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第二話 常夜(とこよる)の国へ

          1


 現在、世界はどういう形をしているのか?

 この問い答えられる者は存在しない。

 上には空があり、下には大地と海がある。昼には――例外もあるが――太陽が、夜には月と星が空を行き、その輝きで地上を照らす。一見すると世界は無限に広がっているようだが……実は限定されている。

 地を掘り進んだとしても。

 海に深く潜ったとしても。

 天に高く昇ったとしても。

 境界を越えた瞬間、漆黒の空間に移動してしまうのだ。

 この空間――〈虚空(ヴォイド)〉に満ちる〝闇〟は物質として観測ができない。だが、確実に存在し、空間に侵入したものを硬軟問わず分解し、消滅させてしまう。

 この闇のために、世界崩壊後、人々は各〈生域(エリア)〉に閉じこめられた状態にあった。

 しかし知性ある生物の探究心、好奇心、冒険心は狭い世界に囚われることを拒び、この闇の空間に挑み続けた。

 だが、どれだけ強固な乗り物を作っても、〈虚空(ヴォイド)〉は人々の希望を呑みこみ続けた。

〈崩壊の(コラプス・デイ)〉より四百年後。のちに〈第一生域(ファースト・エリア)〉と呼ばれる〈シュラク〉の生物学者が知性なき光球妖精、鬼火種(ウィル・オー・ウィスプ)が〈虚空(ヴォイド)〉内で、短時間だが生存可能であるという事実を発見。ひとつの実験を行なった。

 それ自体が発光する球体に、発光体をしこんだ透明なロープを結んで〈虚空(ヴォイド)〉に放り込んだのである。二十四時間後、引き寄せてみると、球体は無事だった。

 闇に勝つのは光――この事実を知った〈シュラク〉の科学者が、ボディ全体から光を放つ航空機、通称〝飛光機(ライト・プレーン)〟を開発し、長時間の〈虚空(ヴォイド)〉内移動を可能にした。

 飛光機による〈虚空(ヴォイド)〉探索が始まり、その後百年の間に〈マンガラ〉、〈ラーファ〉とふたつの〈生域(エリア)〉が発見される。

 それから二百年。〈生域(エリア)〉の発する磁気を捉える装置の発明や飛光機の量産化により、大冒険時代が始まり、新たに六つの〈生域(エリア)〉が発見された。

 しかし各〈生域(エリア)〉の交流は、次第にそれぞれの主義主張の衝突を生んだ。

 小さな争いは規模を広げ、とうとう全〈生域(エリア)〉を巻き込んだ〈大戦争(メガ・ウォー)〉にまで発展する。

 この戦争でいくつもの種族が絶滅し、ついには〈第六生域(シックス・エリア)・ケトゥ〉が〈虚空(ヴォイド)〉に呑まれて消滅する事態となったが、それでも戦いは終わらなかった。

 だが、ここで突如、救世主が現れる。

 その者は、人間でも、亜人間でもなかった。

 一千年前、世界崩壊を止められないと悟った一部の者たちが造った、生きた〈オーパーツ〉。後世、再び悲劇が起きぬようにとの願いが込められた抑止力。〈ケトゥ〉崩壊に呼応し、定められたプログラムに基づき、世界の崩壊を止めるため長き眠りから目覚めた人造人間であった。

 〝その者〟は常夜の〈生域(エリア)〉である〈第三生域(サード・エリア)・ラーファ〉に出現した。

 当地に住む長生種(エルダー)は、姿形こそ人間種(ヒューマン)と変わらないが、その身体能力は全種族の中でも最強の部類に入る。その肉体は優れた再生力を有し、寿命は長命を誇る森精種(エルフ)に匹敵するが、個体数の絶対的な少なさが弱点となり、絶滅の危機にあったのを〝その者〟に救われた。

 長生種(エルダー)は感謝し、〝その者〟を〈神君(しんくん)〉と呼んで種族全体、永遠に仕えることを誓った。

 その身で異界力を操る〈神君〉の力は、文字通り〝神〟に等しかった。それが誇張でないことは、百年近くも続いた戦争を、十年足らずで終結させた一事で充分であろう。

 ところが全世界に向けて戦争終結宣言を発した〈神君〉は、同時に不統治宣言を発表した。さらに自身がいる〈ラーファ〉を除いた七つの〈生域(エリア)〉の主要七カ国の承認なしに、己の力を使わないことも誓言したのである。そして自国であるフィンスターニスにおいても、国事にさえ関わらぬ象徴としての存在となってしまった。

 以降、二百年。種族間紛争や国家間戦争は何度も起き、現在も続いている地域もあるが、〈神君〉は一度もその力を奮っていない。とはいえ、争いの規模が大きく広がらないのは、やはり抑止力としての〈神君〉の威光があればこそだ。

 だからこそ、〈神君〉の名を汚すようなことがあってはならない。種族の恩人として。敬愛する主君として。そして世界の守り手として、〈神君〉の名誉は守らねばならない。

「そのことを……わかっているのだろうな」

 フィンスターニス最高議会議長ラムダ・ヴァン・ハルトマンは、円卓の向かいに座る若者を睨みつけた。

 ラムダは十二人いる議員の中でも最高齢の長生種(エルダー)であった。寄る年波のため顔や手は皺だらけだが、〈大戦争(メガ・ウォー)〉時は〈神君〉の懐刀と呼ばれて活躍。今なお、その名と政治的手腕を各国に恐れられる男である。

 しかし、今の彼は年相応の老人にしか見えないほど憔悴していた。

「もちろん。わかっておりますとも」

 神妙にうなずく若者は、人間種(ヒューマン)でいえばまだ十代前半の容姿をしていた。しかし着ている青い長衣はラムダの黄色い長衣と色は違うが同じもので、若者が十二人いる最高議会議員の一人であることを物語っていた。

「私も父から〈大戦争(メガ・ウォー)〉の悲惨さは聞いております。〈神君〉陛下の御名に穢れが生じれば、再びその悲劇が起きてしまう。だからこそ、ラムダ殿に相談したのではないですか」

 ラムダのため息は会議室いっぱいに広がった。円卓についているのはラムダと若者の二人だけで、他は空席だ。

「しかし……間違いないのか? その人間種(ヒューマン)の娘が……その……」

「残念ながら。そうだな、レイス?」

 若者の背後に立つ衛士がうなずいた。薄いレンズの眼鏡をかけた、中性的な容貌の男である。背中まで伸ばした黒髪と、紅を塗ったような唇が余計にそう見せた。

「娘が持っていた指輪は、充分に証拠となる品でした」

 ラムダは地獄に突き落とされたかのような呻きを上げた。

「一度は手にしながら、みすみす逃がすとは……っ! 責任ものだぞ、衛士団長!」

「申し訳ございません」

「まあまあ、ラムダ殿。お腹立ちはわかりますが、レイスを責めても問題は解決しません。今は一刻も早く、娘と指輪を不埒な盗っ人どもから取り返さなければ」

「当たり前だ。それで? どういう状況になっているのだ」

「地元警察とともにアジトを強襲しましたが、捕縛に失敗しました。現在、鋭意捜索しております」

「何をしているのだ、何を!」

「ですから、落ち着いて。相手は三人のこそ泥とはいえ、世界指名手配犯になっているほどの連中です。一筋縄で捕まるような奴らではありませんよ」

「マーセルから出る道路をすべて押さえ、航空、船舶はすべて休止させています。これで奴らはルフティウムから出ることはできません。捕まえるのは時間の問題かと」

「時間がかかっては、まずいのだ! いいかげん他の議員も怪しみ始めている。各方面への圧力も限界にきているんだぞ!」

 フィンスターニスは『神国』と称されているが、他の国家の上位に立っているわけではない。ただ〈神君〉がいる国として畏れ敬われているだけだ。今はその畏敬の念を利用してルフティウム政府や〈GG〉を抑えているが、それも長くは続かない。特に〈GG〉からは強い抗議と、事情の説明を再三求められていた。

 もう少しがんばってください、と若者は前髪をかき上げて言った。

「すべては〈神君〉陛下の御為(おんため)。どうぞ、衛士たちを信じ、今しばらくご辛抱を」

「……わかった……」

 ラムダはまたため息を洩らし、額の汗を拭った。

「頼むぞ、リチアル殿。亡き父上に代わり、〈神君〉陛下のために尽くしてくれ」

「当然です。では、これで」

「その前にひとつ。確認しておきたいことが」

 レイスがラムダに質問した。

「娘を奪った三人ですが、こちらはどのように処理いたしましょう?」

 ラムダは一瞬顔を強張らせたが、きっぱりと言い放った。

「……始末しろ。余計なことを聞いていると厄介だ」

「了解しました」

 命令を受諾したあと、ラムダを残して二人は会議室を辞し、若者――リチアル・ヴァン・ティースラーの執務室へ戻った。

 部屋に入るなり、

「見たか! あのジジイの顔!」

 リチアルは大口を開けて笑い、革張りの椅子に腰を落とした。

「おまけに『頼むぞ』だってよ。あの議長様が! いい気分だな、おい!」

 レイスは微笑だけ返した。

「だけど、僕も笑ってる場合じゃないか。ジジイの言うとおり、失態だったな、レイス」

「申し訳ありません。ですが……言い訳と思わずお聞きいただければ、これはむしろ好都合かと」

「何でだよ?」

「我々の計画では、彼女が〈神君〉の娘であることを公表しなくてはなりません。それを盗っ人たちにやってもらいましょう」

「どうやってそんなことをさせるんだ?」

「本当にやってもらうわけではありません。公表したのが彼らであるという事実ができてしまえばいいのです」

 リチアルはしばらく考えてから笑った。

「なるほど。死人の口を使って公表させるのか。悪いことを考える奴だな、おまえは」

「恐縮です」

 レイスは馬鹿丁寧に一礼した。

「〈神君〉陛下が人間種(ヒューマン)との間に子供を作っていたことを知れば、世界は激しく動揺し、混乱するだろうな」

 リチアルはうれしげに肩を揺らし、レイスもうなずいた。

「そこに火種を投じれば、大火となって世界を覆うでしょう。〈神君〉陛下が動くしかないほどに」

「そうだ。〈神君〉陛下はかつてのように、その力で世界を平定される。前の戦争と違うのは、〈神君〉陛下の血を引くお姫様(プリンセス)がいるということだ」

〈神君〉は世界の崩壊を防ぐためだけに造られた人造人間だが、その娘は違う。娘は〈神君〉の威を継ぐ者として、世界の頂点に座す真の統治者となるだろう。

 そしてお姫様(プリンセス)には、王子様(プリンス)がつきものだ。

「その座に着くのは……僕、リチアル・ヴァン・ティースラーだ!」

 両眼に野望の炎を灯し、若き長生種(エルダー)は拳を固めた。

「世界はいまだに争いをやめられないでいる。世界はひとつに統合されなければならないんだ。しかし、それができるはずの御方は二百年間、ただ座っているだけだ。だったら、僕が代わりにやってやる! 僕がこの世界に真の平和をもたらすんだ!」

 興奮したリチアルは椅子を蹴って立ち上がった。

「レイス! 必ず彼女を僕の前に連れて来い。全世界の平和のために!」

「かしこまりました、(キング)

 最後まで若い長生種(エルダー)の機嫌を取ったレイスは部屋を辞し、石造りの暗い通路を進んで、自身の執務室へ戻った。

 室内は柔らかい光に満ちていた。常夜の〈生域(エリア)〉である〈ラーファ〉には、当然太陽がない。長生種(エルダー)には必要なくても、人間にとっては必要な栄養素の精製に欠かせないものである。そのため、〈ラーファ〉で暮らす人間種(ヒユーマン)やいくつかの亜人種は、太陽と同じ光を放つ照明を使って生活していた。

「どうでした? ジジイとバカの様子は」

 訊いてきたのは、ソファに寝転がる赤毛の男だった。

「思いどおりだ」

 レイスはデスクに着くと、眼鏡を外した。

 赤毛の男が甲高い声で笑い、体を起こした。

「なんとも簡単だねえ。つまらない」

「ラムダは〈神君〉への忠誠心で盲目となり、リチアルは愚かな野望に酔っている。どちらも手を引かれないと、まともに歩けなくなっているんだ。どこに連れて行くかは、私たちの思うがままだ」

 レイスは引き出しを開け、ふたつの指輪を取り出した。赤の指輪を右手、青の指輪を左手――それぞれの中指に通した。

「特に、あのバカは赤ん坊と同じですからねえ。いまだに自分の父親が事故で死んだと思ってんだから。まったくもって、簡単すぎる」

 ソファの男は左手の人さし指を立てて、頭の上でクルクル回した。その手首には小さな鈴が巻きつけられている。しかし左右に揺れても銀色の玉は音を発しなかった。

「だが、すべてがうまくいっているわけではない」

「ああ、グリアムの野郎でしょう。やっぱりあんな筋肉バカじゃなくて、俺が行くべきだったんじゃないですか?」

「シリック……おまえは奴以上に目立ちすぎる」

「ああ。そりゃ言えてる」

「何か報告はあったか?」

 シリックは首を横に振った。

「さすがに名のある窃盗団って感じで。しかしあいつら、あんな娘をどうする気なのか」

「もしかしたら、この国を脅しにかかるかもしれんな」

 レイスの予想に、シリックは面食らった。

「たかがこそ泥が、そんな大それたことしますか?」

「〈GG〉のフェイガスを相手に、何度も大立ち回りをしているような連中だぞ」

「フェイガス? それって、あの泣く子も黙るっていう第二隊――野牛部隊(バイソン・チーム)の……それほどの奴らですか」

「ああ。しかも一人は、あの傭兵団〈玩具兵団(トイ・アーミーズ)〉の生き残りだ」

 その名にシリックは眼を丸くし、すぐに不気味な薄笑いを浮かべた。

「そりゃあ……ぜひとも会いたいな」

「残念だが、行っている暇はないぞ。それより、例の物はいつこっちに着く?」

「ルフティウムのほうに人員を裂いてるんで、少し遅れそうです。調整もまだ……」

「急がせろ。グリアムのほうもな。あの娘は〈神君〉への切り札になる」

「こそ泥どもは?」

「始末しろ」

 シリックは「了解」と言い、ソファを立った。

 レイスも立ち上がった。互いに右手を顔の横に上げ、手の平を正面にし、唱和する。

「世界に真の夜明けを迎えんがために!」


          2


 分厚いステーキを切り、ひと口食べると、カノンの口元がわずかにゆるんだ。

「うまい」

 短い賛辞だが、感情表現に乏しいこの機械化人間(サイボーグ)にとっては最大のものであった。

 褒められたニナは、カノンが自分の作った料理を食べるのは不思議そうに見ていた。

「どうした?」

「あ、いや……普通に食事するんだと思って」

 手や足だけならともかく、全身改造(フル・チューン)の場合、肉体部分は脳だけなので、栄養剤で済ませるのが普通である。食事を味わい、栄養を補給するなどという機能は複雑で無駄になるだけだからだ。

機械化人間(サイボーグ)の知り合いがいたのか?」

「近所にね。元傭兵って人が。粗悪な栄養剤使ってたせいで、脳が腐って死んじゃったけど」

 おかしいと思う点は、まだあった。逃亡中、カノンは追っ手に肩を撃たれた。しかしその後、血止め――液止めというべきか――をしただけで、修理したところを見ていない。

 しかし今は支障なく食事をしていた。

「こいつは……ムグ……特別製……だきゃら」

 テーブルマナーを完全に無視し、アドルは口いっぱいに食べ物を詰め込んだまま言った。

「特別製?」

「改造した奴が変人だった」

 カノンの答えはあっさりとしたものだった。

「それにしてもおいしいですね。たいした材料もなかったでしょうに」

 リーの褒め言葉に、ニナは大きく首を振った。

「充分すぎるくらい、いい材料がそろってたわよ。やっぱり金持ちは違うわ」

 逃亡から一日半。アドルたちがいるのは貧民街ではなかった。マーセルでも有数の高級住宅街の一軒である。長期に留守にする家を事前に調べ、こういう事態になった場合の隠れ家として決めていたのだ。

「それに……母さんのほうがもっとおいしかった」

 母との生活を思い出し、ニナの胸は痛んだ。

 ここに並べられた料理は全部母――ミナ・フォーチュンに教えられたものだった。料理だけではない。掃除や洗濯といった家事全般。読み書きも学んだ。学習の中には男を篭絡する方法まであった。

「いいお母さんだったんだ」

 口の中の物を飲み込んで言ったアドルの面差しは優しく、ニナもつい微笑み返してしまった。アドルの口の周りが綺麗だったなら、もう少し愛想のいい微笑みになっていたろう。

「母親はいいが、父親のほうは?」

 カノンがナイフとフォークを置いて訊いた。急いで食べたふうには見えなかったが、ステーキは綺麗になくなっていた。

 アドルが口元をナプキンで拭きながら、テーブル中央に置かれた指輪に視線を落とした。

 ニナが衛士団に襲われた際、奪われたと思った指輪である。

 全体が一個の金属で作られていた。色は(ゴールド)に近いが赤みがかっており、光が当たると炎のような揺らめきが映る。円形の台座には、月と星を組み合わせた紋章が浮き彫られていた。その紋章がフィンスターニスの国印であることも重要だが、何より注目すべきはその材質であった。

「間違いなく……こいつは全部オリハルコンでできている」

 アドルが硬い声で告げた。カノンが重く吐息し、リーが頬を引きつらせる。ニナだけピンと来ていないのは、その価値をよくわかっていないからだった。

 オリハルコンとは〈崩壊の日(コラプス・デイ)〉以前の世界で生成された合金で、すでにその製造法は失われている。発見されるのは稀で、小指の爪の先ほどの欠片であっても高値で取引されていた。

「へー。じゃあ、このサイズだとどれくらいの金になるの?」

「そうだなあ……小さな国くらいなら、まるごと買い占められるかな」

 ニナはちょうど口にした料理を、盛大にアドルへ吹き出した。

「そ……っ、そんなに価値のある物だったの、これ」

「うん。だけど、こいつのすごさはそれだけじゃない」

 ナプキンで顔を拭き、アドルは指輪を手に取った。

「オリハルコンは不滅の金属と呼ばれるくらいに硬く、変化しない。現在の技術でこいつを加工することは、まず不可能なんだ。だが、こいつは見事な細工までほどこされてる。しかも一千年前の物でない証拠に、紋章がフィンスターニスの国印ときた」

「ということは……」

 愕然とするリーに、アドルはうなずいた。

「フィンスターニスは〈大戦争(メガ・ウォー)〉のときに、〈神君〉から〈崩壊の日(コラプス・デイ)〉以前の技術をいくつか与えられたというからな。これを作れるとすれば、あの国しかないが……こんな高価なもん、最高議会の議員だって持ってないだろ」

「つまりは〈神君〉の品というわけか」

「まあ、そういうことに――」

「……ありえないわよ」

 ニナは手にしたフォークを握りつぶした。

「私が〈神君〉の娘なんて。そんなことあるわけないじゃない」

「ですが、この指輪はかなり決定的な証拠では……すみません」

 ものすごい目で睨まれ、リーはすごすご引き下がった。

「情報が少ない」

 そう言って、カノンはニナを見つめた。

 アドルも同じくニナに顔を向け、

「聞かせてくれる?」

「……私も知らないわよ」

 ニナは吐き捨てるように言った。

「母さんは、父親のこと何も話してくれなかったから。私は母さんとティシャナがいればよかったから聞かなかったし。この指輪は……亡くなる直前に渡されただけなのよ」

「ニナさんのお母さんと……〈神君〉には何か接点が?」

 リーが恐る恐る問いかけた。

「十七年前……私が生まれる前まで、母さんはフィンスターニスの城で働いていたのよ」

「ルフティウムに移った理由は?」

 カノンが訊いた。

「知らないわ。特に気にしたことなかったし……」

「お母さんが亡くなったのは一ヶ月前か」

 アドルがグラスにワインを注ぎながら言った。

「この指輪を誰かに見せたことは?」

「貧民街でそんなもの見せびらかしたら、野良猫の集会に魚を投げ込むようなものよ。それより、そろそろ返して」

「おや? おれが盗るとでも?」

「あんたの職業は何?」

「『快盗十ヶ条・その三。正直者や貧しき者から奪うな、悪党や外道から奪え』ってね。ニナちゃんみたいな母親想いの良い子から盗むわけないじゃないか」

「ごめん。全然信用できない」

 アドルは額を叩いて舌を出した。

「それで……どうするんですか?」

 指輪を返すアドルに、リーが尋ねた。

 ふむとつぶやき、アドルはグラスのワインを揺らした。

「なあ、リー」

「はい?」

「頭のハゲが脳まで広がったのか?」

「どういう意味ですか!」

「素っ頓狂なこと言うからだ。どうするかを決めるのは、おれたちじゃないだろ」

 アドルはワインをひと息で飲み干すと席を立ち、ニナにウインク。隣接するリビングに行き、ソファに寝転がってしまった。

 これからの行動の決定権を丸投げされ、ニナはしばし呆然となった。

「あ、あの……」

 カノンとリーに助けを求めようとしたが、先んじて首を横に振られてしまった。

 どうするか――わかるわけがない。事態があまりにも大きすぎる。貧民街育ちの娘に何ができるというのか。

「どうしろってのよ……」

 うつむくと、足下で魚を食べていたティシャナが心配そうに見上げていた。

「どうしたらいいかわからない?」

 アドルが寝転がったまま言った。

「じゃあ、どうしたら(・・・・・)じゃなく、どうしたい(・・・・・)か言ってみて」

「どうしたいって。そんなこと……」

 決まっている。

 全部なかったことにしてしまいたかった。

 母とティシャナと自分-――二人と一匹で貧しくても幸せに暮らすのだ。

「…………」

 ニナは唇を噛み、かぶりを振った。

 母は死に、自分は狙われている。

 どんなに願ったところで、この現実は変わらない。

 このまま立ち止まっていても、事態は容赦なく自分を呑み込み、押し流すだろう。

 では、そのままおとなしく流され、溺れ死ぬのを待つか――それこそ死んでも断る。

 ならば――

「……会いたい」

 うつむいたまま、ぼそっとつぶやいた。カノンとリーが顔を見合わせる。

「え……誰に?」

 なにやら触れ難いオーラを漂わせるニナに、リーがそうっと訊いた。

「決まってるでしょ。あいつよ」

「あいつって……?」

「〈神君〉よ!」

 ニナは顔を上げ、はっきりと答えた。

「会ってどうする。娘だと名乗って神国の姫にでもなる気か?」

 続くカノンの問いに、

「私はあいつの娘なんかじゃない!」

 ニナは勢いよく立ち上がり、拳をテーブルに叩きつけた。分厚い木のテーブルが真っ二つに割れ、ティシャナが鳴きながら避難する。カノンとリーはさすがなもので、足がテーブルにぶつからないようにしただけで椅子から立ち上がらなかった。

「あいつには訊きたいことが山ほどあるのよ!」

 殴るテーブルがなくなったので、足で床を蹴り飛ばす。蹴られた部分が抉れ、破片は天井に突き刺さった。

「な、何をですか?」

 リーが椅子の上で身を縮めながら尋ねた。

「何って……」

 ニナはちょっと考え込み、

「た、たとえば! 母さんとの間に何があったのか。母さんが何でフィンスターニスを出たのか。ど

うして母さんを放っておいたのか。私が何で襲われなきゃいけないのか……他にも色々とあるけど、全部あいつなら答えられるはずよ! そうでしょ!」

 迫力に圧されたリーが何度もうなずく。

「だったら、私のやるべきことは決まってる! 行ってやろうじゃないの、フィンスターニスに!」

 ニナは拳を固めて咆えた。

「よっしゃあ! 決まりだ! 行く先はフィンスターニス!」

 アドルが寝たまま気合いの声を上げた。

「ちょっと待ってくださいよ!」

 盛り上がる空気に、リーが水を差した。

「どうやって行くっていうんですか? マーセルは完全に封鎖されてるんですよ。もう予定していた脱出路は使えない。用意していた飛光機だって無事かどうか。仮に無事だったとしても、〈ラーファ〉に行くなら、一から準備、設定をし直さないといけない」

「いちいち細かい奴だなあ。そんなんだからハゲるんだ」

「あなたみたいにノリだけで突っ込んでいくような人には、僕みたいな細かい人が必要なんです」

「小姑か、おまえは。大丈夫だって。むしろフィンスターニスでよかったくらいだ。飛光機を使わないで行く方法があるんだから」

 数瞬、一同は無言になったあと、カノンが気づいた。

光路(こうろ)か」

 あ、とリーが声を上げたものの、すぐ眉間に深いしわを寄せた。

「いや……それは無理……というか、それこそ無理でしょう」

 そうだな、とカノンもうなずいた。

「あのさ。光路って何?」

 一人わからないニアは手を上げて尋ねた。

「簡単に言うと瞬間移動装置だ」

 カノンが簡単に言いすぎてくれたので、リーが横からつけ加えた。

「正式名は〝光路〟ヘルメス。フィンスターニスが有してる〈オーパーツ〉です。〈神君〉出動承認権を持った七カ国に設置されていて、有事の際はこれを使ってフィンスターニスに移動し、承認のための会議をするんですよ。〈神君〉の力が必要な状況のときに、〈虚空(ヴォイド)〉をゆっくり移動してる時間なんてないですから」

「へー。そんなものがあるんだ」

「別に秘密というわけじゃありませんが、一般人にはあまり関係のない代物ですからね。知らないのも無理ないですよ」

「でも、それを使えばフィンスターニスに行けるんでしょ? 何か問題が?」

 大ありです、とリーは首を縦に振った。

「幸いルフティウムは七カ国のひとつで、光路もこのマーセルにあるんですが、設置場所はフィンスターニス大使館内……この国における追っ手の本拠地なんです」

「しかも使用が難しい」

 カノンも問題点を挙げた。

 光路を使用する際には、まず当地の大使による複数の生体認証を受け、さらにパスワードの入力が必要になる。これでもようやく使用許可が下りるだけで、次にフィンスターニス側との座標軸の同調を行う。もしこの同調がずれた場合、〈虚空(ヴォイド)〉のど真ん中に出てしまうか、もっと悪ければ何処とも知れない異空間に送られてしまう可能性もあるのだ。

「だったら、大使を人質に取ったらいいじゃない。大使がいれば光路が使えるわけだし、周りの連中だって手は出せないし、言うことだって聞くでしょ」

 ニナの意見に、リーは顔を引きつらせた。

「ぶ、物騒なことを言いますね」

「泥棒が何を言ってんの。貧民街じゃこれくらいの交渉は子供でもやるわよ」

 それは交渉ではなく脅迫だ、と律儀に指摘したカノンは、その手は使えん、と続けた。

「何でよ?」

「フィンスターニスの大使は長生種(エルダー)だ。脳か、心臓を破壊しない限り死なない奴を人質に取っても、かまわず攻撃されるだけだ」

「じゃあ、やっぱり無理ってこと?」

 カノンとリーは同時に首肯した。

 三人が黙り込んだそのとき、突然甲高い電子音が鳴り響いた。

 ソファのアドルが起き上がり、あくびをしながら大きく伸びをする。

「なんで寝てんのよ、あんたは!」

 ニナは床に落ちたワインのビンを、アドルに投げつけた。

 後頭部へと飛んだビンを、アドルは片手で、しかも振り返ることなく受け止め、ニナを驚かせた。

「いいワインだな、これ。つい寝ちゃったよ」

 ビンをテーブルに置いたアドルが、腕時計のアラームを止める。ニナはふと壁の時計に眼をやった。十二時十七分という中途半端な時間であった。

「それでどうだ? 光路を使うってのは」

「それは無理って結論が出たところよ」

「そうなの? ふーん……」

 アドルはつまらなそうに唸ると、右手を握った。

「ニナちゃん」

「何よ?」

「青薔薇の花言葉って知ってる?」

 いきなりの問いかけに、ニナは答えることができなかった。

青薔薇(ブルーローズ)の花言葉は――」

 アドルが親指で何かをはじき上げた。

「――――っ」

 ニナは慌ててスカートのポケットをまさぐった。

「『奇跡(ミラクル)』」

 落ちてきた指輪を受け止め、アドルが振り返る。

「その名に恥じぬ仕事を見せてあげるよ」

「――――」

 不敵な笑顔に、ニナは――不覚にも――見惚れてしまった。


          3


 機体が激しく揺れ、機内のあちこちから悲鳴が上がった。

 ラスターも例外ではなく、頭を押さえて身を縮めた。

「情けない声を出すな。若い娘じゃあるまいに」

 隣に座るフェイガスは数少ない例外の一人だった。機体が揺れてもおかまいなしに、手にした資料を読み進めている。

「無茶言わないでください。下手したら、全員仲良くあの世行きなんですから」

 フェイガスたち守護騎士団第二隊は〈第三生域(サード・エリア)・ラーファ〉に向け、〈虚空(ヴォイド)〉を突き進んでいた。

 昔と違って〈虚空(ヴォイド)〉の航行もだいぶ安全になってきているが、ここが死の空間であることには変わりない。なんらかのトラブルで機体を守る光が消えれば、たちまち消滅してしまう。特に先ほどから機体を揺らす衝撃の原因――〈虚空(ヴォイド)〉内で発生する雷が直撃すれば、ひとたまりもない。発生原因はいまだ不明ではあるが、発生前の微弱電気を感知することで迂回はできる。しかしこの機は最小限の回避しかせず、〈ラーファ〉への最短距離を進んでいた。

「そんなに嫌うものでもないだろ。おまえの生まれたほうじゃ、〈虚空(ヴォイド)〉内の雷は吉兆の証だそうじゃないか。雷は〝(ロン)〟の吐息だからというのが理由だったな」

「それは蜥蜴人種(リザードマン)の信仰です。〈虚空(ヴォイド)〉を生身で行く生物なんているわけないでしょう」

「断定はできんだろ。昔からいくつもの目撃例があるらしいぞ。『翼のない、長大な胴のドラゴン』か……ぜひ見てみたいものだ」

「窓を閉鎖してるから見れませんけど」

「夢のない奴だな」

「そんなことより……本当にいいんですか? 勝手に出動してしまって」

「別に命令違反をしてるわけじゃない」

 フェイガスはフンと鼻を鳴らした。

「俺は〈ブリハス〉に行くなと命令されたが、〈ラーファ〉に行くなとは言われていない」

「行けとも言われてませんよ」

 痛みを感じて、ラスターは胃の辺りをさすった。

「隊長……いくらなんでも、今度ばかりはマズイですよ。相手が悪すぎます。神国ですよ、神国」

「そんなの関係あるか、ボケ」

 拳骨で頭を殴られ、ラスターは座席にめり込んだ。

「俺たちは神国の家来じゃない。〈GG〉の使命は悪党をとっ捕まえて、世界の平和を守ることだ。それなのに犯人を追うな? そんな理不尽が通るか!」

 一番前の席からでも、フェイガスの怒声は最後尾の席まで届いた。不安でざわついていた隊員たちが一斉に口をつぐむ。

「し、しかし神国側にも何か理由が……」

「だったらその理由を言え。言えないってことは、何か後ろ暗いことがあるからだろ」

 フェイガスは読み終えた資料を軽く叩いた。

「それは?」

「ルフティウム警察の知り合いから送ってもらった報告書だ。三日前の晩、神国の衛士団はある重要人物を保護しようとしたが、直前でブルーローズにさらわれた――ということになっているが、その保護の一件はルフティウム側には事前に説明されていなかった」

「他国で勝手に活動したということですか? それは違法ですよ」

「言われんでもわかってる。その重要人物――人間種(ヒューマン)の娘だということだが、どういうふうに重要なのかも説明されていない。しかもその後の衛士団の動きを見ると、これは保護じゃなくて拉致としか思えん」

「どういうことです?」

「知るか。大体、当の衛士団の連中もよくわかっていない節があるらしい。だが、どんな理由があるにせよ、奴らのやろうとしていたことは誘拐だ。もしこれが国ぐるみの犯行だとしたら、俺は〈神君〉でもとっ捕まえるぜ」

「隊長! 冗談でもそんなこと――」

「うるせえ」

 フェイガスは資料の束でラスターの顔を叩いた。

「その娘がいなくなった夜、隣家の人間種(ヒューマン)が撃たれてる」

「え?」

「それも五歳の女の子だ」

 ラスターは眼前の資料を受け取り、急いで眼を通した。

「夜中にトイレに起きたそうだ。場所は貧民街で、トイレは家の外の共同だった。そこで娘がさらわれるところに出くわしてしまったらしい」

「胸の真ん中に一発……これで助かった?」

「撃たれたにしては奇跡的に傷が浅く、出血も少なかったらしい。意識はまだ回復していないらしいが、命の危険はないそうだ」

「これ、ブルーローズの仕業ってことになってますけど……」

「問題はそこだ」

 フェイガスはラスターの持つ資料をめくった。

「時間を見ろ。その時間、ブルーローズは美術館を襲って、ちょうど逃げ出した頃だ」

 ラスターは資料の中の地図を見て、距離と時間を計算した。

「これは……無理ですね。この時間に、さらわれた娘の家に行くのは不可能だ」

「そういうことだ。さらに言うと、その夜、貧民街の某所で事故が発生してる。事故を起こした車は武装つきの特殊装甲車両だったが、真っ二つにされていた」

「ということは……」

 フェイガスはうなずいた。特殊装甲車両を有する機関は限られる。そしてそんな特殊車両を両断できる者はもっと限られる。

「少女をさらい、女の子を撃ったのは神国の衛士団……それをブルーローズが奪った……。ですが、一体何で?」

「大方、アドルの悪い癖でも出たんだろう」

 フェイガスは苦い表情で吐き捨てた。アドルの女好きは、警察の資料にも記載されているほど有名であった。

「少女は大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫だろう。あいつらは女に無理やり乱暴を働くような連中じゃない」

 断言する上官を、ラスターは意外そうに見つめた。

「信用してるんですか、奴らを?」

 すぐに、馬鹿野郎! と怒鳴られた。

「信用も、信頼もするか! 相手は薄汚い盗っ人だぞ!」

 歯を剥いて怒るフェイガスだったが、

「だが、あいつらは外道じゃない。あいつらはあいつらなりの道義に準じて生きている」

「道義……ですか?」

「悪党のな。俺たちの守る法とは違うが、少なくともそこには仁もあるし、義もある。女を無理やり襲ったり、幼い女の子を撃ったりするような外道働きはしねえよ」

 フェイガスは右角の断面に手を触れた。角は牛頭人種(ミノタウロス)の男にとって誇りの証――己の命と同価値とされている。それほど大事な角を斬ったのは、アドルの〝妖刀〟だ。ブルーローズが狙った美術品を守った際にやられたものである。

 人間種(ヒユーマン)に誇りを傷つけられた――普通の牛頭人種(ミノタウロス)なら自殺しかねない恥辱だが、フェイガスはむしろその傷をこそ誇りに思っていた。それはブルーローズが手ごわい相手であることを認めており、そんな彼らの手から美術品を守りきったという自負があるからだった。

 どのようなことであれ、種族に差をつけない高潔なフェイガスの精神(こころ)は、ラスターを初め、多くの隊員たちが心酔しているところである。

「さてと……聞いたな、おまえら」

 フェイガスは席を立って振り返り、様々な種族からなる隊員たちを見据えた。全員が熱い眼で隊長を見返す。

「幼い子供が撃たれた。犯人はまだ捕まってない。おまえらは、子供を撃つような外道が野放しにされていて良いと思うか?」

 すべての頭が横に振られた。

「よし。だったら、わかってるな……。相手がどこの誰だろうと知ったことか! 必ずとっ捕まえて、〈虚空(ヴォイド)〉に呑まれたほうがマシだという目に合わせてやれ!」

「了解!」

 隊員たちは声をひとつにして敬礼し――再び起こった激しい揺れに、悲鳴を上げた。


          4


 ルフティウム駐在のフィンスターニス大使ゴルト・ヴァン・ギンツは、下級役人からの叩き上げという人物である。五十年ほど各〈生域(エリア)〉を飛び回って働き、最高議会議員の娘とお見合い結婚で婿養子となり、貴族の一員となった。

 ルフティウムの大使には十年前に任命され、妻を本国に残して赴任した。いかつい顔に似合わぬこまめな仕事を行い、その誠実さも手伝って、ルフティウム政府から神国の大使という肩書き抜きで厚い信頼を置かれていた。

 しかしその信頼関係は、いまやボロボロだった。

「何を考えているんだ!」

 ゴルトは拳を握りしめて咆えた。本当はその拳を机に叩きつけたかったのだが、長生種(エルダー)の怒り任せの一撃では机を破壊してしまうため、なんとかこらえた。

「南部地区の住居への強制捜査など! おまえにそんな権限はないだろ!」

「一応、ルフティウム警察が主体の捜査ですが……」

 巨漢の衛士グリアムは、両手(・・)を背中に回し、不満げに言い返してきた。

「それもだ! この国の警察に協力を強要する権利など、我々にはないんだぞ! おかげで南部地区の住人から苦情が殺到して警察機能は麻痺状態だ! それにいつまでマーセルの封鎖を続けるつもりだ。流通がストップして暴動まで起きてるんだぞ! 政府のほうからは、どういうことだと怒鳴られっぱなしだ!」

「何とかごまかしてください」

「ふざけるな!」

 ふざけてなどいません、とグリアムは薄笑いを浮かべた。

「ラムダ議長からは、最大限我々に協力せよと言われていませんか?」

 ゴルトは忌々しさに歯を軋ませた。確かに本国の議長直々に衛士団への協力を頼まれたが、『神国の存亡がかかっている』というだけで、任務の内容は一切聞かされなかった。

「神国の存亡は世界の存亡に等しいこと。ルフティウムの苦情など気にしている場合ではありません。強気で突っぱねておけばいいのです」

「……いい気になるなよ、貴様」

 低い声に、グリアムの笑いが強張った。

「我が国の存亡がかかっているというなら、その事情をルフティウム側にも説明すればいいだろう。そうすれば、向こうも快く協力してくれるかもしれん。貴様のようなやり方をしていれば、我が国はルフティウムだけでなく他の国々からも不評を買い、世界から孤立するぞ!」

「俺……いや、私はラムダ議長の命で――」

「議長の口を借りねば話せんのか、図体のでかい狐め! 虎の皮を脱いで話せ!」

 グリアムの顔が羞恥と怒りで赤くなった。

「もういい! 貴様と話してもらちが明かん。議長とは直接話す。貴様の無茶苦茶な行動もすべて報告させてもらうからな!」

「大使――」

「うるさい! 出て行け!」

 グリアムは悔しげに唇を噛むと、敬礼もせず、大きな足音を立てて部屋を出て行った。

 ゴルトは大きくため息をつき、しわが寄りっぱなしの眉間を揉んだ。

 四日前まではこんなことになるとは思いもしなかった。本当なら、一週間後に迫った妻の誕生日に贈るプレゼントを決めるために宝石店へ行く予定だったのに、このままでは本国に帰れるかどうかもわからない。

 首を振り、頭から私事を追い払った。今は国の問題を解決しなければならない。

 机を離れ、壁の扉を開ける。中に収められていたのは、直径一クレスト(メートル)もの石球を中心に据えた装置だった。夜を固めたような漆黒の石の表面は磨き上げられ、室内とゴルトの姿を鮮明に映している。

 崩壊後の世界における第三の通信機器――思念通信機ディア・ムーンである。

 漆黒の石は、〈第五生域(フィフス・エリア)・スーリヤ〉原産のスカンダ石。この石には人の思念を他者へと伝えるという特質がある。現地のある部族の間では、若者が月夜にこの石を使って恋の告白をするという風習があり、これが名前の由来となった。

 この思念通話最大の利点は〈虚空(ヴォイド)〉にも阻まれないことだ。このサイズの石と思念を増幅する装

置を使うと、他の〈生域(エリア)〉とも通信が可能となるのである。他の二つと比べて格段に利便性の高い通信機だが、スカンダ石は非常に希少で高価であるため一般にはほとんど流通しない。使用は各国の政府機関や大企業、または〈虚空(ヴォイド)〉を航行する飛光機との通信などに限られている。

 ゴルトは思念増幅のヘルメットを被り、議長の顔と名前をしっかりと思い浮かべて球体に触れた。

 そのとき、部屋のドアが小さくノックされた。


「くそがっ!」

 ソファにだらしなく座ったグリアムは、ビンに残った酒を一気に飲み干した。すでに三本目であったが、酔えず、怒りも治まらない。

「だらだら長生きするしか能のない骨董品が……っ! 偉そうにしやがって!」

 空ビンをふり回し、ゴルトへの悪口を呪文のように繰り返す。

 グリアムのいら立ちはゴルトへの怒りだけではなかった。

 二日も捜しているのに、〈神君〉の娘が見つからないのだ。ルフティウムの軍隊にマーセルを封鎖させ、警察を総動員しているのに、まるで天に昇ったか、地に潜ったか、〈虚空(ヴォイド)〉に呑まれたか、発見できない。

 娘だけならこんなに苦労はしないはず。すべてはあの盗っ人どものせいだ。

 怒りに任せて壁に投げつけた空ビンが、爆発するように砕け散る。アドルに斬られた右腕だったが、〝妖刀〟の斬れ味がよかったため、うまく再接合できた。強化細胞の回復力もあって、今は支障なく動いている。とはいえ、斬られた恨みが消えるわけではない。

人間種(ヒューマン)のくせに、俺たちの邪魔をしやがって。人間種(ヒューマン)なら俺たちに協力するのが当然だろうが、バカどもめ!」

 グリアムの言う『俺たち』とは衛士団のことではない。真に所属している組織のことだ。

 もちろんアドルたちがそんなことを知るわけもないが、グリアムには関係ない。自分たちの崇高な目的を邪魔する裏切り者だ、と決めつけていた。

 しかしどんなに責任転嫁しても、娘を見つけられなければ、組織の長であるレイス・コールドに叱責されるのは自分だ。いや、叱責で済めばいいが、万が一、今回の計画に支障をきたすようなことになれば粛清されてしまう。

 ゾッとする考えを、ゴルトやアドルたちへの怒りで頭から押しやり、戸棚に向かった。大使館のゲストルームを自室として占拠しているので、酒はまだまだある。

 酒ビンを手にしたとき、部屋のドアがノックされた。

「誰だ」

 怒鳴り声で応じた。

「私だ」

 大使の声だった。渋面を作ったが、相手の地位を思い出し、慌ててビンを戻した。

 床に散らばったビンの欠片をかき集め、テーブルの空きビンと一緒にゴミ箱に放り込み、息を整えてドアを開ける。

「何か……?」

 ゴルトは一人ではなかった。

 隣の金髪の男は白の袖つきチュニックに、青のサーコートをまとっている。フィンスターニスの貴族の服装であった。

 後ろには三人。丸レンズの眼鏡をかけた紺色背広(スーツ)犬頭人種(ノール)。あとの二人は黒い背広(スーツ)に、レンズの大きなサングラスをした森精種(エルフ)の女と、牛頭人種(ミノタウロス)の男だった。男のほうは手にアタッシュケースを持ち、それと自分の手首を手錠でつないでいた。

「話がある。いいかね?」

「ええ……。どうぞ」

「君たちはここで待っていてくれ」

 金髪の男が後ろの三人に言い残し、ゴルトと共に部屋に入った。

 ゴルトと男は並んでソファに座り、グリアムと向かい合った。

「それで話とは?」

 しかしゴルトはムスッとした顔で口を開こうとしなかった。

「大使からは話しづらいでしょう。私がお話します」

 金髪の男が早口で言った。

「私の名はルドア。大使の古くからの友人です。それで……どこから話せばいいのか迷いますが……まず本題を。彼を助けてやってください」

「は?」

「説明はします。ですが、その前にお約束ください。絶対に口外しないと。どうでしょうか?」

 グリアムが悩んだのは数秒だった。どういうことかわからないが、『口外するな』ということは、ゴルトにとって何か弱みとなることなのだろう。ならば、聞いておいたほうが得である。

 グリアムがうなずくと、ルドアという男は大げさに胸を撫で下ろした。

「ありがとうございます。事は非常に……その、デリケートな問題なので」

「何なのです?」

 丁寧に先を促しても、ルドアはまあ……、その……、と口を濁していたが、咳払いをすると覚悟を決めた表情になり、言った。

「大使の浮気が奥方にばれそうなのです」

 グリアムは前にのめった。

「う、浮気ぃ!?」

「シッ! 声が大きいですよ! どこで聞かれているかわからないんですから」

 人さし指を唇に当てるルドアの横で、ゴルトは顔を赤くしていた。

「大使がその……そういうことをしていたのが、女房――いや、奥様にばれたと?」

「いいえ。まだ完全には。しかし……ばれるのは時間の問題でしょう」

 ルドアはかぶりを振り、重く吐息した。

「ご存じないかもしれませんが、大使の奥方は大変気性の激しい女性なのです。こんな不実をはたらいたことが知れたら、烈火の如く怒り、離婚だと騒ぎ出すのは必定です。大使は婿養子ですし、彼女の父上は最高議会の議員だ。大使は奥方に強く意見を言うことができない立場。だからこそ、ちょっとした火遊びに手を出してしまったわけですが……しかし奥方を愛していないわけではない。ほんの気の迷いだったのです! あなたも男ならわかるでしょう?」

「はあ……」

 グリアムは適当にうなずいた。

「もちろん浮気相手とはすでに切れています。しかし浮気をしていたという決定的証拠が、奥方の手に渡りそうなのです」

「なるほど。それで俺――いえ、私にどうしろと?」

「そこです!」

 ルドアはテーブルを叩き、

「私はこの危機的状況を教えるために飛んできたわけですが、時間がかかりすぎた。そこであなたにお願いがあります」

 体を前に乗り出してきた。

「私と外の三人をあなたの部下ということにして、大使と共に光路でフィンスターニスに送ってほしいのです」

「はあ 何故?」

「幸い、奥方は近々誕生日なのです。そこで本国に戻り、大使がプレゼントを決めるという名目で奥方の気を引きます。その間に、私が浮気の証拠を処分します」

「そうですか……。しかし……そんなにうまく行きますか?」

 グリアムは首を傾げた。大使の女房は浮気を疑っている。そんなタイミングでご機嫌を取るようなまねをすれば、逆に疑いを深めることになるのではないか。

「だからこそ、外の三人が必要なのです。彼らは有名な宝石商とそのボディガードでして。大使の奥方は宝石や貴金属が大変お好きですから、確実に気を良くします。ルフティウムの宝石細工が世界的に有名なのは、あなたもご存知でしょう?」

 知らなかったが、グリアムはうなずいておいた。

「ですが、大使がそのまま本国へ帰るのは、あまりに目立ちすぎる。おまけに、今は何やら大変なことになっているとか」

 グリアムはまさかと思って眼をやったが、ゴルトは首を横に振った。

「ご心配なく。くわしいことは聞いていません。ただ、それを利用させてもらおうかと」

「利用?」

「つまり『その件に関して重要な報告があるので、大使が本国へ戻ることになった。これは機密事項につき、大使の到着、帰還に関して口外することを禁ずる』と命令してほしい。確か本国の光路基地局は衛士団の管轄。特殊任務についているあなたの命令なら聞くはずでしょう?」

「それはそうでしょうが……私に嘘をつけと?」

「同僚をだますのは心苦しいでしょうが、そこをなんとか! このままだと、大使は地位も名誉もすべてを失ってしまいます!」

「……困りましたねえ」

 グリアムはとんでもない事実を知った喜びを抑え、悩んでいる表情を作った。

「今回の件は非常に重要です。一時的にとはいえ、大使がいなくなるというのはいかがなものかと」

「……それならば心配ない」

 ゴルトは軋んだ声で言い、懐から紙を一枚取り出した。

「それは?」

「委任状だ。私が戻るまでの間、君に大使としての権限をすべて委ねる」

 受け取った書類には確かに委任の旨が記され、ゴルトのサインも入っていた。

「私は心労で倒れたとしておいてくれ。あとは君の好きなように動いてくれてかまわない」

「そこまでするとは。よほど今の地位が……おっと失礼。大事なのは奥様でしたね」

 ゴルトの顔色が赤黒く変色した。頬が痙攣し、眼には涙さえ浮かんでいる。

 グリアムはこみ上げる笑いを全力でこらえると、腕を組み、眉を寄せて悩むふりをした。

「しかし仲間をだますというのは。それに、やはり今回の件の重要性を考えると……。決断しかねますね」

「わかりますが、そこを曲げてお願いします」

 何度も頭を下げるルドアを無視して、グリアムはゴルトを見つめた。

 その視線に含まれた意味に気づき、ゴルトは憤然と立ち上がった。

 グリアムは動じず、ゴルトを嫌味な眼で見続けた。

 ゴルトは体を抱くようにして怒りの震えを止めると、横に移動して床に正座し、

「頼む、衛士グリアム。このとおりだ……」

 手をついて、深々と頭を下げた。

「ああ、大使。そんなことをせずに」

 グリアムはソファを離れ、ゴルトの前に立った。

「わかりました。そこまでされたら、聞かないわけにはいかないでしょう」

 しゃがみ込み、ゴルトの頭を押さえつけるように撫でる。

「あとのことは私に任せて、ゆっくりと奥様のご機嫌を取ってきてください。うまくごまかせることを、私も祈っていますよ」

 こらえ切れず、グリアムは顔をにやつかせ、加虐の愉悦に酔いしれた。


「……それで?」

「…………っ!」

 害意のない静かな問いかけだったが、グリアムの全身は凍りついた。その顔に、昨日ゴルトを前に浮かべた笑みは欠片も残っていない。

 所はフィンスターニス。レイス・コールドの執務室である。

「どういうことなんだ?」

「〈神君〉の娘とブルーローズ御一行様が、無事にフィンスターニスへ入国したってことですよ」

 直立で凍りつくグリアムに代わり、ソファのシリックが答えた。

 レイスがかぶりを振り、右手の赤い指輪に触れる。グリアムの巨体が大きく震えた。

 半日前、つまりこの日の朝方、ゴルト大使は光路基地局から三ランクレスト(キロメートル)の道路脇に、縛られ、気絶した状態で放置されていた。傍らには、右側の欠けた仮面の絵が入った名刺(カード)と青い薔薇が添えられており、名刺(カード)には『美しき常夜(とこよる)の国、堪能させていただきます』というふざけたメッセージが書かれていた。

「おかしいとは思わなかったのか?」

 レイスの声がわずかにいら立ちを帯びた。

「ま……まさか大使があんな嘘をつくとは……」

 砕けそうになるほど歯を打ち合わせながら、グリアムは必死に答えた。

「そこだ」

 口調を戻すと、レイスは視線を宙に泳がせた。

「大使は何故そんな屈辱的な嘘をついて……いや、つかされたと言うべきか。ブルーローズはどんな手を使った? まさか本当に浮気をしていて、それで脅されたのか?」

「いやいや。それも嘘ですよ」

 シリックが手をヒラヒラさせて言った。

「大使の話で本当なのは、女房の誕生日が近いことと、宝石と貴金属が好きってところだけ。あとは全部ブルーローズにだまされてついた嘘」

 大使の友人と言っていたルドアとは、もちろん〝偽面〟ロキで姿形を変えたアドルであり、宝石商と紹介した者たちは変装したニナとカノンとリーであった。

 大使館に潜入したアドルは大使と接触。自らをフィンスターニスからの密使だと告げ、

『今、フィンスターニス国内で不穏な動きが生じている』

『今回のこの騒動も、それに端を発している』

『特に衛士団が怪しい』

『貴殿と直接、今回の件についてお話したいとおっしゃっている』

『ついては、至急本国に来るように』

『ただし、衛士団には本当の目的を知られぬよう、何らかの手段を講じる必要がある』

「それであんな嘘を?」

「そう。そしてとどめが――」

『これは〈神君〉陛下の勅命です』

 レイスは疑わしげに眼を細めた。

「大使はそんな話を信じて、唯々諾々と従ったというのか?」

 嘘というのは大きいほどばれないというが、そんな話は行きすぎだ。この二百年、〈神君〉が命令を出したことは、非公式の一度だけ。知っているのはラムダとリチアル、そしてレイスたちだけなのである。絶対に、大使は確認を取ろうとするだろうし、確認すればあっさりとばれる嘘だ。

「従わざるをえないものを見せられたんですよ」

 その言葉の意味を考え、レイスは得心した。

「指輪か」

 シリックがうなずいた。

「女房が貴金属好きだったせいで、大使はそっち方面にくわしかった。おかげで、あれがオリハルコン製だってことがわかっちまったんですよ。そんな物を見せられたら、〈神君〉に忠実な長生種(エルダー)なら従うしかない」

 おまけに今回の件の詳細を、大使は知らされていない。秘密のベールに覆われていると、信じ難い命令が逆に本物に思えてしまう。嘘を本物に見せたのは、ある意味、レイスたちだったとも言えた。

「や、奴らは……俺たちのことに気づいているということでしょうか?」

 グリアムが舌を噛みそうになりながら言った。

「いや、それはあるまい」

 レイスは即座に否定した。

「思いがけず、嘘が正鵠を射ていただけだろう」

「しかし、奴らは何でそこまでしてこの国に?」

 シリックが天井を見上げてつぶやいた。

「まさか本当にこの国を脅す気じゃないだろうな」

「それもないだろう」

 以前自身が言った予測を否定し、レイスは薄く笑った。

「奴らのリーダーであるアドルという男を調べてみたが、そういうことをする男ではないようだ」

「じゃあ、何を……?」

 グリアムが訊いた。

「もしかしたら、娘に頼まれたのかもな。父親に会わせてくれと」

 二人の部下は顔を見合わせた。

「まさか……」

「そんな理由で、この国を相手にしようっていうんですかい? たかが三人の泥棒が。正気の沙汰じゃねえ」

「さあな。だが、アドルという男はそんな理由でも――」

 机の風話機が音を立てた。レイスが取る。相手はリチアルだった。

 一分ほどで話を終えた。

「どうしました?」

 尋ねるシリックに、

「〈GG〉の野牛部隊(バイソン・チーム)が空港に到着したそうだ。行って、足止めしてこい」

「へいへい」

「グリアム」

「は、はい!」

「おまえも行け。これ以上の失態は――」

首領(チーフ)。よろしいでしょうか』

 レイスの頭に直接声が響いた。ディア・ムーンによる思念通信である。

『何だ?』

『〝終卵(しゅうらん)〟の調整が完了しました』

 レイスの眼に喜びの光が灯った。

『よろしい。あちら(・・・)の調整は?』

『調整はほぼ終わっていますが、座標の計算に手間取っています』

『急げ。色々予定外のことが起きている。準備だけは完了しておけ。いざというときは計画を早めるかもしれん』

『了解しました』

 通信を終えたレイスはシリックとグリアムに目配せした。

「いよいよってことですか」

 シリックがうれしそうに歯を見せ、怯えていたグリアムも興奮に顔を赤くした。

 レイスは唇の両端をゆっくりと吊り上げた。

「世界はもうすぐ真の夜明けを迎える。この国の滅びと共に」




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