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ぼたん  作者: 雪見桜
本編
8/88

7.気合


気合たっぷりで家に帰って、部屋に籠もる私。

何年か前に買ってもらった電子ピアノの前でひたすら音符を探す。

一度集中しだすと他が見えなくなるのはいつものこと。

結局集中が切れたのは、そろそろ日付が変わるかという時だった。



「うへえ、ただいまー、ちー」


「千歳くん?お帰りなさい、今日もお疲れ様」


「うん、頑張った」



なだれ込むように足をもつれさせて部屋に入ってくる千歳くん。

そこでやっと時間が随分経ったことに気付いたんだ。



「ちょっと待ってね、お茶淹れるから」


「いーよ、大丈夫」


「駄目だよー、喉大事にしなくちゃ」


「…ん、ありがと」



ガバッと私に抱きつく千歳くんをベッドに連れて行って、ポイッと体を横たえさせる。

そうして、近くに置いてあった緑茶のティーパックを広げて、ケトルのお湯を注いだ。

本当はちゃんと急須から淹れたお茶にするのが良いんだろうけれど、ついつい楽な方になってしまう。


それでも千歳くんは「ありがとー」とか「おいしー」とか言って喜んでくれる。

本当に素晴らしいお兄ちゃんだ。



「なんかちー、今日ご機嫌だね」


「うん、そうなの」


「お、珍しいね肯定するの。何かあった?」


「えへへ、秘密」


「えー?」



私の小さな変化にいつも気付いてくれる千歳くんが楽しそうに聞いてくる。

けれど、何だか勿体なくて言えなかった。

今でも幻だったんじゃないかって思う。

だから、ご機嫌なまま誤魔化すと千歳くんも笑ったまま誤魔化されてくれた。




「あのね、私頑張るの。歌も曲作りも、学校も。頑張るよ」



今日すごく強く思ったことを告げる私。

こんなこと千歳くんくらいにしか言えない。

けれどいつか、ちゃんと他の人にも言えるようになりたい。

それくらい強くなりたい。


今日の私はとても前向きだ。

やっぱりリュウの効果は強いなあなんて思う。



「ちーがそう思えるなら俺も嬉しい。無理しすぎず頑張れ、俺も頑張る」


「うん、ありがとう千歳くん」


「でも、ちーは今のままでも十分頑張ってるからな。俺は今のちーも大好きだし」


「ふふ、私も千歳くん大好き」


「…ん、ありがとう」




そうして、夜は更けていった。







「ねえ、もえ。昨日のミュージックガイドみた!?チトセ出てたー」


「あー、ハイハイ。けど、見て思ったんだけどチトセ歌上手くなったね。ちょっとびっくり」


「だよね!あー、本当、チトセ見るたび好きになるわー」





学校に行くと、今日も山岸さんと山崎さんが千歳くんの話をしていた。

昨日千歳くんは生放送が売りの音楽番組に出ていたのだ。

新曲披露…ではなくて、他のアーティストさんとのコラボ企画に参加する目的で。


もちろん新曲前の売り出しでもあるけれど。

私は、録画して今朝お父さんお母さんと一緒に観た。

いつも一緒にいるから当然知っていたけれど、千歳くんの歌は山崎さんの言うとおりどんどん上達している。


「声量と勢いだけ」とプロの先生から辛辣な評価をされていたのに、最近はその先生もどこか一目置いている気がする。表現力は、経験値を重ねれば重ねるほど増しているのが分かる。


さすがだなあ、だなんて思っていた。

だから、ファンでいてくれる山岸さんや、客観的に見てくれる山崎さんのそんな意見は本当に嬉しい。



千歳くんはいつも私の前に立って、私をぐいぐいと引っ張ってくれる。

その成長の具合を私にこれでもかってくらい示してくれる。

そんな姿を見て、やっぱり音楽馬鹿な私は内心穏やかじゃいられなくなる。


千歳くんにだって、負けないよって、そう負けず嫌いな自分が顔を出す。



私が出来ることよりうんと千歳くんが出来ることの方が多い。

けれど、仕事に関してだけはちゃんと競り合える私でいたい。

じゃなきゃ奏の看板を背負う資格なんてないから。

それくらい大事な場所だから。




「あー、新曲楽しみだなあ。奏の曲はハズレほとんどないんだよー」


「でも奏の曲って独特だよね、コンビニとかで流れててもすぐ分かるし」


「そうなんだよ!しかもチトセにぴったりでさあ!相方が天才なの、きっと。どんな人なのかなあ」





…ここにいますなんて言ったところで信じてくれないと思う。

けれど心臓がバクバクする。

それでも、とても嬉しい。


私は間違えても天才ではないけれど、そうやって曲を思い出してくれるだけでもすごく嬉しい。





「…ま」


「頑張ろう。頑張る」


「中島?」


「よし、ってうわああ」


「え、ご、ごめん」



ひとりで気合を入れていると、いつの間にやら目の前に人がいてびっくりした。

話しかけられることなんてそんなにないから、腰を抜かしてしまう。



「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」


「いや大丈夫。てかこっちもごめんな?」


「いやいや!そんなことはないです!」




つい声を張り上げてしまったらしく、周りの人達が何事かとこっちを向く。

…ああ、もう私の馬鹿。


理想と現実の違いを実感してしまう。

なにひとつスマートにできない自分がやっぱり情けない。



「これ、さっきの教室に忘れてたぞ?」


「え」


「音楽のノート…五線譜って言うんだっけ」


「あ、あああ!ごめんなさい、ありがとう!」


「いやいや、そんな畏まらなくて大丈夫だって」



しまいには、何よりも大事な日記を忘れる始末。

本当情けない。

そう思いながら、ノートを届けてくれた人に精一杯のお礼を言う。


確か、宮下くん。

スポーツ神経万能、明るくて気さくな人気者だったはず。

イケメンさんは、何をやってもイケメンさんだ。

そんなことを思う。


いや、でもこのクラスの人達は基本的にみんな中身イケメンだ。

だって、私は学校が苦手なのに、このクラスの居心地は悪くない気がするんだ。


本当に、良いクラスに入れたなあ。

感動していると、宮下くんがふっと笑う。



「…すごいな、素なのか」


「え、え?」


「いや、何でもない。それじゃ」




何だかよく分からない反応をされて、どう反応すればいいのかも分からないまま宮下くんが去っていく。

な、なにか気に障ることでもしてしまっただろうか。

神経質にそんなことを思ってしまう私。

けれど宮下くんの機嫌はそんなに悪そうに見えなかったから、大丈夫だと信じる。




「おーい、中島。お前ちょっと職員室」




その矢先、担任の矢崎先生に呼ばれた。

私は席を立つ。


前を歩く矢崎先生の顔が冴えない。

それだけで何を言われるのか想像がついてしまって、小さくため息をついた。







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