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第一話 飛び込んできたお宝

          1


第四生域(フォース・エリア)・ブリハス〉は深夜を迎えていた。

〈ブリハス〉最大の国ルフティウム――その首都マーセルに建つ国立美術館も、この時間では常駐の警備員以外動く者はいなくなる。

 ただし、今宵は違った。

 黒いゴーグルをつけた禿頭(とくとう)の若者が、奇妙な動きで特別展示室の奥に進んでいた。

 深く身を沈めたまま前に進んだかと思えば、急に直立。前屈で床に手を着き、そこで倒立。腕を曲げて前転。すぐさまジャンプ――といった具合だ。白い袖なしシャツと、これも白い薄手のズボンという軽装で、何やら前衛的な(ダンス)を踊っているようにも見える。

「がんばって、リー! あと少しよ!」

 右足を抱えてひと息つく若者に、展示された女神の石像から声援が飛んだ。

「ほらほら! 右手が危ないわよ! 服の裾が! ああ、若ハゲの頭が当たっちゃう!」

「……黙らせてください」

 若者――リーの頼みを受け、黒コートの男は懐の回転式拳銃(リボルバー)を抜き、隣の男に向けた。

「な、何よ! 私は彼を応援してあげてるだけ――わかった。わかりましたぁー」

 撃鉄が起こされると、女神の声は男のものに変わり、声の出所は銃を向けられた男になった。石像の声は、この男の腹話術だったのだ。

 仕立てのいい空色(スカイブルー)の三つ揃えに、同色のネクタイ。手には黒いステッキ。胸ポケットには鮮やかな青い薔薇を挿すという洒落者風な青年は、顔の左眼周辺を白い仮面で隠していた。

「せっかく応援してやってるのに」

 仮面の青年は栗色の髪を掻き、わざとらしく頬を膨らませた。

「騒ぐな」

 コートの男は銃の撃鉄を戻した。銀色の回転式拳銃(リボルバー)のサイズは、普通の人間が片手で扱える大きさではない。その点、この男は普通ではなかった。赤い光を放つ電子眼と、背中まで伸びた金属色の銀髪。そして石像よりも硬い表情は、男が全身改造(フルチューン)機械化人間(サイボーグ)である証であった。

「そうは言うけど、退屈でさあ」

「だったら代わりましょうか」

 ブリッジの体勢から、リーがキレ気味に叫んだ。

 リーの周りに張り巡らされた蜘身人種(アラクネ)の糸は、部屋奥の防犯装置とつながっている。細く、色も透明なこの糸を触れるか切るかすれば、展示室は封鎖され、警報ベルと共に魔草マンドラゴラの悲鳴が鳴り響く。本来は聞いた者に死を与える凶声だが、録音なのでそこまでの力はなく、しかしそれでも聞いた者を人事不省に落とすだけの威力はある。

 開館時間が近づけば糸は自然に朽ちるが、盗みに入った者としては待ってはいられないので、リーは糸の隙間を苦労しながら進んでいるのだった。

「いや、無理だろ。カノンは体でかいし」

「あなたに言ってるんです、アドル! 僕の代わりにやりますか」

「やだよ。疲れる」

 リーの顔が赤くなったのは、もちろん体勢がきついせいではない。

 リーの目指す先には、先週から特別展示されている首飾りがショーケースに収められている。首飾りの中央に据えられた雫型の緑琥珀こそ『森王(しんおう)の涙』。この国に住む森精種(エルフ)族の宝であり、〈ブリハス〉の通貨で一千万リヒト以上の価値がある。

「ほれほれ。無駄口を叩かない。あと少しなんだから。がんばれ、がんばれ」

 歯軋りしながらも前に進むリーに拍手を送り、

「いやー。楽、楽」

 と喜ぶアドルだったが、急に顔をしかめた。

「ここまで楽だと、ちょっと物足りない気もするな」

「予告状は?」

「当たり前」

 カノンの質問に、アドルは胸を張った。

「『快盗十ヶ条・その四。盗みは予告すべし。できぬ場合は名刺(カード)を置いて去るべし』ってね」

「それにしては警備が薄い。眠らせた警備員も勤務予定どおりの三人だけだ」

「〈GG〉も来てないし……まさかイタズラと思われたか?」

「もしくは――」

「ま、いいか。楽に越したことはない」

 アドルはあっさり気分を切り替えた。

「さすがは一部族の至宝。あの深い緑色がなんとも――」

 展示室の天窓から月明かりが差し込み、緑の琥珀を照らす。

 アドルの笑みが消えた。

「リー。止まれ」

 まるで別人のような鋭い口調に、リーは右足を天井へと向けた体勢で静止した。

 数秒の沈黙を置いたあと、アドルは不意に前に進み出た。

「ア、アドル!」

 驚いた拍子に、リーがバランスを崩す。

 リーの足とアドルの体が、張り巡らされた蜘身人種(アラクネ)の糸を断ち切った。

 しかし美術館の静寂は壊れなかった。

「あれ?」

 呆然とゴーグルを外すリーの横を抜け、アドルはショーケースをステッキで叩き割った。

 首飾りを取り出し、緑琥珀を右眼に近づける。

 数秒して振り返り、カノンとリー、それぞれを見やり、

「偽物だ……」

 と泣きそうな顔で言った。

「やはり罠か」

 カノンが言うと同時に、天窓にシャッターが下り、天井の照明が一斉に点灯した。


 レオニール・ラングスタン警察長官は、森精種(エルフ)特有の尖った耳を得意げに動かした。

 盗っ人どもはもう逃げられない。所詮は人間種(ヒューマン)。こんな罠にあっさりと引っかかるとは、種族としての質が劣悪である証拠であった。

 だからレオニールは人間種(ヒューマン)を使わない。

 展示室の扉の前で突入を待つのは牛頭人種(ミノタウロス)大鬼人種(オーガー)の混合部隊。片や牛頭、片や平たい鼻に突き出た牙という醜い面相の連中だが、その巨体と怪力は全種族の中でもトップクラスだ。

 後方に続くのは、小柄ながらも頑強さなら前衛の二種族以上の土精種(ドワーフ)。さらにその後ろに控える隊員、また外に配置している者たちもすべて亜人種であった。

 愚かな人間種(ヒューマン)三匹の窃盗団だが、それでもA級世界指名手配犯。〈GG〉の力を借りずに捕らえれば、ルフティウム警察の――ひいてはレオニールの評価は間違いなく上がる。しかも同族の宝を守ったとなれば、実家での彼の立場も強くなる。うまくすれば次男の自分が次期当主という可能性も出てくるかもしれない。

 未来へとのびる栄光の道を幻視し、レオニールは端整な顔にいやらしい笑みを浮かべた。

「長官」

 犬頭人種(ノール)の部下の呼びかけで、我に返る。

 緩んだ口元を引き締め、レオニールは右手を上げて息を溜めた。

 腹に力を入れ、

「――突入ぅ!」

 号令と共に右手を振り下ろす。

 扉を押し開けた牛頭人種(ミノタウロス)大鬼人種(オーガー)が怒涛となって突入し、

「――――ッ」

 津波となって返ってきた。

 後に続くはずだった土精種(ドワーフ)たちが、吹っ飛んできた同僚たちにつぶされまいと後退する。

 そこへ禿頭の若者が矢のように突っ込み、手足を閃かせた。

 鈍い打撃音が鳴るごとに、岩の頑強さを誇る土精種(ドワーフ)たちが倒れ伏していく。

「う……撃て! 撃て!」

 いきなり出鼻を挫かれたレオニールは部下の後ろに隠れながら叫んだ。

 真っ先に銃を抜いたのは犬頭人種(ノール)の隊員だったが、その銃は手から吹っ飛んだ。

 黒コートの男の銃がさらに火を噴き、隊員たちの銃を次々撃ち飛ばしていく。このとき隊員の中には、何故男の回転式拳銃(リボルバー)が弾切れを起こさずに撃ち続けられるのかと疑問に思った者はいたが、銃の輪胴(シリンダー)が回っていないことに気づけた者はさすがにいなかった。

 完全に狼狽し、浮き足立つ隊員たちにいら立ち、レオニールは怒鳴った。

「何をしている! 相手はたった二匹の人間種(ヒューマン)だぞ!」

「三人だよ!」

 仮面の青年が仲間の間を抜けて飛び出し、数個の玉を隊員たちへ放り投げた。

 玉は空中で破裂し、激しい炸裂音と刺激臭のついた煙を噴出させた。人間種(ヒューマン)よりも数段優れた聴覚を持つ森精種(エルフ)月兎種(ムーン・ラビット)、鼻のいい犬頭人種(ノール)大鬼人種(オーガー)たちがたちまち混乱状態に陥る。

「カノン、リー! 行くぞ!」

 アドルたちは煙の中を突っ切り、包囲を突破した。

 背後の煙から、数個の影が飛び出す。背中に大きな翼を持つ鳥人種(バードマン)たちが天井近くまで飛び上がり、急降下してきた。

「男に追われるのは趣味じゃない!」

 アドルは手品のように新たな玉を出すと、頭上に放り投げた。

 またも煙玉か、と先頭の鳥人種(バードマン)が警棒で打ち払うと、球は強烈な閃光を発した。

 視力を奪われた鳥人種(バードマン)たちは壁や床に突っ込み、墜落していった。

「ちょ……長官! 長官ーっ!」

 煙中の隊員たちが指示を求めて叫ぶが、レオニールの答えはない。それどころか、長官の姿は忽然と消えてしまっていた。


「本物の森王の涙はどこだ!」

 廊下の隅で、アドルは蟻人種(ミュルミドン)の警官を締め上げていた。

「ほ、本物は長官がどこかに……」

「じゃあ、そいつはどこにいる!」

「わからな――」

 皆まで聞かず、アドルはステッキで当身をくらわせ、蟻人種(ミユルミドン)を気絶させた。

「あー、もう! あー、もう! いきなり面倒になった!」

「あきらめませんか」

 リーは窓から外を覗いた。美術館の包囲は着実に進んでいた。

「このままだと数で押し切られますよ。その辺の美術品、適当に見繕って脱出しましょう」

「おいおい、リー。情けないこと言うんじゃないよ。獲物を予告しておいて、他ので済ますなんざ、快盗団ブルーローズの名が泣くぜ」

「泣いたところで一向に痛くはない」

 カノンが冷たく切って捨てた。

「このまま何も取らずに逃げるほうが情けないだろう。この稼業は手ぶらで帰ったら馬鹿。捕まったら大馬鹿だ」

「ならば、貴様らは大馬鹿ということになるな」

 嫌味ったらしい声に三人が振り返ると、森精種(エルフ)が一人、右手を背中に回して立っていた。

「なんだ、おまえは?」

「レオニール・ラングスタン。この国の警察長官だ」

「おまえが長官? 本当か!」

 アドルは手を打って喜んだ。

「いやあ、よかった! 会いたかったよ。で、おれのお宝はどこだ?」

「盗っ人に教えてやることなど何もない。特に人間種(ヒューマン)の盗っ人などには」

 その言い方に、リーが顔をしかめた。

「あなた……人間種(ヒューマン)差別主義者ですか? それでよく警察長官なんてやってますね」

「別に差別などしていない。ただ、あまりに脆弱な種族なので哀れんでいるだけさ」

「言ってくれますね。脆弱かどうか、試してみますか?」

 構えるリーを、アドルはステッキで遮った。

「おまえの主義主張はどうでもいい。そんなことより森王の涙はどこなんだ?」

「世界でもっとも安全な場所だ」

「うーん、もうちょい具体的に」

「知ったところで意味はあるまい。これから私に捕えられる貴様らが」

「随分と余裕だな。部下の後ろに隠れてみっともなく叫んでいた男が」

 カノンの言葉に、レオニールの顔が赤くなった。

「どこかで会ったか?」

 アドルが訊いた。

「展示室の外にいた。おまえが煙玉を使ったとき、真っ先に逃げ出した男だ」

「貴様らが逃げられたのは、私の作戦が悪かったからではない! 部下が無能だっただけだ!」

「だから無能な部下を連れずに、自分一人で僕たちを捕まえようというわけですか。舐められたものですね」

 いら立つリーに、レオニールは自信たっぷりの笑みを向けた。

「確かに貴様らは人間種(ヒューマン)にしては強い。しかし私には勝てん……これを見ろ!」

 レオニールは背中に隠した右手を前に回した。持っていたのは、一見すると赤いボウガンだったが、全体が金属でできており、矢も、矢を打ち出す弦もなかった。

「これぞ我がラングスタン家に伝わる〈オーパーツ〉! 二百年前の〈大戦争(メガ・ウォー)〉でラングスタン家に数々の栄光をもたらした、その名も――」

「あ」

 唐突にアドルが声を上げ、レオニールの後ろを指さした。

 つられてレオニールがそちらへ眼をやった瞬間、リーが音もなく前に出て、レオニールの手を軽く蹴り上げた。

 手からすっぽ抜けたボウガンを、カノンがすかさず銃撃。はじかれたボウガンは窓ガラスを割って外に飛んでいった。

「…………」

 からっぽの手と割れた窓を交互に見つめていたレオニールは、いつの間にか目の前に移動したアドルに気づくと、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「ひ――卑怯だぞ、貴様ら!」

「そりゃそうだ。こちとら下賤な人間種(ヒューマン)の盗っ人なんでね」

 アドルはゆっくりステッキを振りかぶった。

「ちょ、ちょっと待て! 本物の森王の涙のありかを知りたく――」

「いい。もうわかった」

 ポカッと軽い一撃で、レオニールの意識は闇に落ちた。


 正面入口を封鎖していた警官のひとり――背丈が一クレスト(メートル)ほどしかない小人種(ホビット)が、こちらに気づいて駆け寄ってきた。

「よかった! ずっと捜していたんですよ! どこに行っていらしたんですか!?」

「いや、すまん。ちょっとトイレだ」

 ポカンとする小人を置いて、警官たちに近づく。

「賊は裏に回った。全員そちらに向かえ。各所の警備もいらん。急げ!」

 混乱する現場にようやくもたらされた命令に、警官たちは疑問を挟まず、言われたとおりに動いた。

「『快盗十ヶ条・その五。世を忍ぶため、変装の名人であれ』ってね」

 アドル(・・・)は自分の仮面のマークの入った名刺(カード)と青い薔薇を床に置き、無人となった玄関から悠々と美術館を出て行った。


 五分後、特別展示室で小規模な爆発が発生し、防犯装置が誤作動。開けっ放しの展示室からマンドラゴラの悲鳴が美術館全体に響き渡り、警官隊を全滅させた。



          2


 首都マーセルの街並みは明確に分けられている。首都機能や観光施設、中流以上の住宅が集中した北の区画と、貧民街と呼ばれる南部の地区である。

 南部地区の街並みは呼び名のとおり。年月を経た建物が肩をぶつけるように並び、荒れた石畳の道は車一台がやっと通れる幅しかない。治安も悪く、夜中はほとんど人気(ひとけ)がなくなる。

 出歩くのは良からぬ企てを抱く者くらいであり、車に乗った三人も、先刻美術館で盗みを働いてきた者たちだった。

「しかし、よくわかりましたね」

 助手席のリーはバックミラーに眼を向けて言った。後部座席の人物は満面の笑みで、盗んだ首飾りを愛でていた。

「ああいう傲慢な小心者は、大事な物を身近に置いとかないと不安で仕方ないってのが常なのさ。案の定、自分の懐に入れてたろ」

「いつまでその格好でいる気だ」

 ハンドルを握るカノンが前を見たまま言った。貧民街区には街灯などなく、月の光も左右の建物に遮られているため、車のライトだけが闇を照らしている。

「ん? ああ、そうだった」

 後部座席のレオニール(・・・・・)が自分の顔をひと撫ですると、森精種(エルフ)の顔が消えてアドルの顔が現われた。服も警官の制服から青い三つ揃いに変わった。

「それにしても美しい。この輝き、まさにお宝だな」

「愛でてるところ悪いんですけど……それ、売る気とかありません?」

「なんだ、リー。借金でもしたか?」

「あなたじゃありませんよ。そうじゃなくて、この電動車(クルマ)買い換えませんか。最近エンジンが変な音立てるし、スピードもあまり出ないじゃないですか」

「カノンが苦労して見つけてきたクラッシクカーなのにか」

「軍が払い下げた中古品でしょうが」

「いいじゃないか、頑丈で。しかもオープンカーだ!」

「幌がないだけです」

 リーは席に乗り、アドルに体を向けた。

「これだと仕事にも支障が出ますよ。コレクションにしたいという気持ちはわかりますが、これからのことも考え――わっ」

 リーは頭を横に振って、ステッキの突きをかわした。

「なにするんですか!」

「こいつはコレクションにするために盗んだわけじゃない。ましてや金目当てでもない!」

「じゃあ、何で?」

 アドルは前髪をかき上げ、フッと軽く笑った。

「言うなれば……愛のためだ」

「…………あの、意味がわからないんですけど」

「この間、酒場に行って帰ってきた後、運命の出会いがどうとか言っていたな」

 カノンの言に、リーは頭に血管を浮かべた。

「これで何度目の出会いですか?」

「『快盗十ヶ条・その八。常に恋の誘惑者であり、恋に苦しむ者であれ』ってね。まあ、おまえは恋より何より、その頭の苦しみをどうにかするのが先か」

 リーはゆっくりとうなずいた。

「わかりました。それは好きになさい。だから…………一発殴らせろ!」

 キレたリーが助手席に立ち上がり、拳を振り上げる。

 その瞬間、車が急停止した。

「わっ!?」

「ごっ!?」

 リーがバランスを崩して倒れ、アドルは拳ではなく頭突きを食らった。

 さらに車はバックで来た道を猛進し始めた。

「な、な、なっ」

「何してんだ、カノン!」

 驚き、怒鳴る二人に、カノンは顎をしゃくって前方を示した。

 車のライトは迫り来る黒い壁を照らしていた。

 道を塞ぐほどの大型電動車であった。ライトもつけず、しかもフロントガラスが真っ黒に塗られ、車内がまったく見えない。

「馬鹿野郎! こんな所を、そんな車で走りやがって! 〈虚空(ヴォイド)〉に呑まれちまえ!」

 アドルが座席に立って怒鳴るが、車は止まる気配を見せない。それどころか、車体前部が小さく開き、二本の黒い筒がせり出てきた。

「ん?」

「危ない!」

 リーがアドルを引き倒し、カノンが車を右に振る。

 二本の筒が火を噴いた。かわしきれなかった銃弾がボンネットに穴を開け、フロントガラスを撃ち砕く。

「あわわわわ! ゴメン! ゴメン! 悪かった! 今のは冗談だって!」

 アドルが謝るも銃撃は止まず、筒先が車を追って動く。

 カノンは車を逆に振ったが、この細い道では無数にばら撒かれる銃弾を避けきることはできない。

「何なんだ、あいつらは!?」

「知りませんよ!」

 声をはり上げる二人をよそに、カノンはハンドルから右手を離して銃を抜き撃った。

 黒いフロントガラスは銃弾を跳ね返した。

「ただの車じゃない」

「偽装戦車。国家諜報機関御用達の特殊車両だ」

 リーが叫び、カノンが応える間も、銃弾の雨は止まない。

「……カノン」

 低い声は機銃の音に消されることなくはっきりと聞こえた。

「合図と同時に前に出ろ」

「了解」

 アドルの指示に、カノンは迷いなく応じた。

 アドルはステッキの握りに彫られた小さな星を押した。虫の羽音のような音と共に、黒いステッキは色を失って透明になり、内側から青い光を放ち始めた。

 Оuter Power Artifacts――通称〈オーパーツ〉。一千年前の〈崩壊の日(コラプス・デイ)〉以前、人間種(ヒューマン)の繁栄を支えた異世界のエネルギー――異界力を使用する道具を手に、アドルは座席の上に立った。

 青く輝くステッキを高く振り上げ、言い放つ。

「行け!」

 カノンは瞬時にギアをチェンジし、アクセルを踏み込んだ。

 タイヤが空回りして、一瞬車が停止する。ここぞとばかりに銃弾が襲いかかり、アドルの体をかすめた。

 一切怯まず、アドルはステッキを縦一文字に振り下ろした。

 瞬間――偽装戦車の中心に青い線が走った。

 タイヤが石畳を噛み、車が前へ飛び出す。

 衝突寸前、偽装戦車が真ん中からふたつに割れた。

 車が戦車を押し分け、走り抜ける。

「――――」

 アドルは視界を金色に埋められ、座席に倒れた。

 偽装戦車は左右の建物に押しつけられ、横転。石畳の上を滑り、炎を上げた。

「……助かった……」

 体を起こしたリーは助手席に座りなおし、安堵の吐息を洩らした。

「一体なんだったんですかね?」

「調べている暇はないぞ」

 これだけの騒ぎで誰も出て来ないのは、貧民街区という場所ならではだが、火まで出たとなるとさすがにそうもいかない。警察や消防が来る前に、この場を離れる必要があった。

「それにしても、よく大丈夫でしたね、この車」

 リーは穴だらけのボンネットを見て感心した。

「元軍用だ。中身は衰えても外側の頑丈さは変わらん」

「これは買い替えの件も考え直しましょうか。ねえ、アドル」

 後ろからの答えはなかった。

「アドル?」

「……やる」

「え……って、わわ!」

 飛んできた首飾りを、リーはお手玉しながら受け止めた。

「や、やるって。アドル、どうしたんで――」

 後部座席に振り返ったリーは言葉を失った。奇跡的に無事だったバックミラーで後ろを確認したカノンですら、その鉄面に驚きの色をつけた。

 アドルは少女を抱えていた。

 年の頃は十七、八だろうか。貧民街の住人らしく赤い服とスカートは色あせ、あちこちに破れを縫い合わせた跡がある。

 そんな服が豪奢なドレスに見えた。

 それどころか、光り輝いてさえ見える。

 娘のあまりの美貌のために。

 今までの盗人稼業で数多くの美しい品々を見てきた三人が、寝顔ひとつで完全に眼を奪い取られてしまった。

「こいつは……」

 アドルは呆然と声を洩らし、少女の金髪に恐る恐る触れた。波打つ金髪は本当に黄金を紡いだような輝きで、感触は最上の絹糸を思わせる滑らかさだった。

「とんでもないお宝が飛び込んできたな……」

「ニャア」

 アドルの言葉に同意するように、少女の膝上に乗った黒猫が鳴いた。


          3


 現在、この世界に存在する八つの生存空間――〈生域(エリア)〉には数多くの種族が混在している。

 容姿も考え方も違う種族間のトラブルは絶えず起こり、時として複数の〈生域(エリア)〉に波及する場合がある。そのような他種族との(いさか)い、または複数の〈生域(エリア)〉に被害を及ぼす災害、犯罪に対応する組織が存在する。

 国家、種族の枠組みを越えた活動を許され、世界中の法と秩序を乱す悪党どもを捕らえ、無辜の民たちの安全と平和を守る者たち。〝戦い〟ではなく、〝護る〟ことを理念とした超国家的組織の名は〈守護神の籠手(ガーディアンズ・ガントレット)〉――通称〈GG〉。

第一生域(ファースト・エリア)・シュラク〉最大の国ギルツ。世界崩壊以前の建築物が多く残るこの地では、それらを利用した都市造りが行なわれている。

 特に首都イノルドは高層の塔が立ち並び、重層的に道路が走る鋼鉄と機械の都市だ。

 この都に、〈GG〉の本部〈守護神の鉄搭〉はある。

 今、(くろがね)色の塔の会議室には、塔の見た目以上に重々しい空気が満ちていた。

 ラスター・ツォンはスライドを操作し、正面の大スクリーンに画像を出した。

「リー・ロンレン。本名、年齢、出身地不明。種族、人間種(ヒューマン)。見てのとおり、体格は華奢なのですが、その実、牛頭人種(ミノタウロス)大鬼人種(オーガー)といった力自慢の種族を素手で叩き伏せることのできるパワーと、猫頭人種(バステト)犬頭人種(ノール)に匹敵するスピードを有しています」

強化人間(ブーステッドマン)ということかね。君と同じような」

 犬頭人種(ノール)の質問に、ラスターは糸目を細く開いた。他種族に比べ身体能力の劣る人間種(ヒューマン)が、その差を埋めるために行う強化や機械化を差別的に見る種族は多い。

 ラスターは嫌味を聞かなかったことにして、首を横に振った。

単眼巨人種(サイクロプス)による探査視(たんさし)でも、彼の体に強化された形跡は見当たりませんでした。肉体の組成そのものが通常とは異なる突然変異ではないかという見方もありますが……これも推測の域を出ません」

 言葉を切り、ラスターは一度、居並ぶ者たちを見回した。

 人間種(ヒユーマン)森精種(エルフ)土精種(ドワーフ)犬頭人種(ノール)猫頭人種(バステト)魚人種(ギルマン)蜥蜴人種(リザードマン)……その性質上〈GG〉には多くの種族が在籍している。珍しいところでは、〈第九生域(ナインス・エリア)・ソーマ〉出身である長い鼻が特徴の鳥人亜種、天狗族の顔もある。

 ラスターは最後に直属の上官の顔を窺った。

 右側の角がない牛頭人種(ミノタウロス)は、腕組みをしてじっとしている。しかし濃赤色の制服が内側からの圧力で膨らんでいるのが見て取れた。

 乾いた唇を舌先で舐め、ラスターは画像を切り替えた。

「カノン・スパルカス。本名、年齢、出身地不明。種族、人間種(ヒューマン)全身機械化(フルチューン)機械化人間(サイボーグ)。七年前に壊滅した機械化傭兵団〈玩具兵団(トイ・アーミーズ)〉の生き残りで、凄腕の拳銃使いです」

 傭兵団の名前に数人が反応した。他種族からの差別を逆に皮肉った名前の傭兵団は、機械化された人間種(ヒユーマン)のみで構成され、七年前の悲劇以前、世界中の戦場で勇名を馳せていた。

 ラスターはカノンの画像を、銀色の回転式拳銃(リボルバー)の画像に替えた。

「腕前もさることながら、問題はこの銃……〈オーパーツ〉なのですが、〈崩壊の(コラプス・デイ)〉以前の遺物ではなく、あのデミト・アラミスが製作したものです」

 室内が一気にざわついた。一千年前に失われた異界力理論の解析に成功した天才でありながら、いくつもの非人道的な実験によって一国の半分の人口に匹敵する命を奪い、十年前に実験の失敗で死亡した〝狂気の錬金術師(マッド・アルケミスト)〟――その名前を知らぬ者はいなかった。

「デミト・アラミスが製作した〈オーパーツ〉〝神銃(しんじゅう)〟ウロボロス。これは六つの薬室(チェンバー)内がそれぞれ異界力によって作られた亜空間となっており、ひとつの薬室(チェンバー)に同種の銃弾を無限数籠めることができ、事実上、弾切れというものがない、まさに弱点なしの〝神銃〟です」

 ここでラスターはざわめきが治まるのを待ち、その間に、また上官の顔を窺った。

 体が小刻みに震えていた。膨れ上がる怒りの内圧を抑え切れなくなってきているのだ。炎のような怒気が体から立ち昇っているのが見える。もうすぐ限界に達するだろうと予測したラスターは覚悟を決め、カメラに向かってピースサインをしている男の画像を出した。

「アドル・ペルソナ。本名、年齢、出身地不明。種族、人間種(ヒューマン)。窃盗団ブルーローズのリーダー格。この男はまあ……特に強化も機械化もしてはいませんが、なんというか、その……たちが悪いです。非常に」

 上官の歯軋りが聞こえてきた。

「世界中でくり返した窃盗は二百件以上。その手口は人を小馬鹿にしたものがほとんどで、各国警察のアンケートでは『もっともムカッ腹の立つ犯罪者』ベスト1を五年連続で取っています。この性格はもちろんですが、なおたちの悪いことに二種類の〈オーパーツ〉を有しています」

 画像をアドルの仮面とステッキに替える。

「仮面は〝偽面(ぎめん)〟ロキ。大気中の空気分子を使って体表面に立体映像を構築……簡単に言うと別人に変身できます。立体映像と言っても分子の結合力が強いため、触ったくらいでは偽物とはわからないという厄介な代物です。さらに、こちらのステッキは〝妖刀〟メフィスト。これは凝縮した異界力を刃にして飛ばすという武器であり、その斬れ味はネオ・ミスリル製の金庫をも両断します。ただ、この〝妖刀〟には一日に五回という使用制限がある……らしいのですが、言っているがアドル本人のため、本当かどうか――」

 爆弾が落ちたような音と震動が室内を襲った。

 驚きと怯えの視線が、拳で机を叩き割った片角の牛頭人種(ミノタウロス)に集中する。

「隊長……」

 予測し、覚悟していたラスターだったが、勢いよく鼻息を吹き出す上官に睨まれると、言葉が出なくなってしまった。

「いつまでこんな無駄なことをしなきゃならんのだ!」

「いや……一応、今後の方針を決める会議なんですが……」

「方針 すぐに飛んでいって奴らをとっ捕まえる! それ以外に何があるってんだ!」

 暴風のような怒号に、ラスターは仰け反った。

「そもそも! 犯行予告があったのに、何でその報告が入ってなかった? 世界指名手配犯の情報は〈GG(うち)〉に回す規則だろうが! ルフティウムの警察は何をしていた」

「ど……独力で彼らを捕まえようとしたようです」

「それで失敗しましたか! たいしたもんだな、まったく!」

「フェイガス隊長。少し落ち着きたまえ」

 森精種(エルフ)の幹部が、守護騎士団第二隊隊長ルドルフ・フェイガスをたしなめた。

「ルフティウム警察を責めても仕方あるまい。彼らにもプライドがあったんだろう」

「プライド? たった三人の窃盗団くらい自分たちの力で捕まえられると」

 フェイガスはフンと大きく鼻息を吹き出し、床に散らばった報告書を踏みにじった。

「そんなちんけなプライド、〈虚空(ヴォイド)〉に捨てちまえ! 結局、大恥かいただけだろうが。簡単に捕ま

えられるような相手じゃないんだよ、奴らは!」

 森精種(エルフ)は苦笑し、肩をすくめた。

「なるほど。さすがは奴らにご自身の角を切られただけのことはある」

 ラスターは思わず両手を腰に伸ばしていた。もしも愛用の双剣を佩いていれば抜いていたろう。同じように怒りを覚えた何名かが森精種(エルフ)に非難の眼を向けたが、先ほど質問を発した犬頭人種(ノール)を始めとして笑いを洩らす者たちもいた。

「しかしあなたも長年奴らを追いかけているのに、捕まえられていませんね。となると、ルフティウム警察にペナルティを与えるならば、あなたにも同様にしなくてはならないのでは?」

「ちょっと待ってください! それとこれとは話が違います」

 ラスターは割って入ったが、あざけ笑われただけだった。森精種(エルフ)は総じて美形なため、余計に嫌味ったらしい。

「今は過去の失敗を責めている場合ではない。あちらの警察とも足並みをそろえて捜査に当たることが重要なのだ。そうすれば、たかが(・・・)人間種(ヒューマン)の窃盗団など……」

 その瞬間、森精種(エルフ)の周りから人が離れ、直後、フェイガスの投げた椅子が森精種(エルフ)の顔面にぶち当たった。

 誰も動けず、声も発せぬ中、森精種(エルフ)は折れ曲がった鼻から血を流して立ち上がった。

「な、何をする、この――」

 当然の怒声は、しかし、フェイガスの冷ややかな眼差しの前に立ち消えた。

「同種族であるルフティウム警察の長官を庇おうとする気持ちはわかるが、〈GG〉の一員として今の差別発言は聞き捨てならんな」

「さ、差別? そんなつもりは……」

 森精種(エルフ)は味方を求めて周りを見回したが、反応は眼を逸らすか、もしくはフェイガス、ラスターと同じ冷たい視線を返されるだけだった。

「〈守護神の籠手(ガーディアンズ・ガントレット)〉はすべての無辜の民の平和と秩序の守護が使命だ。わかるな? すべての民だ。国家も種族も関係なく、救いを求める者たちの味方である我々はつまらん差別意識など欠片も持ってはならない」

 フェイガスは一歩前に踏み出た。ただでさえ大きい体が、立ち昇る怒気でさらに巨大に見える。

「貴様のような奴の居場所は、ここにはない。即刻消え失せろぉ!」

〈鉄搭〉全体が揺れそうなほどの大音声に、森精種(エルフ)はヨロヨロと後退った。反論しようと開けた口から出てきたのは意味のない呻きだけで、結局、血の止まらない鼻を押さえたまま会議室を出て行った。

「ラスター」

「ハッ!」

「すぐにルフティウムに向かうぞ。奴らが〈ブリハス〉を出る前に捕縛する」

 独断の命令だが、今の騒動のあとで反対しようという者は誰もいない。

 ラスターが気合いを入れて敬礼しようとしたそのとき、壁の風話器(ふうわき)が鈴に似た音を立てた。これは両端にカップを取りつけたガラス管で、中に透明な翅――風精種の翅(エアリアル・フェザー)が入っている。翅は声を振動に変換。各所で待機する大気の妖精族・風精種(エアリアル)がこれを感知し、発信側の指定した風話器へと声を中継する通信器具である。〈崩壊の日(コラプス・デイ)〉以後、〈虚空(ヴォイド)〉による空間歪曲の影響で無線電波がかく乱されるようになったこの世界における通信手段としては、もっとも一般に普及しているものだった。

 風話器を取ったラスターは、驚き顔でフェイガスに振り返った。

「長官からです」

 室内がざわついた。相手は〈GG〉のトップだった。

 代わって風話機に出たフェイガスは二、三回、うなずいていたが、

「どういうことですか、それはっ!」

 突然大声を上げ、管の中の風精種の翅(エアリアル・フェザー)だけでなく、周りの者たちもビリビリと震えさせた。

「意味がわかりません! 何故、ルフティウムに行ってはならんのです みすみすブルーローズを見逃せと……は? 命令? 〈GG〉の権限を忘れたんですか! 一体、どこのどいつがそんなふざけた命令――」

 鋭い刃に切られたように声は途切れた。

 数秒の沈黙の後に出たのは、この隊長には似合わぬ震えた声だった。

神国(しんこく)が……?」

 フェイガスの驚きは、室内の全員に広がった。


          4


 かつて――

 人類はこの世界と次元の異なる遠い世界のエネルギー――異界力を引き出す理論を完成させた。

 これまで人類が使用してきたものとは比べようもないほど膨大で強大、かつ安全なエネルギーにより、人類は歴史上類を見ない繁栄を築いた。

 異界力を使った技術はほとんど魔法に等しかった。

 その最たる例が、次元の壁の薄い世界への往来を可能としたことであった。それらの世界には、伝説伝承に登場する妖精、妖魔といった亜人種たちが暮らしてた。

 神代の時代に別れた隣人たちと再会した人類は、その強大な力を使い、自分たちと同じ心を持つ彼らを奴隷同然、否、犬猫以下に扱った。

 亜人種にとって闇の時代……しかし、それは長く続かなかった。

 約一千年前、人類は絶えたはずの戦争を再び開始し、自らの手で繁栄にピリオドを打つ。

 絶対安全と信じられてきた異界力の暴走によって、世界は亜人種たちのいた世界をも巻き込む形で〈崩壊の(コラプス・デイ)〉を迎えてしまった。

 生き残った人類――人間種(ヒューマン)は絶対的な力を失い、亜人種との立場は逆転――こうして現在、多くの人間種(ヒューマン)は差別され、苦しい生活を強いられていた。

 特に、ニナはより苦しい生活を送っていた。

 その尋常ではない美貌と、肉体的な特質のため、同種である人間種(ヒューマン)からも忌避されてきた。

 味方は母と飼い猫のみ。

 だが、この家族がいたからこそ、犯罪の絶えないこの街で、苦しい日々を生きてこられた。

 特に母には助けられた。温和で優しいだけでなく、いかなる苦境にあってもへこたれない、強い芯を持った女性だった。

 その母が病気で死んだ。

「……まだ起きないか」

 助けたかった。

「このままでいいのか?」

 しかし助けられなかった。

「いや。ここは何とかするのが、紳士の役目ではないか!? そうだ、間違いない!」

 何もできなかった。

「では、どうする? 決まっている。やはり方法は〝これ〟しかない!」

 生きていてほしかったのに。

「さあ! 眼醒めろ、姫よ!」

 嫌だよ……

 嫌だよ、母さん!


 夢の中の自分の叫びで、ニナは眼を覚ました。

 眼の前に、何かあった。しかし近すぎてわからない。

 眼の焦点を合わせる。何やら赤い花のつぼみのようなものだが、見た目が気持ち悪い。そして花のすぐ後ろには人の顔があった。

 花のつぼみが突き出された唇であり、自分の唇に近づいてきているとわかった瞬間、頭で考えるより早く右の拳が飛んだ。

「イヨッホォ――ッ!」

 聞きようによっては喜声のような悲鳴を上げて不審者は吹っ飛び、部屋のドアを破壊した。

 ニナは身体を起こし、状況を確認した。服は着ている。乱暴された跡はない。スカートを調べたとき、手に硬い物が当たった。ポケットに、昨夜取られたはずの指輪が入っていた。

 ベッドを飛び降り、カーテンを開けると陽の光が眼に刺さった。

 眼を細めて外を見る。建物や眼下の通りを行く人々の服のボロさから、ここがマーセルの南部区域、自分の住んでいる貧民街なのがわかった。

「なんです? 何が……ってアドル どうしたんですか」

 人の声に、ニナは舌打ちした。

 やって来た禿頭(とくとう)の若者が、ニナを見て驚きの表情を浮かべる。

 ニナは窓を開けた。二階だが、問題ない。この倍の高さでも無事に飛び降りる自信があった。

「待て」

 鉄のような声に続く金属音。見ないでも銃の撃鉄とわかるのは、育ちのおかげだ。

 かまわず飛び降りようとも思ったが、背中に感じる殺気がそれを許してくれなかった。

 両手を上げ、ゆっくりと振り向く。

 室内だというのに黒いコートを着た男を、ニナはひと目で機械化人間(サイボーグ)と見て取った。

強化人間(ブーステッドマン)か、貴様?」

 薬物や生体手術によって身体能力を上げた人間かと言われ、

「違うわよ!」

 ニナは全力で否定した。

「ただの女の力とは思えん」

 機械化人間(サイボーグ)は倒れたドアと転がった青年を一瞥した。

「あんたみたいのと一緒にしないで」

 向けられた銃口を恐れず、言い返す。周囲から不気味がられるほどの怪力は、生まれついてのものであった。

「なんなのよ、あんたたち。あいつらの仲間?」

「よくぞ、訊いてくれた!」

 床から風が走った。

 風はニナの手を取り、ニコニコと顔を近づけてきた。

「おれはアドル! アドル・ペルソナ! よろしくっ!」

 握られた手が上下に振られる。

「ちなみに、あっちのはカノンとリー。黒いほうがカノンで、若ハゲなのがリーだから。それで君の名前は?」

「え……と、ニナ。ニナ・フォーチュン……」

 つい答えてしまったのは、驚いたからだった。今まで自分に殴られて、こんな短時間で回復した者はいない。

「ニナちゃんか。いい名前だね」

「あ、ありがと」

「それにパンチもいいもの持ってるねえ。右のパンチじゃなかったら危なかったよ」

 無邪気な笑顔は、左側が白い仮面で隠れていた。思い出して見ると、拳に当たった感触は固かった。しかしいくら仮面に守られたとはいえ、ドアを突き破るほどの勢いで吹っ飛んだのに、どれだけタフなんだ――と思ってアドルという男を見ていると、仮面に開いた穴の奥に、あるはずの瞳がないことに気づいた。

 その視線に気づいたのか、アドルは小さく身を引いた。しかし手は離さない。

「ニャア!」

「イテッ!」

 部屋に飛び込んできた黒い影が、アドルの手を引っ掻いた。

「ティシャナ!」

「おおうっ!?」

 ニナはアドルを横に突き飛ばし、胸に飛び込んできた黒猫を抱き締めた。

「よかった! 無事だったんだ!」

「やっぱり君の猫か。つれてきて良かった」

 壁にへばりついたアドルの言葉に、ニナは首を振った。

「ティシャナは家族よ。物心ついたときから一緒なんだから。もうこの子しか……」

 母の死を思い出し、気が沈む。

 だが、すぐ警戒心を取り戻し、三人を睨んだ。

「それで? なんなのよ、あんたたち」

「おお。自己紹介がまだ途中だった。ゴメン、ゴメン」

 壁から身を剥がし、クルッとターンして近づいてきたアドルは、胸の青薔薇を抜いてそっと差し出してきた。

「おれたちは、世界を相手に暴れまわる快盗団! その名も高き、ブルーローズ! 改めてまして、よろしく、ニナちゃん」


 昨夜の事情を聞き終えたニナは、腰かけていたベッドから立ち上がり、ティシャナを抱えてドアへ向かった。

「あれ? あれれ? どこに行くの?」

 アドルが慌てて前に回って来た。

「決まってるでしょ。帰るのよ」

「そんなに急がなくても。ほら。成り行きとはいえ、おれたち、君を助けたわけだし」

「あいつらに出くわして、たまたま拾ったってだけでしょ」

「ほら、そのあいつら。まさか友達ってわけじゃないよねえ。何者?」

「……知らないわよ。いいから、どいて」

「待って、待って。外は危険だって。昨日の奴らがまだいるかもしれないし。いきなり撃ってきたところから察するに悪者だよ、あいつら」

「他人のこと言えないでしょ。あんたたちだって泥棒のくせに」

「快盗と言ってほしいなあ。〝怪〟しい盗人じゃなくて、痛〝快〟な盗人って意味で」

「結局泥棒でしょうが」

「無法者には違いないが、一応自分たちのルールはあるんだよ。『快盗十ヶ条・その一。常に紳士であれ』ってね。女性を助けるのは紳士の義務だ」

「寝込みを襲うのも、紳士の義務なわけ?」

「あれは君を起こすための緊急的手段で……。ま、まだ理由はある! 『快盗十ヶ条・その六。命を賭してもか弱き女性や子供たちの味方になれ』ってね。だから、君を危ない目に合わせるわけにはいかない。あっていいはずがない!」

「あっそう。じゃあ私もこの街で守らなくちゃならないことを教えてあげる。『甘い言葉は信じるな』。そういうことだから、これでさよなら」

 押し退けて行こうとしたが、

「じゃあ、これをあげよう!」

 大きな宝石のついた首飾りを差し出され、さすがに息を呑んだ。

「これは……?」

「プレゼント。君に似合うと思うんだ。親愛の証として受け取って――」

「運命の(ひと)はどうしたんですか?」

「ハッハッハッ。何のことだ、リー?」

「朝一番で出かけていたな」

「散歩だよ、散歩。何を言ってんるだ、カノン」

「それをまだ持っているということは……」

「フラれたか」

「そいつは違うね! おれは彼女に告白する前に、彼女が男といるのを見て戻ってきたんだ。だからフラれたわけじゃありませーん。残念でしたー。へっへーん。――そういうわけで、これはニナちゃんの物だ。受け取ってくれるね」

「いるか、そんなも――!?」

 怒声が断ち切れたのは、ぶつける相手がなんの前触れもなく窓へと跳んだからだった。

 一瞬遅れて、カノンとリーも動き、部屋を出て隣室へと向かう。

 窓の脇に身を隠し、アドルは外を窺った。

正面(そっち)はどうだ?」

「姿は見えないけど……囲まれていますね」

「人払いしたということは、突入してくるぞ」

 隣室からの声に、だろうな、とアドルはうなずいた。

「しかし……」

 含みのある眼差しを向けられ、

「……何よ?」

 とニナはティシャナを強く抱いた。

「狙いは誰かな?」

 これも含みのある微笑に、ニナは動揺を隠し切れず顔を逸らした。


 貧民街では立派な部類に入るその家は、一階が車庫、二階が居住スペースとなっていた。家の前に伸びる直線道は、この街では珍しく車二台分の幅があり、途中にわき道が多い。何か事が起きた場合、車での逃走がしやすい隠れ家であった。

「配置、完了しました……っ」

 小鬼種(ゴブリン)の警官は頭の角をつかまれ、持ち上げられた。

「遅せえよ。気づかれちまったらどうする気だ。ああ?」

 持ち上げた男はグリアムという名の人間種(ヒューマン)だった。かなり強化(ブーステッド)されており、大鬼人種(オーガー)並みに膨らんだ体と普通サイズの頭部のバランスが合っていない。

「も……申し訳ありません」

 小鬼種(ゴブリン)は屈辱的な仕打ちにも文句を言わなかった。突き離されて腰を強く打っても、呻くだけで何ひとつ反抗しない。

 それなのに、

「何だ、その眼は?」

 グリアムは因縁をつけ、小鬼種(ゴブリン)の顔をわしづかんだ。

「おまえ、わかってるんだろうな? 俺に歯向かうってことがどういうことか」

「歯向かってなんていな……」

 締め上げられ、あごの骨が軋みを上げた。

「事は警察の責任ってだけじゃない。この国そのものを危なくするんだぜ。そのへんのところを、よく理解して動け。クズが」

 骨が砕ける寸前で小鬼種(ゴブリン)を解放し、グリアムは憎き盗っ人どもの隠れ家を睨みつけた。

 昨夜の屈辱を思い出す。

 娘を奪われたばかりか、いつの間にか指輪まで取られていた。叱責では済まない失態である。盗っ人への怒りと、責任を取らされる恐怖に拳が震えた。

 グリアムは腰に下げた共鳴通話機――ハウラーを手にした。四角い箱の前面と背面に、マイク部分がついた通信機で、遠吠銅(ハウリング・コツパー)という特殊な鉱石を利用している。この銅に音を当てると、一種の共鳴波を発する。このとき、近くに同じ共鳴率の遠吠銅(ハウリング・コツパー)があった場合、狼の群れが遠吠えを交わすように、その音を再生するのである。ハウラーは機械的に共鳴率を調整して通信する機器で、風話器と違って仲介がない分、素早い交信ができるものの、通信可能範囲はせいぜい半径五十クレスト(メートル)という短距離に限られている。

 ハウラーのスイッチを入れ、配置した警官たちに命令する。

「いいか。合図と共に一斉に突入しろ。女以外はかまわん。逮捕せずに、その場で殺せ」

「そ……そんな!」

 小鬼種(ゴブリン)の警官が首を振った。

「我々は警察だ。殺し屋じゃない」

「うるせえ!」

 グリアムは小鬼種(ゴブリン)を殴って黙らせた。

「いいか。女はできるだけ無傷で確保し、あとの三人は殺せ。絶対に逃が――」

 けたたましい音が突入対象の家から轟いた。普通はもっと静かな音だが、電動車のエンジン音に間違いない。

 車庫のシャッターが開き始めた。

「気づかれたか! 前を塞げ! 早くしろ!」

 白と青のツートンカラーの警察車両が建物の陰や路地から次々と飛び出てきた。車庫の前に壁を作り、降りてきた警官たちが車のドアを盾にして銃を構える。

 グリアムは気絶した小鬼種(ゴブリン)をそのままにして、包囲の外側に移動した。

「合図したら撃て。タイヤと運転手を狙えよ。女に当てたらクビじゃすまないと思え」

 シャッターがゆっくりと開いていく。グリアムは片手を上げ、合図を出す時を待った。

 しかし、

「な……?」

 手を上げたままグリアムが固まる。警官たちは眼を丸くした。

 車庫の中はからっぽだった。それなのにエンジン音はまだ鳴っている。

 呆気という名の空気に皆が包まれたその瞬間――二階の壁を突き破り、穴だらけの車が飛び出してきた。

「ハア――ッ」

 非現実的な光景に、全員が驚声を唱和する。

 その隙に、車は警察車両を踏みつけて囲みの外に着地した。

 派手なエンジン音とタイヤの擦過音、そして数発の銃声を残して一気に走り去る車を見送ることしかできなかったグリアムは、ようやく叫んだ。

「な、何で――」


「――車が二階から飛び出るのよ」

 助手席のニナは、あまりのわけのわからなさに怒鳴った。

「意表を突いてるだろぉ」

 運転するアドルは、イタズラが成功した悪ガキの笑顔で答えた。

「さっきの連中の顔、見た? いやあ、部屋ひとつ潰しただけのことはあった」

「あんたって……」

 呆れ返ったニナは腕の中のティシャナを撫でたあと、サイドミラーに眼をやった。車はすでにわき道に入り、迷路のような路地を走っている。追ってくる車の姿はない。

「心配しなくても大丈夫」

 アドルが明るく言った。

「車はつぶしたから、当分追っ手は来ない」

「つぶした? いつ?」

「カノンがタイヤ撃ち抜いたから。さっき銃声してたでしょ」

 ニナは後部座席のカノンに振り向いた。

「あの一瞬で……全部?」

「気づいたか?」

 カノンの問いかけは、ニナに向けたものではなかった。

「あいつか? 警官隊に混じってた、あの黒い制服の男」

 アドルが答えると、いましたね、とリーもうなずいた。全員、あの一瞬で見るべきものをしっかり見て取っていたらしい。

「なんか軍人っぽい制服だったけど……ニナちゃん?」

 アドルの言葉に応えず、ニナは唇を噛んだ。

 黒い制服――間違いなく昨夜の連中だ。そいつらの一人が警察と一緒にいた。

 まさかと思っていたが、やはり――

 路地に響く音がニナの思考を遮った。

 蹄の音だった。

「何だ?」

 アドルがバックミラーを見た。

 三つの影が猛烈な速度で近づいてくる。

 蹄の音は馬のものだった。しかし本来首のあるべき場所には、人の上半身がついている。

馬体人種(ケンタウロス)か! それに……」

 並走する二つの影の一方は猫頭人種(バステト)。四肢を獣体に変え、猫科本来の走り方で地面を駆けてくる。

 もう一方は巨大なウサギだ。大きさは人間種(ヒューマン)の子供ほどで、ずんぐりとした体型だが、速度は他の二種族に負けてはいない。脚力が優れているというだけでなく、重力を軽減させる能力を持っているのだ。伝説では月に住んでいたとされる獣人種族・月兎種(ムーン・ラビット)である。

 さらに空にも現われた。浅黒い肌の小柄な体。頭には二本の角、そして背中に蝙蝠の羽を生やした鳥人亜種――小魔(インプ)族だ。

 アドルはアクセルを踏み込んだが、エンジンが泣きそうな音を上げるだけでスピードは上がらなかった。

「やっぱり昨日のダメージがでかいか、ちくしょう!」

 四種族はみるみる差を縮めてきた。全員、警官隊と一緒いた男と同じ黒い制服を着用している。

「思い出したぁ!」

 アドルがハンドルを叩いて叫んだ。

「フィンスターニスの国家衛士団だ、あいつら!」

「フィンスターニスって……神国ぅ」

 リーがアドルに詰め寄った。

「何やったんですか、一体!?」

「何でおれだ 覚えはない!」

「来るぞ」

 カノンが空を見上げ、銃を抜いた。

 小魔(インプ)鳥人種(バードマン)の中では飛行できる距離と高度に劣るが、軽量さから高い機動性を誇る。上下左右に体を振って急降下する体は、残像を生むほどの速度。たとえ機関銃の掃射であっても、容易に捉えられるものではない。

 〝神銃〟ウロボロスが火を噴いた。

 銃弾は正確に小魔(インプ)の肩を貫き、墜落させた。

「えっ」

 しかしニナを驚かせたのは、小魔(インプ)と同時に飛びかかってきた猫頭人種(バステト)まで肩を撃ち抜かれて吹っ飛んだことだった。二発の銃声が一発に聞こえるほどの早撃ちだったと気づき、二度驚かされた。

 だが、さすがにもう一体の迎撃は間に合わなかった。

 月兎種(ムーン・ラビツト)は跳躍と同時に変身し、手足の長い美青年の姿を取った。ウサギの名残は頭に生えた耳と赤い両眼だけである。

 鋭い蹴りでウロボロスが横に払われた。

 カノンはウロボロスを離さなかったが、無防備となった機械化人間(サイボーグ)月兎種(ムーン・ラビット)が銃を向ける。

「させません!」

 鞭のように跳ね上がったリーの脚が、銃を持つ手をへし折る。しかし狙いは外れたものの、発射された銃弾はカノンの肩を抉った。

 青黒い液体――機械化人間(サイボーグ)の血液である循環液を飛び散らせながらカノンは腕を戻し、月兎種(ムーン・ラビット)の足を撃ち抜いた。

 転がってきた月兎種(ムーン・ラビット)をかわし、馬体人種(ケンタウロス)は後足で地面を蹴った。

 残った距離を一気にゼロにして、リーに前足を蹴り入れる。

 重量級の種族であっても一撃で昏倒させる脚打を、禿頭(とくとう)の若者はどうしたか。

 なんと――両手で受け止めた。

 驚愕する馬体人種(ケンタウロス)の足をつかんで離さず、上体を勢いよく横に振り、そこで手を離す。

「バ、バケモ――ッ」

 悲鳴を上げる馬体人種(ケンタウロス)は民家の壁をぶち抜いて消えた。

「す……すごい!」

 ニナは賛嘆の声を上げて、カノンとリーを見た。

「強いのね、あんたたち!」

「いやいや、それほどでも」

「あんたじゃないわよ」

 アドルを冷たく睨んだそのとき、巨大な人影がボンネットに降ってきた。

 衝撃で車が前に傾き、浮き上がったニナは巨大な手に首をつかまれた。

「動くな、貴様ら!」

 カノンとリーを牽制した巨体の男――グリアムはボンネットの上に立ち、ニナを持ち上げた。車は

速度を落としたもののまだ走っていたが、身体能力を強化した男は見事にバランスを取っていた。

「あんたは……っ!」

「おっと。おまえも動くな」

 首を軽く絞められ、ニナは喘いだ。

「おまえの馬鹿力はよく知ってる。昨日は散々暴れてくれたじゃねえか。やっぱり父親が特別製なだけのことはある」

「…………っ!」

 ニナは瞳に炎を灯してグリアムを睨んだが、大男の気分を良くしただけだった。

「さあ、来てもらうぜ。それとあの指輪も――」

「おい」

 低い声に、二人は顔を引っぱられた。

 一瞬、ニナはそれが誰なのかわからなかった。

 運転席の上に立つ男は、被った仮面のほうが素顔と思えるほど硬く、冷たい表情でグリアムを見据えていた。

「おれのお宝に手を出すな」

 アドルが青く光るステッキを閃かせた。

 青い斬線が走り、それが当たり前のような自然さで、グリアムの腕は落ちた。

 切断面から血が噴き出るよりも早く、アドルのステッキはニナの首に残った腕を払い、反転してグリアムの足をすくった。巨体が車の前に転落する。

 すかさずアドルは運転席に座り、アクセルを強く踏み込んだ。

「ブゲッ!」

 蛙の断末魔のような声が上がった。

 車は哀れで惨めな強化人間(ブーステッドマン)を残して先に進んだが、いくらも走らないうちにエンジンから煙を上げ始めた。

「こりゃまずいな。あ、ニナちゃん。大丈夫だった?」

「う……うん。ありがとう……」

 ニナは素直に礼を言い、アドルの顔を凝視した。先ほどの冷貌(れいぼう)は、にやけた顔に戻っている。あまりのギャップに見間違いかと思ったほどだが、全身の血はまだ冷えたままだ。

「まだ話さないつもりか?」

 割り込んできたカノンの言葉に、ニナはビクッと肩を震わせた。

「何故神国の衛士団に狙われている?」

「…………」

「え? アドルが何かしでかしたんじゃないんですか?」

「さっきの奴、妙なことを言っていたな。父親がどうとか」

「おいおい、カノン」

 アドルが口を挟んだ。

「そんな言い方ないだろ。意地の悪い奴だな。ねえ?」

「……言ったら驚くわよ」

 ニナは三人の顔をそれぞれ睨んだ。

「で、後戻りできなくなる。世界を敵に回して、逃げ場もなくなるわよ。それでもいいわけ?」

 冗談でも、脅しでもないことはわかるはずだ。

 神国を敵に回すということは、本当の意味で世界を敵にすることに等しいからだ。

「それは……」

「…………」

 リーが呻き、カノンが押し黙る。

「なるほど……」

 アドルが思案顔でつぶやいた。

 ニナはうなずいた。これが当然の反応だ。

 とはいえ、残念と思うことは止められなかった。

 これで今度こそ味方はティシャナ一匹になって――と、そこまで思ったところで、いきなり無邪気な笑顔が急接近してきた。

「つまり、これからずっと君と一緒にいられるってことだ!」

 ニナは危うく座席から落ちそうになった。

「ちょっ……待ちなさい! 何でそうなるのよ」

「世界に居場所がなくなるということは、君の居場所はおれのいる所しかないってことじゃないか」

「はぁ!?」

「そうかあ。そんなうれしいことになるとは……これが運命というやつか! よーし、おれにどーんと任せちゃいなさい! 君を必ず幸せにしてみせる!」

「そういうことじゃない!」

 ニナはアドルの顔を押し退けた。

「あ、あんた、事の重大さをわかってる?」

「あきらめろ。そいつは全部理解したうえで言っている」

「こうなったら、もう止められませんよ。たとえ世界が相手でも」

 カノンは淡々と、リーは微苦笑を混ぜて言った。

 ニナは二人の顔を見比べたあと、うさんくさそうにアドルを見つめた。

「……あんたがリーダーなわけ?」

「リーダーなんて大層なもんじゃない。こいつらは生きることに不器用でね。しょうがないから、おれが面倒見てやってるだけさ」

 リーが反論しようとして、カノンに止められた。

 ニナは座席に沈み、ティシャナを持ち上げた。

「なんか……とんでもなく変な連中に捕まっちゃったみたいね、私……」

「話してくれる?」

「……後悔しても知らないからね」

 ニナはため息混じりに言った。

「これはさっきの大男が昨日言ってたことよ……。私をさらう理由は、私の父親にあるんだってさ」

「その父親が神国がらみってことか。じゃあ、ニナちゃんのお父さんは長生種(エルダー)なのかい?」

 とアドルが言った。

「それだと、あの怪力も納得できますね」

 とリーがうなずいた。

「衛士団を動かせるとなると、相手は議員クラスの人物か」

 とカノンがつぶやいた。

「違う」

 とニナは人さし指を空に向けた。

「もっと上」

 三人が自分を見つめるのを感じながら、投げやりな口調で告げる。

「私の父親は〈神君(しんくん)〉なんだってさ」

 三人の驚きに答えるかのように、エンジンが爆発して黒煙を吐き出した。

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