45.友達と兄
「うっそ、まさか千依ってめっちゃお金持ち?」
それが私の家に来た時の真夏ちゃんの第一声だった。
「家が音楽教室っていうのは聞いてたけど、想像以上に広くて綺麗だった」
「あ、その、2年半くらい前に引っ越してきたばかり、だから」
「そうだったの」
そんな会話をしながら私の部屋に2人を招く。
この家には千歳くんの高校入学とほぼ同時に移って来た。
それは千歳くんの芸能活動をするのに前の家の位置では少々不便だからという点がひとつ、他に音楽教室を主宰しているお母さんが設備の整った音楽教室を立てたいとずっと願っていた点がひとつ、最後に私が一から始めるならいっそのこと新しい環境に身を置いた方が良いかもしれないと判断されたという点がひとつ。
前の学校からそこまで遠い位置ではないけれど電車の接続が悪いため、小学中学の時の知り合いにもそうそう会わない。
自分自身逃げているような気もしたけれど、それでも今こうして前を向けているのだから正解だったんだろうとも思う。
そんな話はともかくとして、この家は家族用の入り口と教室用の入り口が別れていて、部屋も防音設備つきで区切られているから、快適に部屋まで来ることができる。
人目を気にせずよくなったということはかなりのメリットだ。
特に人目につきやすい千歳くんも、これでだいぶ快適に過ごせているらしい。
その千歳くんは私からの連絡を受けて、今お菓子を買いに行っている。
どうやら随分気合が入っているらしく、私が何か言う前からあれこれと用意しているようだった。
千歳くんの姿を2人に見せたら、どんな反応になるのだろうか。
正直、とても不安で怖い気持ちの方が強い。
それでも、2人には隠しごとなしで接したいから、耐える。
「それで、話ってどうしたの?何かあった?」
部屋について一息ついたところで、萌ちゃんがそう話してくれる。
そうすると私も切り出しやすい。
気遣い上手な萌ちゃんにいつものように心で感謝する私。
そうして、ギュッと手を握り締めた。
「うん。あのね、その…私、2人に、隠していることが、あって」
「へ、隠し事?」
「う、ん」
そう言って、やっぱり一呼吸置く。
一息で言えちゃえば良いんだろうけれど、そこまで自分の心臓は強くない。
どうしても言葉を表に出すまで時間がいる。
それでも2人は急かさず待ってくれる。
だから、私はちゃんと2人の目を見て告げることが出来た。
「私、曲…作ってて」
「あー、うん。すごいよね!この部屋入ったとき音符だらけで驚いたもん」
「真夏。分かったから落ちつく」
「あ、ありがとう!あの」
「良いよ、千依。ゆっくりで」
「う、うん。その、ね?私、曲、作ってて…その曲で、仕事、してて」
いざ話すと覚悟を決めても、どう切り出せばいいのか上手く掴めずテンポの悪い会話になっている自覚はある。
けれど、そんな私のしどろもどろな話口調でも理解してくれたらしい2人は「え!?」と声をあげて少しの間固まった。
「し、仕事って…お金もらってんの?作った曲売って?」
動揺した様に真夏ちゃんが尋ねる。
コクリと頷けば、今度は萌ちゃんから声があがった。
「…すごいね。音楽好きなのは知ってたけど、そこまですごいとは思わなかった」
感心した様に言う萌ちゃん。
「ね、ね、作った曲とかどういう所で使われてんの?私でも知ってる?」
真夏ちゃんの言葉に、私はギュッと手を握り締めて本棚に向かった。
日記代わりに曲を作る私の五線譜ノートはもう100冊を裕に越えている。その他仕事用に作った曲や著名人のピアノピース、音楽の理論書など音楽関係の本で本棚は埋まっていた。
その中から、ひとつ私は五線譜を取り出す。
音符の読めない真夏ちゃんではあるけれど、それでもきっとこれが何の曲かは分かると思う。
だって、真夏ちゃんは私達の曲をいつも楽しそうに聴いてくれる人だから。
「これ、作ったよ」
そう言って、五線譜を真夏ちゃんに渡して座り込む私。
つい緊張して目も閉じてしまう。
「いや、千依さん。だから私おたまじゃくしは……って、………………え?」
「どうしたの、真夏」
「も、萌……これ、私知ってる」
分からないと言いながらペラペラとノートを開いて、真夏ちゃんは気付いたらしい。
五線譜の一番上に書かれた文字に。
そこに書いてあるのは『dusk』。
私達の新曲の名前。
私が書いていった音符に、千歳くんと2人で考えた歌詞の候補が詰まっている。
あの1週間の記憶も飛んでしまうほど濃かった時に生まれたもの。
真夏ちゃんは驚いているのか困惑しているのか、ピタリと固まったまま動かない。
萌ちゃんは分からないと言った顔をしながら五線譜を覗きこむ。
タイトルに覚えがなくても歌詞に覚えがあったらしく、次第にその目を開いていくのが分かった。
2人がほとんど同時に私の方を向くのが分かる。
私は破裂しそうな心臓を無理矢理抑え込んで、2人を見た。
「わ、私…ちぃって名前で、音楽作ってて、その…奏ってユニットで、芸能活動してるの」
きっとそんなこと言わなくても、奏に詳しい2人は知ってる。
それでもちゃんと言いたかった。
逃げてばかりじゃダメだと思った。
だから、反応が怖いけれど、手も震えているけれど、私は2人から目をそらさない。
流れたのは長い沈黙。
それを破ったのは、萌ちゃんだった。
「つまり、千依が噂のチトセの相棒ってことで良いの?」
困惑気味に言う萌ちゃん。
一度目を瞑って、私は一度だけ頷く。
それに反応したのは真夏ちゃんだ。
「え、ちょ、ちょっと待った、頭パンクした。え、え、え!?」
「あ、あの、ごめんなさい!!黙ってて!ごめんなさい!!」
「いや、なぜ謝る!?千依なにも悪くないからね!?というか、マジで!?え、ドッキリじゃなくて?」
しばらくはそんな叫び合いの噛み合わない会話が続く。
それを宥めたのはやっぱり萌ちゃんで。
「驚いた。あるものなんだね、こんなことって」
「も、萌さんその割にずいぶん落ちついてマスネ…私、まだ混乱の極地」
「…ま、私はすでに経験あるからね」
「え、何か言った?」
「何でもない。それにしても、やっとこれで納得した。奏がユニットなのにチトセしか表に出てこない理由」
萌ちゃんはすっかり普段のテンポで、話してくる。
そして私が芸能界で表立って出ない理由を、何となく察してくれたらしい。
安心させるように苦笑して、私の頭を撫でてくれた。
「すごい才能だね、千依。すごいすごい。あと、これきっと秘密の話なんでしょう?ありがとう、話してくれて」
かけられる優しい言葉に、感動して視界がぼやける。
呆然としたままの真夏ちゃんも、そこでハッと我に返ったような顔をして抱きついてきた。
「わわわ、私だって!ごめん、正直テンパって何が何だか分かんないけど、千依がとんでもないってことと私がとんでもないラッキーガールなのは分かった!」
「え、えと」
「…ラッキーガールって」
「千依、さんざんギャーギャー騒いでるから知ってると思うけど、私、チトセの大ファンなの!」
「う、うん!」
「そのチトセにあんな良い曲たっくさん作ってくれるちぃのことずっと知りたかった。ありがとう!ちょっと今興奮しててやばい!」
…拒絶されたらどうしよう。
そんなことばかり考えていた私。
けれど、そんな考えがバカバカしくなるくらい2人は受け入れてくれる。
私のことを認めてくれる、褒めてくれる。
2人と友達になれてからその回数はグッと増えたけれど、それでもその度たまらなく嬉しくなる。
何度も感動して泣きだす私は本当にどうしようもないのかもしれない。
それでもこの2人といると、たくさんの勇気をもらえる。
「ありがとう。あのね、ずっと、お礼が言いたかったの。いつも、楽しみに聴いてくれたの、本当嬉しかったから」
そう言えば真夏ちゃんが途端照れたように笑ってグリグリと私の頭を撫でる。
本当に幸せな気持ちになった頃、萌ちゃんがふと思いついたように聞いてきた。
「気になったんだけど、千依ってどうやってチトセと出会ったの?どういう経緯でユニット組むことになったわけ?」
出てくるのは、当然の問い。
それに答えようと口を開いた瞬間。
「気になる?萌ちゃん?」
突然響いた声と同時に頭がズシンと重くなった。
それで何が起きたのか把握する。
目の前をふと見ると、萌ちゃんは目を見開き、真夏ちゃんは完全に石みたく硬直していた。
「どうもー、ちーの双子の兄の千歳です。初めまして」
楽しそうな声は頭上から響く。
私の頭の上に顎をのせて自己紹介する千歳くん。
防音のかかったこの部屋の会話を何で千歳くんが分かっているのか。
ふと、さっきドアの音がしなかったことに気付いて、ドアを半開きにしていたのだと気付く。
けれどそれ以上に、目の前の2人の反応が気になってソロっと様子をうかがう私。
すると。
「は、じめ…マシテ?」
「え、え…ま、真夏ちゃん!?」
理解が限界突破したらしい真夏ちゃんが傾いでいくのが、見えた。
それが、千歳くんと真夏ちゃんの出会い、だった。




