53.裏側
奏としての初陣。
その舞台は、ずっと目指してきた大きなもので、タツとの約束の場所。
人のあまりの多さに圧倒される。
ドクドクとなる心臓はものすごく嫌な音として耳に直に届く。
…やっぱり怖い。
多くの視線に体が縮むのが分かった。
けれど、それでも。
「ちー、行くよ。大丈夫」
「う、うん」
頼もしい顔で堂々と横に立つ千歳くんの声を聞いて、自分を奮い立たせる。
そうだ、決めたんだ。
ちゃんと奏として表に立つって。
タツやシュンさんにだって誓った。頑張るって宣言した。
自分に言い聞かせて足を踏み出す。
手足はガクガクと震える。
それでも、ちゃんと体は心に付いてきてくれた。
ステージに上がれば、千歳くんは兄ではなくチトセになる。
堂々と、こっちを振り返ることもなく前を進む。
私のことをいつだって信じてくれる大事なパートナー。
いつも私を引っ張ってくれる大好きな兄。
「かぼちゃ、かぼちゃ…」
小さく、本当に小さな声で真夏ちゃんが教えてくれた言葉を口にして、私はピアノに向き合った。
前の一番目立つ所に千歳くん。
その少し後ろに私、そして私と千歳くんを挟んで反対側に楽器隊からドラマーとギタリスト、ベースの人がいる。
演奏開始の合図が出ると、正確なリズムを刻むドラマーさんが私の方をチラリと見た。
私は小さく頷いて、小さく息を吸う。
怖いけれど、試してみたい。
この大きな舞台で、奏としての今最大限の力を。
『チエ。大丈夫。チエは大丈夫なんだよ』
タツの言葉が脳内に響く。
こんな私でもそう言ってくれる人はいる。
こんな私でも千歳くんや大塚さん、楽器隊の皆は信じてくれているんだ。
だから、私も最高の音を。
奏として、タツやシュンさんのライバルとして胸を張れるような響きを。
心をこめて、指を弾く。
すぐ弱々しくなる心とは裏腹に、音はちゃんと力強く出てくれる。
続いて響く千歳くんの音だって負けないくらいに力強い。
うん、やれる。
そう思えば、あとは曲に入り込むだけだ。
多くの人が受け入れてくれたこの大事な曲を、より良く届けるために。
あとはただ無心に音を追いかけていく。
大事な舞台なはずなのに、記憶が全て飛ぶくらいただただ夢中になる。
音が鳴り始めれば、もう止まらない。
千歳くんと音を紡ぎだすこの瞬間がたまらない。
「おつかれ。お見事、大したもんだよお前らは」
「ちぃちゃんお疲れ様!良かったぞ」
「ちぃ、胸はれ。最高の出来だ」
「お疲れさん」
気付けばあっという間にそれは終わり、大塚さんや楽器隊の皆がそう言って肩を叩いてくれた。
「やっぱ、全然違うな。ちーがいると」
横で放心したように言うのは千歳くん。
何か思うところがあったようで、珍しく視点も定まらない様子だ。
けれど少し経って、首を大きく横に振ると私の方を見つめてきた。
「ちー、頑張ろう。絶対2人で頂点まで登るぞ」
気合の入った声。
そして、いつにもなく強い意志の感じる目でそう言う。
嬉しいと純粋に思った。
私の夢を、千歳くんも願ってくれること。
私と一緒に頂点を目指したいとそう思ってくれること。
つきだされた拳に、自分の拳を合わせる。
「勿論」
そうキッパリと答えられた自分が誇らしかった。
清々しい気持ちで千歳くんと笑いあえることが幸せだと思った。
「千依」
そうして、まだ余韻が冷めきらない状態の私達に声をかけたのは大塚さんで。
振り返れば、彼はスマホ片手ににやりと笑って立っていた。
首を傾げる私。
「会いにいったらどうだ、リュウに」
その言葉に目を見開く。
「今、あいつケンさんの店にいんだろ?店開けとくから来いってよ」
ケンさんが誰なのか一瞬分からず首を傾げかけて、それがあの居酒屋のオーナーさんの名前だと思い出した私。なぜ知っているのか分からず驚き顔のままの私に大塚さんが近づく。
「あの人、元ギタリストだよ。しかもかなりの凄腕の。昔仕事で何度か一緒になったことあってな、連絡先知ってんだよ」
「ぎ、ギタリスト!?」
「…大塚さんって本当顔広いよね。毎度驚かされるわ」
衝撃の事実だ。
オーナーさんがプロの音楽家だったなんて。
けれどよく考えてみれば、居酒屋なのにアップライトのピアノがあったり防音室があったり、確かに音楽に親しい空気は感じた。
そういうことだったんだと、やっと納得する。
「え、ま、まった!ケンさんって…あのken!?ちょ、大塚さんまじかよ!俺も行きたい!」
「宗吾、アホ。お前はお呼びじゃねえよ」
「酷い!俺がkenに憧れてこの世界入ったこと知ってるくせに!」
「…お前は渋いよな本当。ケンさんって随分前にこの世界から退いてるってのに」
うちの楽器隊でギターを担当してくれている宗吾さんの反応を見る限り本当に有名な人なんだろう。
タツが彼の下で住み込みで働きながら音楽を続けている。
思えば確かにタツのギターの技術は飛躍的に進化していた。
色々と納得していく。
「千依、宣言してこい。リュウに言うって決めたんだろ?」
大塚さんが私の頭に手を置く。
ハッとして見上げれば、彼は優しく笑っていた。
「リュウの奴、テレビ見て一発でお前だって気付いたってよ。なら、お前がすることは一つだろ」
その言葉に心が揺さぶられる。
タツも、聴いてくれた。
私だと気付いてくれた。
今まで隠し続けたことに罪悪感も募ったけれど、それ以上に嬉しい気持ちが強い。
…ちゃんと目を合わせてお礼が言いたい。
あの日、この舞台で強く私を引っ張ってくれた彼に。
「行っといで、ちー」
「千歳くん」
「俺の分まで、宣戦布告しといてよ。大丈夫、後のことは俺に任せろ」
横で千歳くんもカラカラと笑ってそう言う。
気持ちが尚更たかぶって、私は大きく頷いた。
「まあ、そう言っても俺はまだ千歳に付いてなきゃいけねえから、藍に頼んだ。藍に連れて行ってもらえ」
「ほんっと、大塚さんは人使い粗い。ま、暇してっからいいけど。連れてくのちーだし」
「あ、アイアイさん」
「行くぞー、ちー。俺も久しぶりにリュウの顔見たいしお役目引き受けてやるぜ」
「は?アイアイ知り合いなの?」
「いや?見習い時代に遠くから見かけたことあるってだけ。さすがアイドルは別格だよなー、目の保養」
「あ、アイアイさんありがとう!よろしくお願いします!」
「おう、任せときな」
「アイアイ、アイアイ。無理しなくていいよ。俺がちぃちゃん送ってくって!」
「お前は駄目だ、バカ宗吾。この後もう1本歌番組あんだろが」
そんなやり取りの後、私達は夢の舞台を後にする。
胸一杯に占める舞台の余韻と、これから会う人達を思った時の胸のドキドキが重なって頭がぐるぐるする。
そんな不安定な状態のまま辿りついた居酒屋。
いっぱいいっぱいで他のことなんて何も考えられないほどに緊張した。
けれど、すごく会いたい。
会って、目を見てお礼を言いたい。
「ほら、ちー」
ガチガチに固まった私の背中を優しく叩いてアイアイさんが励ましてくれる。
それで少し落ち着いて、私はその扉を開けた。
「こ、ここここ、こんばんは!」
やっぱりスムーズな言葉は出てきてくれなかったけれど、それでも私は必死に言葉を紡ぐ。
その場にいる人達が私をポカンとした顔で見ているのが分かる。
それは、一番に感謝の気持ちを伝えたいと思ったタツもそうで。
胸に気持ちが溢れて、もうどうしようもない。
憧れの人が、好きな人が、私を真っ直ぐ見て耳を傾けてくれる。
その事実すら胸がいっぱいになって、いっぱいいっぱいになる。
それでも、私はただただ思いのたけをタツにぶつけた。
5年間ずっと伝えたかった大事な言葉を。
そうして千歳くんからも預かった、決意の言葉を。
「勝負、です。2人に負けないくらい、私だって、うんと強くなりますから」
気づけばその言葉と共に笑顔になっているのが分かる。
やっと言えたと言う思いで嬉しくて。
「…ははは、参った」
どれくらいの時間が経ったのか分からない。
ふと、タツがそんなことを言う。
その意味は分からない。
けれど、キラキラとして温かいその笑顔に胸が熱くなる。
顔もガーッと熱くなる。
元とはいえアイドルの笑顔は威力がすごい。
それが好きな人となれば尚更。
あまりの威力に頭が真っ白になってカッチリ固まってしまう私。
「…すげ、俺人が恋に落ちる瞬間初めて見た」
「……思ったより早かった、な」
私達を見て、見知らぬお客さんとシュンさんがそんなことを言っていたこと。
「俺の可愛い妹分になんつー目してやがる、潰すぞこら」
私の真後ろで様子を見ていたアイアイさんがそんな物騒なことを小さく口にしていたこと。
どちらにも、気付くことができなかった。




