表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

椿姫



 さわり、と木々が揺れる

 林の間にぽっかりと出来た空間に建つ白壁の家


「此処も久しぶりだ…」

「そうですね」


 愛おしそうにその家を見つめる近藤 一はその家に小さく一歩踏み出した

 甲斐甲斐しく近藤を支える浅井 真もそれに続いて一歩踏み出す

 家に近づくたびに嬉しそうに笑みを深くする近藤に釣られて浅井も笑みを零した


「病気になってからは部屋の中に缶詰だったからなぁ…」

「病室からよく脱走していた人が何言ってるんですか」

「そりゃ、今までドンパチ暴れてた人間が急に部屋に閉じ込められたんだ。脱走もしたくなるぜ?」

「伊佐みたいなこと言わないでください!…あ、肩貸さなくても大丈夫ですか?」

「大丈夫、最期くらい自分の足で歩いておきたい」

「…分かり、ました」

「気遣ってくれてありがとな」

「いえ…」


 浅井から離れて家の中に入っていく近藤の後ろ姿を浅井は悲しそうに見つめた

 昔よりも細くなった背中を見て、浅井たちが過ごした月日を思い出す

 全ての戦いが終わって、浅井達が失ったものは余りにも多かった

 浅井と近藤以外の全ての仲間があの戦いで死んだ

 そして残された二人のうち近藤は病魔に冒され、不自由な身体となってしまった


「此処で、みんな生きていたんだよな」

「生きていました。一番大変な時間だったけど、あの頃は本当に楽しかった…伊佐がいて、水野君がいて、千がいて、尾田君がいて本当に、楽しかった…」

「…あぁ、俺もそうだったよ」


 そっと皆で囲んだ机を撫でると賑やかにご飯を食べた風景が今の事のように思い出される

 何かがぶつかる音がし目線をやると近藤が彼の特等席だった場所に座っていた

 いつも首に下げているロケットを眺め、家を見渡す近藤に浅井の胸がチクリと痛んだ


「…………病気は、もう…治らないんですか」

「…実はね、治るらしいんだ」

「…うそ…じゃあ!何で!!!何で治さないんですか!!!何で!何で生きようとっ…!!」

「俺だって死ぬのは怖いよ」

「近藤君…」


 近藤らしくない少し震えた声でロケットを握り締め目線を下げる

 そっと近藤に近づくと、らしくない、と呟いて自嘲するような笑みを浮かべゆるりと首を振った


「いくら世界中から最強だ、鬼だなんて言われても元は普通の人間だ…怖くない訳が無い…それに、生きて、伊佐と約束した場所にも行きたい、アイツ等の生き様を伝えたい、伝えなきゃいけない…まだやりたいことは残っているんだ…」

「なら尚更!!何で治さないんですか!!諦めるなんて貴方らしくもない!貴方は伊佐のお兄さんでしょう?近藤 一でしょう!!!貴方の妹が最期まで諦めなかったのに、兄の貴方が諦めてどうするんですか!!」

「真ちゃん…」

「諦めるなんて許しません…伊佐に貴方の事を頼まれたんです。そうでなくても、私は…私の意思で貴方を生かします!」

「………ありがとう、真ちゃん…そうだね…」

「じゃあ…」


 治療してください、と言おうとして声が出なかった

 近藤があまりにも落ち着いた面持ちで浅井を見つめていたからだ

 何も言えなくなった浅井に近藤はもう一度強くロケットを握りしめて口を開いた


「治っても1年以内に二度と動けなくなると医者に言われたんだ」


 一瞬、近藤の言ったことが分からなかった

 ぐるぐるとその言葉が浅井の頭を周り、ようやく意味を理解する


「えっ…」

「もうあっちこっちガタが来てんだとさ、そりゃあんだけ派手に暴れたらガタ来るのも当たり前だよな…」 「そんな…」

「壊れた身体はもう戻らない。例えこの病が完治したとしても壊れた筋肉や神経は壊れたまま…リハビリをしても寝たきりになる事は避けられないそうだ」

「………」

「口だけでも動けば、真ちゃんに俺の言ったことを書きとってもらえればいいんだけど、どうやら全身動かなくなっちゃうらしい」


 へらり、と屈託なく笑う近藤

 この人は自分が死ぬと分かっても涙を零したりしない、何処までも潔い

 近藤は浅井が我が儘を言った時はいつも優しげな目で見つめてくれた

 近藤は浅井が感情的になる時はいつも静かな目で見つめてくれた

 その目を見ると自然と心が落ち着いていった

 浅井は、一縷の望みをかけて息を吸い込んだ


「じゃあ……じゃあ動くまで生きてくださいよ…勝手な事言ってるのは知ってます…でも、まだ動くなら貴方の願いが叶うなら、生きて…ください…」


 今までで一番自分勝手な事を言った、人生最大で最後の我が儘

 だが、近藤はそれすら全てお見通しというように小さく微笑んだ


「俺も最初はそう思ったよ、だけど日にちが過ぎるにつれて怖くなってきたんだ」

「怖い…」

「真ちゃん…やっぱり俺はね、ベッドに縛り付けられて生きるなんて嫌なんだよ…生き様も死に様も自分で決めたい」

「はい…」

「でも、動けなくなったら、それまでの生き様を決められても、死に様までは決められない」

「………」

「それじゃ嫌なんだよ。点滴や色んな機械に繋がれて汚く生きるのは死ぬよりも辛い…それは俺にとって生きるって事じゃない」

「はいっ…」

「俺の望む死に様を、俺が最期まで俺らしく逝くこと、それが今の俺の願いなんだ」


 しっかりとした口調で言い切った近藤に溢れそうになる感情を必死に抑える

 そしてはもう一度近藤の言った言葉を頭の中で繰り返し、繰り返し再生する

 この人は相変わらずだ、出会った時からずっと変わらない

 本当に敵わないなと浅井は小さく笑みを浮かべて息を吐き出した


「…………」

「……ごめんな、真ちゃんには一番辛いことを頼んでるのは分かってる…でも、…いや、もし、無理なら帰ってもらってもいい」

「……っ!そんな!帰りません!!私は、貴方を見届けます!!」

「……真ちゃんがこんなに声を荒げるの、初めて見たよ」

「…あ、ご、ごめんなさい」

「いいんだ、俺は幸せもんだよ…俺の願いを君に見届けて貰える。それだけで充分幸せだ」

「…しっかりと見届けます」

「頼もしい限りだ…よろしく」

「はい!」


 迷いを吹っ切るように返事を返すと一瞬柔らかく微笑んで近藤の身体がぐらりと揺れる

 慌てて身体を支えると、近藤は小さく息を吐き出して自分の掌を見つめた


「……そろそろ、薬が効き始めたかな…」

「薬…?」

「此処に来る前、医者に薬を打ってもらったんだ、遅効性の安楽死できる薬」

「最初っから、死ぬ気で…」

「今日がタイムリミットなんだよ、治療して助かる為の」


 近藤は先程よりもぼんやりとした口調で呟き、椅子に深くもたれ掛かった

 苦しそうな様子はなく、とても穏やかな表情でもう一度ロケットを見つめていた


「……」

「今日まで悩んで決めた、伊佐とアイツ等との思い出が詰まったこの場所で俺も死ぬ…」

「後悔は…」

「もちろんない、ただ…」

「ただ?」

「真ちゃん…俺からの最期のお願い、胸ポケットに入ってる皆との集合写真…俺の宝物だから真ちゃんが持っててくれないかな」

「はい…しっかりと預かります」

「それと……俺が眠るまで手を握って思い出話してくれないかな」

「……貴方は本当に勝手な人ですね」

「悪いな」


 少し照れくさそうに差し出された手を取ると温かい手で強く握り締められた

 それでも昔よりは随分弱くなった力で

 衰えていく彼の命に直に触れているようで、たまらず浅井が両手で握り返すと近藤は少し驚いた表情を浮かべ浅井を見つめる

 崩れそうになる笑顔を辛うじて保って近藤を見つめ返すと、近藤は満足した顔でゆっくりと瞼を下ろした


「ありがとう…」

「……伊佐と水野君が結婚してからも、事ある毎に邪魔して、喧嘩して、止める私達の気になったことがありますか?」

「それに関してはいつも申し訳ないと思ってたよ」

「本当ですか?」

「本当だよ」

「伊佐は勝手に戦いに飛び込んで行くし…貴方達は本当に勝手な兄妹ですよ」

「最期の最後で恨み言聞くとは思わなかったな」


 無邪気に笑う近藤に反省しているのかと浅井は少し眉を寄せるがすぐに皺を解いて口角をあげる

 そして指を絡めるように繋ぎ直し、力強く握った


「私も最期の最後で文句を言うとは思っていませんでしたよ。でも…そんな勝手な貴方達が大好きでした。伊佐の何回も迷いながら、私達に八つ当たりしながら直向きに強さを求めた姿、近藤君の伊佐を思いやる優しさと厳しいながらも私達に強さを教えてくれる姿…幸せそうにいつも笑ってる…貴方達が、大好きでした…これからだって大好きです…」

「真ちゃん」


 途端に力強く握り締められた手に驚いて近藤を見ると、もう焦点の合わなくなった目で、それでも浅井をしっかりと見つめていた

 そして近藤が力を振り絞るように息を吸い込むと、もう一度強く手を握り締められる

 それは、昔に戻ったような力強さだった


「え…」

「このロケット、真ちゃんにあげる」

「近藤、君…?」

「真ちゃんは、伊佐だけじゃなくて俺のこともずっと気にかけてくれた…本当にありがとう」

「…………近藤、君」

「死に際は素直になれるもんだ……やっぱり俺………」


 久しぶりに近藤は本当に幸せそうな笑みを浮かべ、ゆっくりと瞼を下ろした

 ふっと握り締められる力が弱まる

 そして、ロケットが床に落ちる音が部屋に響き渡った


「近藤、君」


 返事はない

 少しだけお昼寝するような穏やかな表情

 揺らせば起きるのではないかと思うくらいに、生き生きとした笑顔を浮かべていた

 でも、握る手の力を強くしても握り返されることはなかった


「死に際に、ありがとう、なんて、言わないで……くださいよ」


 ごめんね、と言葉は返ってこない


「残される側の気持ちを知ってるくせに…本当に勝手な人ですね…」


 得意げな笑顔も返ってこない


「幸せそうに眠って…今にも起きそうな顔で死なないでくださいよ……」


 寝てると思った?という意地悪な言葉も返ってこない


「涙、出ちゃうじゃないですか…っ!」


 浅井は床に落ちたロケットをそっと手にとった

 留め具を外してロケットを開けると何かがこぼれ落ち、慌てて拾い上げるとそれは椿の赤い花弁と白い花弁だった

 昔、浅井が近藤にあげた赤い椿の押し花。白い方は近藤があとからロケットに仕舞ったのだろう

そっとそれをロケットに戻そうとした時、ロケットに入っていた写真に目を疑った


「これ、私……」


 集合写真の焼き増ししたものを切り取ったのだろう、愉しそうに笑う自分がそこに居た

 その下には「きみは今、白椿なの」と近藤らしい達筆な字で書かれてあり、途中で「白」を付け足したのだろう「白」という字だけ不自然に小さかった


『真ちゃんは花言葉って興味ある?』


 そう、近藤の声が聞こえた気がした

 ハッとして近藤を見ると変わらず穏やかな笑みをたたえて眠っていた

 白椿の花言葉、それを思い出した瞬間、熱い涙が頬を伝い、本当に勝手な人だ、と浅井は近藤の手を強く握り締める

 最期くらい、こんなキザなことしないでしっかりと伝えて欲しかった、そう思うと近藤に少し腹が立ち涙の量が増す


「近藤くんっ…!」


 もっともっと、生きて欲しかった、傍にいて欲しかった

 伝えきれなかった思いが、声にならない叫びとなって静かな森へと溶けていった

















「……ん……ゃん……し…ゃん」

「……………ん」


 ゆらゆらと身体が揺れる

 ゆるりと瞼を上げると何かがこちらを見ていた


「な、に…?」

「真ちゃん、大丈夫?」


 聞こえた声にハッとして身体を起こす

 ぼやける目を擦って相手を見るとそれは先程死んだはずの近藤一だった


「こ、近藤君?!!!!」

「お、俺だよ?」

「え?嘘?え…?え?!」


 慌てて起き上がると辺りを見回す

 皆でご飯を食べたテーブルは埃も何も被っておらず、花瓶には花が生けてあった

 先程起きたことは何だったのか、浅井が頬を抓ろうとすると指先が濡れる

 何かと思ってそれを拭うと、透明な液体が手についた


「私、泣いていたの?」

「泣いていたよ、だからどうしたのかなって起こしたんだけど…大丈夫?」

「起こした…私寝てた…?」

「うん、寝てたよ」


 理解の追いつかない頭をフル稼働させて何が起こったかを考える

 あれは夢だったのか、それにしてはやけにリアルな夢だった

 頬を抓ると確かに痛いのだから、こちらが現実なのだろう

 でも、あれが夢なら確かに感じた近藤の温かみや机の感触は何だったのか


「嫌な夢でも見てた?」

「ううん、嫌ではなかったけど…とても寂しい夢を見てた…」

「寂しい?」

「皆戦いで死んでしまって、残ったのは私と近藤君だけで…近藤君も病気で死んじゃって…」

「………夢の中の俺はどんな風に死んでた?」

「貴方らしい、死に様でした…」

「そっか」


 そう言って小さく微笑んだ近藤はそっと浅井の頬に手を添え、親指で目尻に溜まった涙を拭う

 それから頭を軽く数回撫でる近藤に浅井は数回瞬きする


「この戦いで、どれだけのものが失われるか分からない」

「はい…」

「でも俺達は、俺は真ちゃんを置いて死んだりしないよ」

「…………」

「夢の中だったけど、俺が寂しい思いをさせてごめんね」


 そう言ってまた優しく頭を撫でるから、涙管から涙が零れてくるのを分かっていないのだろうか

 再び泣き出した浅井を困ったような、でも優しい顔で見つめる近藤

 きっと泣き止むまで頭を撫でて、傍に居てくれるのだろう


「…やっぱり、近藤君は素敵ですね」


 そう言うと近藤では珍しくきょとんとした表情を浮かべ、次いで照れくさそうに頬をかいた

 そして何か小さく呟いたあと、浅井の頭をくしゃくしゃと撫で回す

 何を言ったのだろうと首を傾げる浅井に頭を気にすんな、と頭を軽く叩いて笑う近藤

 その笑顔が先程見た近藤の笑顔とリンクする

 

どうかその笑顔がずっと見られますように、そう祈るように浅井はゆっくりと目を閉じた









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ