52.自覚・後(side タツ)
「うえええ!?知り合いいい!?」
シュンと2人固まったまま動けなかった。
そして我に返った時にわけを知りたがった芳樹に事情を教える。
芳樹はこう見えて口が堅いし、芸能人と知り合いだからと自慢げに言いふらす男でもない。
だから言っても大丈夫だと判断した。
案の定というか、芳樹の反応はでかい。
俺もまあまだ衝撃が抜けていない。
チエ。
あまり評価のされない俺を真っ直ぐ褒めて、一生懸命応援してくれる女の子。
俺なんかより段違いに素晴らしいモノを持ちながら、それでも俺を憧れだと言いきる不思議な子。
出会ってまだ半年も経っていないのに、幾度となく彼女の存在に救われてきた。
こうして前向きになれたのはあの子のおかげで。
音楽以外のところは正直、とても不器用な子だと思った。
話ひとつするにしたってたどたどしいし、友達の作り方も分からないくらいに不器用。
焦ればその分空回りしていて、ハラハラして、思わず手を貸さなきゃという気にさせるような不安定なところが多い。
それでも中身は優しく、情にも厚い、そしていつも一生懸命頑張っているのがよく分かった。
だからこそ彼女が彼女らしく生きれるよう俺も何か手助けできたらなんて少々傲慢な気持ちになっていたのは事実だ。
だけど、俺が何かする必要なんてなかったのかもしれない。
だってチエは、俺のいない世界でもこうして立派に花を咲かせている。
苦手だと言いながら、ハラハラするほどの危うさを持ちながら、それでもちゃんと彼女は向き合っている。
こうして音楽の世界で戦っている。
今まで一切表舞台に立たなかった子が、必死に。
彼女は芯のとても強い子なのだ。
そう認識せざるをえない。
それほどまでに、彼女が紡いだ音は力強かった。
「しかし、何というか、竜也さんってやっぱすごい人なんだね。さすが元フォレスト!」
高揚したままの気持ちが抜けない俺に、唐突に芳樹が言う。
わけが分からなくて「は?」と聞き返す俺。
太陽のような笑みで芳樹は言う。
「だって、あんなすごい奴に憧れって言われるんだろ?それってすげえって!」
「あー…、でもあの子変わってるしなあ。一般的に言うならすげえのはシュンの方で」
「いやいやいや!俺音楽とか全然分かんないから才能とかよく分かんないけど、何も持ってない人は憧れの対象になんてならないんだぞ?」
自慢げに言う芳樹が可愛くなって、思わずグシャグシャと頭を撫で潰してしまう。
「うわ、やめっ」と言いながらも本気で抵抗しないあたり、本当可愛い奴だ。
すごい人。
それに自分が当てはまるかどうかと聞かれれば、やはり自信はもてない。
実力も技術もどうしても上ばかり目について、自分の無力さを痛感する。
俺にはあんな全てを惹き付けられるような演奏できる気がしない。
だが、それでも。
どこかで諦められない自分の心。
「こ、ここここ、こんばんは!」
「えっ、まじ、本物!?」
「えっ、あ、営業ちゅ…うわあああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
考えがまとまらないうちに、後ろから声が届いた。
即座に反応したのは芳樹で、興奮気味に声を発している。
スローモーションのようにゆっくり振り返れば、そこにいたのはさっきテレビ越しに見た少女。
紺色のダッフルコートを着た彼女の髪型も顔も、さっきテレビ越しに見たままのチエだった。
「チ、エ…」
掠れたように名を呼べば、ビクッと震えて前で手をぎゅうぎゅうに握り締めている。
何か怯えたような、けれど決意しているような、そんな表情。
「おう、チエ来たか。良かったぞ、さっきの」
「え、あ!あ、ありがとうございます!」
皆驚いている中でただ一人ケンさんだけが平然とそんなことを言った。
訳知り顔なのが理解できなくて視線を向ければ、いつものニヤリとした意地悪い笑みを浮かべている。
もう一度チエに視線を戻せば、今度はカチリと目が合った。
なぜケンさんがチエのことを知っている風なのか分からない。
だが、そんなことどうでも良くなる。
そうだ、呆けてる場合じゃない。
いつも俺達の音を聴いて感想をくれるこの子に、俺もちゃんと伝えるべきことを伝えなければ。
そう思った。
「ごめんな、驚いて言葉出てこなくて。すごかった、チエはやっぱり天才なんだな」
素直にそんなことを言っている自分。
随分と抽象的で拙い感想だ。
俺の言葉を聞いたチエは泣きそうな顔で首を横にブンブン振っている。
「ずっと、伝えたかったんです。貴方にお礼が、言いたかった」
「お礼?」
チエから言われたことに俺は思い当たることがない。
ずっと憧れてくれていたことは知っている。
あんなボロボロになるまでCDを持ち歩いてくれていることも知っている。
だがその理由を、考えてみれば俺はほとんど知らない。
だから素直に聞き返す。
そうすれば、チエが大きく深呼吸するのが分かった。
「5年前、あの脱退のライブを、私…テレビで見たんです。あの時、私、何も出来なくて、へこたれた駄目駄目な状態で、何にも見えなくて。ピアノに触ることすら、できなくて…!」
悲痛な声で告げられるそれは、彼女がどれほど苦しんできたのか分かるようなそんな色をしている。
正直言葉が抽象的すぎてその時チエに何があったのかなんて分からなかったが、ただその時すごく辛いことがあったのだということだけ分かった。
眉を歪めて、思い出したくもないというほどに泣きそうな顔をして、それでも必死に何かを言おうとするチエ。
だから何も言わずに俺はただ耳を傾ける。
「あの時の、あのリュウの歌が私をここまで連れてきてくれた。あんなに力強くて、温かくて、優しくて、真っ直ぐに響く音を私は聴いたことがなかった。リュウのおかげで、私は、ここまでやってこれたんです」
「俺、の…おかげ?」
思わず、聞き返してしまう。
そんなこと言われたことがない。
技術もくそもないあの強い気持ちだけで歌った。
それをチエは宝物のように言う。
「本当に、ありがとうございました…!ずっと、ずっと、それを言うのが夢だったんです」
声をひっくり返しそうになりながら必死に言うチエ。
体が真っ二つになりそうなほど頭を下げているのが分かる。
呆然としたままの俺は、けれど、その言葉を理解した瞬間、体の芯が熱くなるのを感じていた。
沸騰するかのように。焼けるかのように。
…伝わっていた。
あの日のあの拙い音を拾って糧としてくれた人が、ここにいた。
あの日の気持ちはちゃんと、届いてくれていたのだ。
ガクンと、全身の力が抜ける。
「…待ってますから」
「え?」
「今度は私がテレビの向こうから待ってます。タツやシュンさんがここまで来るのを」
そうしていつになく力強く言われた言葉に反応して、再び視線を合わせる。
するとチエは俺とシュンを両方見た後に笑顔になる。
「勝負、です。2人に負けないくらい、私だって、うんと強くなりますから」
そう告げたその顔が、あまりに綺麗で。
数少ない彼女のその満面の笑みが、恐ろしいくらいに温かくて。
俺は見事にあっさりと持っていかれた。
自分より何歳も下の女子高生だとか、自分と段違いの才能があるとか、俺を憧れてくれているとか、そんなこと頭からすべて吹っ飛んで。
ただただ、純粋に。
どうしようもなくチエのことが好きだと、そう自覚した瞬間だった。




