表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼたん  作者: 雪見桜
番外編
76/88

萌の事情1


「おーい、お前らちょっと良いか?」



始まりはそんな大塚さんの言葉だった。

千歳くんと私はちょうど次のイベントの打ち合わせがひと段落した時で、2人そろってマグカップ片手に首を傾げる。


ちなみにアイアイさんは今日別件のメイクの仕事が入っているらしく、不在だった。

今日はマネージャーさんが大忙しになるようなイベントや番組出演の仕事がないから、1人でも回せるらしい。そういう時はどちらかが別の仕事に回ることもあった。


と、そんな事情はさておき。

大塚さんが目の前まで来て、その腕に抱えた何やら分厚い紙の束を近くのテーブルにどさりと置く。




「“あの空は泣いた”?ああ、これ今話題の」



束の一番上に書かれていた文字を追って千歳くんがそんなことを言った。

一緒に私も覗きこむと、そこには見覚えのある絵柄と一緒に聞き覚えのあるタイトル。




「天才作曲家の男の子とそのクラスメイトの恋愛漫画だよね?」


「やっぱり有名なのか、コレ。漫画とかアニメには疎いんだよな…千依まで知ってるとはよっぽどだな」


「何言ってんの、大塚さん。ちーの漫画アニメ知識は俺より上だよ?」


「は?そうなのか?千依、お前音楽以外にも趣味あったんだな」


「え、えっと…、私じゃなくて、萌ちゃんが…なんだけど」


「萌…?…ああ、お前の友達か」


「うん。萌ちゃんジャンル問わず物語が好きみたいで、小説から漫画、ゲームまですごく詳しいの。話聞いているうちに私もちょっと詳しくなったんだ」



大塚さんに緩んだ表情で答えた。

人と深く関わっていくうちに趣味や価値観も影響されていくと聞いてはいたけど、本当のことみたいだ。

今まで全く関わってこなかったジャンルに、こうして友人を介して詳しくなった。

なんだかくすぐったくて嬉しくて、思わずにやけてしまう。



萌ちゃんが本好きなのはもともと知っていた。

仲良くなる前からよく本を持ち歩いているのを見ていたし、図書室によく通っていたのも知っていたから。けれど、まさかここまで広範囲で深く知識を持っているとは思わなかった。


今は受験シーズンに入ってしまいほとんど会えていないけれど、学校に毎日通っていた時期に少し時間が空くと萌ちゃんは今読んでいる本の話を聞かせてくれた。

それは時に童話だったり、ミステリーだったり、漫画だったりと様々な方面に飛んではいるけど、どれも興味深く面白い。

萌ちゃんは頭で整理して人に伝えることが上手な人だから、密かに萌ちゃんのそんな話を聞くのが私は好きだった。そして時に私が興味を持って反応したりすると本を貸してくれる。

そんな時間を繰り返す間に、人よりほんの少し詳しくなった。



『あの空は泣いた』

その少女漫画もまたそうやって知った本のひとつだ。


私の職業を知る萌ちゃんが、こんな漫画があるんだよと話してくれたのを覚えている。

作曲家というワードに案の定反応した私は、萌ちゃんが貸してくれた漫画を何度も読んだ。

主軸は作曲家じゃなく、孤高の天才である少年と愛情深い少女の恋愛。

だから音楽についての専門的なことはほとんど書かれていなかったし、ちょっと現実と合わないところもありはしたけれど、それでもじわじわと恋愛モードになる2人の心情にきゅんきゅんし、全体的に温かくてほんわりとするその漫画に涙線を刺激された。


特に涙線が弱い私は、不器用だけど優しくて可愛い男の子の成長を見つけるたびに号泣してしまった。

うっかり寝る前に泣きはらして翌日目が開かなかったこともあるくらいだ。

後で聞いたところによると、泣ける漫画5選なんていうものに選ばれたこともある有名な恋愛漫画なんだとか。


物語を思い返していると、何故だか困った表情の大塚さんが言葉を繋ぐ。





「ソレ、今度アニメ化するらしいんだけど。その主題歌や挿入歌やキャスト候補にお前らの名前が挙がっててよ」


「は?キャスト…?それってまさか」


「そう、声だけだが演技。お前ら、出来るか…?」


「………演、技」


「だよな、千依には相当高いハードルだよな。まだ本業すら怪しいってのに」


「というか俺も自信ないんだけど。歌の方はともかく演技って」





そうして告げられた突然の話に私達は固まってしまった。

主題歌や挿入歌に関しては嬉しいし、やってみたいとも思う。

けれど、演技となるとどうにも不安ばかり残るのは事実だった。


そういえば、あの話には主人公の男の子と契約している男女デュオが出てきていたっけと思い返す。

出番が多いわけではないけれど、主要な場所で出てきて2人の背を押す2人組。

確かグループ名はオリオン。20代前半の夫婦で、主人公の男の子にとって兄姉のような存在。

そして作曲の力と本人たちの息の合った歌声で世界的なアーティストにまで上り詰めた。



…確かに、私達は一応プロとして音楽を作っているし男女のユニットではある。

けれど、それとこれとは別な話なわけで。




「ずいぶんあちらさんも熱心でよ、“オリオンの存在感を出すにはプロに頼むしかない!”ってウチまで直談判しに来たんだけど」


「他にも男女のプロなら……あまりいないね確かに」


「おう。お前らは年齢しかり話題性しかり実績しかり適任だと熱弁してたぞ。ダメもとで来たという割にギャラの話まで細かくしてきたあたり、引きずり込む気満々だな」


「うげ、流石に演技とか畑違いすぎて俺も厳しいって」


「だよなあ、いくらお前器用つったって無理だよな」




大塚さんが大きくため息をつきながら「どうやって断るか」とぶつぶつ言っている。

若手の内に経験を積めるだけ積めとの方針で、活動が本格化してからは極力仕事を受けるようにしている私達。

それでもさすがに本人たちの技量や分野を大きく逸脱してしまったものは受けられないわけで。

そんな誘いを角が立たない様断ってくれるのは大塚さんの仕事だ。

長年の経験があっても今回の場合はあまりに熱心すぎてどうすれば良いのか分からない様子だった。




「邪魔するよ、おや休憩中かな」



そんな時、部屋に通った声が響く。

聞き覚えのある声に3人揃って振り向けば、そこにいたのは社長だった。


普段なら普通に返事をして軽く頭を下げたりするものだけれど、今回ばかりは返事もできない。

それは、社長が1人でやってきたわけではなかったから。



「げっ」



近くで小さく大塚さんがげんなりした様子で声を吐く。

普段あまり見ないその様子に首を傾げて「どうしたの?」と聞こうとした私。

けれど、数人入って来たそのお客さんの中の1人を見て、ピキッと音を立てて固まった。



「こんにちは。社長、お客さんですか?」



私達の中で一番冷静だった千歳くんが瞬時にチトセ仕様になって応対している。

私の視線は変わらぬまま。

一方その対象も驚きに見開かれた目のまま固まっていた。



「ああ。そこにあるアニメの制作監督さんと原作者さん、あと出演する声優さんだよ」



監督の方は私の知り合いでねだなんて社長さんが笑う。

「まじかよ」とこれまた小さく頭を抱えて言う大塚さん。

一瞬顔をしかめた千歳くん。

相変わらず石のままの私。


その反応を見て何か思う所があったのか、声を上げたのは監督さんの方だった。

色白で華奢で黒い眼鏡が良く似合うような若い人だ。

けれどそんな見た目からは想像がつかないほど、熱のこもった目で私達を見つめている。



「先日は急な話を持ちだしてしまい申し訳ありませんでした。いやあ、癖でついつい突っ走ってしまって」


「ああ、いえ。こちらこそご期待に沿えず」



少し時間が経って冷静になったらしい大塚さんが千歳くんと交代して応対する。

その言葉に優しく微笑むと、監督さんは沸騰しそうなほどの熱い声で言葉を繋いだ。




「あの後、少々考えてみたんですが、やはり私は奏しかいないと思うんですよ」



目が光りそうな勢いの監督さんがジリジリとこちらに距離を詰めてくる。

そのあまりの熱意にこっちが少したじろぎそうになるほど。

監督さんの後ろの方で原作者さんも何だか若干引き気味に見えるのは気のせいだろうか。



「す、すみません。とても嬉しい話ですが、俺達演技の方は…」



珍しく千歳くんまで押され気味で少し声を引きつらせながら声を発している。

しかし監督さんはその言葉を待っていたとばかりに、ガッと千歳くんの肩を掴んだ。




「そこで策を考えてきたのです!」


「さ、策…?」


「ええ、貴方がたの過去の演奏を見せていただき、違和感のない声が出せる声優を呼んできました」


「…はい?」


「ですから主題歌と挿入歌をお願いしたいのです!」




そうして監督さんがバッと手を広げて、後ろにいる若い男女の組に視線を向ける。

満面の笑みで視線を向けられたその人達も若干引きつり気味だ。


けれど、私にとってそことは全く別の意味で心臓がバクバクと最大音量を鳴らした。

紹介された2人のうちの男性の方を見て、そこでようやく私は声を発する。




「……宮下、くん?」



とても小さな声だったと思う。

けれど、呼ばれた先の彼はちゃんと拾ってくれたらしく困惑気味に返事をくれた。




「お前、やっぱり中島…か?」



そう、そこにいたのは私の見知った人。

クラスメイトの1人で、大事な親友の恋人だった。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ