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ぼたん  作者: 雪見桜
本編
56/88

55.ぼたん



タツに連れられ辿りついた場所は、例の作業場だった。

前に来た時と違って部屋の中は綺麗に整頓されている。


そこにあるのは積み重なった五線譜と、丁寧に磨かれ置かれたギター。

思わず五線譜をまじまじ見てしまう私。

横でタツが苦笑した。




「見せてあげたいのは山々だけど今はダメ」




テーブルに乗った五線譜の山をひょいと取り上げて近くの棚に置くタツ。

中身が見たくてついついその手を目で追ってしまう。


すると、タツが唐突に私の目の前に来て顔を覗きこんできた。




「うわああ!?」


「ふは、相変わらず良い反応」




いきなりのタツの顔ドアップに腰を抜かしてしまう。

タツはカラカラ笑いながらしゃがんで手を差し伸べてくれた。


私は顔を真っ赤にしているのに、タツはいつもの表情を崩さない。

…なんだかずるい。


ついついそんなことを思ってしまって、その初めての感情に自分で驚く。

胸はやっぱりドキドキとうるさくて、頭の中はタツでいっぱいで、どんどんと気持ちが重なっていく。

初めて自覚した恋心というものは、幸せだけれどそれよりも忙しなくて中々頭がついていかない。




「ほら、こっち座って」


「は、はい」



それでも優しく微笑んで手を掴まれると、やっぱり嬉しくて真っ赤な顔のままギュッとその手を握る。

緊張しているのに顔がにやけてしまって、何とも微妙な顔になっている自覚はあった。


恋をすると人は可愛くなるなんてよく言うけれど、私の場合は間違いなく奇怪な行動と表情なんだろう。

好きな人の前でくらい可愛い私でありたいのに、上手くいかない。

とても難易度が高い。


けれどタツはそんな私に構うことなく近くに座って口を開いた。





「チエにさ、これを見せたかったんだ」


「え?……っ、これ」


「ああ、知ってるんだな。そう、Aオーディション」



タツが手に持っていたのは、とあるオーディションの結果通知。



Aオーディション。

新人アーティストの発掘を目的としたオーディエンス審査方式のオーディション。

音楽事務所8社協賛という異例の規模で行われるオーディションだ。


うちの事務所もその中のひとつだから知っている。

最終審査まで進むのは20組。

それぞれが会場でライブを行い、その審査するのは当日会場に入ったお客さん。

全組演奏が終わってからそれぞれが1位から3位までを投票して、各順位に応じたポイントを累積させ、一番得票の高い組が優勝。

優勝した組は協賛8社のどこかからデビューが確約されるという、色々と新しい形のオーディションだと大塚さんが言っていた。


たとえ優勝できなくても、どこかの事務所の目に留まればデビューも夢じゃない。

注目度も高いから、アーティストを夢見る人達にすれば大きなチャンスだというのは確かなこと。




「一次審査、通過」



そう、タツが持っていた結果通知にはそう書いてあった。

タツとシュンさんが、着実に前に進んでいる証拠。

ただぼんやりと文字を追っていた私は、やがてその意味を呑み込んでいく。




「通過…!おめでとうございます!」



すごく嬉しくなって、ついつい声を張ってしまった。

タツも本当に嬉しそうに笑って「ありがとう」と言う。


このオーディション、確か応募総数は2万を越えていたはずだ。

その中で一次審査を通過できるのは10%にも満たない。

第一歩とはいえ、それは大きな一歩。




「やっとさ、自分の中で何かを掴めた気がしたんだよ」


「何かを…ですか?」


「君のおかげだ。俺の方こそチエにお礼を言わなきゃいけない」




タツがフワリと笑う。

その顔はどこか吹っ切れたように見える。

私の大好きなタツの笑顔。


私がタツに何かを出来たという気持ちは正直ないけれど、それでも私がタツの何かの役に立てたというのならそれはとても嬉しい。

あの日私に大きな力をくれたタツに何かを返せたのだとしたら。


言葉にならなくて私はひたすらタツを見つめる。




「チエにいつも偉そうなこと言ってたけど、俺も色々ウダウダ悩んでたんだ。歳のことも将来のことも、シュンのことも。もう俺ぐらいの歳になると夢ばかり語れなくなる、周囲の当たりだって当然キツくなってね」


「タツ」


「けど、もう俺は前だけ見る」



タツの言葉は簡潔で、そして声も顔も力強かった。




「自分を卑下するのは、もうやめる。信じてみるよ、俺の力を」




その強い言葉も、満面の笑みも、あの日のリュウを思い出させる。

けれどそれよりもうんと決意のこもったそれに、胸が熱くなった。


5年。

それだけの間、彼は一直線にただ一点を目指して進んできた。

ぶれることなく、曲がることなく。

苦しみながらでも、その根を変えることなくここまで来た。




「やっぱり、タツはすごい」



アーティストとしても、人としても。

どこまでも真っ直ぐで、どこまでも熱くて、そしてどこまでも温かい。





「今度は、俺の番」



子供のように無邪気に笑い、タツはそう言う。

首を傾げれば、ははっと声をあげた。




「必ず追いついて、チエに必ず伝えるよ」




何を伝えるのか、分からない。

それでもあまりにすっきりとした表情のタツに魅入られて声はあがらない。




「本当にありがとう、チエ。チエに相応しい人間になって、正々堂々会いに行くから。約束の場所に」




その言葉を聞いて、私は思い出していた。

あの日、あの時、たくさんのスポットライトを浴びて歌った彼を。

私を救ってくれたタツのその歌声を。


目を閉ざせば、瞼の裏にぼんやりと映像が浮かぶ。

過去のタツと、そして未来のタツ。



約束の舞台。

今日私が立った、あの大舞台。

そこでシュンさんと力いっぱい歌うタツ。

そして、私と千歳くんとタツとシュンさんの4人で笑い合う光景が脳裏に浮かぶ。


それはあまりに幸せな映像で。

だからこそ、私にも気合が入る。





「はい、待ってます。私も、タツに胸を張って会えるよう頑張りますから」




そうして今度は、私から手を差し出す。

やっと私はタツと同じ所に立って、向かい合えている気がした。

後ろから追いかけるのではなく、真正面で。


タツは少し驚いたように目を見開き、そしてすぐに破顔した。

がっちりと手を握り締めたその感覚を私は、決して忘れないと思う。




タツとシュンさんに送られた一次審査通過の知らせ。

そこに書かれた2人のユニット名。



ぼたん



たとえ何かを掴むまで時間がかかっても、たとえ途中でかけ間違えたとしても、それでも一つ一つ確実に前に進めるユニットになりたい。


タツが照れくさそうにしながら教えてくれたその名前は、2人が歩んできた道を象徴するような、そんな響きだった。





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