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ぼたん  作者: 雪見桜
本編
65/88

64.芽生えと昇華(side 千歳)


『千歳く、曲出来たぁ…けっこ、う…自信さ…く…』



体力を限界まで削って、精神までも削って、千依は膨大な数の曲を作りあげた。

アルバム制作という俺達にとって初めての作業は、分かっていたとはいえ予想をはるかに越えて大変で。


元々そんなに体力のない千依は、全然説得力のない弱り切った声で自信作だと笑う。

そして、それだけ言うと糸がプツリと切れたかのように意識を落として丸1日目を覚まさなかった。



俺も一緒に曲作りをすることが多々あるとはいえ、スイッチが入った時の千依のスピードには全然追いつけない。

山積みの五線譜にその小さな顔が埋もれるくらい、千依は音を生みだし続けた。

十数曲の収録曲に対して、これまで書きためた分と今回新たに書いた分で桁が変わるほどの量だ。


そこから千依が厳選に厳選を重ねて絞り込んだ曲数は30曲ほど。

それらを全て見直し、曲としての完成度をこの短時間で2段階ほど上げたのだから、やっぱり千依はとんでもない。


しかも曲調がアップテンポなものからバラードに至るまで何でも作れるというのは大きい。

普通1人で何曲も作ると曲に偏りが出来てしまうものなのに、千依にはそれがない。

本当に同じ人が作った曲なのかと思うほど、それぞれ独立している。

それなのに、他とどことなく違う雰囲気から千依が作りあげた曲だと分かってしまう。

音が絡むと千依はやっぱりどこまでも化物級の天才だ。




「千歳?お前なにジッと固まって…って、おい千依。ちゃんとベッドで休め。休憩室空けてるから」


「大塚さん無駄無駄。ちー、今力使いきった直後だししばらくは何しても起きないよ」


「…またかよ、ちっとは体労れ。で、お前は何してんだ」


「ちーの作ってくれた曲の確認。……ちー、頑張ったね。これは本当力作」


「……ちなみに何曲まで絞った?」


「32。全部修正してる」


「………本当、こいつはいつも想像のはるか上を行く奴だな」




心底恐ろしげな声をあげながら大塚さんが言う。

そして大きくため息をついて爆睡中の千依を抱え上げ、休憩室へと運んでいった。




「これをどう組み立てていくかな…」



再び静かになった部屋で一人俺はその力作達を読み解いていく。

すでに収録が確定しているシングル曲達を束ねてまずはアルバムのテーマを決めた。

そこからそのテーマに沿う曲を引っ張りだしたり作ったりで現在候補が32曲。


ある程度共通のテーマで世界観を統一させながら、それでも飽きが来ないようにと、千依は32通りのパターンの曲を生みだした。

千依が集中して生みだした曲達の中からさらに選ばれた曲なだけあって、どれが収録になっても…いや、どれがシングル曲になってもおかしくないだけのクオリティだ。

正直この先は好みの問題だろうとすら思える。


だからこそ、ここから俺の色を混ぜていく作業が始まるのだ。

千依が作り出した世界観と俺の中の想像をかけ合わせて、奏という世界が広がる。

ここまで素晴らしいものを生みだしてくれる千依の才能を無駄にしないために、気など抜けない。



曲の順序、構成。

歌い方に、楽器の音の出し方。

曲を作るというのは音符の並びを決めるだけではない。

作り手と歌い手、演奏者が全て合わさって初めて出来あがる。




「あー、もう!やりがいあるけど、これ本当迷うよちー。良曲作りすぎだって…」



そんな贅沢過ぎる悩みを口にしながら、悶々と悩む俺。

器用ではあるが飛び抜けた才能があるわけじゃないから、何かを成すために人並みの時間はかかるのだ。



そしてそんな時、目の前のスマホが光った。

淡いピンクのそれは、最近千依が買い替えたもの。

液晶画面に大きく“山岸真夏”と書いてある。


…思わず手が伸びてしまう自分がいた。

ハッとして手を引っ込めるものの、長く表示されるその名前の引力に逆らえない。



……まさか、自分があんな一発でやられるなどと思わなかったのだ。

未だに自分で自分が信じられない。

そんな感情、一番信用おけないと思っていたのに。

それなのに、名前を見た瞬間に空気がピンと張りつめ、心臓がピキッと音を立てる。

脳内には勝手に彼女のあの笑顔が再生され、幸せな気分になってしまうのだ。


何となく認めるのは悔しいけれど、そこまではっきりと変化が訪れて自覚しないほど自分も鈍くはない。




「…ちー、ごめん。余計なとこ触んないから」



そう謝って、通話ボタンを押す。

そんな行為すら、今まではしなかったというのに。




『あ、もしもし千依?ごめんね、仕事してたよね。体調良くなったか心配になっちゃってさー、お節介だとは思ったんだけど!』



耳に響いてきた声は、相変わらず芯のある強い声。

アハハと笑いながら相手を気遣うその言葉は紛れもなく記憶の中の彼女と一致していて。


…悔しいと思ってしまう。

家族以外に感情を振り回されるのはあまり好きじゃないのだ。

それなのに、声が聞けただけで嬉しいとも思ってしまうから、何だか腹立たしい。

そんな感情、声になどのせてやらないけど。

もはやそんな自分の意地すら恋愛ボケしていると思ってしまう。



「ああ、ごめんね真夏ちゃん。ちーは今集中切れて寝ちゃってるんだ。心配してくれてありがとう」


『え…え…ええ!?な、な、ち、ち、千歳、さん!?』


「はは、真夏ちゃん挙動不審だよ?大丈夫?」



途端にガシャンと電話越しで何かが倒れる音が聞こえる。

もう知り合って半年以上経っていると言うのに、未だに慣れてはいないらしい。

まあ、実際会った回数だって2度、3度だけだから当然だろう。




『み、耳元で名前呼ばないでー!倒れますって!』


「…これ、電話だよ?無理だって」


『うわああああ!あ、や、えっと…、あの…そう!そう、千依は大丈夫ですか!?熱は!』


「うん。そっちはもうすっかり。ただ、ちょっとテンション上がっちゃったらしくて無理してたからしばらくは休ませるよ」


『無理してって、相変わらずあの子は…。すみません、ちゃんと休めって叱ってやってくれますか?』


「えー…、俺ちーに叱るとかできないんだけどなあ」


『嘘吐け!千依が一番自分を叱るのは千歳さんだって言ってましたよ!!シスコンのくせして結構厳しいって!』


「…ちーも言うようになったな」




真夏ちゃんはずっと変わらない。

もう一人の千依の友達の萌ちゃんも、相変わらずだ。

だけど、その2人に支えられてちーは少しずつ心を開く様になった。


文句ひとつ言わなかった子が、たまに拗ねるようになったり意地悪言うようになったり。

まあ元の性格がお人よしすぎるから、それにしたって相当軽いものだが。


そんな変化ひとつとっても嬉しいと思う。

だってそれは、千依が自分に自信を持ち始めたという証だから。

自分なんかがという気持ちじゃなくて、自分だってと思えるようになったということだから。




「まあ、とにかく連絡ありがとうね。ちーにはちゃんと言っとくから安心して」


『お願いしますよ!あ、あと千歳さんもちゃんと休んで下さいね。私テレビでクマだらけのチトセとか見たくないですから!』


「……普通そこは“心配だから”って言わない?」


『じゃあ私普通じゃないんです!』


「いや、自信満々に言われても」




真夏ちゃんは本当に変わった子だと思う。

散々ファンだと言いながら、案外俺のことをぞんざいに扱う。

“千歳”に対しては、千依の兄というフィルターで見る。

そのくせして堂々と正直すぎるチトセの感想を言ってきたり、俺を見て動揺したり。


どこかちぐはぐな子。

…それでも、そんな所がなんだか愛しい。

そう思ってしまう自分も相当いかれてる。


そうやって、世界は広がっていく。

千依だけじゃない、俺だってそうだ。


今まで、正直仕事と家族以外どうでも良かった。

大事にするべきものを履き違えたくないとどこかで思ってきたのかもしれない。

もう二度とあんな家族を苦しめるような無神経なことしたくないとも思ってきたのかもしれない。



けれど、時間は誰にだって流れる。

あんなに苦しんだ千依だって、こうして世界を広げて立派に羽ばたこうとしている。

あんなに怖がっていた“人”の力で。


千依の全ての始まりはタツだった。

そこに恋情が加わってなおさら千依は輝きを増している。


…正直、恋愛なんてくだらないものとどこかで思っていたところはあった。

だけど、案外くだらなくなどないのかもしれない。

今まで優先順位を相当落としてきたものの中に、もしかしたら大事な何かはあるのかもしれない。


千依が変わって、俺の心も変わってきて、そうしてようやくそんなことに気付いた。




もし千依がタツに向けた気持ちが、今の俺にとってあの子への気持ちとどこか共通するのなら。

それならば、俺にも何だか分かる気がするのだ。

他人から見ればくだらないと思えるかもしれない感情でも、軽いと思えるような動機でも、時に強い力になって背中を押してくれることがある。

それを俺は最近知った。





「…でも悔しいから言ってやらない」



まあ、とはいっても人間そう簡単には変われない。

考えを改めはしても、それが態度に出てくるかは別問題だ。

それでも気分は何だか新鮮で晴れ晴れとしていた。




芸音祭まであと3カ月弱。

千依や過去のこと、その他もろもろ奥でくすぶっていた感情が昇華しはじめていることに気付いたのはこの頃のこと。







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