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ぼたん  作者: 雪見桜
本編
55/88

54.水面下



硬直状態から回復するのには時間がかかった。

どれくらい時間が経ったのかなんて分からなかったけれど、少なくとも短い時間じゃなかったというのは分かる。


そしてある時突然ハッと空気が割れるように意識が戻った。

タツだけじゃなくて、オーナーさんやシュンさんやお客さんやアイアイさんがいる中で惚けた顔を見せてしまったことに気付き、恥ずかしくて顔が一気に熱くなる。




「そ、そ、それだけ、あの、それだけなのでっ!あ、ありがとうございました!!」


「え、ちょ、チエ?」


「や、夜分遅く失礼しました!アイアイさんもごめんなさい!」


「ん?謝らんで良いっつの、もう良いのか?まだ話してても良いんだぞ?」


「だだだ、大丈夫、です!」




どうしようどうしようとパニックになりながら、とにかく失礼にならないうちに去ろうと声を張る私。

時刻はもうそろそろ11時にさしかかろうというところ。

大晦日の営業中の居酒屋に押し掛けて、これ以上邪魔になるのは良くない。

そう思って、頭を下げる。


そうすると今度はタツが席から立ち上がって、私の目の前まで来た。

未だ落ちついていない頭が途端にパニック状態になって、心臓がドキドキ煩く音を立てる。

恥ずかしくて、緊張して、顔があげられない。




「チエ、もう時間ない?俺、もう少し話したいんだけど」



その声にまた大きく胸が跳ねて、うっかり流されそうになる私。

けれど後ろから感じるアイアイさんの気配でハッとして、私は首を横に振った。



「あの、その!うれ、嬉しいですけど、アイアイさんにこれ以上ご迷惑は」


「アイアイさん?」


「あー、俺だよ俺。どうも初めましてリュウくん?」



私の声に合わせてアイアイさんがズイッと私とタツの間に立つ。

私の前に立つアイアイさんの顔は見えないけれど、何となくピリピリしたオーラを感じるのは気のせいだろうか。




「あれ…なんか見覚えある。あ、もしかして昔ウチのとこにメイク来てくれた人ですか?」


「は?え、なに、覚えてんの俺のこと。どういう記憶力してんだよ」


「ああ、やっぱり。なんか1人だけ異様に黒かったからよく覚えてます」


「…悪かったな、人一倍日焼けしやすい体質で」




アイアイさんに対してタツはいつも通りのテンポで話をしている。

気付けば何だかんだとタツのペースにのまれて親しそうにしている2人。


タツのコミュニケーション能力はとんでもなく高いんだと、再認識する。




「おや、何か賑やかだね。って、ああ、チエちゃん!来てくれたのかい!」


「あ、あ、お、お邪魔してます!ごめんなさい!」


「いらっしゃい、やだね今日はおめかししてすごい綺麗じゃない。可愛すぎて襲われちゃうよ」


「え、え!?」


「ほら、そんなとこで立ってないで座りなさい。いま何かあったかいもの持ってくるから」


「へ、い、いえ!これ以上お邪魔は」


「そんなこと言わずに、ほら!女の子はいるだけで華になるからさ、座って座って」




私の方も奥さんの方の押しに勝てず、あれよあれよと言う間にアイアイさんと2人、近くのテーブル席に腰かけていた。

そんな私達の正面にタツが座る。

気配でそれは分かるけれど、やっぱり緊張してしまって上手くそっちを見れない私。


それでもジッと見つめられる視線を感じて、顔の熱だけ上がっていく。




「竜也さん、見過ぎ見過ぎ!」


「タツ、変態くさいからその視線は止めた方が良い」


「…うるさい、お前ら。てか、シュン酷い」




常連客だという前園さんとシュンさんが発した言葉すら私には鈍く届く。

どう話せばいいのか分からなくて、何を話せばいいのか分からなくて。

ついつい縋るようにアイアイさんの服の裾を掴んでしまう私。


20歳近く上のアイアイさんは、私にとって年の離れたお兄さんのような親戚のような人。

とても気さくで頼りになって、だから人見知りの激しい私でもここまで懐いている。

アイアイさんはそんな私の頭をポンポンと叩きながらにやりと笑った。




「おいおい、この程度で腹立てんなよ。思ったより心の狭い奴だな」



唐突にそんなことを言うアイアイさん。

何を言ってるのか分からず思わず首を傾げてしまう。

それに対する返事は、向かいからきた。




「…はあ。俺、そんな分かりやすいですか?」


「ああ、思ったより。てか、敬語いらねえぞ?堅苦しいの嫌いでね。アイアイって呼んでくれていいぜ」


「なるほど、チエが懐く理由が分かった。じゃあ遠慮なく」


「おう。で、一言だけ言っとくけど、おれの可愛い妹分に変なマネすんじゃねえぞ?キレるから」


「ああ、すみません、それ無理。本人が嫌がる真似はしないけど」


「てめ、歳考えろよ。犯罪だぞ、犯罪」


「いやいや、ともすれば親子ほど違いそうなチエのこと妹分なんて公言するアンタに歳のこと言われたくない」


「うわ、お前可愛くねえ!やんちゃでワンコな弟分キャラどこに置いてきたよ」


「…いつの話だ、いつの」




2人の会話の意味がまるで分からない。

どうすればいいのか分からなくて、今度はシュンさんを見つめてみると、シュンさんは無言のまま表情も変えずにただ首を横に振った。

どうやらシュンさんは話の展開についていけているらしい、すごい。




「チエ」


「うわはいいい!?」


「ふはっ、相変わらず良い反応」


「ごめんなさいごめんなさいっ」



そして唐突に呼びかけられる私。

準備できていなくて奇声が上がったけれど、相変わらずタツは穏やかに笑う。

その声に勇気をもらってソロソロと顔を上げると、楽しそうな顔のタツとすぐに目が合う。


大きく一回心臓が鳴った。




「チエってさ、もしかしてチトセと親戚か何か?」



そんなことを言われて目を見開く。

それだけでタツは正解だと理解したらしく、ふわりと目を和らげた。



「やっぱり。今まで気付かなかったけど、よく見たら何か似てるなと思ってさ」




タツの洞察力の高さに私は驚く。

確かに私と千歳くんはどことなく雰囲気も容姿も近いところがある。

けれど一般的な双子ほど容姿の似たところはない。


初対面の人や私と千歳くんの関係を知らない人は決まって「ああ、言われてみれば似ている気もする」くらいの評価をしていたし、実際一発で私と千歳くんが親類だと気付いた人も少なかった。




「その、千歳くんは、双子の兄で」


「双子!?」



勢いよく返事したのは前園さん。

そして目の前のタツもさすがに双子とまでは思っていなかったらしく軽く目を開いている。


そんな空気の中、ただ一人アイアイさんがにやりと笑った。



「筋金入りのシスコンだぞ、千歳は。せいぜい茨の道を歩むがいいさ」




…何が茨の道なのか分からない。

分からないけれど、その言葉に反応してタツが何やら頭を抱えている。

シュンさんが近くまで来て、何故だかタツの肩をポンと叩いている。




「ハードルたっか、ハードル多っ。これ上手く立ち回らないと夢どころか奈落行きだろ…」


「犯罪行為だけはするなよ、タツ。僕、巻き添え嫌だから」


「…お前、少しは俺を慰めてくれよ」




そんなよく分からない会話に私はただ首を傾げるしかない。

会話上手な人達の会話は高度すぎて理解が難しい。


けれど、何やら千歳くんの単語によって悩みだしたタツを見て、何か誤解があるなら解かなきゃと思う私。

必死に口を開く。




「あ、あの!千歳くんは優しいです!奈落行きなんてしないですよ?ずっと私のこと支えてくれる素晴らしい兄で」


「ああ、うん…チエ鈍そうだなと思ったけどやっぱりそうだよな。というか、チエももしかしてブラコンだったり?うわ、それ本当シャレにならない」


「へ…?な、なんで…」


「あー、とにかくハードル高くて、しかも数が多いのは理解した。もう覚悟決めるしかないか」


「…覚悟?」


「そう、覚悟。だって諦めるとか無理だしな。俺、元来強欲だし」


「……強欲?」




何だか今日は難しい話ばかりしている気がする。

国語が得意なはずなのに、うまく言葉を理解しきれなくて、頭がぐるぐるこんらんしてくる。


こんな高難易度の会話に私はいつか加われるのだろうか…。

千歳くんと一緒に表に出る時、ちゃんとついていけるだろうか。

すごく心配になってしまう。



「というわけで、アイアイ悪いけどちょっとチエ借りるな。どうしても話しておきたいことあるんだ」


「はあ?お前、ふざけんな。たった今忠告したばかりだろうが」


「だからだよ。この先しばらくは下手な真似できないんだ、今日10分くらい時間くれたっていいだろ」


「……はあ、敵に塩を送りたくはねえんだけどな。察しが良くて顔の良い奴はこれだから」



いつの間にやらものすごく親しげに会話をしているタツとアイアイさん。

アイアイさんの言葉を了承と捉えたらしい。


タツが席を立って、すぐ横に来る。

そうして少し屈んだかと思うと、そっと私の左手を持ちあげた。

いきなりの接触にカッチリと固まって思考を飛ばしてしまう私。


タツはそんな私のことなんてお構いなしに、笑った。

それはいつも見る清々しくて温かい笑みで、途端に心臓がわし掴みされたような感覚に陥る。


言うことの聞かない体は、ますます鈍くなって、もうどうすればいいのか分からない。

タツを好きだと知ってから私の心はいつだって忙しい。





「行こっか、チエ。ちょっと話あるから2階行こう」




何も言えぬまま、ただただ私はそのゴツゴツとした逞しい手に引かれるまま歩きだす。

そんな私達のことを、ある人は驚いたように、ある人は呆れたように、またある人は複雑な表情で、けれど皆どこか生温かく見守っていた。


勿論、そんなことを知るだけの余裕は私にはなかったわけだけれど。





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