竹などが多く、背の高い樹木がそびえる森林が遠くに見える山のふもとまで続いていた。
海の方を見ても他の島や陸地などは見えない。
「これはいわゆる遭難というやつでは?」
詳しくは夜になってみないとわからないが、僕は楽観的な希望は持てなかった。
あちこち痛む体をだましだまし起き上がると、身に着けているものを確認し始めた。どうやら火打石は無事のようだ。石の方はどうにでもなるだろうが、打ち付ける金の方がなくなると痛い。
小さいころに兄たちと行ったキャンプを思い出す。
秋の海は冷たい。体は冷え切っていた。
まずは冷えている体を温めなければ。
そう思い流木を探し始めると、まばらにそこそこあった。中には湿っているものもあったが、意外に乾いているものが多い。
大嵐があった割にはよい成果だと思う。
もう少し集めようと浜辺を歩いていた時だった、前方に人影が見える。
倒れたまま動かないところを見ると、気を失っているか死んでいるか。
どちらにしても見捨てておけない。
僕は流木を放り出すと、すぐに人影によっていく。
倒れていたのは女の子のようだ。年のころは僕よりちょっと下の成人前ぐらいだろうか。やけに高そうな服を身に着けている。
腕には魔法使いである証のブレスレットが付けられていた。
貴族などに雇われた魔導士の弟子なのかもしれない。
海水でぬれた服を見ると、あまり大きくない胸はゆっくりと上下している。口元に手を当てるとちゃんと息をしていることが確認できた。
とりあえず、体温の低下を防がなくてはならないので、僕は少女の着ている服を脱がせ、固く絞ったうえで改めて体を拭く。
きれいな少女の肢体が脳に焼き付くような印象を受けるが、今は命の方が大事と思って作業を続けた。
少女に絞った服をかけ、どこか寝かせるところを探す。
砂浜は太陽光を浴びてそこそこ暖かくなっていたので、潮が満ちても海水が上がってこないだろう場所まで運び、自分の上着を下敷きにして寝かせた。
「次は火だな」
集めていた流木を再度持ってくると、少女の近くに積み重ねる。ちょっとだけ砂浜を掘って風が吹いても簡単に火が消えないようにしておいた。
流木のひとつを削って木くずを作る。
持っていたナイフで自分の髪を一束切ると、打ち金に巻き付けて石で打つ。火花はすぐに髪に点火し、流木を削ってできた木くずへ火を移す。ちょっとずつ火が大きくなり、流木が燃えはじめた。
僕はほっと息をつく。
これで冷えた体は温められるだろう。まともに動けるようになったら、念のために火を持って周囲を探索するつもりだった。
すぐに食べ物が見つかるとは限らない。ちょっとサバイバル生活をやってみたものなら常識だ。
できれば飛空船から落ちた荷物が流れ着いていてくれればいいが、人間の比重と比べると大きく異なるようなものは流れてこないだろうなと思った。
「こんな時に魔法が使えれば……」
自分の腕にはめられたブレスレットを失望とともに見た。ブレスレットにはめられた魔法石は光っていない。
対して少女の腕にはめられたブレスレットは光り輝いていた。
魔法が使えるものと使えないものの差だ。
常人よりも、それこそ宮廷魔導士を務めている父よりも魔力があるにも関わらず、僕は魔法が使えない。
転生直後の赤ちゃんの頃から魔力を使い、その最大量を上げてきた。魔力を探知するアーティファクトは僕の魔力の成長を正確に解析し、父たちに伝えてきた。
だが、7歳の時、初めて魔法を使おうとしたときに魔力が具現化しないことがわかった。
膨大な魔力があるゆえに、父も諦めきれず僕の魔力を具現化する方法を探してくれた。
しかし、16歳になったとき、もう諦めてくれ。王都にいる豪商の知り合いに預けようと思うと言われた。僕はこれまで頑張ってくれた父に何も言うことができず、ただ頷いただけだった。
「ないものはない。ならぬものはならぬ」
僕はどこぞの藩士の戒めを唱えながら、流木をいくつか足すと松明のような感じの木をひとつ選び手に持った。
浜辺からすぐに背の低い林が続く。
皮を見てみるとほどよく油を含んでおり、ロープなどの材料になりそうだった。しかし、このままでは使えないし、これは食べられるような木ではないようだ。
木に巻き付くツタがあり、芋が地面の下にあるかもしれないなと思ったが道具もない状態で掘り出すのは難しそうだ。
もう少し奥に入りたいところだが、あまり奥に入ってしまうと今度は日が暮れるまでに砂浜に帰れない可能性がある。
夜にはとりあえず、この場所がどこなのか星を見て確認したい。
長く気を失ってお腹も減ってはいるのだが、あの少女が起きれば魔法でなんとでもなるだろう。
僕は少女が魔法を使えると知って楽観的に考えていた。
しばらく探索すると川があり、きれいな水が流れていた。海に流れ込むようなルートではないので、僕が流れ着いた砂浜より、ずっと奥に言っているようだ。
この場所はどうやら南に砂浜があり、東から西に向けて傾斜しているようだった。普通は砂浜の部分が一番下になるような気もするが、この辺の地域の特徴なのだろうか。
――ガサガサ
僕の目の前を何かの動物が通り過ぎた。どことなくウサギのようだったが、弓や罠もなく捕まえるのは難しそうだ。
それでも動物がいた方へ足を向けると、鬼百合の花が群生していた。
「助かった」
百合には毒があるような種類もあるが、鬼百合の根は食べられたはずだ。何よりも道具がなくても掘れるぐらい浅い場所に埋まっているので、三日ぐらいの食糧はどうにかなりそうだった。
ここで数年も暮らすようなことがあれば一気に取ってしまうのはよくない考えだが、少なくともザッカーバーグ領から王都に至るまでの直線状のどこかなので、間を置かず別の飛空船や船が通りかかる可能性は高い。
その時に魔法で助けを求めてもらえればいいだろう。
さっそく百合の根を掘り起こすと、二人分の夕食と朝食用に4つ掘り出した。
砂浜に帰ると、流木の山が大きくなっていた。火の近くに少女の姿はない。
気が付いて流木を集めてくれていたようだ。
僕は海水で取ってきた百合の根を洗う。そして、何かの大きめの葉も一緒に取ってきていたので、それを濡らして百合の根を包んだ。
流木で焚き木を少し寄せると、温まった砂の中にそれを埋め、また焚き木を上に戻す。
こうしておけば百合の根が程よく蒸されて、食べられるようになるはずだ。
「あ、あの」
後ろから声をかけられたので、振り向くとそこには服を着た少女が立っていた。脱がせたのが僕だと気が付いているのか顔が赤い。
「助けていただき、ありがとうございました」
すごく丁寧にお辞儀をしてくる。良い教育を受けているので、やっぱり貴族のお抱え魔導士の弟子のようだ。
「いえ、こちらこそ、焚き木をありがとうございました。近くによって火に当たってください」
「は、はい」
「僕はヴォルフ・ザッカーバーグです」
とりあえず、名前を名乗る。これでも領主の息子なので名前を出せば変なことをしないと信用してくれるだろう。
「わ、私はカルラ……」
「いきなりで悪いけど、カルラはどんな魔法が使えるの?」
カルラと名乗った少女は僕のブレスレットを確認すると、なぜか驚いたような顔をした。
「えーと、メテオーアとか……」
「隕石! すごいね!」
メテオーアは隕石を召喚し地上に振らせる最上級魔法だ。この少女は僕が考えていたより優秀らしい。一気にイージーモードの様相を呈してくる。
「ほかには?」
「ほかには……メテオーアとか……メテオーアぐらいです」
消え入るような少女の答えを僕はもう一度反芻していた。
「もしかして、メテオーアしか使えないの?」
「そうです。すみません」
「いや、僕は魔法自体が使えないから人のことは言えないよ……」
ふたりして暗くうつむいた時だった。
――クゥ
カルラのお腹がかわいく鳴いた。
「お腹すいたね。食べようか」
「え? ごはんあるんですか? 私、浜辺にご飯が流れ着いてないかすごく探したんですが……」
「運よく百合の根があってね。もう食べられると思うんだけど」
そう言いながら焚き木を避けて埋めておいた百合の根を掘り出す。周りの葉っぱが少し焦げている。全体から湯気も出ているのでもう食べられるだろう。
包んでいる葉っぱを流木を使ってはがすと、濛々と湯気が上がる。
同時に少し甘いような匂いもしてきた。
「口に合うかどうかわからないけど、百合の根の蒸し焼きだよ。ひとつずつはがして食べてみて」
僕はカルラに1つ差し出した。
「ありがとうございます。百合の根ですが、初めて食べます」
僕のようにサバイバル訓練じみた教育を受けている貴族はザッカーバーグ家ぐらいかもしれないな。
普通は食料の現地調達と言っても精々鹿や鳥ぐらいで山に自生している植物を食べようとは思っていないもんな。
「おいしい!」
その声を聴いて僕も食べてみる。うん。ホクホクしてこれはおいしい。
「明日の朝の分もあるから、明日の朝まではお腹の心配はいらないよ」
「そうですね! よかったぁ」
カルラはなぜか泣き始める。
よほどお腹が減っていたのかな?
「私、起きたら裸にされていたのでびっくりして……ヴォルフが優しい人で良かった」
ああ、そういう意味か。
「あのままだと体が冷えて風邪をひいてしまっていたかもしれないから。裸を見たのは事実だし、それに対しては謝罪する。ごめんね」
「い、いえ。わかっていたんです。でも、ヴォルフを見るまで安心できなくて」
「そりゃそうか。でも、安心していいよ。僕はこれでもザッカーバーグ家の領主の息子だし、貴族の一員でもあるからね。紳士的に接することを約束するよ」
「ええ、ありがとう。ヴォルフ」
カルラのいい方に何か違和感を感じたが、僕はまだ少し火があるうちに今日の寝床を探してみようと思った。
「お腹が良かったら、今日の寝床を探そうと思うんだ。まだ探索できていないから安全な場所がわからなくてね。最悪は交代で見張りをしながら浜辺で寝るしかないけど」
「わかりました。一緒に行ってもいいですか?」
「そうだね。流木をいっぱい集めてくれたから火も持ちそうだし」
僕たちは未だに探索していない東の方へ歩いてみることにした。