第10話 光芒その3
光芒その3
10−3
「お前に見せるのは、最初で最後になるだろう…な」
「…?」
ビル風がゴウゴウと吹き荒れる。
この強い風の中、法之の目は鈍く輝いている。
意志を感じる、戦士の目だ。
とてもか弱い老体の男とは思えない。
「あなたの…能力」
「わしの、〝もうひとつ〟の能力を…な」
ここで、やるしかない。
勝負はいま、ここでかけるしか。
二人の思惑は重なり合って錯綜した。
「古に戒められし獣神よ、我が力となり招来せん…」
詠唱だと…?
「まさか…⁉︎」
咄嗟に足を出して踏み込み、距離を詰める。
「式神・丑…‼︎」
法之の詠唱が終わると同時に、薄く光を帯びた半透明の獣が姿を現し、間髪入れずに牡丹へと猪突した。
「クッ…!」
両手で受け止めたものの、その威力に吹っ飛ばされ、後方の手摺に体を強く打ち付けた。
「召喚系の魔法使い…その能力をこの体で直接味わうのは、これが初めてだ…!」
なんとか上体を起こし踏み止まる。
法之はその場を動こうとしない。
こちらも、仕掛けるしかない。
「出てこい…」
牡丹がそう呟くと、背中から水色のスライムのような物体が飛び出してきた。
ーお呼びですか、ご主人様ー
その物体は牡丹の体にまとわり、包むようにして広がっている。
「…ほう?」
再び強く踏み込み距離を詰めだした牡丹。
「式神・丑」
さらにまた放たれた光の獣が牡丹目掛け疾る。
「ここだ…っ!」
スライムが光の獣を受け止め、突進を受け流す。
距離は約4メートルか。
そこからもう一段踏み込もうとするタイミングで、法之は追撃体制に移る。
「式神・酉!」
詠唱が終わると、掌から高速の光の弾丸が発射された。
「ふん…甘いっ!」
こんな鈍玉、避けるまでもない…!
翼を広げた酉を模した弾丸達はスライムを纏った銀色の腕に打ち消されていく。
「硬質化か…!?」
鋼の腕で攻撃を無効化しつつ、更に間合いを詰めていく。
約2メートル。
召喚系の魔法か…。
通常の魔法と違い、引き出しが多く何をだしてくるかわからない。
法之はその場を動こうとしない。
普通なら、警戒して様子を見るのかもしれない。
だが、こちらに撃ち合う能力がないのを知っている上での遠距離攻撃だろう。
つまりあの距離が彼の有効射程距離というわけだ。
いつまでもこの距離ではやられるだけだ。
「届く…!」
銀色のスライムを纏わせた腕を大きく振りかぶる。
拳が法之に届くその時、詠唱が完了した。
「式神・申」
大きな炸裂音が響きわたり、強風の中を真空が疾った。
筋骨隆々な申を模した法之の召喚獣は大きく右フックを繰り出し牡丹の拳と正面から激突した。
相殺、ではない。
「ちっ…!」
よろけながら半歩分後退した牡丹。
砂利が革靴に擦れる音が苦々しく聞こえる。
(折れたか…手首から、肩まで…か?)
鈍い痛みと鋭い痛み。
両方のダメージに意識を向ける間もほぼないまま、牡丹の思考は視覚の捉えた状況に対応することに追われていた。
猛々しい覇気を纏う申の獣神が、追撃の体制に入るのを、牡丹は目で追うしか無かった。
「少し痛むが、悪く…思うな」
今度は先刻の炸裂音ではない、サンドバッグを強打したような重音が響く。
獣神の拳が脇腹の肉を抉りながら体ごと自分を吹き飛ばす感覚を牡丹はハッキリと知覚した。
「ガッ…ゥ…」
せいぜい4、5メートルの距離を殴り飛ばされている間、牡丹は無意識のうちに攻撃を受けた箇所にスライムを纏っていたことに気づく。
(俺じゃあない…〝コイツ〟が勝手に…)
倒れる牡丹の目を、法之は見逃さなかった。
まだ目が生きていた。
意識がある。
しかし、肋骨は少なくとも数本へし折った。
最初の拳を合わせたときにも手首を粉砕骨折、二の腕から肩までもヒビを入れたはずだ。
立てるはずがない。
「お前が…あの〝扉〟のことを諦めるなら。命まではとらん」
返事はない、うつ伏せで荒い呼吸をしている。
「お前のことは…息子のようにも思っていた。できれば、この手で殺めたくはない」
牡丹が顔を上げた。
血を流している口を、小さく震わせた。
「…手は…まだ…使わない…つもり…だ」
僅かに聞こえるその声に意識を向けた一瞬。
ほんの少しだけの隙が、法之に生まれた。
それに気づいたとき、既に目の前から牡丹の姿は消えていた。
「…!!しまっ」
牡丹は法之の頭上にいた。
まるで空から降ってきたかのように、法之の頭上から降下しながら、一撃を見舞わんと手を振り上げた。
詠唱は間に合わない。防御する術はない。
「喰らえ…!」
硬質化された剛腕による死角からの手刀。
無防備な老人の体を再起不能にするには十分すぎる威力だった。
袈裟斬りの如く振り下ろされた腕は法典の肉を裂きながら骨を容易く砕いた。
「ぬぅ…んん…!」
先刻の牡丹と同じように、体を揺らしながら後退し、膝を突く
「この儂に…膝を…突かせるとはな」
「しかし…」
召喚系の魔法は、実際に獣神を召喚しているのではない。
詠唱によって自らの魔力を元とした幹に呼び出した力を枝として付け加える。
そして大部分の魔力を獣神の具現化に注ぐため、同時に展開することが困難であり、本体は全く無防備になる。
つまりは大きな魔法を発動する時は、より多大な魔力と詠唱の時間を消費するということだ。
牡丹は理解していたのだった。
「もうわかった…これで…本当に…終わりを選ぶと…」
法之が自らを仕留める時。
最高の力を持って終止符を打つ時。
それが、最高の機会だと。
「式神・巳…」
身体を起こし、相手を真っ直ぐに睨み合う。
「式神・辰…」
(ここ…だ…!)
「双神〝弐鼓〟(ふたづつみ)」
放たれた魔力の奔流はすぐさま獣神へと姿を変えた。
地を這う巳の獣神と、巨躯を空中に滑らせながら疾る辰の獣神。
それらは一瞬で牡丹に食らいついた。
双神の同時攻撃。
二体の獣神が先ほどの傷口を更に深く、強く抉っていく。
身体ごと宙に浮き、なおも牙を深く立てる。
鮮血が星空を染め上げる。
しかし。
牡丹に、動揺の念は一切無かった。
(今だ…やれ…)
背後から鋭く伸びたスライムが、牡丹の砕けた腕を切り落とす。
「…!!!」
そしてスライムは傷口と腕を覆いながら纏う。
「俺の…勝ちだ…」
切り離された腕が、遥か射程距離外から法之へ飛んでいく。
先端の拳を硬質化させ、勢いよく切断された腕は目標へ襲いかかった。
間に合うはずもなかった。
本体が傷つき、魔力を維持できないと獣神はその存在を保つことができない。
双神が消えると、牡丹は確認した。
目の前に立つ老人の胸には、ポッカリと拳大の風穴が開いていた。
次回に続きます




