表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼたん  作者: 雪見桜
本編
64/88

63.変化はめまぐるしく


『オーディション優勝者は元フォレストのリュウ!』




公開オーディションから1週間。

テレビも新聞も芸能ニュースはその話題でいっぱいだった。


昨日、オーディション参加者の中からデビューが決まった4組が集まった記者会見があったのだ。

うちの事務所からも弥生ちゃんが参加している。



『ちょっと!歳上で先輩のくせしてさん付けとか敬語とかやめてよね!馬鹿にしてんの!?』



会見に行く直前、気合を入れて応援したらそんなことを言われたのを覚えている。

顔を真っ赤に染めてそう言う弥生ちゃんがあまりに可愛くて抱きしめたら、叫ばれた。

気は強いけれど、素直で可愛い反応をする女の子だ。




「あー…話題性が奪われるー」



千歳くんはテレビを見て恨めしげにそんなことばかり言っている。

どうやら一番危機感を持っているのは彼らしい。




「お前が弱気でどうするんだ、千歳。ほら、見てみなさい千依のこの前向きに輝いた顔を」


「…父さん、それ単にリュ…タツを見てときめいてるだけ。前向きとはちょっと違う」


「ときめ…ち、千依まさか」


「あらやだお父さん、今さら気付いたの?どう見えても恋する乙女じゃない」


「お、お母さん気付いていたのか?そ、そうか…」




そんな会話が聞こえた気がするけれど、テレビ越しのタツに夢中で私の頭には入っていなかった。


タツは、あの居酒屋から離れてセキュリティの強いマンションに引っ越したらしい。

たった1週間なのにどんどんと生活が変わっていく。


進んでいる、皆。

新しい風には強い勢いがあって、人々の目もどんどんと移っていく。




タツが表舞台に帰ってきて、私達と同じ舞台に上がって来た。

ここからが本当の勝負。


今は不安よりも楽しみの方が強い。

自分の力がどこまで通用するのか、私は試してみたい。

憧れの人と同じ舞台で、私だって彼に負けないくらい輝いていきたい。




『皆さん、お久しぶりです。5年かかりましたが、最強の相棒を連れて帰ってきました』



テレビの向こう側で、人懐っこい笑顔を見せながらハキハキと言葉を発するタツ。

シュンさんも相変わらず寡黙ながらリラックスした様子で質問に応えていた。


国民的アイドルの元メンバーと、昔クラシックのピアノ界で話題になった天才少年。

その組み合わせは話題性抜群で、どの局も第一ニュースとして取り上げている。

ここに至るまで5年もかかったというのに、全国区の知名度になるのは一瞬だ。


元来芸能人としての魅力たっぷりなタツは、やっぱりそこにいるだけで華があり魅力的だった。






「ちー、あいつと会ってないの?」




不意に千歳くんがそんなことを言う。

前にも聞いたその言葉。

私はやっぱり同じ様に苦笑して頷く。



「今は無理そうかなあ」



タツがこの舞台に帰ってくるというのはこういうことだと、分かっていた。

彼はまた私からも少し遠い存在になって、気軽に会えるような人じゃなくなった。


それでも、不思議と心は落ちついている。

あの輝いた笑みを近くで見たいと思う自分は確かにあった。

あのタコだらけの大きな手や、心がほっとするような低い声に触れあいたい気持ちも。


けれど、会えなくたってどこかで繋がっているような感覚もある。

会えずにいても何だかフワフワと心の中が幸せ気分になれるのだから、不思議だ。

生まれて初めての恋心は、自分でも何と言って良いのか表現しづらい。


けれど、とにかく言えることは。




「でも、約束したから。芸音祭で会うって」




そう、それが今の私の糧となっていること。

寂しいと感じる心と一緒に、楽しみと感じる心もある。


次会う時には、どんな音を聴かせてくれるのだろう。

次会う時には、自分はどれだけ成長できているだろうか。


やっぱり音楽馬鹿な私は、その期待の方が大きいみたいだ。






「あー…、本当勿体ない。あいつにちーは勿体ない」


「え…?それどういう」


「…分かっていたけど鈍いな。まあ良いか、あいつには少し苦労してもらわないと」


「え?」


「んーん、何でもない」




千歳くんがぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。

苦い顔のままテレビを向くと、大きく息を吐きだした。




「父さん、そういうわけだからリミットはあと7カ月弱だよ。覚悟した方がいい」


「…はあ、ついにこの時がくるのか。お父さん悲しい、千歳はもうすこし粘ってくれよ」


「ああ、ごめん無理。俺もう矢印決まっちゃったから」


「え…そ、そうなのか?お父さん初耳だぞ?」


「ん、初めて言ったし」


「そうなのか…」




何故だか異様に落ち込んでいるお父さん。

どうしてなのか分からず声をかけようとした時、お母さんが私の肩をたたいた。




「気にしなくていいよ、千依。あれは男の会話だから」


「男の、会話…?」


「そう。可愛い娘を持った家庭には必ず越えなければいけない壁があるのよ」


「…壁?」


「うちはアンタ達生まれたの遅かったからね、尚更でしょうよ。お父さんがここまで寂しがりだとはお母さんも思わなかったけど」


「えっと…」




私だけ話の内容が分かっていない気がする。

首を傾げるしかない私。





『それでは次に、皆さんの目標とするアーティストがいれば教えて下さい』



テレビではそんな質問がされていた。

途端に会話を止めて画面を見つめる私達。


その中でタツは、にやりと笑って宣言した。




『勿論フォレストです。あとは、奏ですかね』


『2グループもいらっしゃるとは。フォレストは分かるとして、奏はどうしてですか?』




聞き手のアナウンサーさんがすかさず突っ込むと、タツの笑みは深くなって、視線はカメラを向いた。

…まるで、テレビ越しの私達に何かを伝えるように。




『原動力になりましたから。全てにおいて』


『原動力?』


『純粋に思ったんですよ。俺も奏のように歌を通して何かを伝えられるようになりたいと』




穏やかな顔で、タツはそう笑う。

その言葉を聞いた私は、思わず顔を伏せってしまった。


私達の音を、ちゃんと彼は拾ってくれていた。

そんな風に思ってくれていたのだと、分かって。


もう十分すぎるほどタツの紡ぐ音は強く想いを伝えてくれていると思う。

けれど、そういう風に言ってくれたことが嬉しい。

それは私がずっとタツに対して思ってきたことでもあったから。





「やっぱり、私タツに会えなくても幸せだなあ」



普通人は恋すると、会いたくて会いたくてたまらなくなると聞いた。

けれど、私はこうして会えない時間だって幸せをたくさんもらえる。




「やっぱり、俺タツのことぶっ飛ばしてやりたいなあ」


「…千歳。千依の真似しながら物騒なこと言わない。全く誰に似たんだか」


「……お母さん。千歳はお母さんの若い頃そっくりだとお父さんは思うな」




そんな会話を交わしながら、今日も私は一歩一歩。

進んだり退いたり、上がったり下がったりしながら、自分の道を進んでいく。








「は、ハーフミリオン…」


「…まじかよ、デビュー作でいきなり」



タツ達の躍動はすさまじい。

オーディションから少し時が経った後発売されたデビューシングルは、CDの売れないこの時代に何の特典も無しに記録的な大ヒットを記録した。

芸能界でもそれは衝撃的な出来事で、音楽界の話題は今やぼたんで持ち切りだ。


あんなに近くで話していた事が幻なんじゃないかと思うくらい、どんどん階段を駆け上っていく2人。




「はあ、ふざけんな。ちょー悔しい!私も越えてやる!」



けれど、私の周りだって負けていない。

弥生ちゃんもぼたんと同時期発売のデビューシングルで10万枚を売り上げた。

ぼたんの衝撃の陰に隠れがちだけれど、こっちも十分に大ヒットと言える枚数だ。

意気も未だに下がらず、精力的に作曲活動を続けている。


千歳くんはさらに歌唱力を上げ、どんな歌でもしっかりものにできるようになってきた。

私だって負けない。ボイトレを本格的に始めて、喉もしっかり鍛えられてきたと思う。

最近ますます力強くなった千歳くんの声量にもある程度ついていけるくらいには。





「千依ー!新曲聴いた!これのね、この歌詞がめっちゃ絶妙でさ!」


「…真夏。アンタの評価は異常に細かいと思うの」



相変わらず私達のことを温かく応援してくれる人もいる。



人との絆が広がって、私の世界観もぐっと広がって、そうしてやっと私はここまで辿りつけた。

人前に立って“奏のちぃ”として千歳くんと共に音を紡ぎたいと、心から思えるようになった。





「叶えなくちゃ、約束を」



だから、それは私の中の決定事項。

もう夢ではなく、目標だ。

自分で掴みにいけるものだと、私は信じる。


こんな大ヒットを記録し毎日のように話題に上るぼたんは、間違いなく芸音祭の切符を手に入れるだろう。

ならば、私達だって負けないくらいのものを生みだして正面から会いに行きたい。


ただ音楽を生みだすことばかりが好きだったあの頃と比べ、私は随分と強欲になった。

けれど、それが上を目指すと言うことで、歌で生きていくということなんだと思う。



タツがこうして再びこの世界での居場所を掴んだように、私もこれからは自分の手で自分の道を掴んでいかなければならない。



千歳くんや家族に頼りっきりじゃなく。

真夏ちゃんや萌ちゃんに励まされっきりじゃなく。

大塚さんやアイアイさんに支えられっきりじゃなく。

シュンさんの優しさに甘えっきりじゃなく。


そして、タツに与えられっきりじゃなく。



今度は自分が返せる人間になりたい。

そのためにも、まずはちゃんと自分の足で立ちたいのだ。

そうすれば、少しだけでも大事な人達に相応しい自分になれる気がする。

そう、なりたい。



高校3年生の秋。

気付けばタツと初めて会った頃から1年が過ぎていた。



私のちぃとしての出発点。

タツとの約束の場所。


そのステージまで気付けば3カ月を切っていた。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ