59.本番
私が参加するわけでもないのに、昨夜は上手く寝れなかった。
緊張して、楽しみで、目が冴えてしまったのだ。
勝手に昂る気持ちのままうっかり2、3曲書いてしまうくらい普通の状態じゃなかった私。
最終審査会場にはすでにたくさんの人だかりが出来ていた。
テレビのCMでも盛んに宣伝していたし、前売り券は最終審査通過者発表前にすでに売り切れという状態。
新しいスターを自分たちの手で生みだすということに興味を持った人もいるし、開票作業中にある協賛事務所のアーティストライブが目的の人もいるし、純粋にライブ巡りが趣味の人もいる。
2000人収容の会場は、芸音祭の舞台ほどじゃないにしても十分大きくて音が良く響く。
ここでタツとシュンさんが歌う。それだけで私は緊張と興奮を抑えられない。
ドキドキしながら私は関係者出入り口から会場に入った。
千歳くんが数曲歌う予定だから勿論仕事も込みではあるけれど、気持ちはお客さんとほぼ一緒。
そう、思っていたのだけれど。
「えっと…その、なんで変装して」
そう、気付けば私の外見はちぃ仕様に変化していた。
会場に入ると同時に出迎えてくれたアイアイさんに半ば拉致されるような形でメイクされた。
「そらお前、一応関係者として千歳の横に座るんだから、身バレしたらまずいだろが」
「え、ち、千歳くんの、横…!?大塚さんの、横、じゃなくて…ですか?」
「そう。少しずつお前も慣れてかなきゃな、人目に」
どうやら、私の場馴れ訓練も含まれているらしい。
千歳くんは参加者さんのパフォーマンスを見守り審査集計中に場つなぎ役としてライブをする招待ゲストという扱いだ。
参加者さんやお客さんの気持ちを盛り上げるという意味もあるから人目につく場所に座る。
今回はオープニング、審査集計中、エンディングと各場面でプロのアーティストが場繋ぎのパフォーマンスをする。
そのため8社もある各事務所から1組2組ずつゲストとして参加している上、各事務所の社長や幹部も座る。関係者席に座る人数が多いからそれほど大げさに目立つわけではない。
けれどそれにしたって位置が位置だし、そこにいる人達も皆有名人な訳だから視線が集まらないというわけでは勿論ない。
頑張ると決めた私だけれど、いきなりの展開に一気に石のように固まってしまう。
「本当は千歳と歌わせたいところだったけどね、学校との約束もあるしまだお前は公に活動できる立場じゃない。これが限界といったところかな」
「しゃ、社長さん…!」
「やあ、千依。生でその姿見るのは初めてだが、中々似合ってるじゃないか。ただ猫背は直した方が良いな、お前は人に夢を与えるのが仕事なんだから」
「は、はい」
押し寄せる緊張の波と戦う私に声をかけたのは事務所の社長さんだった。
華奢な体で背は高く、お洒落で若い。
一見してこの人がもう60歳を越えているだなんて思う人はそうそういないだろう。
私も初めて会った時は実年齢より15歳くらい下だと思っていた。
けれどそんな見た目に反して、大塚さん以上の知識と経験をもち、人脈広く、人を見極める能力もすごいとスタッフさん達が皆そう言っている。実力と実績のある凄い人なのだ。
いつも華やかな空気を纏って、かつどこかピシッとしたオーラをもつ社長さんの前だと、自然に気が張る。悪い意味ではなく、良い意味で。気が引き締まる感じがするのだ。
「千歳。そういうわけだから千依のこと支えてやってくれ。まあ私もいるからある程度はフォローするけどね。ああ、くれぐれも兄バカは見せないように。お前達の関係性を知らない人間が見たら大事なオーディションで場も弁えずいちゃつくバカップルに見えるからな」
「…へえ、社長ふだん俺達のことそんな風に見てるんですね。普通に仲の良い兄妹にしか見えないと思いますけど」
「はは、仲の良い兄妹の域を越えているから言っているんだよ。正直不気味なくらいの仲の良さだからなあ、お前達」
「……」
千歳くんが強く言い返せない相手は少なくて、社長さんがその中の1人に入る時点で社長さんのすごさを実感する。ちなみに一番千歳くんが言い返せない相手はお母さんだったりする。何故なのかは本人も含め分かっていないけれど。
「さて、それじゃあ気持ちを切り替えて行こうか。今回参加するアーティスト内ではお前たちが一番若手だろう?挨拶行って来なさい」
朗らかに社長さんが笑う。
私と千歳くんは素直に頷いて立ちあがった。
いつもテレビで見る人達に挨拶するというのはやっぱり緊張するけれど、2回目ともなると少し、ほんの少しだけ余裕も生まれてくる。
こうして少しずつ慣れていくんだ。そう自分に言い聞かせる。
「あ?んだよ、まあた現場一緒かよ、ガキ」
「あはは、よろしくお願いしますタカさん。相変わらず表と裏のギャップ激しいですね」
「うるせえ、黙れ。お前に言われたくねえ。爽やかに毒吐くな」
「あれ、ちぃちゃん?芸音祭以来かな?久しぶりだね、よろしくね」
「あ、は、はい!よろ、よろしくお願いします!」
「…相変わらず怪しいね、あんた」
「……ご、ごめんなさい」
「こら隼人」
「………はぁ、相変わらずうるせえなチトセが来ると」
参加者の顔ぶれの中にはフォレストもいた。
今日のゲストライブでの大トリだ。
相変わらず眩しいけれど、前よりもちゃんと向き合えている気がする。
そして何よりここにこの人達がいるということが嬉しかった。
タツ、ちゃんと見てるからね、皆。
そう心の中で言葉を落とす私。
「さあ、お手並み拝見かな」
そうして審査があるホールに入る直前、千歳くんがニッと笑う。
何だかんだで直接タツ達の演奏を聴いたことのない千歳くんは楽しみなんだそうだ。
この先のライバルがどんな風に歌を歌うのか見たいと笑う千歳くんの顔は自信に溢れていて。
私が前進しようともがいているのと同じ様に千歳くんも進んでいる。
私は強く頷いて、前を見た。
そうしたら千歳くんは私の方をもう見ない。
仕事モードのスイッチが入ったのが分かる。
だから私も置いていかれないように背筋を伸ばした。
ポンと左肩を軽く励ますよう叩いてくれたのは社長さん。
どこか背を押してくれるようなそれが嬉しい。
歓声の中で会場を進むゲスト達。
その中をやっぱり緊張はしながらギクシャク歩く私。
そうして何とか自分の椅子に座った時、目に映ったのは真っ白な大舞台。
スポットライトに照らされて輝くステージが、初めてタツをテレビ越しに見た時と重なる。
「それでは、参加者の入場です!」
会場内に明るいそんな声が響く。
同時に音楽が鳴り響き、一気に盛り上がる場内。
袖からステージにやってきた参加者達は色々な外見をしていた。
モデルのように色白で容姿の整った男性、カクテルドレスがよく似合う妖艶な女性、おそろいのダンス衣装を着て肉体美を見せるグループや、明らかに小学生くらいの女の子まで。
その中で、タツとシュンさんはいつも通りの服装といつも通りの雰囲気だった。
綺麗に着飾った人達の中で少し控えめにも映るその格好。
ベージュのチノパンに白いTシャツ、上から赤チェックのシャツを着ているタツの頭にはやっぱり顔を隠すように目深な帽子。シュンさんも黒いすっきりしたパンツに白いシャツというシンプルな服装だ。
ああ、2人はきっと音楽だけで勝負するつもりなんだ。
そう気付くのはすぐのこと。
いつも通りに落ちついた様子で、けれどしっかり胸を張ってそこに立つ2人。
頑張れ。
心で何度も唱えた言葉を再び浮かべて、私はその姿をジッと追った。




