千依と竜也3
「え、えっと、その、タツ。シュンさんのことって一体…」
「んー、弥生と付き合ってるの宣言したからその件じゃない?」
「あ、そうなん……え!?や、や、弥生ちゃんって、やよ、弥生ちゃんって…!」
「…おおう、分かりやすく混乱してんな。今千依が想像した弥生で正解だよ」
休憩室に入って早々に知った事実に私はさっそく固まっていた。
シュンさんと仲が良い千歳くんは知っていたらしく、パートナーのタツももちろん知っていたらしく、どうやら知らなかったのは私だけらしい。
弥生ちゃん。
私達の事務所の後輩で、ぼたんと同じく例のAオーディションから芸能界入りしたシンガーソングライター。ぼたんの影に隠れがちではあったけれど着実に売り上げを伸ばしてきている彼女は、一昨年ようやく芸音祭に出場した。
今もコンスタントにライブを行っているし、私たちともたまにご飯を食べに行ったりする子だ。
それだけ親しい人達の恋愛事情に私は全く気付けなかった。
どうやら真夏ちゃんの時には少し反応した恋愛センサーも今回は働かなかったらしい。
「ほら、最近誤報とはいえ弥生が週刊誌で撮られたばかりだろ。おまけに俺達の方もこういう状態だからタイミングが悪くてな。事実確認と今後どうするか話すんだと思うよ」
「そ、そうなんだ…なんか悪いことしちゃったな」
「シュンが気にすんなって言ってた。もともと時間置くつもりだとも言ってたし、写真ももう出ちゃったものは出ちゃったんだから、俺達は俺達でちゃんと対応しような」
「う、はい」
タツが落ち着いた様子でそう諭してくれる。
タツといると、こんな時とてもホッとできるんだ。
自分の意志があんまり強くない私にはきっとタツみたくしっかりリードしてくれる人が合っているんだと思う。流されるのは良くないという人もいるけれど、きっとこういう形もあるのだと最近は思えるようになった。
それにシュンさんのことは私よりもタツの方が詳しい。
千歳くんだってついている。
それなら、私にできるのはきっと心から応援して見守るくらいだ。
だからタツに私も笑いながら頷き返した。
そうすると、その話はここまでとばかりにタツがぐいっと私に顔を近づけてニヤリと笑う。
あ、やばい。
そう思った時にはすでに遅い。
手を掴まれたと思えば、あっという間にその腕の中だ。
いつも何をやっても恋愛事はタツの方がうんと上手で、私は彼に翻弄されっぱなしで。
何年経ってもいまだに彼に触れあうこの距離は、ドキドキしてしまって心臓に悪い。
「それにしても、千依も逃げなくなったよな。えらいえらい」
「…ドキドキするのは治らないよ」
「それは治られたら困るから良いの。一生ドキドキしててよ」
「う…私は、ホッとする気持ちが大きくなって欲しいのに。ドキドキばかり強くて悔しい」
「……うん、本当可愛いな千依は。まったくこんな悪い大人に捕まっちゃって」
「へ?」
「何でもない。幸せだなって思っただけだよ」
ギュッと音が鳴りそうなくらい強く抱きしめられて、その後知らない間に膝の上。
タツは私を膝に乗せるのが好きみたいで、よく私を横抱きの状態にして抱きしめてくる。
時に強く、時にゆるく。
そろそろと私の方からもタツの背中に手を回してみるけれど、やっぱり照れくさくて本当に少しだけしか力を込められない。
本当は私もギュッと抱きついてタツの感触を強く感じたいのに。
…そんな変態みたいな考えを知られたらきっとタツに引かれてしまうから、言えないけれど。
「あー…、にしても千歳は一体どこまでシスコンなんだよ。だいたいあいつ真っ先に結婚しといて、何で俺達の関係についてはあんなに目光らせるんだか」
「でも千歳くんいつも私達のこと考えてくれてるよ?それに千歳くん最近本当に幸せそうで私は嬉しいの、真夏ちゃんには何回感謝しても足りないくらい」
「あー…、千依も千依で千歳大好きだしな。分かってたこととは言え、心中複雑。一度はまると執念深くなる俺も悪いんだけどさ」
「執念…?」
「千依にぞっこんってことですよ」
「ぞ、ぞっこ…っ!?」
ああ、本当に悔しい。
私はいつも本当にタツに翻弄されっぱなしで、タツはいつだって余裕で、面白くないと思ってしまう。
にやりと笑って私に直球の言葉をぶつけてからかうタツに、私だって仕返ししたいのに。
告白されたあの時くらいしか、タツは動揺してくれない。
私は毎回動揺しているけれど。
でも、そんなタツも大好きだから仕方ないんだ。
惚れた弱みという言葉を何度か見たことがあるけれど、私はまさにそれで。
他の人には見せない少し無邪気で意地悪なタツを見ると、悔しさと一緒に嬉しくなってしまう。
だから完全敗北してしまう、今日も。
「なあ、千依」
タツに名前を呼ばれてその顔を見上げる私。
「はい」と返事をすると、至近距離だからか目がゆるりと少しだけ細くなったのが分かった。
ドキドキは止まらないけれど、この距離感でもジッとしていられるようになったのは私の中での大きな進歩のつもり。
「結婚、しよっか」
そうして告げられた言葉に、ぽかんと間抜けな顔を晒してしまった。
まさか今、その言葉を告げられるとは思っていなかったから。
確かにタツはもう30代で、周りには結婚した人が大勢いて、考えない歳じゃない。
付き合い始めてもう7年も経つし、私だって20代後半になった。
同い年の兄はすでに結婚し、その相手はひとつ年下の親友で。
けれど、どうにも私は一気にたくさんの変化を受け入れられる人間じゃないみたいで、相変わらず仕事に精一杯な時には他のことまで気が回らない。
奏が10周年を越えた時には記念ツアーで頭がいっぱいで、今だって交際が明るみにでたことにばかり気が向いていた。
結婚、したくないわけじゃない。
するならタツとしか考えられないし、ずっとそばにいたいと思う。
けれど頭の中から抜け落ちていたその言葉が現実となると、どう反応すればいいのか分からなくて。
結果固まった私。
タツは気にした様子も見せず、むしろふはっと笑って私の頭を撫でた。
「別に今すぐって意味じゃないよ。まだ千依が結婚ってことを考えもしてなくて、仕事に精一杯っていうんならタイミングは先なんだと思う。それで良いと思うんだよ、俺は」
「あ、た、タツ。あのね、私嫌じゃなくて」
「うん、知ってる。千依の気持ちはちゃんと届いてる。だからその気持ちがあるなら時期なんて本当いつでも良いんだ、俺は。周りとか世間の目とかあんまり気にならないタチでね。けどさ、俺の気持ちとしては確約が欲しいなって最近すごく思ってしまってね」
「確約?」
「そう、確約。千依とこの先もずっと一緒にいられる様に、それを形にしたい。…重い?」
「重くなんて…っ!」
「…ん」
穏やかにあくまでも落ちついた声でタツは想いを伝えてくれる。
けれどその目の熱量がどれほどのものかくらい、私にだって分かる。
こうしてタツは押し付けることなく、我慢もし過ぎず私に接してくれる。
だから、私も素直に言えた。
「あのね、タツ。私、タツ以外は嫌だよ。こんな私のこと好きだって言って女の子扱いしてくれる人いない。それに、こんなに私を救ってくれた人はいないから」
「んー…、千依が今フリーだったら逆ハーレム築けると思うんだけど」
「そ、そんなことない!それに、私はタツだけ!こんなに好きだって思って、傍にいたいって思って、素の私も許してくれる人なんてこの先絶対現れないもん」
「…本当千依の不意打ちは心臓に悪い、やばい」
「へ?」
「いや、こっちの話。それで?」
「え、えっと…タツと結婚は、したい。けれど、もう少し時間を下さい。ちゃんと結婚に目が向けられるようになるまで。100%の気持ちでタツのお嫁さんになりたいの」
自分で言っていて、すごく恥ずかしい。
けれど、ちゃんと言わなければいけないことだと思う。
タツへの想いが足りないわけじゃないってこと。
ただ、私自身の気持ちの整理と色んな覚悟の問題なんだ。
急かされてとか、周りがそうだから、とかじゃなく、家族になりたいからで結婚したい。
我儘なのは分かっている。
けれど、タツにはいつだって正直な自分でいたい。
「うん、良いよそれで。その言葉が聞けただけで満足」
タツは満足そうに笑ってくれる。
大人っぽくて、少し色気があって、そして慈愛に満ちた目だ。
私はタツのこんな顔が大好きだ。
「それじゃあさ、婚約ってことでどう?ちょうど中間だと思うんだけど。結婚日の決まってない婚約」
そんなタツの言葉に反対なんて出るはずもなかった。




