51.自覚・前(side タツ)
うちの居酒屋の客層は中高年の男が多い。
大晦日も一応営業はしているが、皆家で祝うからかなりガラガラだ。
客一人いない店でぼんやりテレビを見ていると、突如明るい声が響く。
「あ、竜也さんいんじゃん!やっほー、飲みに来たぜ―」
「え…、あれ芳樹?何だお前、実家帰ってないのか?」
「いやあ、研究終わんなくて帰ってる場合じゃなくてさ…アハハ、もう辛い」
「大変だなー、大学院生も。ほら、何飲む?」
「生で!後は…んー、何か俺が好きそうで適当につまめそうなのある?」
「つくねあるぞ?」
「あ、それがいい!」
「了解!ちょっと待ってな。今持ってくるから」
うちでは珍しい学生の常連である芳樹。
実家が飛行機で行くような距離にあるこいつは、犬のように人懐っこくさびしがり屋で、だが頭は大層良いらしい。
まあ、そうじゃなきゃ国立の大学院生なんかやってないだろう。
俺に懐いてくれたらしく、何かと友達や後輩を連れてここに来てくれる可愛い奴だ。
ちなみに料理なんて全くできなかった頃の俺の実験台をやってくれたのもこいつだった。
もう3年ぐらい前の話。
出会ったばかりだと思っていたが、好みや事情が分かるくらいの時間は経ったのだと最近実感している。
「ああ、なんか騒がしいと思ったら犬っころまたいんのか」
「犬っころって!オーナー酷い!俺一応客!」
「あれまー、ワンちゃん今日も来てくれたのかい?ありがとうね」
「あ、ママさん!聞いてよ、オーナーってば俺のこと犬っころって言うんだよ」
「…ワンちゃんは良くて犬っころは嫌なのか」
1人しかいないのに店内が華やぐ。
芳樹がうちにいるとケンさんも雅さんも嬉しそうに構うあたり、こいつはやっぱり愛されキャラなんだろう。
親戚同士のように仲の良い3人を見ていると何だか和む。
俺にとってももはや弟のような存在だ。
「……うるさいのがいる」
「お?なんだシュンお前も来たのか!一緒に飲もうぜ、お前もう成人してんだよな?酒相手しろー」
「……」
「可愛い奴め、お兄さんが奢ってやる」
「…学生が奢れるほど金あるのか?」
「お前も学生だろーが、任せろよ。家庭教師って結構儲かるんだぜ?」
口数の少ないシュン相手でも構わず巻き込む芳樹。
シュンもシュンで芳樹のことを嫌いではないらしく大人しく横の席に座る。
「おいタツ。お前も座れ」
「は?でも」
「客なんざこの犬っころだけなんだ。十分俺だけで回せる、お前アレ見んだろ」
「いや、録画してるし」
「良いっつの。こんな時まで真面目に仕事すんな」
「…真面目に働くなって言う雇い主そうそういないよな」
そんな感じで結局俺もカウンターに座ると、芳樹が嬉しそうに笑う。
…可愛い奴め。
思わず頭を撫でそうになった。
「あ、芸音祭やっぱ竜也さんチェックしてんだなー。今年はどんなのが流行ってんの?」
視線をテレビに向けると芳樹がそんなことを聞いてきた。
芳樹はテレビを見ない奴だ。
研究やらネットやらで忙しく興味もそんなに湧かないと言っていた。
大学生になり1人暮らしを始めるようなったあたりから見る機会も無くなったらしい。
俺がアイドルをしていた時、こいつは19歳なりたて。
だからアイドル時代の俺を知らない。
流石にフォレストと言う名前くらいは知っていたらしく、俺が昔そこにいたのだとつい最近教えると驚いていたくらいだ。それまではただ音楽を趣味でやる兄さんくらいの認識しかなかったらしい。
事前にチェックしていた出場者リストをチェックしながら俺は口を開く。
「今年はP-LINKってアイドルと、あと雫葵ってシンガーソングライターの曲がヒットしたな」
「へえ、アイドルもぼんぼん出てくんだねー」
そう、アイドル戦国時代なんて言われる昨今、男女ともにアイドルグループがぼんぼん出てきている。
俺のかつての仲間たちのいる世界は相変わらず生存競争が激しい。
「あとは…シュンなんかいたっけ」
「……奏。確か、今年が初だったと思う」
「あれ、そうだっけ?てっきり2回目くらいだと思ってた」
最後にあがった名前。
奏。
もともと人気があったアーティストだが、近頃ぐっと知名度が上がって来ているのは俺も知っている。
チトセとちぃって2人組のユニットらしいが、表に出ているのはチトセという少年だけだ。
久々に本格派の大型新人が来たと騒がれていたのをよく覚えている。
『こいつそこまで飛びぬけて上手くはねえが、この歳でよくここまで音を理解してんな』
前に一度チトセを見てケンさんがそう言っていた。
俺からすれば十分上手いと感じたが、ケンさんは相変わらずシビアに見ている。
それでも一目みて褒め言葉を言うくらいには、センスがあるのだとそれだけ分かった。
ケンさん曰く、曲が本人に合っているし、その曲自体の理解度も高いから世界観がちゃんと出来あがっているらしい。
『ほら、よくあんだろ。そんなに上手くもないのに、そいつ以外が歌うと何か違和感あるような時。そういうのはな、曲に対する理解や曲と声質の相性が関わってくんだよ』
だからこいつは売れてんだな。
そうケンさんは言っていた。
ケンさんが興味をもって特定のアーティストを語るなど滅多にしないから、印象に残っている。
「ああ、奏なら俺も知ってる!好きな奴が同じ研究室にいるんだよ、あとドラマ好きな奴も」
「ドラマ…ああトクカだっけ」
「そう、それそれ。主題歌だよな、確か。俺もその曲はよく知ってる」
若者人気が強い奏だからか、そこまで音楽に興味がないという芳樹も知っているらしい。
そしてテレビに目を向けると、ちょうどその奏が映っていた。
思わず3人共黙ってテレビに目を向けてしまう。
芳樹がテレビのリモコンを取って音量を上げた。
そうして耳に入ってくる奏の音楽。
その瞬間、俺は固まってしまった。
「え…」
そんな間抜けた声も上がってしまう。
「……そういうことか」
どうやらシュンも気付いたらしく、そんなことを言っていた。
「え、なにどうしたの2人共」
芳樹が分からないとばかりに俺達を見ているが、構う余裕もない。
信じられないという気持ちと同時に、どこか納得してしまうのも事実で、どう表現すればいいのか分からない感情が体中を巡る。
『私、頑張りますから。だから、見てて下さい』
そんな言葉を思い出す。
あんなに緊張して、気合をいれて、俺達に告げた言葉。
その意味を理解する。
チトセの後ろにいるフワフワな髪の女性。
アップで映るチトセの陰に隠れおまけに横を向いてピアノを弾いているから顔なんてよく見えない。
それでも音を聴けば分かる。
一度、その音を俺は聴いている。
「チエ…?」
そうだ、あの子だ。
それはもう確信だ。
ピアノの音の違いなんてそんなに分かる方じゃないのに、はっきりと分かる。
あの子の心のこもった音は真っ直ぐに届く。
一生懸命、そして天才的に曲を盛りたてるあの子のピアノの音だけははっきりと。
「へえ、素人じゃねえとは思ったが、なるほどな」
いつの間にやらいたケンさんもカウンターに肘を付けながら面白そうに言う。
曲は中盤、サビに入るところ。
すると、今度はピアノだけじゃなく声も届いてきた。
それは、今まで誰も聴いたことのない奏のコーラス。
「…すげぇ」
その瞬間、一番音楽から遠い所にいる芳樹が思わずといった形で呟いた。
それぐらい圧倒的だった。
俺なんかは驚きと圧倒されたのとで声すら出ない。
ハモリがひとつ加わるだけでここまで違うのかというくらいの違い。
今までだって十分すごかった、奏は。
チトセの歌ひとつで芸音祭に上がってくるほどだ、下手なわけがない。
だが、それすらも霞むほどだった。
チトセってこんなにすごかったのかと思うほどに階段をいくつも上った感じ。
どうやら俺らがライバル宣言した相手は、とんでもない金の卵だったらしい。
ただただテレビ越しで繰り広げられる圧巻のパフォーマンスに、俺達は言葉を失っていた。




