シュンの事情4
最近デビューを果たした5人組のアイドルグループ・フォレスト。
テレビや芸能人に疎い自分ですら知っている程度には人気のあるグループだ。
街の大画面にそのPVが流れている。
そうするとその前を歩く人達が1人、また1人と画面の前で止まる。
ジッと見つめてはその音を必死に追っているのが遠目でも分かる。
アイドルは別に音楽の腕が求められるわけじゃない。
クラシックの世界で技術を磨き続けていた自分にとっては正直、お世辞にも彼等に音楽性があるとは思えなかった。
歌も、たまに弾くギターも、趣味の域を抜けないという印象が強い。
しかしそれでも、人々は足を止める。
その音に魅入られ、顔を輝かせ、無意識に口ずさむ人までいる。
そう、音楽は技術じゃない。
技術なんてなくとも評価される音というものはあるのだ。
そんなことを僕はその時になって初めて知った。
何気なくテレビで見れば、彼等は魂の叫びのように声を発する。
それに応えるのは同じく熱狂したファン達で。
その熱も、一体感も、僕には一切ないものだ。
このアイドル達は、そういう一番大事な所をちゃんと理解している。
それを察した時の自分の、あの感情は未だに忘れられない。
あんなに僕は音楽と言うものを嫌っていたはずなのに。
早く逃げ出したいとずっと願っていた世界なのに。
フォレストの音楽を聴いた瞬間に僕が思ったのは。
悔しい。
そんな、未練だらけの感情だった。
今思えば、そこから僕の人生はまた動き出したのだろう。
一度弾きだされて、距離を置いて、そうしてようやく理解できたのだと思う。
「おう、シュン。なんだ、どうした」
「…ケンさん、ピアノ。弾いても良いか」
「あ?良いけど、どうした突然」
「…別に」
能動的にピアノに足が向いたのは本当に久しぶりのことだった。
相変わらず僕のピアノはつまらない音しか紡いでくれない。
技術はこっちの方が上なのに、少しも彼等に敵わないと感じる自分がいる。
それがさらに悔しいと思う。
小さな棘はずっと僕の中でくすぶり続け、どこかで残っていたらしい。
そんな僕を遠目で見ていたケンさんがどう思ったのか分からない。
しかし、そこから1年ほど経った頃に呼び出しを受け、そしてそこで僕はタツと出会う。
そう、あのフォレストの中で輝きを振りまいていたリュウだ。
「嫌々でも苦しくてもあんな音が出せるんだ、お前はとんでもない才能持ちだよ」
タツはそう言って笑ってみせた。
あんなつまらない音しか出せない僕のピアノを聴いて。
あれだけ人を惹きつける音を出せるその張本人が。
僕には不思議で仕方なかった。
あの光の中心にいた男がそこから弾き出されて苦労していないわけがない。
それなのに変わらず楽しそうに音を紡げるタツが。
そして、自分には才能がないと苦しみながらも僕のことを天才だと評価するタツのその姿勢が。
しかし、その理由を聞いても「音楽馬鹿なんじゃない?」とさらりと言ってのけるタツ。
辛いと言いながらギターを抱え続けることをタツは辞めない。
そうしてひたすら夢中になって音を追い続けるその姿に衝撃を受けた。
僕とは対極にいる男。
僕に分からないことをちゃんと理解していて、そして逃げずに夢を追い続けられる男。
タツがギターを抱えて音を鳴せば、心の奥の方がむずがゆくなった。
僕だってという気持ちにさせられる。
巻き込まれるように、ピアノに手が伸びそうになる。
そうしてハッとさせられる。
そんな僕を見てタツは何を思ったのか分からない。
もしかしたら、散々逃げ続けたピアノの世界に身勝手な未練が残っていた事を直感的に悟っていたのかもしれない。
「俺と組まないか?」
その誘いはタツの方からだった。
僕は今でも、深く感謝している。
こんな全てにおいて中途半端な僕に、そう言って手を差し伸べてくれたこと。
そうやって僕を苦しみの中から引っ張り出して、一緒に答えを探してくれたこと。
本人は無意識なのかもしれない。
しかし他者をも巻き込んで音の楽しさを伝えてくれるタツの傍はひどく呼吸がしやすかった。
技術とか論理とか、そんなことじゃなく思うがままに音楽をするということを彼は教えてくれた。
音を聴いて、それを自分がどう感じとるのか。
自分の心をどうやって音に表すのか。
ガチガチの理論だらけな僕の脳を壊すかのように、タツは感じるままの滅茶苦茶な音を生みだす。
常識も理論も蹴飛ばして、自分が紡ぎたいと思う音を選ぶ。
そうして、彼はいつだって自分だけの音を拾い上げていった。
確かに技術はまだまだ足りない。
音楽に関する何らかの才能もあるわけじゃない。
けれど、タツの音には心がある。
僕には見い出せなかった音がちゃんとタツの中にある。
目には見えないモノ。
人が心揺さぶられるような、そんなもの。
ずっと自分に分からなかったものが、そこでやっと分かる気がした。
自分なりの紡ぎたいと思える音に出会えた気がしたのだ。
…やってみたい。
このタツがもつ音を、もっと広げてみたい。
そう思えるようになったのはいつのことだったか。
まさかもう一度自分から音楽を始めようと思う日が来るなどとは思わなかった。
息苦しさではなく、充実を感じられる日が来るとも思わなかったのだ。
ああ、音楽というのはこんなに楽しいものだったのか。
タツといるとそんな風に思える。
毎日が新しい発見の連続で、自分達の手で何かを生みだすということの快感を知っていく。
そうだ、僕はだからピアノを始めたんだ。
そんなその時まですっかり忘れていた事を、タツは思い出させてくれた。
嫌いだったピアノに対する愛着がやっと湧いてくる。
忘れていたはずの音楽に対する楽しみが蘇ってくる。
それは、僕が長い間陥っていた苦しみから完全に抜け出せた瞬間でもあった。
「それにしても、私達はタツくんとケンさんには本当感謝しなければいけないな」
長い回想をしていた僕はその言葉でハッと我に返る。
顔を見上げれば、苦笑しながら僕を見つめる父がいた。
父の言葉に皆が頷いている。
僕がもう一度、今度は芸能界を目指して音楽を始めたいと告げた時、母は泣き崩れた。
話を聞きつけた父も「そうか、そうか。良かった」と何度も何度も言っていた。
兄も姉も嬉しそうに肩を叩いてくれたのだ。
僕の我儘で振り回し続けた家族は、それ以来ずっと僕を応援し続けてくれている。
僕がこうして過去を受け入れられるようになったのは、そんな家族のおかげも多大にある。
なくすものなどなかった。
僕が恐れず手を伸ばせば、ちゃんとそこに求めるものはあったのだ。
それを気付くのが遅れたことが、今僕の中にある唯一の後悔だ。
「2人だけじゃない、由希さんや、友達。あと、チエにも」
昔を思い出していたからだろうか、珍しく自分からそんなことを言っていた。
家族は4人揃ってきょとんとしている。
「チエ?誰だ?恋人か」
「え、しゅ、駿ちゃん、彼女いるの!?は、初耳…!」
反応が早かったのは、兄と姉だった。
それに続く様に父が「そうなのか?」と聞いてきて、母は「あらまあ」と言っている。
…こんな早とちりする人達だということも僕は知らなかった。
僕は人付き合いがとことん下手だったのだと、今さら反省する。
「…違う。チエはタツの恋人」
つい最近なりたてのという言葉は言う必要もないだろうから言わない。
僕がタツに大きく救われたように、チエもまたタツに大きく救われた。
挫けた理由は違えど救われた理由は同じで、だから僕はチエにかなり親近感を抱いている。
僕以上に危なっかしい彼女を心配するうちに、いつしか妹のような感情を勝手に抱いてしまった。
そんな僕に気付いて共にチエを守ろうと声をかけてきた千歳とは予想外に親交が深まっている。
意外な絆の広がり方に一番驚いているのは僕自身だ。
しかし、チエはそんな危うさを持ちながらもタツのことを拾い上げてくれた。
僕が知って欲しいと思っていたタツの凄さを僕以上に理解し、励まし、タツを引っ張り上げた。
本人にそのつもりはないだろうが、それでも彼女はそのずば抜けた才能と情熱で、タツを救ってくれたのだ。僕では救えなかったタツの心を、しっかりと。
チエの存在がなければ、タツがああして自信をつけることはなかっただろう。
彼女のおかげで、ぼたんがデビューできたとも言える。
僕達2人の大事な恩人だ。
こうして考えると、僕は本当に多くの人に引っ張り上げられたのだと思う。
取り囲む人々に恵まれ、だからこそこうして答えを見つけられた。
「…僕も、ちゃんと言ってなかった。こうしてここまで来れたのは、皆のおかげだ。本当にありがとう」
これからは、ちゃんと返せるような人間になれるだろうか。
言葉だけじゃなく、音楽で。
今度こそ、自分が紡いだ気持ちで。
…返せるようになりたい。
何年も経って、僕は今心からそう思えるようになった。
僕の言葉に、涙を滲ませる家族。
それだけの苦労をかけてきた分だけ、何かを返せる自分になりたい。
中途半端な自分はもうやめて、納得いくまで自分の足で。
僕はそう決意を新たにした。




