62.始まりと終わり(side タツ)
気の持ちようと人はいとも簡単に言う。
だが、そう切り替えるのは決して簡単なことじゃない。
不安な気持ちをバネにするには根性が必要だ。
自信のなさを跳ね返すには覚悟も必要だ。
5年間乗り越えられなかった自分への音楽に対するコンプレックス。
いつまでたっても好きなこととイコールになってくれない実力。
足掻いても足掻いても答えが見つからない日々もあった。
5年かかって、やっと抜け出せたんだと思う。
久々に感じる熱いスポットライトを浴びて、俺はそう実感していた。
技術と心。
両方が組み合わさって、俺はやっと自分なりの答えを見いだせたんだろう。
5年前のあの技術力じゃ、駄目だった。
技術だけ磨いたとしても、きっと駄目だった。
5年かけて腕を磨き、そして5年かけて広がった絆があったからこそ、乗り越えられたのだ。
気の持ちよう。
それは残酷な言葉ではあるが、同時に事実でもある。
自分の中の心の姿勢が変わった途端に、俺の道は一気に開けたのだから。
「リュウ、おかえり。見事だったな」
「松田さん」
「あの頃は本当に申し訳なかった。今さらなのは分かっているが、本当」
「もう良いですって。ケンさんに聞きました、俺をケンさんと会わせてくれたのは松田さんなんでしょう?俺は松田さんに感謝はすれど恨んでなんかいませんよ。これっぽっちも」
「…リュウ、すまん」
そう、何もかもが断たれたわけではなかったのだ。
切れたと思った絆は細くもちゃんと繋がっていて、俺がたった1年だけでもそこにいた意味はちゃんとあった。
「ったく、おせーよアホが。なに5年もかかってんだ、アイドル寿命知ってんのかお前は」
「…今や国民的なんて言われてんのに何言ってんだよタカ」
「なにサラッと弟キャラから爽やか兄貴キャラに変更してるわけ。何か気持ち悪いんだけど」
「相変わらずお前は性格悪いな、隼人」
「まあまあ。とにかくリュウ、おかえり。お前は本当有言実行の男だな」
「…おう」
「勝負はここからだぞ、ガキ。落ちんじゃねえぞ」
「分かってるよ、シゲ」
久しぶりに目にしたマネージャーや仲間、スタッフ。
清々しい気持ちで、胸を張って会えたことが誇らしく思う。
それは5年間、迷って苦しんで喜んで楽しんで、そうして手に入れたものだ。
辛いことは山のようにあった。
どうしてこんなことに…と思うことも山のようにあった。
だけど、今はこれで良かったのだと心の底から思う。
それは、こうならなければ歩んできた道のりの尊さが分からなかったから。
そして、こうならなければ出会うことのなかった絆がちゃんとあったから。
過去と現在。
俺はやっと、その両方をしっかり受け入れられる気がした。
--------------------------------------------
「おう、帰ったか。聞いたぞ、松田の野郎から」
「ケンさん」
「タツ!シュンちゃん!ついにやったって!?いやあ、めでたいねえ!今日は赤飯炊こうかね」
「雅さんやめて、恥ずかしい」
もうすっかり慣れた“家”に帰ると、相変わらずのテンポで2人は話しかけてくる。
この人達は5年経っても変わらない。5年経っても温かく、家族のように接してくれる人達。
一度挫折したからこそ出会えた大事な絆。
そして、だからこそ俺もシュンもケンさんも雅さんも分かっていた。
俺の道がやっと広がったのと同時に、ここを離れる日がやってきたのだということ。
2人は何も言わないが、この店が別に住み込み社員など必要としていないことくらい俺にだって分かっていた。忙しい時間帯だけバイトを雇えばそれで賄えるくらいの規模の居酒屋なのだ。そうした方がずっと安上がりで、利益になる。
料理経験もなかった、しかも夢見がちな20代の男を住み込みで働かせながらギター指導を行うだなど破格中の破格の扱いで。
そうまでしてこの夫婦は俺にたくさんのものをかけてくれた。
一生かかっても返し切れないほどの恩を受けてしまったと本当に思う。
この場所がなければ俺はシュンと会うこともなく、いまもずっと答えすら分からないままに路頭で迷っていたはずだから。
「ま、お前らにしちゃ上出来だ。おい、タツ」
「なに」
「選別だ、受け取れ」
「え……っ、これ」
ふいにケンさんがそう言って、大きな何かを押し付けてくる。
突然のことで何を受け取ったのか分からず改めて見直すと、俺は固まった。
ケンさんが選別だと告げて俺に渡してきたもの。
それは、ケンさんが現役時代に使っていたギターだったから。
ケンさんにとって相棒同然で、現役を退いた後でも大事なものだと知っている。
「も、もらえないって。こんなもの」
「ああ?いいから貰っとけっつの。俺はもう滅多にそいつを弾かねえんだ。楽器っつーのはな、使ってやらなきゃどんどんモノが悪くなっちまうもんなんだよ」
「いや、だからって」
「今のお前はもうそいつを弾きこなせる。どうせダメになるか誰かの手に渡ってしまうくらいなら、お前が持っていてくれや」
ケンさんは腕を組んで苦笑した。
初めてケンさんが俺を褒めてくれたのだと気付く。
それと同時にケンさんが初めて俺に対する信頼を示してくれたのだとも気付く。
バッとケンさんに視線を向ける俺。
そうすると、ケンさんはすぐに視線をそらして「けっ」と短く口にした。
そしてその後、見たこともないような穏やかな笑みを浮かべる。
5年で初めてみる顔にシュンと一緒に驚く。
「師匠からしてやれる最後のことだよ。おめでとう、タツ」
…それは卑怯すぎる言葉。
そのたった一言のせいで、俺の涙線は一気に緩む。
破壊力抜群だ。
俺は、こぼれてきそうになる涙を誤魔化すように声をはる。
「じゃあ、最後にケンさん弾いてよ」
「ああ?」
「相棒と別れる前に、俺ケンさんの…師匠の本気が聴きたい」
「…ったく、仕方ねえな」
ひったくるようにギターを取り上げ、近くの椅子にケンさんは腰掛ける。
今まで幾度となく手本としてギターを弾いてくれてはいたが、生の演奏をじっくり聴くのは何気に初めてだ。
俺も、興味津々なシュンも、近くの椅子に腰かけ視線を向ける。
ギターを手にして構えた時には、もうスイッチが切り替りギタリストのkenになっていた。
そうして奏でられるおそらくは最初で最後のケンさんの演奏。
一言でいうなら、それはもうとんでもなかった。
第一線の中でも更に上級者だったというケンさん。
自分の技術が上がって耳も肥えたからこそ、そのすごさが良く分かる。
隣で聴くシュンも、敵わないという風に苦笑してその演奏を聴いていた。
こんなに凄い人に俺はギターを叩き込まれたのかと、実感する。
それもきっと、ひとつの俺の中の誇りになるだろう。
「…良いか、タツ。本気で欲しいと思ったものは、きちんと追いかけろ。食らいつけ。お前にはそれを現実にできるだけの力があんだからよ」
いつの間にかケンさんの演奏は終わっていて、そのギターを俺の手に戻しそんなことを言う。
様々な思いが混ざって声にならない。
そんな俺の頭をガシリと掴んで、その人は言った。
「お前には良い夢を見せてもらったよ。この先も元気で頑張んな」
頭を抑えつけられているから顔を上に上げられない。
ケンさんが今どんな顔をしているのか分からない。
しかし、俺にとってはその一言で十分だった。
ケンさんの思いが強く伝わってくるようだったから。
せっかく誤魔化せたと思っていた涙線はついに決壊し、今度は嗚咽を抑えるのに必死になる。
感情が涙と一緒に溢れるほど流れてきて、もう言葉にできない。
それでも、どうしても俺には伝えなければいけない言葉がある。
「5年間、本当にありがとうございました…っ!この恩は一生、忘れません」
こうして、俺は5年間に及ぶ修行生活に幕を閉じた。




