5.綺麗な音
ふらふらと歩きだすと、次第に音が鮮明になっていく。
はっきり聴こえるのはギターとキーボードと、歌声。
「すごい、全部綺麗な音」
思わず声に出してしまうほど、その音の重なりは綺麗だ。
ギターの音は、まだ粗っぽさはあるけれど真っ直ぐに響く音。
キーボードの音は、洗練されていて透明な音。
両方とも素人には出せない音だ。
いや、きっとプロの世界にいたってそうそう出せない音だ。
特にキーボードの方。
キーボードでこんな透き通った音、簡単には出せない。
何だか興奮してしまって、音のする方へと引き寄せられる私。
辿りついた場所は木々に囲まれ、遊具がほんの少しだけあるような公園だった。
人通りなんてそんなにないような場所に楽器を広げて2人組が演奏している。
観客なんて1人もいない。
けれど、とても澄んだ音を紡いでいる。
2人共帽子を目深にかぶっていて顔は見えない。
分かるのは、ギターを弾いている背の高い男性とキーボードを弾いている細身で色白の男性ということだけ。
歌はおそらくキーボードを弾いている男性から発せられているんだろう。
近くで聴けばやっぱり、その音の綺麗さが際立つ。
「綺麗、だなあ」
気付けばそう言っていた。
「…ん?」
「……誰」
…気付けばその音源の目の前にいたらしい。
完全無意識のうちに、どうやら私は2人の目の前まで足を運んでしまったらしい。
音がぴたりと止まって、2人が私を見つめた。
帽子をかぶっているし、うっすら空も暗くなりかけているから顔なんて分からない。
けれど、視線を感じて今さら緊張する体。
「あ、あ、ご、ごめんなさっ」
やっぱりぽんこつなこの体は言葉を上手く紡いでくれなくて、ぽんこつな頭も真っ白にはじけとんで、何を言いたいのかすら分からなくなる。
おまけに勝手に動いてしまうこの体は勢いよく頭を下げる。
それこそ体が2つ折りになるくらい。
イメージでは「綺麗な曲に誘われてきてしまいました、ごめんなさい」とスマートに言って、軽く頭を下げて、華麗に去る図ができていたのに。
どうやら難易度が高すぎたらしい。
そして馬鹿な私は、さっきまで音楽日記をつけていたおかげで背負っていたリュックのチャックが全開なことも忘れていた。
ザザザと音を立てて一気に中の物が地面に落ちる。
「……」
「すご…こんなお約束展開生で見たの初めてだわ」
2人の反応は別々だった。
キーボードの人は黙っているし、ギターの人は呆然としながらそんなこと言っているし。
もっとも目の前で起きたことにいっぱいいっぱいで、そんな2人をじっくり見ることなんてできなかったわけだけど。
「ひっ、ご、ごめんなさい!」
ひっくり返る声が情けない。
何をやっても上手くいかない自分が情けない。
泣きそうになりながら、急いで土の上に落ちたものをかき集める私。
「あれ、ソレ…」
ふと、ギターの人が地面に散らばったあるものを指差した。
それは、いつもお守り代わりに持っているフォレストのCDだ。
リュウがフォレストを脱退する直前に発売されたCD。
脱退前だったことが影響したのか、このCDに2つあるカップリング曲のうちの1つがリュウのソロ曲だ。
リュウの脱退後、あのテレビを見てから私はそのCDをおこずかい貯金をからっぽにして買った。
当時のリュウの全部が詰まっている曲だった。
それ以来、私は今どきそうそうないCDプレイヤーと一緒にいつでも聴けるよう常備している。
気付けば、目の前にギターの人が来てしゃがみこんでいる。
千歳くんや大塚さん以外でこんな異性が接近したことなんてない。
緊張は尚更高まって、顔なんてもちろん見ることができない。
ひたすら地面を見つめて固まる私に声は響いた。
「あ、五線譜…君も音楽やるんだ?何やってるの」
「え、あ、その…ピア、ピアノ…とか」
「なるほど」
どうやら私が固まっている間に視線は五線譜に移ったらしい。
しどろもどろにしか答えられない私に、その人は驚きもせず話しかけてくる。
不思議な人だと思った。
「それにしても随分古いCD持ってんね、ウォークマンまで。好きなの?」
「は…い。お守り、です」
「お守り?」
「すご、すごく、真っ直ぐでかっこいい曲、なんです。想いが全部詰まった、あったかい」
「……」
「げ、元気になれるんです。憧れで、目標、なんです」
会話が続くことなんてそんなになかったから、どうすればいいのか分からない。
一度話し始めると今度は沈黙が怖くてぺらぺらと話してしまう口。
目の前の人は黙りこくってしまった。
「…聴いてくか」
沈黙を破ったのは、最初以外一切の声をあげなかったキーボードの人だ。
思わず勢いよく顔をあげると、その人はフイッと目をそらす。
「聴きに来たんだろ、曲」
ぶっきらぼうに言っているけれど、言葉が優しい。
相手に見えてないだろうに私はブンブンと首を縦に振っていた。
キーボードの人は雰囲気でそれを察したらしい。
そして、ギターの人に「タツ」と呼びかける。
ギターの人はどうやら「タツ」という人らしい。
「…シュン、俺弾ける気がしないんだけど」
「僕の知るタツは、そんなチキンじゃない」
「……何気に酷くないか?」
そんな会話が目の前で交わされている。
キーボードの人は「シュン」さんだと、それだけ理解した。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます!!」
「ふは、反応面白い」
タツさんは、フォレストのCDとプレイヤー、あと五線譜を渡してくれる。
張り切ってお礼を言うと軽く笑われた。
なんだか温かい笑いだと、なぜかそんなことを思った。
そんな出会いだった。