シュンの事情3
「駿、来たか。座りなさい、今日はお前のお祝いだ」
「駿、ちゃんとご飯食べてる?また痩せたんじゃない?」
兄、姉に連れられホテル内にあるレストランの個室に入ると両親にそろって出迎えられた。
この2人は変わらない。
音楽という生きがいを持っているからか、常に人前に立つ仕事をしているからか年齢よりずっと若く見える。
「それでは、駿のデビューを祝して」
「乾杯」
「おめでとう、駿。よく頑張ったな」
「私も見たかったわ、そのオーディション。テレビもお兄ちゃんに録画してもらったのだけでは足りないし」
「…ありがとう」
笑顔でその場を取り仕切る父。
滅多に笑いはしないが、常に周りに気を配る母。
冷静で穏やかな兄。
少し無邪気で明るい姉。
ここにいる誰もが僕の過去を一切責めない。
こうして芸能界で生きると決めた僕をいつも応援して、デビューが決まれば忙しい合間を縫って祝ってくれる。
多忙であまり家にいない人達だったが、僕は家族愛にちゃんと恵まれていた。
愛情深い家族に囲まれていたのだ。
そんな家族にはずいぶんと迷惑をかけた。
僕が学校に行けなくなってからは、特に。
「すまない、駿。本当に、すまなかった」
「駿。もう無理しなくていいわ。大丈夫だから」
両親を見て思い出すのはいつも、あの焦燥しきった顔だった。
僕よりも辛そうな顔をして、血が出るほど手を握り締めてそう言った両親。
それから、母は大幅に仕事をセーブするようになった。
そして作り出した時間の全てを僕に費やした。
父はそんな母の分まで精力的に働き、そして暇さえあれば僕のもとへと顔を出すような日々。
両親だけではない。
兄も姉も、僕に対して音楽関連の話を一切しなくなった。
そして本来興味もないような世間の流行を追いかけて話の話題にしたり、時にやったこともないテレビゲームを持ってきて一緒にやろうと言ってきたり、とにかく効果があったかなかったかは別としても必死に支えようとしてくれたのは分かる。
僕とは違って音楽が好きで続けている人達だ。
僕のせいでそれを制限して、話題に出すこともせず、そうして僕を守ってくれたのは分かる。
しかし、僕は自分のせいで家族にまでそんなことを強いてしまったのが辛かった。
だからと言ってそうそう簡単に状況が好転するわけもなく、甘えられない日々は続く。
それでもそんな献身的な家族の支えや、病院での治療、カウンセリングも相まって僕の体調は少しずつ回復していった。
1年で外に出られるくらいになったのだから、随分人に比べれば早い方なんだと思う。
「おう、シュン。お前まったそんな死にそうな顔して。勉強ばっかやってっと腐るぞ?」
「……放っておいてくれ」
ケンさんのところに通うようになったのは、その頃だ。
どこから聞き付けてきたのか僕のことを知り心配した由希さんが、何度か連れて来てくれたのがきっかけだ。少し距離のあるところに嫁いだ由希さんは、気軽にここにはこれないから何かあったら頼ってねと僕に逃げ場所を与えてくれたのだ。
ケンさんは、さすがに由希さんの父というだけあって、あまり細かいことに頓着しない人だった。
元ギタリストだと聞いているが、そんな雰囲気はあまり感じない。
僕の事情を知っているの知らないのか全く分からない。
しかし彼は僕に対して変な遠慮がなくて、接しやすい人ではあった。
だから、時々家を抜け出しては営業時間前の居酒屋に来てそこで勉強をしたものだ。
ピアノで食っていけないとなると、勉強をするしかない。
進学して就活をしてサラリーマンになるには馬鹿では無理だ。
自分自身の体すら制御できないくせしてそんな現実的なことは考えられたらしく高校進学に向けた準備だけは進めていた僕。
そうやって、少しずつ人と触れあっても大丈夫な範囲を広げていった。
何度か失敗して発作を起こしたこともある。
恐怖と辛さで荒れたこともある。
それでも、僕は環境に恵まれていた。
ピアノから離れて、人前からも離れて、普通の生活というものを取り戻していった僕。
学校に再び通えるようになったのは中学3年の終盤戦だった。
出席日数で引っかかりつつも、復学して毎日通えるようになったことが大きかったようで、高校受験も何とか一発で合格した。…第一志望ではなかったが。
「佐山、お前現国の宿題やってきたか?頼む、見せてくれ」
高校に入る頃には僕とピアノを結び付ける人も周りにいなくなり、こうして話しかけてきたり友人になってくれたりと、そういう普通の付き合いも増えてくる。
今までピアノやパニック障害に吸い取られて来た時間が、やっと日常に費やされるようになった。
高校2年生の頃のことだ。
そうして、そこまで時間が経って、ようやく僕はピアノに目が向いたんだと思う。
長い間離れてピアノ以外のことにも目が向くようになって視野が少し広がった。
そうしたことで、冷静に向き合えるようになったんだろう。
もっとも僕にとっては無意識だったけど。
気付いたのはケンさんだった。
「シュン、お前本当は気になってんだろ。ピアノ」
高校生活がそれなりに充実するようになって、しばらく遠のいていたケンさんの店。
それでもたまに思いついたようにそこを訪れていた僕。
店の片隅にあるアップライトのピアノを知らぬ間に僕が意識していた事に、彼は気付いていたらしい。
「…別に」
「良いっつの、俺の前でまで気遣わんで。弾きたいなら弾いても良いぞ、調律してねえけど」
「いや、僕は」
「本当に興味ないなら別に良い。だけどな、お前が趣味でピアノに触ったってここじゃ誰も責めねえぞ」
あの時ケンさんに何が見えていたのか分からない。
ただ、あの人はその風貌と口調に似合わず感情の機微に聡い人だった。
感受性の豊かな人だとも言える。
だからギタリストとして大成したのだと今なら分かる。
あんな派手な形でピアノを辞めた僕。
家族に散々迷惑をかけて、それなのに今さらそのピアノが気になるなどと言えなかった。
かつて僕にとっての唯一だったものだ、今思えば気にならないなんてことなかったんだろう。
普通が分かった今なら少しはまともな音が出せるんじゃないか。
そう思っていたのも否定できない。
だから、ケンさんの言葉に後押しされるように恐る恐るアップライトのピアノに向き合った。
しかしそうして出てきた音は、やっぱり前と変わらない。
「…つまらない音」
少しも成長していない自分に心が折れそうになる。
音に感情を乗せるということは相変わらず僕には分からないようだった。
ピアノから離れてほっとしているはずなのに、何故かそれは僕の中の何かをチクチクと攻撃する。
燻った想いを抱えたまま、過ごしたあの頃。
そんな時に目に留まったのが、フォレストというアイドルグループだった。




