46.天才の傍で・前(side 千歳)
千歳は優秀で千依はぽんこつ。
人を見る目のない奴や、人を表面でしか見ない奴は俺達をこぞってそう評価する。
だけど、知らないだろう?
俺がいつだって千依に劣等感を抱き、何をやっても敵わないと思っていることなど。
千依の価値を理解できる人間は、こぞって反対の評価をするのだ。
いや、反対どころじゃない。
千依という化物を前にすると俺の存在なんて誰の目にもとまらない。
他のものなど一切無効化させて、自分の世界に引きずり込んでしまう。
その手から生みだされる音も、喉から生まれる歌声も、どれも全てが千依にしかないモノで、どれもが人目をひくモノだ。
恐ろしい天才。
昔から、こと音楽に関しては誰もが千依をそう評価する。
千依の音を聴いただけで一人残らず目を見張り、惹きつけられる。
人として何でも出来るのは俺の方。
何か一つ誰よりも突出したものを持っているのは千依の方。
俺達は昔からそんな近いようで遠い、どこかちぐはぐの双子だった。
『千歳がいてくれて助かった。あいつは器用だし音楽センスも悪くない。容姿も文句ないしな。千依の才能をこうして表に出すことのできる最適の人材だ』
『社長、言いたいことは分かりますが千歳も才能は十分ですよ。千依がすごすぎるだけで、千歳も決しておまけの域にはいない』
『はは、分かってるさ。だが心配でもあるんだよ。千依はこれからまだどんどん伸びる、彼女を必要とする人間もどんどん増えるだろう。その時千歳はちゃんとあの超天才についていけるのか。普通のアーティストとしては千歳だって十分戦えるだろう、だが相方はあの千依だ。若いからこそどちらも未知数なことは多い』
いつだか事務所の社長と大塚さんがそんな会話をしているのを聞いたことがある。
大塚さんはあんな乱暴な口調を使うくせして、苦労性で面倒見が良い。
俺のことを切り捨てないだけお人よしだ。
だが、誰よりも自分のことは分かっていた。
千依という才能は最早俺と次元が違うということ。
社長の言うことは尤もで、今ですら千依の才能についていけないことがあるというのに、この先どんどん成長されたら完全に追いつけなくなることは確実だった。
千依が成長するほど、俺の存在価値は落ちていく。
俺が足を引っ張ってしまう。
昔から分かっていた、千依と自分の立ち位置がうんと違うこと。
千依の才能は化物級で、俺の才能はそこそこ程度で。
千依が本気を出した瞬間、自分なんて存在はすぐにのまれるだろうこと。
だから、昔はどうしてそんな素晴らしいものを持つ千依に自信がないのか理解できなかった。
誰をも蹴散らしてしまえるほどのものを持っているのに、自分を卑下し続けるのか、いっそ苛立ちすらしていた。
俺を取り囲んでちやほやする人間達は上っ面しか見ていないのが圧倒的で、他のモノに目が向けばあっさりと離れていく。
千依を見い出しちやほやする人間達は絶対に離れて行かないというのに。
才能なんてありませんと言う顔をして、自分は何もできないと口癖のように言って、けれど何でもない様な顔してとんでもない曲を生みだす。1日何曲何十曲という恐ろしいペースで質の高い曲を生みだしてしまう。
そんな才能持っていなかった俺は、子供ながらにこれは俺に対する皮肉なのかとやさぐれたこともある。
双子として半身のようにいつも一緒に育ってきた千依。家族として、妹としての千依は好きだった。
けれど、それでも割り切れない気持ちが強く、千依がいつも周りから受け取るあの本気の熱い眼差しが俺には羨ましかった。
鈍くさいけど純粋で優しく心の広い千依は好きだ。
だが、音楽家としての千依は嫌いだし正直妬ましい。
それが俺の小学時代の素直な気持ちだ。
俺は結局のところ昔から性格が歪んでいて、心も狭くて、自分勝手だった。
あれは千依がおかしくなりはじめた頃のこと。
唯一絶対の特技である音楽を全て投げ捨てて千依は、勉強や運動に取り組んでいた事があった。
当時のやはり上っ面しか見れないくだらない級友たちの言葉に傷つき、傍から見ても明らかに無理をして追い詰められたように机にかじりついていた千依。
どんどん顔が陰っていく千依が心の底から心配だった。
それと同時に、誰も持たない音楽という才能をあっさり捨てた千依に心底腹が立った。
どうして誰でも頑張ればできそうなことを必死にやって、誰にでも出来ない様なことを捨ててしまうのか。理解できなかった。
「ちー、休もうよ」
それでもやっぱり最後に勝ったのは心配で。
あまりの追い詰められっぷりに、なんでそんなことにそこまで悩むんだと思いながら何度も何度も千依を制止しようとしていたあの時。
「何でもできる千歳くんにはなにも分かんない!私の気持ちなんてだれにも分かんないよ!!」
我慢が切れた千依のその言葉にショックを受けつつつも、ドロリと黒い感情が流れてくるのが分かった。
確かに俺は何でも出来る、だが唯一のものを持たない。
誰もが俺の上っ面だけを見て、俺の顔や能力だけを見てすり寄ってきて、そして都合が悪くなればさっさといなくなる。そんな薄いものしか俺にはない。
けれど千依は違う。
俺の方ができることは多いはずなのに、千依の方がずっと濃く強いものを持っている。
何でも出来る。
だからといって何でも手に入るわけじゃない。
俺がずっと欲しかったのは、千依のような絶対のものだったというのに。
千依も所詮上っ面だけでしか俺を見ていなかったということなのか。
そんなわけないと分かっているくせして、カッと頭に血が上ってそれ以外考えられなくなった。
「何でもできる?…ふざけんな。ちーこそ俺の気持ち何も分かってない、分かろうともしてないだろ!!」
あの時吐いた暴言。
あんなボロボロの千依を1人にしてしまったこと。
今でもあの頃のことは頭に焼きついて離れない。
結局のところ、俺が誰よりも上っ面でしかモノを見れなかったんだと何度悔んだことか。
千依がどれほどの思いを抱えて日々を暮らしていたのか。
何か一つだけあるだけじゃ、この世界は恐ろしく生きにくい。
人と違うというだけで否定されるこの世界が、千依にとってどれだけの負荷となっていたのか。
人間、天才だということが必ずしも幸せになるとことと同義なわけじゃないこと。
そんなこと知ろうともせずに、ただ妬み続けた醜い自分。
今でも忘れられない。
千依が世界の一切を拒絶し、苦しみ、息すらまともに吸えなくなったあの日のことを。
普通に生きるという誰もが当たり前のように受け入れている世界が、千依にとって当たり前なんかじゃなくなった瞬間のことを。
俺が追い詰めた。
くだらない感情を千依にぶつけている場合じゃなかったというのに。
千依のSOSをスルーして、苛立ちすらして、そして孤立させた。
千依はいつだって俺を理解しようとしてくれたというのに。
苦しかっただろうに、それでも俺をいつもすごいと褒めて誇ってくれたというのに。
なのに俺は千依をただただ苦しめた。
皆にとって当たり前のことが出来ないというのがどれだけ苦しいことなのか、俺は理解していなかった。
ただ靴ひもを結ぶだけで手を震わせる千依、ただドアを開けて外に出るというだけを何年もできなかった千依。
ひたすら謝り続けて塞ぎこむ千依を、どうすることもできなかった。
「…ごめん、ごめんな、ちー」
自分の勝手な価値観を千依にずっと押しつけ続けていたのは俺なんだろう。
そんなことをやっと理解して、それでも心からでてくるのはそんな言葉だけで。
…ちゃんと理解できる自分になりたい。
千依の見る世界を、上っ面だけでなくちゃんと底の底まで。
今思えばそれが原点なんだろう。
誰にも聞かせられない、酷い始まり。
キラキラ目を輝かせて入った世界じゃない。
泥だらけの心を少しでも綺麗にしようと、そんな汚い気持ちで始まった音楽の道。
それは、どうやっても勝てないのが分かっていたから避け続けていた世界に足を踏み入れた瞬間だ。
それでも、俺が初めて自分の意志で何かを掴み取ろうともがき始めた最初の瞬間だったんだろう。
まさかここまでのめり込むとは自分でも思わなかったけど。
何だかんだ言ってもやっぱり双子。
思った以上に似ているところはあるんだと、そんなことを知ったのも音楽を通じてだった。




