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ぼたん  作者: 雪見桜
本編
59/88

58.将来の夢



「うああああ、受験なんて滅べば良いのにー!」


「真夏うるさい」


「だって!私頭良くないし!」


「…気合入れて言うことじゃないでしょうが」


「良いよね、萌は頭良いもん。行くとこ困んないでしょ」


「努力の結果です。寝る間も惜しんで私はちゃんと勉強してるの」


「…ごめんなさい。確かに勉強量段違いでした」




仕事に全集中して取り組んでいるとあっという間に5月がやってくる。

高校3年生という立ち位置にも慣れてくる頃。


今年初の二者面談を前に、真夏ちゃんは進路希望用紙と睨めっこしていた。

将来の夢はキャリアウーマンらしく、少しでも良い就職条件を目指すため大学進学希望らしい。



私の場合もう進路は決まっているから、そういった悩みはない。

けれど、だからといってのほほんとしているわけにもいかなくて。


卒業後の千歳くんは仕事に専念する環境が整ったおかげで今まで以上に忙しそうに働いている。

来年の自分の卒業後には、私もテレビや雑誌の仕事を請け負うようになる。

今はその準備期間で、また露出の増えた千歳くんに合わせ曲の製作ペースも上がっているから、休む時間は中々取れない。

今月に入って、ファーストアルバムの制作も決まったから、秋口くらいまでは受験生同様常に課題に追われる生活なんだと思う。


そして、その前に大きく私の前に立ちはだかっているもの。




「私は…卒業、できるかなあ」



思わず乾いた笑いが出てしまう。

正直な話、進級も危なかった。

何度か矢崎先生がマンツーマンで教えてくれて、分からない問題を一から徹底的に聞いて、その努力点と補習のテストで何とか進級させてもらった。

通信簿の評価は留年ギリギリな数字が並んでいるけれど。


私の思わずといった言葉に真夏ちゃんと萌ちゃんが私をジッと見つめる。

声に出ていた事にそこで初めて気付いて、慌てて誤魔化そうとする私。

そんな器用な真似ができるわけもなく、気付けば力強く肩を掴まれていた。




「千依、頑張ろう、まじで。千依が赤点脱出できれば、私も自信に繋がる」


「え、えっと」


「千依でさえ乗り越えたんだから私もって気になるじゃんか」


「…真夏、あんたさりげなく千依に失礼だよ」


「あの、うん、頑張る」



真夏ちゃんとそんな謎の結束が生まれ、よく分からないまま握手を交わす。

この2人と一緒にいることにもだいぶ慣れてきていた。

それがとても嬉しいと思うこのごろ。




「で、萌は進路どうすんの」


「文学部。興味あるし。で、その後公務員」


「は、公務員?文学の方じゃなくて?」


「安定した給料で、安定した福利厚生が欲しい」


「あー…なんかすっごい納得」


「萌ちゃん、キャリアウーマンになりそう」



萌ちゃんは表情ひとつ変えずにキッパリと夢を語る。

萌ちゃんはどこまでも萌ちゃんらしく、とても現実的だ。


3年生に上がり、みんなそれぞれ進路と向かい合っている。

大変そうだけれど、それぞれ未来を模索している姿はキラキラ輝いているようにも見えた。




「夢、かあ」




ぽつりと呟いて教室の天井を見上げる。

そこに何かがあるわけじゃないのは勿論だけれど、何となく上を向いて思考に落ちる私。


私の夢は、世界中の人に音楽を届けること。

タツのように力強く、温かく、真っ直ぐに。

音楽の世界での頂点。その基準はひどく曖昧ではあるけれど、より多くの人に想いが伝わるような曲を作りたい。それが私の気持ちだ。


苦しい人には励ましになるような曲を。

楽しい人には更に盛り上がる曲を。

悲しい人にはそっと寄り添える曲を。

そうやって音楽が私を助けてくれたように。


どこまでも先は長く、ゴールは見えない。

夢というものはとても遠い存在だ。




「頑張らなきゃなあ」



自然と出てきた言葉が、全てなのだと感じた。

世界中の人に音楽を届けるということは簡単なことじゃない。

浮き沈みの激しい芸能界で活躍し続けるということ自体がまずはとても大変だ。


私達の曲だって、今のところ順調に売れてはいるけれど、いつ沈むか分からない。

私達より若く、上手で、インパクトのあるアーティストがいつ出てきてもおかしくない。そんな世界だ。

飽きられてしまうこともあるかもしれない、掴んだまま離さないというのはとても難しいことで。


曲の売れ方にも波はある。

たとえば私にとっての自信作が、他の人にとって必ず素晴らしい曲になるわけじゃない。

けれど世間が概ね良いと思う曲を狙いすぎれば、個性が死んでしまう。

知識も経験も浅い私にとってかなり深刻な問題だ。



注目度が上がれば、それだけプレッシャーも大きい。

責任感も増してくる。

その中で私は千歳くんをちゃんと輝かせるだろうか、人々が望む曲を生みだせるだろうか。



そんな不安にかられることが最近増えた。

千歳くんが本格的に動きだして、私の進路も明確に見えてきたからこそなのかもしれない。


それでも私達は踏ん張らなきゃいけない。

不安と闘いながら、そこと打ち勝って、一歩一歩でも前に進まなきゃいけない。



そしてそんな答えのないことをグルグル考えていると、必ず思い出すのはタツのあの笑顔。

そんなこと何でもないというくらいに笑って、純粋な歌を届けられる憧れの人。

どんなに挫けても決して前を向くことを諦めなかった彼だからこそ、私も頑張ろうと思えた。

その誓いが、不安にかられる私を何度も助けてくれている。





「会いたいなあ」



ついつい口に出してしまう私がいた。

一度考え出したら、もう頭がいっぱいになる。


あの笑顔を見たい。

大きなその手に触れたい。

あの安心できる声でチエと呼んでほしい。


一度好きになってしまうと、どこまでも好きで、我儘な気持ちが膨れてしまう。



そんな私を見て友達2人がニヤリと笑った。

もう私の思いなんてずっと前からバレている。

3年生に上がってすぐくらいに「辛抱切れた」なんて言って質問攻めにあったから、2人は私とタツとのことを知っている。




「愛い奴め!あのおっさんには勿体ない!」



ガバッと私に抱きつく真夏ちゃん。



「明日なんでしょ、例のオーディション。見に行くんだっけ」


「あ、うん。その、千歳くんが特別ゲストで出るから、関係者席用意してくれて」


「そう、良かったね。久しぶりに顔見れるよ」




誰にも聞こえないよう小さな声でそう言ってくれる萌ちゃん。

会話なんてする機会ないだろうけれど、ついつい思い浮かべては顔が赤くなってしまう。


そんな場合じゃないというのに。

明日はタツやシュンさんにとって一番大事な日。

人生がかかっているといっても過言じゃない日。



頑張れ、頑張れ。

そう応援している自分と、2人なら絶対大丈夫と思う自分。

そこに混ざって、それでもどうしても姿を見れることを喜んでしまう自分勝手な自分がいる。





「うう、私、我儘かもしれない」


「え、なんで」


「だって、自分の気持ちばっかり押し付けちゃってる。大事な日なのに、嬉しいなんて思っちゃう」


「……この純情天然娘が。可愛すぎる」


「本当、びっくりするくらい乙女だよね千依は」




火照った顔のまま窓を眺める私。

空は雲ひとつない快晴。


頑張れ。

私はタツの住むお店の方へ向って、もう一度そう祈った。









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