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第四話 奇跡の花

          1


「バケモノ……ッ!」

 叫んだ男の顔面を拳が打つ。強化処理された筋肉でも支えきれない拳圧に、男はその場で半回転し、後頭部を床に叩きつけた。

 リーは大きく息を吐き、最後の一人に体を向けた。全身改造(フル・チューン)機械化人間(サイボーグ)だが、柔分子鋼の義腕は両方ともへし折れ、顔は恐怖に歪んでいた。

 周りには足の踏み場もないほどの人数が転がっている。リーも傷を負っていたが、どれも大きな傷ではなかった。

「何なんだ、おまえは……」

 機械化人間(サイボーグ)は後退り、壁に背中がついてもなお足を止めなかった。

強化人間(ブーステッドマン)でも、機械化人間(サイボーグ)でもねえのに……何なんだ」

「何かがそれほど重要ですか?」

 リーはまた息を吐いた。傷はともかく、疲労は濃い。

「やらないというなら行っていいですよ。僕も先を急いでますから」

 しかし警戒しているのか、恐怖で足がすくんでいるのか、機械化人間(サイボーグ)は石壁にへばりついて震えるだけだった。

 その壁に亀裂が走り、次の瞬間、砕け散った。

 押しつぶされた機械化人間(サイボーグ)を踏みつけ、さらに倒れた者たちを跳ね飛ばして突っ込んでくる速度は、リーでもかわすだけで精一杯だった。

 そんな速度にもかかわらず、向かいの壁の直前でピタリと急停止してのけたのは、銀色の甲冑だった。リーの身長の倍近いサイズながら、向き直る動きは驚くほど滑らかだ。

 壁の穴から、さらに二体が出てきた。冑の単電子眼が赤い光を放って、リーを見据える。

機動甲冑(パワード・スーツ)

崩壊の日(コラプス・デイ)〉の原因となった戦争で多用されたという戦闘用の機械鎧である。各関節部に動作制御の小型モーターを仕込み、緻密な動きと高速戦闘を可能にしている。現在の技術でも似たものは作れるが、この巨体であの速度と動作ということは異界力使用の〈オーパーツ〉であろう。

 それが三体も。

 最初に飛び出してきた機動甲冑(パワード・スーツ)が、やはり倒れた味方を気にせず突進してきた。

 避ければ後ろにいる者たちも押しつぶされてしまう。

 リーはその場に踏みとどまり、石の床を割るほどの強烈な踏み込みで、カウンターの直突きを放った。

 人体と金属がぶつかったとは思えぬ甲高い響きが空気を割る。

 機械甲冑(パワード・スーツ)の動きが止まった。

 リーも動かない。突き入れたままの拳から血が流れ、滴となって落ちた。

 銀色の鎧が先に再動し、横殴りの蹴りがリーを襲った。

 かろうじて腕で防御したが、吹き飛ぶ体は石壁を突き破り、城外に飛び出た。

 リーがいたのは、城の西側の三階。受身も取れず、地面に墜落する。

 それを追って、機動甲冑(パワード・スーツ)の巨体が降ってきた。

 踏みつけられて地面にめり込んだリーはさらに蹴り上げられ、再度大地に叩きつけられた。

『おいおい。やりすぎだぞ』

 あとから降りてきた機動甲冑(パワード・スーツ)がスピーカーを通して言った。

『せっかくの甲冑(スーツ)の性能を発揮する間も――』

『馬鹿野郎。これを見ろ』

 振り返った甲冑(スーツ)の装甲は拳の形にへこんでいた。

『上での戦いぶりも見ただろう。姿形で判断するな。あれはバケモノだぞ』

『そんなにビビるなよ。あとはとどめを刺すだけだろうが』

 最後に降りてきた機動甲冑(パワード・スーツ)が無造作にリーに近づいていった。

 土と血に汚れた体はピクリとも動かない。頭をつかんで持ち上げても、抵抗するそぶりもない。

『いくらバケモノでも、首引っこ抜けば死ぬだろ。時間もないんだ。やるぜ』

 首に手がかかる。あとは頭の手を軽く捻れば、リーの首は胴体と別れることとなる。

 手を止めたのは、リーの口が小さく動いたからだった。

 機動甲冑(パワード・スーツ)内の男は外部マイクの出力を上げ、声を拾った。

「……バケモノか……」

 か細くつぶやく口が嘲笑を浮かべる。

「こんなものを? 馬鹿を言う……」

 震える手が首にかかった金属の手をつかむ。

「本物のバケモノというのは…………こんなものじゃない!」

 咆えるリーの口から、鋭い牙が突き出た。


 扉を蹴り開けると、そこは広々とした部屋だった。

 巨大なシャンデリア。金色の壁と柱。床は顔が映るほど磨き抜かれており、奥には楽団が乗る低いステージ――舞踏広間(ダンスホール)であった。

 ステージ上で、シリックが片手を上げた。

「よく来てくれたな。うれしいぜ」

 カノンはウロボロスの銃口をにやけた顔に向けた。

「おいおい……。せっかちな奴だな。少しはゆとりを持てよ」

「時間がないのはそちらだろう」

「お? 俺たちが何をする気か、わかってるのか?」

「〈神君〉の暗殺。殺害方法はおそらく爆破」

 シリックは口をすぼめて口笛を吹いた。

「やるねえ! さすがは〈玩具兵団(トイ・アーミーズ)〉の生き残り。では、そんなおまえに問題だ。〈神君〉を吹っ飛ばせるほどの爆弾ってのはどんなものでしょうか。制限時間は――」

「あのとき、掘り出された〈オーパーツ〉か」

「先に言うなよ。つまんねえ」

 七年前、〈玩具兵団(トイ・アーミーズ)〉が請け負った仕事は、世界崩壊前の遺跡の発掘を警備することだった。簡単な仕事になるはずだったが、地下三〇クレスト(メートル)から謎の〈オーパーツ〉が発見されたことで事情が変わった。

 貴重な遺物の発見により仕事の格が上がったため、カノンは雇い主である国の職員との交渉に出た。 その留守中に、遺跡は〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉に強襲された。駆けつけたときには仲間も、遺跡もすべてが破壊され、〈オーパーツ〉は持ち去られていた。

「あれから苦労したんだぜ。再使用できるよう調整するまで七年もかかっちまった。だが、その威力は間違いない。なにせ……」

 そこまで言って、シリックは口をつぐみ、舌を出した。

「どうだ? 知りたいか?」

「興味はない」

「本当につまらねえ奴だな。愛想がなさすぎるぞ」

 シリックは腰のナイフを抜いた。分厚い刃が白く輝き、陽炎を帯びる。刃を高熱にすることで鉄をも断つヒートナイフだ。

「こいつでてめえの仲間を切り刻んでやったんだ。たいして痛みを感じない体の連中だが、細かく刻んでやると、鉄面皮を恐怖で歪ませる……あの変わりようが最高なんだ。おまえはどんな顔を見せて、喜ばしてくれるんだ?」

「おまえを喜ばせるつもりはない」

 ウロボロスの咆哮が部屋を揺らした。

 シリックが身を捻り、弾丸をかわす。外れた弾丸はステージ奥の壁に大穴を開けた。命中と同時に弾頭の指向性炸薬が爆発する爆裂弾(エクスプロージョン・ブリッド) であった。

()る気満々だな、オイ!」

 高笑いするシリックがステージを蹴った。

「躍ろうぜ、人形!」

 一度の跳躍で天井にまで飛び上がっている。強化された人間の動きだが、カノンには充分に追える速さだ。

 ウロボロスが咆える。

 しかし〝神銃〟の一撃は獲物を捉えられず、天井を一部、破壊しただけだった。

「ハ・ズ・レ」

 着地したシリックは舌を吐いた。

「なあに、一発外れただけだ。よくあることだって。もう一発撃ってみろ」

 カノンはウロボロスを向けたまま、二射目を放たなかった。何故外れたかはわかっている。引き金を引く瞬間、腕が勝手に動いて狙いを外したのだ。

「気づいたか」

 シリックは左手の袖をめくり、手首に巻いた鈴を見せた。

 手が振られ、鈴が揺れる。しかし音は鳴らない。

 突然視界が揺らぎ、カノンは膝を落とした。

「大丈夫か?」

 また鈴が振られた。今度は左腕が跳ね上がり、首が横を向いた。

 そこへシリックが飛ぶ。

 高温の刃がカノンの左肩から胸を斬り裂いた。

 カノンは噴き出る循環液に顔を青く染めながらウロボロスを上げた。

 しかし飛び退るシリックが鈴を揺らすと、銃を持つ手はまたもあらぬ方向に動き、銃弾は壁を破壊しただけだった。

 シリックの高笑いが広間(ホール)に響き渡る。

「〝狂鈴(きょうりん)〟グレムリン――こう言っちゃなんだが、それほどたいした〈オーパーツ〉じゃない。特殊な音波で機械の機能をちょっと狂わせるだけで、俺の思いどおりにできるわけじゃないからな」

 鈴が揺れる。カノンの体は勝手に跳んで、床に倒れこんだ。

「だが、機械化人間(サイボーグ)相手には無敵の武器だ。特におまえみたいな全身改造(フル・チューン)は指一本も自由にならなくなる」

 カノンは七年前の惨状を思い出した。同士討ちの死体がいくつもあった理由が、ようやくはっきりとした。

「言っとくが、聴覚センサーを切っても無駄だぜ。こいつの音波は直接機械部分に作用するんだ。さて……」

 シリックは壁の柱時計に眼をやった。

「切り刻むか、ずっと鈴を聞かせて狂い死にさせてやろうかとも思ってたんだが……悪いな、こっちも急ぎなんでね」

 立ち上がろうとするカノンを見逃さず、鈴を揺らして地面に這わせる。

「いい様だ。七年前の奴らと同じだな」

 ナイフを持つ手が上がった。

「楽しい玩具だったぜ、おまえらは。あばよ、人形!」

 投擲されたナイフはカノンの眉間へと飛んだ。


 通路を守っていた〈真黎明団(トゥルードーン)〉の団員を締め上げていたアドルは、奇妙な胸騒ぎを覚えて後ろを振り返った。


 ちょうどそのとき――


 手を振り払われた機動甲冑(パワード・スーツ)が吹っ飛び、


 弾丸がナイフを砕いてシリックの肩を抉った。


          2


 城の壁にめり込んだ機動甲冑(パワード・スーツ)は、仲間たちから完全に無視された。

 彼らの意識をつかんで離さないのは、つい数秒前まで瀕死だったはずの若者だ。

 その姿は一変していた。

 むき出しの両腕、頭部、首が月光を浴びて鮮やかな翠の輝きを放っている。人肌ではありえない硬質な輝きは鱗のものだった。

 顔はもはや人間種(ヒューマン)ではない。下半分が大きく前に突き出し、巨大な口からは鋭い牙が覗いている。

『リ……蜥蜴人種(リザードマン)か?』

 つぶやいた機動甲冑(パワード・スーツ)は、すぐ頭を振って自分の言葉を否定した。蜥蜴人種(リザードマン)は変身能力などもっていない。なにより頭に生えた鹿に似た二本の角と、後ろにたなびく金色の髪は蜥蜴人種(リザードマン)にはない特徴だった。

『バケモノ……ッ!』

 嫌悪の叫びに、リーはワニのような口の端を持ち上げ笑った。

 昔から、この姿を見た者はそう言った。

 リーは父親を見たことがない。人の姿で母と交わったあと、元の姿に戻り、去っていったという。

 どこへ――〈虚空(ヴォイド)〉へ。

 どうやって――長大な胴を揺らし、空を飛んで。

「バケモノというのは間違いない」

 リーは巨大な口を開け、熱い呼気を吐き出した。

「だけど、バケモノにも名前はある」

 鉄のように黒光りする爪が伸びた手を前に出し、構えを取る。

「僕はリー。――リー・龍人(ロンレン)だ」

 金色の髪が逆立ち、黒い双眸が光った。

 噴き上がる闘気を電子眼越しに見て取った機動甲冑(パワード・スーツ)二体は、指先に仕込まれた機銃を人の形をした龍へ掃射した。

 リーの姿はたちまち硝煙と土埃に隠れたが、恐怖に囚われた二体は弾がなくなるまで止めなかった。

『殺ったか』

『当たり前だ。これだけやれば、いくらバケモノでも――』

 視界を赤外線ビジョンに変えた途端、余裕の言葉は消えた。

 月の吐息のような風が吹き、煙を散らすと、顔の前で腕を十字に組んだリーが現れた。

 腕が降りると、鱗の表面に張りついた弾丸がパラパラと地面に落ちた。いずれも弾頭がひしゃげている。翠鱗(すいりん)には傷ひとつない。

『ウソ……だろ』

 二体同時に呻いた。

 リーが前に出た。

 止まって、足下を見る。伸びた爪が靴を破って突き出ていた。

 ため息をつき、邪魔な靴を脱いで放り投げ、改めて一歩前に出た。押されるように機動甲冑(パワード・スーツ)が一歩退く。

『落ち着け、おまえら!』

 叫んで降ってきたのは、壁にめり込んでいた機動甲冑(パワード・スーツ)だった。胸の装甲にくっきりと蹴りの跡がついているが、内部の人間は無事だったらしい。

『姿形に惑わされるな! 確かにバケモノじみた力だが、こちらの装甲を破壊できるほどじゃない。異界力のリミットを最大値まで上げて、力で押さえ込め!』

 この叱咤に、二体の機動甲冑(パワード・スーツ)は退いた足を戻し、単電子眼の赤光を強めた。

 蹴り足で地面を抉り、二体は突進した。リーを左右から挟んで、拳を振り下ろす。

 リーは両手を上げ、それぞれの攻撃を受け止めた。

 止められたのは驚くべきことであったが、しかしリーの動きを封じることには成功した。

『今だっ!』

 残りの一体が体を沈めた。背中が開き、せり出たノズルが火を噴いた。

 浮き上がった巨体が一直線にリーへと突っ込む。ブースターの加速力がついたこの重量を受ければ、衝撃は鱗に覆われた外皮を突き抜け、体内を破壊する。

 狙いとしてはよかった。

 勘違いは、リーを押さえ込んだと思ったことだ。

 リーは受け止めた拳をつかみ、上体を回転させて二体の機動甲冑(パワード・スーツ)を前後に放り投げた。

 前に投げられた機動甲冑(パワード・スーツ)は突っ込んできた仲間に背中から衝突し、くの字に折れた。

 ひと塊になって転がってくる二体を跳んでかわし、リーは後ろに放り投げた機動甲冑(パワード・スーツ)の背後に着地した。

 相手の裏拳をかわし、懐に入って腹部の装甲に掌を当てる。

 後ろに引いた足で地面を押す。足から体幹、そして腕へと通した地面の反作用に自らの力を加え、甲冑に打ち込んだ。

『ガバアッ』

 スピーカーから断末魔の声がほとばしった。

 倒れてくる巨体を避け、リーは最後の一体へと歩を進めた。

『あ……ああ……』

 折れ曲がった仲間を押し退けた機動甲冑(パワード・スーツ)は、立つこともできずに後退った。その様は滑稽なものだったが、搭乗者はそれどころではない。

 掌打をくらって倒れた僚機の生命反応は消えていた。

 装甲を叩くのではなく、衝撃を内側に通す――先ほど自分がやろうとしたことを、リーは最少の動きでやってのけたのだ。

 単純な腕力でできる技ではない。このバケモノは相当な技量まで兼ね備えている。その事実は戦闘意欲を萎えさせるのに充分だった。

 あたふたと体を反転させ、背中のブースターで空に飛び上がる。

 空中高く逃げたことで、ようやく恐怖で詰まった息を吐くことができた。

「逃さん」

 安堵の吐息が引っ込んだ。

 下にリーの姿がない。

 では、どこに?

「ここだ」

 機動甲冑(パワード・スーツ)の頭に乗ったリーは右足を振り上げ、ブースターに踵を叩き込み、飛び離れた。

『バケ……モノ……ッ!』

 末期の叫びは爆音にまぎれて消えた。

「そうだと言ってる」

 地面に降りたリーは苦々しく言った。

「だからって……何が悪い」

 かつて、この姿を見ても一切恐れないどころか、勝負まで挑んできた男は、リーに生きる場所をくれた。

 その男のためなら、このバケモノの力を使うことを厭いはしない。

「さて……約束を守りましたよ。だから、僕の約束も必ず守ってくださいね」

 月に向かってつぶやくも、約束が破られるとは思っていないリーであった。


 シリックは吹っ飛び、倒れた。

 すぐには動けなかった。肩の傷の痛みは強化された神経が緩和してくれる。動けないのは、何が起きたのか理解できなかったからだった。

 眼を何度も瞬かせ、頭を上げる。

 カノンが立ち上がり、ウロボロスを向けようとしていた。

 シリックは左手を上げ、〝狂鈴〟を振った。

 カノンの手が横に跳ね――同じ勢いで元の位置に戻った。

 輪胴(シリンダー)が回転し、発射された弾丸が手首ごと〝狂鈴〟を撃ち抜いた。

 シリックの悲鳴が広間(ホール)いっぱいに広がった。

「な、何で……何でだ? 何で? 何で? 何で」

 壊れたように繰り返すシリックに、カノンはしっかりと狙いを定めた。

「今まで狂わなかった機械化人間(サイボーグ)はいないんだぞ! それなのに……」

「俺の体が普通の機械ではないからだ。その分、抵抗もできた」

「ふざけるな! どう見たって、おまえは全身機械だろう!」

「体を機械に換えた(・・・)のではない。体を機械に変えたんだ(・・・・・)

 意味がわからず、シリックは眉根を寄せた。

生命金属(ライブ・メタル)

 さらに深く眉間にしわを寄せたあと、シリックは驚愕に眼を剥いた。

 人体というものの機能は非常に優れている。物をつかむという動作ひとつとっても、機械で再現させるのは難しい。また内臓の機能などは、機械で代替しようとすれば体内に収めることができないほどのサイズが必要となってしまう。

 このすばらしい機能をそのままにして、人体を機械化できないか?

 そこで考えられたのが生命金属(ライブ・メタル)である。すなわち、人体を機械に置き換えるのではなく、人体を機能はそのままにして金属化させるのだ。金属化した肉体は機械的な処理を行って各機能を高めることができるのはもちろん、人体と同じく治癒能力を有し、経験や訓練を積むことによって成長(・・)さえする。

 理論だけは世界崩壊前からあったとされ、〈大戦争(メガ・ウォー)〉の際にも研究されたが、体が金属化する際の激痛に耐え切れず絶命するか、完全に金属化してしまうかのどちらかで終わり、結局生きた金属が作られることはなく、今となっては軍事に関わる者たちの間にだけ残る伝説でしかなくなった。

 馬鹿な話と笑おうとしたシリックは、自分に向けられた銀色の回転式拳銃(リボルバー)に眼を止めた。

 世界崩壊以後に作られた〈オーパーツ〉〝神銃〟ウロボロス。

 製作者はデミト・アラミス。

 異界力理論を解き明かした〝狂気の錬金術師(マッド・アルケミスト)〟。

「まさか……」

「天才ではあったが、尊敬はできない父親(・・)だ。この体で利点があるとすれば――うまいメシを味わえることくらいか」

 面白くもなさそうに言い、引き金にかけた指に力を入れる。

「ま、待て! 撃つな!」

 シリックは無事な手を前に突き出し、首を左右に振った。

「悪かった! 許してくれ! 頼む!」

「今さらそれで通ると思うか?」

「待てって! 七年前のことはしかたなかったんだ。おまえも元傭兵ならわかるだろ。雇い主の命令には逆らえない」

「雇い主?」

「ああ、そうさ。俺はテロリストなんかじゃない。俺は人間種(ヒューマン)至上主義者じゃないし、差別主義者でもないんだ。〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉に協力しているのは報酬のため、生活のためさ」

 シリックの舌はさらに動いた。

「ついでに言うと、俺の雇い主であるレイス――〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉の首領(チーフ)の野郎も、人間種(ヒューマン)至上主義者じゃねえぜ」

「どういうことだ?」

「あいつは人間種(ヒューマン)のことなんて考えちゃいない。その証拠に、脱出装置のある本当の場所を部下たちに教えてないんだ」

「おまえは本当の場所を知ってるのか」

「もちろんだ。そこには爆弾もあるし、何よりレイスがお姫さまを連れて行ってるぜ。どうだ? 助けてくれるなら教えてやるぜ」

「それが本当の情報である保証はない」

「本当だって! 早くお仲間に教えてやらないと、間に合わないぞ」

 シリックは待つつもりだったが、カノンはあっさり引き金から指を離した。

「敵討ちなど柄ではない、か」

「あ、ありがとよ! できれば、銃をしまってくれ」

 カノンはウロボロスをコートの内側に収めた。

「言え」

「ああ……。脱出装置があるのは城の最上階――〈神君〉の間のすぐ下の部屋だ」

 聞くなり、カノンはコートの裾を翻し、部屋の扉へと歩を進めた。

 一歩、二歩と黒い背中を見送るシリックは、ゆっくりと手を後ろに回した。弾が二発しか入らない小型の銃だが、弾丸はカノンも使った爆裂弾(エクスプロージョン・ブリット)だ。生命金属(ライブ・メタル)だろうが、頭を吹き飛ばせば関係ない。

 三歩、四歩……歩数を数えて隙を窺う。

 五歩、六歩――警戒されていない。銃を握りしめた手を、慎重に前に持ってくる。

 七歩目で、あることに気づいた。

 撃たれた自分の肩に眼を向ける。

 〝狂鈴〟ごと手首を撃ち抜かれる直前、ウロボロスの輪胴(シリンダー)は一度回った。ウロボロスの薬室(チェンバー)にはそれぞれ違う種類の弾が入っているから、弾丸が変化したということだ。

 直前まで使っていたのは爆裂弾だった。

 しかし肩の弾丸は爆発せずに体内に残っている。

 つまり手首を撃たれる前、肩を撃たれた際にも弾丸の変化があったということになる。

 この弾は――何だ?

「敵討ちなど柄ではない」

 去り行くカノンは言った。

「だが、落とし前はつけてもらう」

「…………っ!」

 おもに暗殺に使用される時限式焼夷弾によって炎に包まれるシリックを残し、カノンは(ホー)()を出た。

 早速、携帯用ディア・ムーンを取り出したが、ふたつに割れていた。左胸の内ポケットに入れておいたのである。

 どうするか思案していると、複数の足音が近づいてきた。

「あとはあいつに任せるしかないか」

 割れた石を捨て、ウロボロスを抜く。

「それにしても……」

 アドルと出会ってからというもの、

「分の悪い賭けばかりやらされる」

 うんざりとつぶやき、現れた衛士たちに向かってウロボロスを咆哮させた。


          3


 重そうな扉は音もなく開いた。

 部屋は階のほぼ全体を占めていた。太い柱が等間隔で並び、いくつかに松明がかかっている。それでも明かりは足りず、闇が部屋の主となっていた。

 アドルはまっすぐ進んだ。歩みに迷いがないのは、その先に松明とは違う明かりがあるからだった。

 近づくと、明かりを放つ物が何かわかった。

 高さ三クレスト(メートル)のガラスの円筒だった。内部で金色の光の粒が踊っている。円筒の乗る台座部分の計器には、あとからつけられたと思わしき部品がいくつかあった。

 見覚えのある装置だった。見たのはルフティウムのフィンスターニス大使館。世界に八基しかないはずの、〝光路〟ヘルメスの送受信装置である。

「アドル!」

 声は装置の横からした。

「ニナちゃ……ん?」

 柱に鎖で縛られたニナは、何故か眼鏡をかけていた。

「……イメチェン?」

「違う!」

「いやいや。よく似合ってるよ。なんというか……叱られてみたい」

「あのねえ!」

「気に入ってもらえてよかった」

 ニナを縛った柱の後ろからレイスが現われた。自分の眼鏡を押し上げ、微笑みかけてくる。

「君には本当に驚かされるな」

「ここに来たことにか」

「それもあるが……まさか伝説の神獣の落とし子に、狂気の錬金術師の息子とは。たいした手駒を持っているじゃないか」

 アドルはムッと唇を尖らせた。

「あいつらは手駒じゃない。仲間だ」

 それは失礼、と詫び、レイスはニナの眼鏡を取ってアドルに投げた。

 受け取ったアドルは眼の高さに眼鏡を上げた。右は普通に前が見える。しかし左のレンズには〈GG〉と〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉が戦う城内の様子が映り、つるの部分からは音も聞こえた。同じものがレイスの眼鏡でも見聞きできるのだろう。カノンとリーの戦いだけでなく、アドルがここに来るまでも見ていたはずだ。無線による映像通信ということは、これもまた〈オーパーツ〉ということになる。

「そこにある光路といい、随分と便利な物を持ってるな。どこで売ってるんだ?」

「有志から提供された品だよ。私たちの行動を応援してくれる者は多くてね」

人間種(ヒューマン)至上主義のテロリストに協力するような連中は、こんな物を用意できるほど裕福なのか?」

「考えではなく、行動と言ったろう。この上にいる御方が邪魔だと思っている者は、人間種(ヒューマン)以外にも

いるということだ」

 天井を指差したレイスは、ニナに嘲笑を向けた。

「それにしても、これだけ城内が騒がしいというのに動く気配もないとは。娘よりも己の誓言のほうが大事というわけか」

「私はあいつの娘なんかじゃない!」

「今となってはどうでもいい。思いがけず手に入れた切り札だったが、無駄になったな」

「思いがけず……ということは、最初からニナちゃんのことを知っていたわけじゃないんだな」

「リチアルに近づくため、奴の父親の身辺を調査したとき、この娘の存在を知ったのだよ。計画の最大の不安要素は〈神君〉が自身の誓言を破って動くことだった。そのための抑えを手に入れられれば、万全と思ってね。しかし今なお、あの男は座したまま動かない」

 レイスは眼鏡に触れた。

「そいつで〈神君〉も監視してるのか」

「ずっとね。面白いものではないぞ。君と違ってまったく動かないからな」

 ところで……とレイスが眉を寄せた。

「本当にどうしてここに来られた? 君が脅した部下は、私の指示したとおりの場所を君に教えたのに」

「おまえが指示した嘘の場所だろうが。わかるさ、そのくらい」

「何故?」

 アドルは鼻を鳴らし、唇を歪めた。

「おまえがどうしよもないクソ野郎だからさ」

「……言ってくれるな」

「ホントのことだろ。〈虚空(ヴォイド)〉以上に黒い腹してるくせに」

「否定できんな」

 どちらも笑いながらの会話だが、周囲の空気は次第に剣呑なものへ変わっていった。

「あとはどこに爆弾を仕掛けるかということと、嘘がばれてもすぐには来られないような場所を考えればいいだけだ。簡単すぎるクイズだ」

「なるほど……。〈神君〉の足下というのは盲点になると思ったのだが」

 残念だったなと笑い、アドルは眼鏡を捨てて踏みつぶした。

「それで、そいつが爆弾なのか?」

 アドルは先ほどから気になっていた物を、ステッキの先で指した。

 ニナが縛られた柱の後方に置かれた、黒い卵型の金属球である。見た目は本当に卵だが、サイズはひと抱えもあり、三本足の台座に乗っている。下部から伸びたコードは、横のタイマーにつながれていた。表示された時間は、残りあと十分。

「〈オーパーツ〉、〝終卵(しゅうらん)〟アバドン……正確には爆弾ではないよ」

「ヒヨコでも出てくるのか?」

「生まれるのは〈虚空(ヴォイド)〉さ。かつて〈第六生域(シックス・エリア)・ケトゥ〉を消滅させたものと同種の兵器だ」

「それは……とんでもないもんを」

 アドルの唇の隙間から、口笛に似た音が洩れた。

「いくら無敵の〈神君〉でも、〈虚空(ヴォイド)〉に呑まれれば生きてはいられまい」

「そいつはどうかな? いまだに動かないってことは、大丈夫なのかもしれないぜ」

「かもしれん。だが、ここまで事態が進めば、もはや〈神君〉が動いてもどうにもならない。〈神君〉が死ねば最良。〈神君〉が生き残っても〈ラーファ〉が消滅すれば、世界は混乱する。最悪、〈神君〉が動いてアバドンを止めたとしても、それは誓言の破棄を意味し、各国は安穏としてはいられないだろう。もはや真の夜明けの訪れは止められない」

「何だよ。その真の夜明けってのは?」

 アドルは訊きながら、ステッキを体の陰に隠した。

「この寝ぼけた世界を目覚めさせるということだよ」

「寝ぼけて、寝言言っってんのは……おまえだろ!」

 発動させた〝妖刀〟を、〝終卵〟に向かって振るう。

 すべてを断ち切る〝妖刀〟メフィストの刃は黒い卵にぶつかり――はじけ、突風となってアドルたちを叩いた。

「無駄だ」

 レイスは風に乱れた髪を直して言った。

「アバドンの外装は、異界力を絶えず循環させる特殊コーティングだ。いかに強烈な衝撃や熱であってもはじき返す。君の〝妖刀〟でも斬れないのは、今、見たとおりだ」

「あっ、そう。だったら、おまえに止めてもらおうか」

 言うが早いか、アドルの体はレイスの間近に迫っていた。空気さえ揺らさないようなその動きに、レイスばかりか、ニナまで眼を見開いた。

 ステッキを白い喉めがけて突き入れたアドルは、

「おっ!?」

 ひと声上げて飛び退いた。

「〝海王甲〟リヴァイアサン」

 今の驚いた顔は演技だったのだろう。青い鱗光に守られたレイスは、余裕に満ちた笑みを浮かべていた。

「バリヤーかよ。いい指輪、持ってんじゃねえか。誰からもらったプレゼントだ?」

「人を口説くことには自信がある。君ほどではないが」

「わざわざつけ加えるのが、ムカつくね。謙遜に聞こえないぞ」

「気を悪くしたかな?」

 レイスは鱗光を消して言った。

「ではお詫びにひとつ、いいことを教えよう。このリヴァイアサンは大砲の一撃でも受け止めるが、アバドンの外装ほど固くはない。異界力の出力から計算すると、おそらく君の〝妖刀〟のほうが強いだろう」

「これはご親切に」

「気にしなくていい。一方的なゲームはつまらないからな。それと、もうひとつ教えておこう。アバドンは一度動き出したら止められない。つまり――」

 レイスは右手を突き出し、赤い指輪をアドルに向けた。

「――フィンスターニスには滅びの道しかない!」

 赤い指輪が光を放つ。

「逃げて!」

 アドルはニナの叫びに押されるように横へ跳んだ。

 指輪から発射された赤い光球は脇を抜けたが、背後で取って返し、アドルに迫った。

 軽やかな足取りで回転し、再びかわすも、光球は再度舞い戻ってきた。

「こいつは」

 アドルは柱の陰に飛び込んだが、危険を感じ、その場に腰を落とした。

 石の柱を貫通した光球が頭上を抜ける。

 なおも返ってくる赤い光球――回避できる体勢にないアドルは〝妖刀〟を振るった。

 衝突した赤い光球と青い刃は、閃光と突風を生み、双方、消滅した。

 アドルはホッと胸を撫で下ろし、柱に開いた穴からレイスを覗き見た。穴の内部は磨かれた鏡のように滑らかだった。

「そいつも〈オーパーツ〉か」

「〝魔弾〟ベリアル。こちらは君の〝妖刀〟と互角の威力を持っているようだな」

 レイスはニナから離れ、アドルの隠れる柱へと近づいてきた。

「今ので君の〝妖刀〟は、あとふた振り。グリアムなどに使うべきではなかったな」

「よく見てるな、この野郎。そっちの〝魔弾〟とやらは、あと何発残ってる?」

「サイズは小さいが、君の〝妖刀〟よりも性能はよくてね。使用制限はない」

 攻撃されても反応できる位置で止まり、レイスは指輪を突き出した。

「ただし、連続では二発までしか撃てないという弱点がある。悪い勝負ではないだろう」

 レイスは横に移動し、光球を一発放った。

 アドルが柱を飛び出したところにもう一発放つ。

 前と横から迫り来る光球に背を向け、アドルは必死の形相で逃げた。

 柱の間を縫って逃げるが、光球は柱を抉って突き進んでくる。

「逃さん!」

 レイスが右手を振るうと、光球のひとつが軌道を変え、アドルの前に回りこんできた。

 アドルは踵で急ブレーキをかけ、レイスのほうへ進路を変えた。

 またもレイスの右手が閃く。

 光球は速度を上げ、アドルの左右に並び、新たな操作で直角に曲がった。

 死を運ぶ〝魔弾〟に挟まれるという絶望的状況において、アドルは白い歯を見せた。

 石の床を鳴らして垂直に飛ぶ。直前での方向転換に、さすがの〝魔弾〟もついては来れず、互いを喰い合って消滅した。

 しかし――

 突風の中で滞空するアドルは、自分に向かってくる新たな〝魔弾〟を目撃した。

「アドル!」

「おおっ」

 ニナの悲鳴と、レイスの驚声が重なった。

 〝魔弾〟直撃寸前――〝妖刀〟を振るうだけの間合いはないと思われたが、アドルは身体を大きくのけ反らせると、自分の体にステッキを滑らせるようにして〝妖刀〟を振り抜いたのだ。

 眼前で〝妖刀〟と〝魔弾〟が対消滅する。巻き起こる突風に吹き飛ばされたアドルは、硬い床に背中から叩きつけられながらも痛みをこらえて闇に身を隠した。


 ニナは魂が抜けそうなほどの勢いで息を吐き出した。とにかく心臓に悪い。

「すばらしい! よくぞ、かわした」

 レイスが拍手しながら哄笑した。

「何が連続で二発だ、このペテン師!」

 アドルの声は後ろから聞こえた。しかし振り返ったのはニナだけで、レイスは前を向いたまま首を振った。

「よしたまえ。その程度のフェイクは無意味だぞ」

 レイスはアドルの腹話術を簡単に見破った。

「やはり思ったとおり。君はすばらしいな、アドル・ペルソナ」

 レイスは隠れたアドルへ呼びかけた。

「〈GG〉や各国警察の資料、犯罪者たちの噂では、君はペテンの得意な卑怯者ということになっているが……それは実力を隠すための仮面にすぎないことが、今ので確信できた。すばらしい身体能力と技能、咄嗟の判断力。まさに快盗と名乗るにふさわしい」

「だから、男に褒められてもうれしくないって。というか、気持ち悪い」

「そうつれなくするな。どうだ。私と組まないか?」

「何を言い出す?」

「私たちが求めているものは同じだと思うのだが」

「おれは人間種(ヒューマン)が一番偉い種族だー、なんて思ったことないぜ」

 今度の声は横の暗闇からだったが、レイスはそちらを見もしなかった。

「私も同じだよ。種族の違いなど些細なことだ」

「テロリストの親玉が言うセリフか」

「〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉は世界に真の夜明けを迎えることを目的とした組織。人間種(ヒューマン)至上主義など、扱いやすい馬鹿どもを集めるための方便にすぎんよ」

「このクズ野郎!」

 ニナの罵声を無視し、レイスはアドルにのみ語りかけた。

「大体、人間種(ヒューマン)とその他の種族にどれほど違いがある? 一千年前、人間種(ヒューマン)は世界を崩壊させ、三百年前には、亜人種たちが〈大戦争(メガ・ウォー)〉を引き起こした」

 レイスの笑いが不気味に流れた。

「結局のところ、知性ある生物は争いを好むということだ。しかし今の世界はどうか? ぬるい……あまりにぬるい。凡人ならばいいだろう。だが、私や君のような――他者より突出した才や力を持つ者にとって、今の世界はあまりにも退屈すぎる」

「退屈だからテロリストやってるのかよ」

「そういう君も同じだろう。何故、泥棒などしている?」

 その問いは、ニナが美術館でアドルにしたものと同じだった。

「この世界は人間種(ヒューマン)に優しくない。君ほどの男が泥棒などに身をやつしたのもやむなきことだったかもしれないが、そのやり方はどうだ? わざわざ予告状を送り、警官たちの待ち構える場所へ飛び込み、名刺(カード)と薔薇を残して去る――それは何故だ? 刺激が、スリルがほしいからだ。違うか?」

 ニナは周りを見回した。だが、アドルの応えはない。

「私も同じだ。生きるだけなら必死にならずともできるが、それではあまりに退屈すぎる。人生という名のゲームを楽しむためには、惰眠を貪るこの世界を目覚めさせる他ない。そのために〈神君〉という抑止力をなくし、真に力ある者が思う存分実力を奮える世界を創る……それこそが私の目指す世界の改変――真の黎明の始まりだ」

 レイスは口に手を当て、暗い喜びに肩を揺らした。

「随分と持ち上げてくれるじゃないか」

 アドルの声は呆れ返っていた。

「でもまあ、刺激やスリルは好きってのは当たってる」

 レイスが満足げにうなずいた。

「だけどな……」

 軽い声は鉄に変わった。

「てめえと一緒にするな。不愉快だ」

「ほう? どこが違う?」

 フンと鼻で笑ったあと、アドルは言った。

「プライドがないんだよ、おまえは」

「――――」

 レイスの表情に初めて不快の色がついた。

「おまえさ、悪党って呼ばれたくないんだろ」

「何?」

「おれは自分が悪党だって自覚してるし、悪党と呼ばれるのも当然だと思ってる」

「盗人にも三分の理とでも言いたいのか? 開き直りにしか聞こえないぞ」

「だから矜持(プライド)の問題なんだよ」

 まさしく真剣のごとき鋭い声音に、ニナは眼を見開いた。

「他人様からすれば、おれの生き方なんざ噴飯ものだろうさ。でもな、無法者ってのは罵られようが、嫌われようが、とっ捕まろうが、傷つこうが、殺されようが――全部受け入れなきゃならない。それが法の庇護から外れて生きることを選んだ者の覚悟で、矜持だ」

 アドルの声が勢いを増す。

「おまえは『悪』の重さに耐え切れなかったんだろうが。何が世界の改変だ。自分じゃなくて、世間が悪いってか? そんな言い訳で正当化しなきゃ何もできない軟弱野郎と一緒にされたくねえんだよ」

「貴様はこんな世界を享受するのか! 私を認めず、貴様をこそ泥に貶めた、この世界を!」

「だから……」

 嘲笑する者とされる者の立場は逆転していた。

「世界がおれをどう思うと、おれは全部受け入れてやるって言ってんだろ」

「…………っ」

 戦慄にも似た驚嘆――あるいはその逆――に体を貫かれ、ニナは小さく震えた。

 本気だったのか。

 本気だったのだ。

 世界を敵に回す――本気でその覚悟をしているのだ、あの男は。

「大体、何が退屈なんだよ。世の中にゃ、面白い連中やビックリするお宝がゴロゴロしてるし、何が起こるかわからないワクワクに満ちてるじゃねえか。信じられないかもしれないが、この前なんて、車で走ってたら特大級の美女が飛び込んできたんだ。こんなうれしい出来事のある世界で退屈するなんて、よっぽど根が暗いんだな、てめえ」

 レイスは重々しく息を吐いた。平静を装ってはいるが、眉や眼といった箇所に怒りが見える。

「後悔するぞ」

「『快盗十ヶ条・その十。後悔するな』ってね。そういうことさ」

 その台詞に、ニナは笑みをこぼした。

 胸に広がる気持ちが心地よい。

 なんと痛快で、なんと爽快なことか。

「……ああ……」

 社会的には許されず、排除されるべき者たちなのは間違いない。

 しかし己の美学を曲げず、相手がどんな強者でも敢然と立ち向かう姿には、憧憬を覚えずにはいられない。

 その意味で、アドルとその仲間たちはまさしく〝快盗〟であった。

「……よくわかった。では、ゲームを再開しよう。時間もなくなってきた」

 〝終卵〟につながった時計は、残り五分となっていた。

「いいのか? このままやり合ってたら、一緒にドカンといっちゃうぞ」

「出て来なければ、彼女を撃つ」

 レイスは赤い指輪をニナに向けた。

「あと二秒待つ。二……一……」

「早っ!」

 右手の柱からアドルは出てきた。

「自分で長々話してたくせに、何でいきなりせっかちになってんだ!?」

「〝魔弾〟のエネルギーの充填が終わったのでね。三発撃ち切ると、充填に少し時間かかってしまうのが欠点なのだよ」

 額に石でもぶつけられたみたいにアドルはのけ反った。

「おまえのほうがよっぽどペテン師じゃねえか!」

「褒め言葉と受け取っておこう」

 言うが早いか、レイスは〝魔弾〟を放った。

 アドルは横に跳んでかわした。即座に次弾が放たれ、初弾は転進してくる。

 逃げながらステッキを構えるが、二発の〝魔弾〟はレイスの操作により不規則な動きで狙いをつけさせてくれない。直接レイスを狙おうにも、最後の〝魔弾〟で防がれるのがオチだ。

 アドルはなんとか天井や床にぶつけようとして、曲がったり、ジャンプしてみたりしたが、レイスの操作は絶妙であった。

「アドル、がんばれ!」

 ニナの応援も虚しく、赤い光球はアドルとの距離を縮めていく。

 必死のアドルの姿に嘲笑を浮かべたレイスが、とどめを刺すべく右手を大きく振り上げた。

 そのとき、アドルは体を横に倒し、強引に右に方向転換した。

 無駄なあがき――冷笑を浮かべたレイスだったが、アドルの進行方向に〝終卵〟があるのを見て、笑みを強張らせた。

 即座に〝魔弾〟を逸らせようとするも、その前にアドルの眼光がレイスを貫いた。

 じかに目の当たりにしたアドルの殺意と、最後の〝妖刀〟が来るという可能性に、レイスが右手を動かせなくなったその瞬間、アドルはジャンプし、さらに〝終卵〟の天辺を蹴った。

 追走してきた〝魔弾〟は〝終卵〟にぶつかり、特殊コーティングによってはじけ飛んだ。

 二発の〝魔弾〟が消滅することで生じた強風が、傍若無人な勢いで吹き荒れる。

 ニナは縛られていたのが幸いしたが、レイスは軽々と吹き飛ばされて柱に叩きつけられた。

「おのれ……っ!」

 苦痛と憎悪に中性的な顔を歪ませるレイスだったが、疾走してくるアドルを見て、驚愕と恐怖に表情を固めた。

 振り下ろされる〝妖刀〟に対し、レイスはなにふりかまわず〝魔弾〟を放った。

 まさに刹那の差で、〝魔弾〟は〝妖刀〟を止めた。

 巻き起こる突風の中、床ギリギリまで身を沈めて前に飛び出したアドルが、青い光を失ったステッキを逆袈裟斬りに振り上げる。

 レイスが笑う。その身はすでに青い鱗光に守られていた。しかも右手は懐中の拳銃を引き抜いている。ステッキは止められ、至近距離での射撃で決着が――

 アラームが鳴った。

「――――」

 ステッキは振り抜かれ、レイスの体と後ろの柱に青い斬線が描かれた。

「…………」

 レイスは左手で自らの体を抱き締め、そっと眼を動かした。

 アドルのステッキは、青い光を放っていた。

「バ……カな……」

 ほとんど口を動かさずに言った。

「〝妖刀〟は……一日に五回……まで……。まさか……ペテン……」

「ペテンじゃないぜ」

 アドルは立ち上がって言った。

「おれの〝妖刀〟は新たな日を迎えるとともに、五本の刃を取り戻す。だから一日に五回だ。嘘は言ってないぞ」

「な……。いや、だが……まだ……そんな時間じゃ……」

「こいつは〈オーパーツ〉だ」

 アドルは袖をまくり、腕時計を見せた。

 表示時刻は零時零分。

「〈崩壊の(コラプス・デイ)〉以前の基準時間で設定されてるんだよ」

「…………っ!」

 レイスは眼を見開き、醜く顔を歪ませた。

「それこそ……ペテン……だ……っ!」

「勘違いしたのは、そっちだ。言いがかりはよしてくれ」

 真顔で言うアドルの前に、レイスは自らを抱き締めたまま倒れた。

「とはいえ、この機能……何でこんな使い勝手の悪いものにしたんだかなあ」

 〝妖刀〟を見つめて慨嘆するアドルに、

「のん気にしてる場合じゃないわよ!」

 ニナは怒鳴り、縛られているので足を使って〝終卵〟を指し示した。

 残り時間は三分を切ろうとしていた。

 アドルは〝妖刀〟で鎖を断ち、ニナと二人で〝終卵〟に駆け寄った。

「どうするの、これ」

「手伝って!」

 二人は〝終卵〟を台から持ち上げた。重さはあったが、ニナの怪力が役に立った。

「あそこに!」

 協力して〝終卵〟を光路の円筒内に押し込み、台座部分へ走る。

「どうするの」

「これであの卵を飛ばす」

 アドルは計器を調べながら答えた。

「飛ばすって……ちょっと待って! それじゃ、向こう側で爆発しちゃうじゃない!」

「光路は送信側と受信側の座標設定が同一でなくてはならない。つまり、座標をわざと狂わせてしまえば……」

「あ……どっかの異空間に飛ばせる! いいじゃない。いけるよ、それ!」

「だけど、ふたつほど問題が」

「何よ」

「異空間に飛ばせればいいけど、もしかしたら、どこか別の〈生域(エリア)〉に飛んでしまうって可能性もあるってこと」

「それは……もう賭けるしかないでしょ! もう二分を切ってるのよ!」

「わかってる。わかってるけど、もうひとつの問題が……」

「何なのよ!?」

「……使い方がわからない」

「致命的な問題じゃないの!」

 ニナはアドルの肩をつかんで揺さぶった。

 タイマーは一分を切ろうとしていた。

「アドル!」

「やるしかないか!」

 意を決して両手を振り上げたアドルは、頭を踏まれて前にのめった。

 アドルを踏み台にして計器に飛び乗ったティシャナは、踊るように四本の足を動かした。次々とスイッチを押し、尾でレバーを上げ下げしていく。

 めまぐるしく変わる計器の数字が、アドルとニナにはわからない数値で定まると、大きなスイッチが赤く光った。

 ニナは〝終卵〟を見た。

 残り十秒――アドルが赤く光るスイッチに拳を叩きつける。

 円筒内の光の粒が〝終卵〟を覆い、輝きを増し、はじけた。

 アドルたちはまぶしさに眼をつぶった。

「………………」

 耳が痛いほどの静けさが周囲に満ちた。

 まばたきをして光の残滓を消して見ると、円筒は空になっていた。

 ニナはその場にへたり込んだ。

「た……助かった……」

「そうみたいだね」

 アドルは額の冷や汗を拭い、ステッキで凝った肩を叩いた。

 ニナは立ち上がろうとしたが、足に力が入らずによろめき、アドルの手に支えられた。

「ほらほら。しっかりして」

 空いた手がニナの腰に回り、さらに下へ移動する。

 ニナは反応しなかった。凍りついたように、装置の上のティシャナを見つめている。その眼差しは愛猫に向けるものではなかった。

 アドルは手を上げ、ニナの肩を叩いた。

「行こうか。目的地はこの上だ」

「……そうね」

 ティシャナが装置から降り、部屋の奥へ向かった。

 二人は黒猫の先導に疑問を持つことなく、そのあとをついて行った。


          4


 下の部屋と違い、その部屋に闇はなかった。

 円蓋(ドーム)状の天井は水晶に似た透明な材質で作られ、降り注ぐ月光が部屋全体を蒼白く彩っている。

 しかしそれ以外は、寂しい広間であった。扉から玉座まで伸びる赤い絨毯があるだけで、他に調度品はない。

 突然の訪問者にも、玉座の主は動かず、何も言わなかった。

 ティシャナが絨毯の上を行く。

 しかしニナはあとに続けなかった。まだ距離があるにもかかわらず、玉座の主の圧倒的存在感が伝わってくる。

 ともすれば下がってしまいそうになる背中を軽く叩かれた。

 微笑むアドルに、前へと背中を押される。

 二人は歩調を合わせて進んだが、半ばまで来たところでアドルが立ち止まった。

「アドル?」

 ニナは振り返った。前を行くティシャナも足を止めた。

「ここから先はニナちゃんだけで」

 眼を剥くニナを、アドルは常にない真剣な眼差しで見据えた。

「これは君の闘いだろ」

「あ……」

 逡巡はわずかだった。

 ニナは息を整え、頬を叩いた。背筋に力を入れて、玉座へと進む。ティシャナが横に並んだ。

 玉座は簡素なもので、飾りひとつなかった。そこに座る者も、まとっているのは飾り気のない純白の長衣だけ。緩やかに波打つ、長い金髪の上には冠もない。

 飾る必要などないのだ。

 すべてはその美しさだけで充分だった。室内が華美でないのも、どんな美品であれ、この男の美には敵わないからだ。

 三歩分の間を開けて、ニナは立ち止まった。ティシャナも同時に止まる。

 玉座というと高い位置にあるのが普通だが、この男の玉座は直接床に据えられていて、ちょうど視線が正面からぶつかる。

 だが、男の眼は閉じられていた。もし開いていたら、これほど近づけなかっただろう。肖像画は見ていたが、実物を前にするとあの絵さえ子供の落書きに思えてくる。感動を通り越して恐怖を感じるほどの美貌であった。

 高鳴る心臓の音が、体の内側から耳に届く。

 ニナは唾を飲み込んで喉を湿らし、言った。

「……母さんが死んだわ」

 反応はない。

「何か言うことはないの?」

 やはり反応なし。

 握りしめた拳が震えた。

「母さんは……あなたのためにその身を捧げたのよ。それなのに、何もないわけ?」

 昂る感情を押し殺し、問う。

 過ぎ行く時間の音が聞こえそうな沈黙が落ちた。

 ニナは聞いた。

 忍耐の糸が切れる音を。

「――何とか言ったらどうだ!」

 ニナは足元のティシャナをつかむと、〈神君〉めがけて投げつけた。

〈神君〉の体に当たった黒猫は、何の抵抗もなく、その体に吸い込まれて消えた。

 そのことに驚きもせず、ニナは前に飛び出して拳を振るった。

 しかし――

「驚きだ」

 そのひと言だけで、少女は見えない力に縛られたように動けなくなった。

「このような行動に出るとは」

〈神君〉の眼が開いた。

 金色の瞳があらわになると、今度は本当に見えない力によってはじき飛ばされた。

「ニナちゃん!」

 アドルが走りこんでニナを受け止めた。

「大丈夫?」

 ニナはアドルの腕を振りほどき、

「これがあんたの答えか!」

 叫んだ。

「母さんを利用して、用済みになればもういらない!? 何が〈神君〉よ! あんたは――」

「ニナちゃん」

 耳元でのささやきと、肩に優しく置かれた手が、怒りに沸騰したニナの頭を冷やした。

「やっぱり〈神君〉のこと知ってたんだ」

 ニナは涙の溜まった眼を丸くした。

「何度かしてたじゃないか。会ったこともない〈神君〉を知っているような言い方を」

『私はあいつ(・・・)の娘なんかじゃない!』

『あいつ(・・・)には訊きたいことが山ほどあるの!』

『そんなこと言ってたんだ、あいつ(・・・)は』

元凶(・・)は全部あいつ(・・・)なんだから』

「一番わかりやすかったのは『どうして母さんを放っておいたのか(・・・・・・・・・・・・・・・・)』だったね。これは〈神君〉が君のお母さんを助けられる立場にあることを知っていた者のセリフだ」

「……油断も隙もないわね、あんた……」

「君は自分で言うように、〈神君〉の娘ではない。でも無関係じゃない。そして君はそのことを知っていた。そうだろ?」

 ニナは唇を噛み、小さくうなずいた。

「ごめん……。あんたたちを利用して……」

「それはいい。だけど、わからないな」

 アドルは隻眼で〈神君〉を見据えた。

「一体、どういう関係なんだ?」

 無機質な声が答えた。

「〝それ〟は、私という個性から人格、記憶、知識を取り去った意識体の一部を、人の胎で受肉させて生み出した分身だ」

「違う!」

 ニナは激しくかぶりを振った。眼に溜まった涙が飛び散る。

「私は、私よ! ニナ・フォーチュンよ! ミナ・フォーチュンの子どもで、マーセルの貧民街で育った人間種(ヒューマン)よ! あんたに造られた人形なんかじゃない、絶対!」

 血を吐くような叫びであった。

「やはり驚きだな」

 言葉とは裏腹に、美貌は超然とした表情を変えない。

「人格は消したとはいえ、私の精神の一部だったものが、これほど私に反発するとは」

「当たり前よ! 私とあんたは別人なんだから!」

「ちょっと待った」

 アドルは手を挙げ、二人の会話を断ち切った。

「話が見えない。何で分身なんか創った? まさか女になってみたかったとか?」

「人の子として育ち、生き、世界を見極めるためだ」

〈神君〉が両手を玉座の肘掛けにかけ、立ち上がった。それだけで、アドルとニナは世界が揺れ動いたような錯覚に襲われ、腰が抜けかけた。

「二百年前、私が世界を統治しなかったのは、世界はそこに生きる者たちに任せるべきだと考えたからだ」

 金色の双眸に見据えられ、アドルは息苦しさに呻いた。

「私の真意を理解した者は多くない。……ユージ・タカールを初めとして、数名いるかどうか。新たな世界を創っていくのは、私のような造られた人間であってはならん。現在(いま)、この世界に生きる者たちの手で成されなくてはならないのだ。それこそが進化――より良く在らんとする生物の意志の力だ。だからこそ、私は人々に世界を託した。だが――」

 二百年経っても、世界から争いはなくならず、種族間の(いさか)い、差別は消えない。

「ここに至って、私の中に疑問が生じた。はたして、世界をこのままにしてよいのか――と。それを見定めるために造ったのが、〝それ〟だ」

 金色の瞳に見つめられ、ニナは膝を屈しかけたが、歯を食い縛ってこらえた。

「世界崩壊の原因となり、現在は最悪の差別を受ける人間種(ヒューマン)の視点から世界を見ることで判断するつもりだった。私が世界を直接支配するかどうかを」

「そいつは――」

 現在の世界の在り方を一変させるだろう目的に、アドルは絶句し、ニナは咆えた。

「そんなことのために……あんたは母さんを利用したんだ! 子どもを産めない体だった母さんをそそのかして!」

〈神君〉に突進しようとするニナを、アドルは抱き止めた。

「子どもを産めない?」

「若い頃、亜人種による暴行を受けた後遺症だ」

 アドルの疑問に、〈神君〉が答えた。

「子を欲していたあの女は、私の申し出を受けた。国外に送り出し、当座の金に代わる物も与えた」

「ん?」

 アドルは首を傾げた。

「当座の金の代わりって……まさかあの指輪とか言わないよな?」

「あれほど価値があるとは知らなかった」

 真面目な顔で言われては、ツッコミも入れられない。というか、暴れるニナを押さえるだけで精一杯だった。

「離してよ! 離せ!」

「おかしな――いや、おもしろいというべきか」

 初めて〈神君〉の美貌に変化が生じた。唇の片端だけだが、確かに小さく笑ったのだ。

「人格は消しても、私の与えた使命は自覚しているはず。にも関わらず、〝それ〟は私を非難し、反発する。心とは不可思議なものだ」

「あんたが心とか言うな!」

 ニナは咆えた。

 生まれたときからずっと、心の中にひとつの命令があった。

『世界を見ろ』

 それが〈神君〉から与えられたものだと気づいたのは、物心がついた頃だった。

 その命令はニナの心に強く根ざしたもので、それに従うことこそ、自分本来の姿であるはずだった。

「でも……母さんは私に心をくれた!」

 すべての事情を知りながら、ミナはニナを〈神君〉の分身ではなく、自分の娘として育ててくれた。

 母の愛情は〈神君〉の命令に抗えるほど強い心をニナの中に育んだのである。

「だからなの 私があんたの命令で動く人形じゃなくなったから……だから、母さんを見殺しにしたの ティシャナを使って私を監視して、母さんが死ぬのを黙って見てたわけ どこまでふざけてるのよ!」

「あれは天寿だ」

〈神君〉は微かな笑みを消して言った。

「私はまだ世界に介入するという結論に達していない。故に、あの女の寿命を延ばすことはできなかった。誓言に反する」

「私を産ませておいて、よくもそんなこと!」

 ついにアドルの腕を払い除け、ニナは〈神君〉に突進した。

〈神君〉の手が上がる。

 すべてを切り裂く青い刃は、その手の平の前ではじけ、吹きつける突風がニナを立ち止まらせた。

「結論は出ていない――そう言ったな」

 アドルは〝妖刀〟の先を〈神君〉に向けて尋ねた。

「そのとおりだ」

 二人の放つ気に挟まれ、ニナは身動きできなくなった。

「ついさっき、世界全体に争いを広げようという奴が、あなたを殺そうとしていた。それでもまだ、世界の人々に絶望していないと?」

「私の主観で結論は出せない。だからこそ、客観的に世界を見るために、〝それ〟を造ったのだ」

 二人に視線を向けられ、ニナは身を縮めた。

「さっきからニナちゃんのこと〝それ〟呼ばわりしてるけど……愛着はないのか? こんなにかわいい女の子に育ったのに」

「〝それ〟は、世界を見定めるという目的のために造ったものだ。愛玩用ではない」

「つまり、大事な()だということだ」

「重要なもの(・・)であることには間違いない」

「人をもの扱いするな!」

 威圧感につぶされそうになりながらも、ニナは怒鳴った。

「なるほどね。それじゃあ……」

 アドルは懐から出した名刺(カード)を、〈神君〉に投げた。

 名刺(カード)は回転しながら飛び、突き出したままの〈神君〉の手に収まった。

「書いている暇がないので口頭で失礼」

 アドルは〝妖刀〟を軽やかに回転させてわきに挟み、胸に手を当てた。

「快盗団ブルーローズからの予告をお伝えします」

 不敵な笑みを浮かべ、告げる。

「今宵、〈神君〉の()――ニナ・フォーチュンを頂戴する!」


          5


〈月冠城〉の東側は、普段は影に黒く塗りつぶされている。

 影を落とすのは、〈大戦争(メガ・ウォー)〉の頃から現役で動いている巨大な水道搭だ。風車の力でくみ上げられた地下水は、城の上階へと伸びる水道橋を通って運ばれ、そこから城全体に流れていくようになっている。現在は風がなくても、風車が回っているときに作られた電力よって動くようになっており、今も風車はゆっくりと回っていた。

 戦中は重要施設であったため警備の厳しい場所だったが、現在はメンテナンスの人員しか配備されていない。その者たちも〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉による城の占拠の際に捕まって人気(ひとけ)がなくなっていたのだが、今はかなりにぎやかなことになっていた。

 地上に落ちた塔の影は、飛行種族たちの持つライトに消され、光の中では多くの声がぶつかり合っていた。

「おとなしくしろ、コラッ!」

「抵抗するな! 腕へし折るぞ!」

「邪魔すんな! 〈虚空(ヴォイド)〉にぶち込むぞ、この野郎!」

 荒々しい声は〈GG〉の野牛部隊(バイソン・チーム)のもので、彼らに取り押さえられているのは〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉の残党たち。〈GG〉と言い争うのはフィンスターニス国家衛士団の面々であった。

 彼らがここに集まったのは、レイスが〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉の団員たちに指示した脱出ポイントが『ここ』だったからだ。

真黎明団(トゥルー・ドーン)〉が水道搭を目指し、それを野牛部隊(バイソン・チーム)が追いかけ、さらにそれを衛士団が止めようとした結果、水道搭の下はかのような混乱の場となったのである。

「やめろ! やめろと言うに!」

「うるせえぞ、ジジイ!」

 罵声と怒声と悲鳴の中にあっても、ラムダとフェイガスの言い争いは一番やかましかった。

「もう充分だ! あとは衛士団に任せて、おまえらは城外へ出ろ!」

「偉そうに言うな! 誰がテロリストどもを制圧してやったと思ってる!」

「そっちが勝手にやったことだ! しかもこちらの制止を無視して! これは侵略行為と言ってもいい暴挙だぞ!」

「侵略行為だと? テロリストの侵入に、今の今まで気づかなかったこんな城、誰が好んで攻めるか! 指でつつけば崩れるんじゃねえのか?」

「なんだとぉ」

 視線の間に煙草を入れれば火がつけられそうな二人に、ラスターはうんざりしながら近づいた。

「隊長」

「なんだ!」

「吉報だから怒鳴らないでください。城内の残党はほぼ制圧できました」

「そうか。で、例の爆弾は?」

「そちらはまだ。あとブルーローズの連中も見つかっていません」

「よく探したのか? 無駄にでかいからな、この城は」

「無駄とはなんだ、無駄とは!」

「まあまあ、議長も落ち着いてください。……とりあえず、爆弾のタイムリミットは過ぎています。不発だったのかもしれませんね」

「だからといって安心はできんぞ。嘘か本当か知らんが、〈生域(エリア)〉を吹っ飛ばせるくらいの威力があるらしいじゃないか。そんな危険なもの――」

「――安心しろ! そいつは、もうこの世界にはないから!」

 その声は大きかったが、周りの騒動にまぎれてほとんど聞き取れない程度のものだった。

 しかしフェイガスはカッと眼を剥くと、勢いよく頭上を振り仰いだ。

「アドルゥ――ッ!」

 大地を震わせるほどの咆哮に、その場の誰もがフェイガスに注目し、彼の見つめる先へと顔を向けた。飛行種族たちのライトも同じ場所――搭と城を結ぶ水道橋に向いた。

 白い人工光を全身に浴びたアドルは、風車の起こす風に乱れる髪を手で押さえつつ、地上の者たちを見下ろした。

「相変わらず元気だな、牛オヤジ! こんな所までご苦労さん!」

「こんな所はこっちのセリフだ! ここで一体何してやがる! まさかこのテロリストどもとつるんでるのか!」

「おれはテロリストと手を組むようなお堅い奴じゃないって。こいつらがやってることに、便乗させてもらっただけ。さすがに爆弾のほうは危ないんで処理させてもらったけど」

「おまえが爆弾を処理しただと?」

「別の空間にポンッと捨ててやった」

「何をわけのわからんことを」

「……隊長」

 ラスターが小声で話しかけた。

「上空の隊員からの報告です。アドルの後ろに誰かがいると」

「ああ? カノンか、リーか?」

「それが女らしいんです」

 それを聞いた途端、ラムダが顔を青くした。

「女だと? おい、アドル! そこにいる――」

「よせっ! やめろっ!」

 ラムダはフェイガスを突き飛ばした。年寄りとはいえ、興奮状態の長生種(エルダー)の力である。巨体は地面に横倒しになった。

〈GG〉の隊員たちが、いきなりの暴挙に出たラムダを睨んだ。

「何しやがる!」

 フェイガスも鼻息を荒げて立ち上がる。

「こ、これ以上は介入無用! 〈GG〉は即刻退城してもらおう!」

「ふざけたことぬかすな! これからが俺たちの本当の仕事なんだ。邪魔するな!」

「いいや、ここまでだ! 退かぬと言うならば!」

 ラムダが合図すると、衛士団が一斉に武器を構えた。それを受け、〈GG〉隊員たちも武器を手にする。拘束された〈真黎明団(トゥルー・ドーン)〉の団員たちは、剣呑な雰囲気に身を縮めるしかなかった。

「こらこら! せっかくのお披露目なんだ。こっちに注目しろ、三下ども!」

 互いに向いていた敵意が、一斉に上を向く。

 その瞬間、周囲から影が消えた。

 満月が天元に達し、城が白い輝きを放つ中、アドルが横に退き、後ろの者が前に出る。

 人頭種族からどよめきが上がり、獣頭種族の中にも声を出す者もいた。

 身を飾るは、燃えるような赤いドレスと金色の髪に挿した青薔薇。胸元で輝く緑琥珀のネックレス。

 白い輝きに映えるその娘は、月の女神かと思わせるほどに美しかった。

「あ、あ、ああああ……」

 ラムダが頭を押さえて、震え出した。

「誰だ、あれは?」

 フェイガスはラスターにささやいた。

「もしかして……例のルフティウムでさらわれた娘じゃないですか」

「あれがか?」

 娘は豊かな胸を持ち上げるように腕を組み、フェイガスたちを睥睨するような眼つきで見下ろしていた。

「お嬢さん! 君はそいつに捕まっているのか? だったら、そこでおとなしくしているんだ。今、助け――」

「うるさい! 黙ってろ、牛オヤジ!」

 鞭のように鋭い罵声に、フェイガスは石のように固まった。

「私が誰か――今、教えてあげるから、全員耳かっぽじって聞きなさい!」

「やめろ! よせ! 止めろ。止めるんだ! 止め――ば、馬鹿者!」

 ラムダは近くの衛士が銃を構えるのを見て、慌ててその衛士を殴った。

「撃つな! あ、あの方を誰だと――」

「誰なんです?」

 ラスターに訊かれ、ラムダは自分の口を手で塞いだ。

「私の名前はニナ!」

 ニナは組んだ腕をほどいて開き、胸を反らして高らかに言い放った。

「ニナ・フォーチュン! 快盗団ブルーローズの新メンバーよ!」

「新メンバー」

「は……?」

 フェイガスが驚く横で、ラムダがキョトンと眼を丸くした。

「今宵の獲物は〈神君〉のお宝! 確かにいただいたわ!」

「な……おい、アドル!」

 フェイガスが咆えた。

「何だよ?」

「おまえは、こんな若い娘を悪の道に引きずり込んだのか!」

「おれが引きずり込んだわけじゃないって」

「私が自分で決めたのよ!」

 ニナも負けじと咆えた。

「誰に強制されたわけじゃない。私が、私の意志で決めたこと!」

「それがどういうことか、わかって言っているのか!」

 フェイガスがさらに咆えた。

「そこのアドルは世界指名手配犯。それの仲間になるということは、おまえも同罪。世界を敵に回すことになるんだぞ!」

「世界が敵ね……」

 ニナはアドルに眼をやった。

 仮面の男は小さく肩をすくめると、手で応えを促した。

 うなずいたニナは大きく息を吸い、

「――上等じゃない!」

 力いっぱい言い切った。

「それくらいじゃなきゃ、楽しくないわ。さあ、来なさい! このニナ・フォーチュンのデビューに花を添えてもらうわよ!」

 艶然と微笑する美少女の発する気炎が、衛士団と野牛部隊(バイソン・チーム)の猛者たちをひるませた。

「隊長……どうします?」

 ラスターが指示を仰ぐ。

 フェイガスはフンと鼻を鳴らし、

「本人がああ言っているんだ。構うことはない。アドルともどもとっ捕まえろ!」

「待て! 待ってくれ!」

 ラムダがすがるように叫び、ニナを見上げた。

「あ、あなたは、いや、あなた様は、その……」

『ラムダよ』

 天から声が降ってきた。大きくはないが、聞き逃すことのできない威厳に満ちた声が誰のものか気づいたのは三人――アドル、ニナ、そして、

「し……〈神君〉陛下」

 ラムダは地面に沈みこむような勢いで平伏した。衛士団が慌ててあとに続く。ラスターや〈GG〉の面々も、その場で姿勢を正した。

「も、も、も、申し訳ございません!」

 ラムダは額を地面に押しつけて詫びた。

「お怒りはごもっともでございます! 陛下にご報告もせず、勝手なことを致しました。このうえは、私の首を献上いたします!」

『私はおまえの首など欲してはいない』

「いいえ! 私はそれだけのことをしてしまいました。わ、私は、そちらにおられます陛下の――」

『その者たちは私の宝を盗んだ盗人だ』

「そう! 盗人で……って、え?」

 ラムダは皺面を上げ、ポカンと天を見上げた。

『私は己の誓言によって動けぬ。おかげでみすみす宝を盗まれてしまった』

「た、宝というのは?」

『私にとって大事な物だ。私が守るべき責を負った世界と同じくらいに』

「そ、そのような物が?」

『うぬ。無様にも眼の前で盗まれてしまった』

 天の声は、淡々と事実だけを告げた。

『私は誓言により動けぬ身。また命令を下す権利もない。故にこれは頼みということになるが……その者たちを捕らえ、宝を取り戻してはくれまいか?』

「へ、陛下……」

 ラムダがすぐに返事できなかったのも無理はなかった。

 永遠の忠義を捧げた主からの、実に二百年ぶりの命令――いや、初めての頼み。

 忠臣にとってこれほどはない誉れに、長生種(エルダー)は老体を震わせた。

 しかし感涙を流そうとした顔は、すぐに戸惑いを浮かべた。

「しかし陛下。あの方は……」

「おーい、ジイさん」

 アドルが上から呼びかけた。

「あんた、いつまでそんなウソ信じてんだよ」

「な……」

「あんな話、そこのテロリストどもの作り話に決まってるだろう」

「ウソ……作り話……? いや、だが……」

「おいおい。あんたは自分の主君のことを信じられないっていうの? いやはや、フィンスターニスの重鎮ともあろう者が、とんだ不忠者だねえ」

「ふ……不忠者だと!」

 涙に濡れた眼を見開き、ラムダは土をつかんで立ち上がった。

「盗っ人風情に、そんな無礼を言われる筋合いはない!」

「テロリストの作り話にだまされたうえに、主君のお宝を盗まれたんだ。無礼のひとつやふたつ、甘んじて受けろよ」

「…………っ!」

 ラムダの叫びは、怒りにかすれて声にならなかった。

 両手を振り回して衛士に命令を飛ばす老人を見下ろし、

「なんとか、うまくいったね」

 アドルは小声で言った。

「〈神君〉もうまく話を合わせてくれたし」

「そうね……」

 ニナは複雑な表情で城の最上部を見上げた。


 予告を終えたアドルは〝妖刀〟を構えた。

〈神君〉が名刺(カード)を握りつぶす。名刺(カード)は炎を上げ、灰になって散った。

 たまらないのは、間にいるニナだった。両者はすでに臨戦態勢に入っている。前後から押し寄せる殺気、闘気につぶされそうだった。

 止めようにも声を出した途端、戦端が開かれそうな空気だ。そうなれば、勝敗は見えている。〝妖刀〟は片手で防がれたのだ。

 何か策があるのか? 

 あるとは思えない。相手が悪すぎる。

 なんとしても止めなければ――決死の覚悟でニナが動こうとしたそのとき、一触即発の空気が突如崩れた。

 月光降りそそぐ部屋に響いたのは、アドルの笑い声だった。

 極度の緊張による狂笑などではない。

 底抜けに明るい、快笑であった。

「もういいでしょう、〈神君〉陛下」

 笑いすぎて涙さえ浮かべたアドルは、〝妖刀〟を解除したステッキをクルクルと回した。

「照れ臭い? それとも自分には資格がないとでも? どちらにせよ、情けないと思うけどねえ、それは」

「アドル、何を――」

「何を言っている?」

〈神君〉の闘気が膨れ上がり、アドルとニナに圧しかかってくる。

 アドルは潰されぬようステッキで体を支え、さらに笑みを深めた。

「誓言に反する? ……今さらでしょう。アバドンを止めたのはあなただ」

「あれは……」

 膝を手で支え、ニナは呻いた。

「自分が助かるためじゃ……?」

「カノンとリーを城に導いたのも、その御方だよ」

「え……?」

 唐突に重圧が消え、二人はよろめいた。

〈神君〉が突き出した手を降ろしていた。

「ねえ、ニナちゃん」

 乱れた髪と襟を整え、アドルは訊いた。

「その御方は人間種(ヒューマン)の眼を通して世界を見る……とか言ってたけど、彼からそのことを強制されたことはあるの?」

「そ――そんなのは……」

「ないんだね」

 ニナはうなずいた。〈神君〉の命令はニナの心に深く根ざしてはいたが、ミナのおかげもあって意識の片隅に置く程度のものになっており、それがニナを縛るということはなかった。

「ティシャナは物心ついたときから一緒にいたんだよねえ。……なるほど。その頃には、もう彼女は守るべき存在になっていたわけだ」

「ちょ、ちょっと!」

 理解できず、ニナは叫んだ。

「守るって何のことよ こいつは言うことの聞かなくなった私を、ティシャナで監視してただけでしょ!?」

「いいや。君は守られていたよ」

「何でわかるのよ、そんなこと!」

「ニナちゃんが美人だからさ」

 軽い口調に呆れ、すぐに怒りがこみ上げてきたが、

「考えてもみなよ」

 ニナがそれを吐き出す前に、アドルは真面目な口調で言った。

「ニナちゃんほどの美人があの貧民街で十七年間も無事でいられると思う? いくらお母さんががんばったとしても。いくらニナちゃんが怪力の持ち主だとしても……それくらいでしのげるほど甘い場所じゃないことは知ってるでしょ」

「あ……。で、でも、それは……」

「命令を聞かなくなった君を守る必要はないはず」

 アドルは〈神君〉を隻眼で見据えた。

「いや――それ以前に、あなたなら命令を強要できたでしょう。いくら母親の愛が偉大だとしても、あなたの力ならできたはずだ」

 ニナはもう何も言えなかった。アドルの言うことが正しいのは、〈神君〉を目の前にして感じた力の大きさを考えれば明らかだ。

「初めは世界を見定めるだけのはずだった。でもニナちゃんを通して見たのは、ニナちゃんとお母さんの貧しくても幸せな日々……二百年もの間一人だったあなたが家族というものに憧れを持ったとしても、おれは不思議に思わないよ」

 アドルが〈神君〉にウインクする。

〈神君〉の美貌が動いた。

 わずかに眼を細めると、

「……盗人」

 何の重圧も感じさせない、かすかに苦笑めいた響きのある声で言った。

「何か?」

「ひとつ、いいことを教えよう」

「いいこと?」

「撃たれた子供は無事だ」

 アドルは隻眼を丸くした。

「あなたが?」

〈神君〉がうなずく。アドルは微苦笑を浮かべるが、何のことかわからぬニナは激しくかぶりを振った。

「やっぱり信じられない! こいつが私や母さんを守っていたというなら、何で母さんを助けてくれなかったのよ それに私がさらわれたときだって! 守っていたんだったら、助けてくれたはずでしょう! どうなのよ」

「ニナ・フォーチュン」

〈神君〉に名前を呼ばれ、ニナは怯んだ。

「望みを言え」

「……え?」

「私の力の及ぶ限りのことは叶えよう。世界の支配者の地位であろうと、世界を買えるほどの金であろうと、どのような望みでも言うがいい」

「な……何を……?」

「望みがあって、ここまで来たのだろう。私の命がほしいというなら、それでも構わん」

「そりゃ困るな」

 言ったのはアドルだ。

「おれはニナちゃんを盗むと予告した。悪いが、あなたが彼女の望みを叶えているのを待っている時間はないよ」

「では、どうする? 力ずくで奪っていくか、盗人よ」

〈神君〉が再び手を突き出した。

 アドルは不敵に微笑み、首を横に振った。

「これほどの宝を盗むのに、そんな無粋な手段を使ったとあっては快盗の名折れ」

 アドルはニナに体を向けると身を屈め、右膝を床につけた。ステッキを横に置き、頭を垂れ、胸の青薔薇を差し出す。

 月光に輝く青い花弁を見つめたニナは、〈神君〉に振り返り、またアドルに顔を戻した。

「…………」

 少女の顔に浮かんだ決意を、盗人と、神に等しい者、そして月が見た。


 下では、ラムダが捕まえた者に望みの褒美を与えると言って衛士たちを鼓舞し、その興奮に当てられた野牛部隊(バイソン・チーム)まで意気を上げていた。

「逃げられるんでしょうね?」

「カノンとリーが間に合えば……あれ?」

 アドルはキョロキョロと眼下を見回した。

「どうしたの?」

「牛オヤジの姿が――」

「ここにいるぞ!」

 声は城のほうからだった。

 二人仲良くそちらを見れば、水道橋の上をフェイガスが突進してくる。

「い、いつの間に」

「気が短いにもほどがあるぞ、オヤジ!」

 アドルはニナの手を引いて風車のほうへ走った。

 地上の〈GG〉と衛士団が銃器を構え、両部隊の飛行種族たちが頭上を固める。

 左右に道なく、後ろからは暴れ牛。

 まさに八方塞がり。

 絶体絶命の危機的状況。

 ニナはアドルの顔を見た。

 眼には輝き、唇には笑み。

 まるで遊びに行こうとする腕白小僧のような顔。

 どんな危機にあっても軽妙洒脱――盗人は己に課した(ルール)を遵守していた。

 風車の近くまで来たアドルは振り返り、ニナを引っぱって背後に回した。

 ステッキをクルッと一回転させ、〝妖刀〟を起動する。

「フェイガス!」

「む」

「悪いが、通行止めだ!」

 〝妖刀〟を横に一閃し、返す一刀を自らの足下に振るった。

「なっ」

 最初の一刀はフェイガスの爪先のギリギリの所を斬った。

 止まれず、フェイガスが斬線を踏み越える。

 その衝撃で、水道橋の中ほどがまるまる抜け落ちた。地上の連中が悲鳴を上げ、蜘蛛の子のように散る。

「舐めるなあぁぁぁぁ!」

 フェイガスは落ちる橋を一気に駆け抜け、アドル側に跳んだ。

「逃さんぞ、ブルーローズ!」

「しつこい!」

 ニナはドレスのスカートを破って動きやすくすると、アドルを踏み台にして跳び、蹴りを放った。

 鞭のごとき鋭い蹴撃を、フェイガスは両腕を十字に組んで受けた。

「ぬうっ」

 予想外の衝撃を受け止めきれず、牛頭人種(ミノタウロス)の巨体が吹っ飛ぶ。

「こ、この娘! だが……っ」

 再度突進しようとしたフェイガスだったが、蹴るべき足場は存在しなかった。

 それでも二、三回空中を蹴ってこらえたが、奮闘虚しく落下した。

「隊長――っ」

〈GG〉の飛行種族たちが大慌てであとを追う。

 驚いたのはニナも一緒だった。

「落ちちゃった!」

「よくやった」

「よかったの」

 焦るニナと違って、アドルは冷静に下を覗き込んだ。風車のくみ上げる水が滝となって降り注ぎ、搭の下を水浸しにしている。

 救出は間に合わなかったらしく、真下の水面には大きな波紋ができていた。

「隊長――っ!」

 そこへラスターが水を掻き分けて走る。しかし到着する前に、高々と水柱が上がり、フェイガスが雄々しい姿を現した。

「小娘――っ! よくもやったなぁぁぁっ!」

「……生きてる。しかも元気だ……」

「あのオヤジ、〈虚空(ヴォイド)〉に呑まれても生きて帰ってくるな、きっと」

「動くな!」

 唖然、呆然の二人の周りを、衛士団の飛行種族が取り囲んだ。

「おとなしくしろ!」

「はいはい」

 アドルはポケットの中のスイッチを押した。

 遠隔操作された爆弾に制御装置を破壊された風車が高速で回転し、生じた気流の乱れが飛行種族たちの体勢を崩す。

 なんとか持ち直そうとするも、新たな気流の乱れが突如生じた。

「来たか!」

 風を撒き散らし双ローター機が降りてくる。アドルとニナが潜入した保管庫にあった機体であった。

「アドル! ニナさん! 無事ですか!」

 操縦管を握るリーが、機体をホバリングさせて叫んだ。後ろの座席のカノンが間断なく発砲し、衛士たちを遠ざける。

「ご苦労!」

 アドルはニナの腰に腕を回して飛び、プロペラの支柱に飛び乗った。

「ちょっと!」

 いきなり抱かれたニナが抗議するも、

「いいから、いいから。俺たちが仲間だってところを、もっと見せとこうよ」

 アドルは軽くいなしてカノンに顔を向けた。

「いいもの見つけてきてくれたけど、よく動いたな、こんな骨董品」

 ディア・ムーンを壊したカノンがリーと再会し、リーのディア・ムーンを使って連絡を取ってきたので、脱出用の乗り物を探すよう頼んだのだ。

「どういうわけか、運搬用のエレベーターに燃料満タンで積み込まれていたのを、賢い黒猫が見つけてきてくれた」

 カノンの答えに、アドルは苦笑し、ニナは顔をしかめた。

「……全然わかってないんじゃない」

「最後の親心だよ。それでティシャナは?」

「確かに乗せたはずだが、いつの間にか、いなくなった」

「どういうことなんですか、一体?」

「いいんだ。気にするとハゲるぞ」

 アドルはリーの疑問を切って捨てた。

「長居は無用だ。さっさと行くぞ」

「でもティシャナが……」

 リーの目配せを受けたニナは小さく首を横に振った。

「……いいんですか?」

「いいのよ。これ以上、あいつの世話になるわけにはいかないから」

 一抹の寂しさを含みながら、しかし自信に満ちた笑みに、リーはやれやれといった感じでかぶりを振った。

「何があったか知りませんけど……なんかアドルに似てきましたね」

「どういう意味よ、それ――っ!」

 ニナの抗議は機体とともに上昇した。


 水道搭の屋根に乗った黒猫の眼を通し、空へ上がっていく機体を見ていた〈神君〉は、視線を自分の左手に落とした。

 薬指にニナから返された指輪がはまっている。

『……おやめください』

 ティシャナを介して病を治そうとしたとき、ミナはそれを拒否した。

 起動から二百年。初めて呆気に取られるという体験をした。

 まさか、気づかれていたとは……〈神君〉の名が聞いて呆れる。

『もう娘離れしてください』

 ミナは天寿を全うする道を選び、娘を一人の人間として生かしてくれと望んだ。

 だからこそ、表立って助けることができなかった。とはいえ、陰からでも助けたのであれば、結局ミナの遺言を守らなかったということになる。

 しかし今、娘は完全に自分の手を離れた。

『私を自由にして』

 てっきりミナへの謝罪を求めると思っていたのだが……母の望みと同じく、娘は一人の人間であることを望んだ。

「やはり母子か……」

 しかしニナは元の生活には戻れない。自分の存在が世界を混乱させることは、ニナもわかっている。どれだけ〈神君〉の娘ではないと否定しても、これだけ大ごとになってしまったあとでは手遅れだ。

 だから、青薔薇――『奇跡』の意味を持つ花を受け取った。

 居場所のない世界で、自らの居場所を勝ち取る――否、盗み取るために。

「難多き道だ。しかし己で選んだ道……生きろ、ニナ・フォーチュン。我が娘よ」

 視界を黒猫の眼に戻すと、仮面をつけた男がこちらを見ていた。

「盗人め……」

 苦くつぶやき、さらにささやく。

「任せたぞ」


「心得た」

「え? 何か言った?」

 ニナはアドルの視線を追ったが、風車の屋根には何もない。

「何でもないよ」

「だったら、いいけど……そろそろ離してくれない?」

「せっかく盗み出した宝を手離すなんてできないね」

 殴ろうとしたが、そうすると自分も一緒に落ちてしまうことに気づいた。

 それがわかっているのだろう。アドルは無邪気に笑った。

 世界も、神も敵に回し、しかし迷わず、揺らがぬその笑顔が憎らしく――そしてほんの少し愛おしく思ってしまったニナは、心中をごまかすために怒鳴った。

「あのね! 私は盗まれたわけじゃないわよ。ここにいるのは、私がそうと決めたからなんだからね。そこのところ勘違いしないでよ!」

「あれ。そうだったんですか?」

 リーが意外そうに言った。

「てっきり盗んで連れて来たと思ってたのに。腕が鈍りましたか、アドル?」

「これだけ大騒ぎして何も盗めなかったのか。快盗団のリーダーが聞いて呆れるな」

「まったくだわ」

 ニナもリーとカノンの皮肉に乗っかり、笑った。

 しかしアドルは余裕たっぷりに、チッチッチッと指を振った。

「あいにく、まだ仕事は終わってないよ」

「どういうことよ?」

 アドルは〝偽面〟を外して素顔をさらした。

「こういうこと」

 ニナは抵抗する間もなく、引き寄せられた。カノンとリーが素早く眼を逸らす。

 白く輝く満月の下で、ニナは唇を盗まれた。


                                                                                      (了)

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