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ぼたん  作者: 雪見桜
本編
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69.重なる心




この部屋に入るのも久しぶりだった。

タツがぼたんとしてデビューすると同時に、まだ未成年の私はこの居酒屋に来る機会もなくなっていたから。


タツやシュンさんの旧作業部屋は、今ではすっかり綺麗になっている。

ピアノと数十冊の楽譜が棚に置かれている以外は何もなくなっていた。

時間の流れを感じて少し寂しくもなる。

それはタツも同様なようで、しきりに部屋を懐かしそうに、切なそうに眺めている。




「なんというか、我ながら激動の人生だよなあ」



ふと、そんなタツの声が聞こえた。

パッと見上げれば、タツは壁に背を預け苦笑している。

その言葉とは裏腹な穏やかな声色に、私も小さく笑った。




「でも、タツがその激動の人生を送ってくれたおかげで、私はタツに出会えました」


「はは、それは嬉しいかも」



まさか笑ってこんな話が出来る日が来るとは思っていなかった。

本当に奇跡に奇跡を重ねて辿りついた今日だと思う。

そう思うと、なんだか感慨深い。


もう出会って1年半弱。

タツに正体を打ち明けて、大きく一歩踏み出してからは1年だ。

長いようで短く、短いようで長い時間が経った。


顔を合わせる機会はそこまで多いわけじゃなかった。

特にこの1年はお互い目の前のことにいっぱいいっぱいでほとんどまともに会話もしていない。

連絡先だって知らなくて、けれどもとても深く繋がっていると感じられる人。

考えれば考えるほど私達の関係性は不思議だ。


けれど、私はできることならタツとずっと繋がっていたいと思う。

お互い世界が広がって、たくさんの人と出会って、価値観も変わっていって、それでもどこかで絆を感じあえる仲になりたいだなんて思う。


少し我儘で、それでも私の中に芽生えたはっきりとした感情。

人を好きになるということは、こんなに私を幸せな気分にさせてくれて、こんなに私を強くしてくれる。

そんなこともタツが教えてくれた。



頑張りたい。

タツが私との絆を大切に感じてくれるような自分になれるように。

こうしてタツと向き合っていると、そんなことを強く思う。



タツはそんな私に柔らかく笑って、そっと近づいてきた。

部屋の光がタツの高い身長で隠れて、影が落ちる。


今までにない距離。




「え、えっと…」



どう反応すればいいのか分からず思わず顔を伏せてしまう。

タツの空気を感じる。匂いも感じる。視線だって感じて、何だか恥ずかしくて仕方ない。

ドキドキうるさい心臓は、破裂するほどで、今にも爆発しそうで怖くもなる。




「チエ」



それでも、彼の声で私の名前が紡がれる瞬間たまらなく嬉しくて。



「こっち向いて」



その言葉の引力に私は逆らえない。

ギクシャクとゆっくり顔を上げる。


すると目の中いっぱいにタツの顔。

びっくりして腰を抜かしそうになる。

けれどそれを引き止めるように、私の両手をタツの両手がそれぞれすくい上げた。




「た、た、タツ…?」



いつもとなにやら違う雰囲気に、私は掠れた声しか出てこない。

手にも足にも力が入らなくて、こうして立っているのが不思議なくらいだ。

タツは余裕のない私に、柔らかく微笑んだまま動じない。

これが対人スキルの違いなのかなんて、私はそんなどうでも良いことを考えてしまう。





「ずっとさ、チエに言おうと誓っていたことがあるんだ」


「…私に、ですか?」


「そう。あの時誓った約束を果たして、ちゃんと奏と同じ舞台に立てるだけの自分になったら絶対に言おうと思ってた」



いつも以上に力強いタツの声。



『必ず追いついて、チエに必ず伝えるよ』



ちょうど1年前に、この場所でタツにそんなことを言われていたのを思い出す。

タツはちゃんとその約束を果たし、こうしてここにいる。

どこまでも真っ直ぐで、どこまでも有言実行のタツ。

私は小さくのどを鳴らし、その言葉を待った。


手の感覚なんてほとんどない。

全身緊張でガチガチで、けれど熱くてボーっとして、ぐるぐるとする。

けれど、その言葉は絶対に聞き逃してはいけない気がした。



視線を外さずに、タツの目を覗きこむ私。

タツは、笑顔のままゆっくりと口を開いた。




「俺、チエのことが好きだよ。1人の女性として」





言われた途端、思考が止まる。

その言葉の意味が、分かるけど分からない。


だって、そんなの有り得ない。

タツはカッコ良くて、優しくて、温かくて、キラキラ輝いている人。

私よりもずっと年上で、たくさんの人を魅了する才能がある存在で。

私がずっと憧れてきて、そして好きになった人だ。


好きになれるだけで、嬉しかった。

同じ想いが返ってくることなんてないと分かっていたし、想うだけで本当に幸せだったから。



それなのに、タツが私を、好き…?




きっと私は分かりやすく石になっているんだろう。

表情も何もかも。


タツはふはっとやっぱり余裕のあるような笑顔で吹き出す。

…なんだか私ばかり振り回されて悔しいだなんて、全く余裕のない頭でそう思った。





「だからさ、俺頑張るから」


「……へ、へ?」


「チエに、好きになってもらえるよう。チエにとって憧れ以上に傍にいたいって思ってもらえるようにさ」




そう言うタツの笑顔は今まで見たことのない笑顔で。

温かい?優しい?柔らかい?

そのどれもが当てはまって、そのどれもがどこか当てはまらない。


強いて言うなら、甘い…んだろうか。

初めての事態に私はぐるぐるとそんなことを思う。

何もかも分からないことづくしで頭のパニックレベルは最大値をずっとキープしていて。


けれど、そのタツの笑顔が、声が、言葉が、事実なんだと私に告げる。

はっきり言われた言葉と、初めて見る笑顔が、私に直感で教えてくれる。



タツが私を、好き。

こんなぽんこつな私を、タツは好きだと言ってくれた。

傍にいたいと、そう思ってくれた。


それがタツの気持ちだと、何分も経って私は理解する。

その瞬間に真っ赤に染め上がる顔。

十分熱いと思っていた顔が更に熱くなり、蒸発してしまいそうだ。

きっと湯気でも出ていると思う。



どうしよう、どうしよう、どうしよう。

そう頭は何度も混乱して繰り返す。


けれど、そっと離れようとしたタツの手を感じて、本能的に動いていた。




「…っ、チエ?」



気付けば、力が入っていなかった手がグッとタツのその手を引き止めるように握り返している。

私自身もよく分かっていない。

分かっていないけれど、そうしたくてたまらなくて。




「あ、その、えっと…」



言葉にもならない声を上げて、私は必死に言葉を探す。

言うべきことは自分でもよく分かってるはずなのに、必死に探しても全然出てきてくれない。


泣きそうになりながら、でもどうしても伝えたくて、私はぐるぐる目を回しながら言葉を探し続けた。

そんな私を急かすことなく、待ってくれるタツ。



ああ、もう。

想いが溢れて声にならない。

どこを探しても、飽和した心と頭ではうまく言葉に表現できない。




そうなった瞬間、私の体は勝手に欲望のままに動いていた。

自分から繋ぎとめたはずの手をあっさりと解いて、勢いよく飛びこむ。

その時何を考えていたのかなんて私にも分からない。


ただただ必死で、ただただ想いが溢れて、その傍にいきたいと思った。




「ち、チエ?」



戸惑ったような、タツの声が真上から届く。

声が鳴るたび、飛びこんだ先の大きな胸が緩やかに震えた。

心臓の音が大きく鳴りすぎて、他の音が中々届かない。

私の勝手な手はタツの背中を掴んだまま離れてくれない。



どうしようと、そんな体勢になってもまだぐるぐる悩んでしまう私。

それでも、そこまできてようやく私は言葉を吐きだすことができた。




「わ、わ、わた、しも…好き、です」


「……え?」


「す、好き、なんです!」



恥ずかしくて仕方ない。

精一杯の大声のつもりでも、きっと心臓の音にかき消されるくらい小さい。

それでもようやく見つかった言葉に、言えた言葉に、嬉しくて感極まって涙が出てくる。





「……そ…そう、か」




やがて少し経ってから、そんなタツにしては珍しい歯切れの悪い言葉。

相変わらずいっぱいいっぱいなまま、私は勇気を振り絞ってタツを見上げる。


そうして目に入ったタツの顔は。





「…真っ赤」


「う、うるさい!チエが悪いんだからな」


「え、え…!?」


「流石に心臓壊れるだろ、もう本当無理」




いつになく口調の粗いタツ。

真っ赤な顔を隠すようにバッと私を引き離して腕で自分の顔を隠す。

その姿が何だか自分と重なって見えた。


タツをグッと近く感じる。



ああ、そうなんだ。

あんなに憧れていたタツだって、手を差し出せばこんなに近くにいてくれる。

そうやって絆は繋がっていく。




そう心から理解することが出来た瞬間、私はそこでやっと笑みが浮かんだ。





「…なんかチエが余裕で腹立つ」


「ええ?よ、余裕、ないです!」


「ある。絶対あるだろ。俺ばっかり振り回されるとか何か面白くない」


「そ、それはこっちのセリフ…!」





タツを知って歩き始めてから6年。

それが、私達の道が繋がった瞬間だった。








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