42.報せ
それからの日々は本当に慌ただしかった。
仕事と学校の両立。
今までどちらかというと仕事にかなりの比重を置いていた私だから、学校の方の重みも増えると思った以上に両方行うのは難しい。
それでも色んな事が動き出して、心は充実していた。
「やっとお前も馴染んでこれたみたいだな、良かった良かった」
「先生…!ありがとうございます…!」
「あと随分涙もろくなったな、お前。いや、元からか」
「は、はい」
進路指導室でどこかホッとしたように矢崎先生が笑う。
それだけ私は変わってきたらしい。
一度心が落ち着くと、大丈夫だと理解すると、真っ直ぐと前を見れるようになったんだと思う。
千歳くんも大塚さんも、良い変化だと喜んでくれる。
…頑張ろうと、そう思った。
「…でもな、やっぱりこれはマズい」
「……う」
「頼むからせめて30点、30点取ってくれ。さすがに4点は成績付けるにしても苦しいんだぞ」
「ご、ごめんなさい」
…うん、頑張る。
色んな意味で気合を入れる。
そうしてあっちこっち走り回るうちに気付けばもう12月に入ろうとする時期だ。
勉強に仕事に、卒業祭の練習。
やることは山積みで。
「卒業祭…って、もう卒業時期の準備してんの?俺、当事者だけど全然卒業とかまだ感じないのに」
千歳くんと学校の話をする機会も増えた。
そして学校の話をすると、そう言って驚く。
私の通う学校はイベントに燃える人が多い。
春から秋は学校祭で燃え上がり、秋から春は卒業祭で盛り上がる。
だから何かにつけてすごくクオリティが高い。
今回のフォレストの曲の合唱も、独自でハモリを入れて4部合唱だ。
ちなみに、ハモリの手伝いもさせてもらえた。
凄く楽しかった。
「あのね、萌ちゃんと宮下くんがすごく歌上手でびっくりしたの。真夏ちゃんは『嫌味だ!』って涙目で可愛いの」
「…嫌味?」
「真夏ちゃん、その、歌はあんまり得意じゃない、みたいで…」
「なるほど」
そんな話もたくさんできるようになった。
信じられないような日々はやっぱりどこか夢見たいでふわふわしている。
けれど、そんな毎日がとても幸せで。
ひとりで噛みしめるのが勿体なくて、千歳くんについつい話してしまう私。
千歳くんは嫌な顔ひとつせずに、聞いてくれた。
「しかし俺も会ってみたいね、その真夏ちゃんと萌ちゃんとやらに」
ぽつりと千歳くんがそう言う。
楽しそうに笑って言うから、私まで嬉しくなる。
そしてそんなタイミングだからこそ、私は言えると思った。
「ぜひ会ってほしいな、千歳くんに」
「ちー、意味分かって言ってる?」
くすくす笑いながらからかうように言う千歳くん。
私が大きく頷くと、途端に笑顔を引っ込めぽかんとした。
「あのね、私決めたの。真夏ちゃんや萌ちゃんに、言う。あと…タツやシュンさんにも」
「ちー」
「もうね、逃げないの。怖いけど、上手くできるか不安だけど、けど、私やってみたい。皆みたいに大事なことをちゃんと言える人になりたいの」
強い意思を持って私は千歳くんに告げる。
ぽかんとしてから、徐々に我を取り戻しジッと千歳くんが私を見る。
軽く千歳くんが息を吐いた。
「ちーは本当強くなった。俺じゃ何もできなかったのに、恋や友達っていうのは偉大だな」
「え、ち、違うよ?千歳くんも偉大だよ、千歳くんがいなかったら私、ここにいないもん」
「あはは、うん、ありがとう」
苦笑しながら笑う千歳くんの表情はどこか弱々しい。
困惑しながら私は千歳くんがどうしてそんな顔をするのか、不安になってしまう。
いつも与えられるばかりの私。
いつも与えてくれる千歳くん。
想像以上に何か重りを千歳くんにのせてしまっていたのだろうか。
「こら、そんな顔しない。本当は俺も分かってるんだけどさ、あんまり性格良いわけじゃないもんで、拗ねてるんだよ。ごめんな、悪い兄貴で」
「そんなこと…っ」
「ちーは、俺のことをいつもすごいって褒めてくれるけど、俺もいつもちーのことを尊敬してるんだよ。本気で。だからどんどん離されていくなって。ちゃんと食らいついていられるかなってちょっと、ね」
千歳くんのそんな言葉を聞いたのは初めてかもしれない。
私に変化が起きたからなのか、それともずっと千歳くんの中に溜まってたものがついに出てきたからなのか、それは分からない。
けれど、千歳くんも何かに葛藤しているのが分かる。
「ごめんごめん。暗い話になったね。せっかく時間が出来てるんだから、楽しく曲作ろう」
千歳くんはそんな自分を押し殺して、普段の笑顔に戻りぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。
私達の作業部屋は自宅の防音室。
ちょうど千歳くんが高校生に上がる頃に引っ越してきたこの家に、お父さんとお母さんが用意してくれた仕事部屋。
静かなその部屋の中で、私はぐるぐると考える。
千歳くんの中で何がそこまで重しになっているのか、私には分からない。
けれど、放っておくこともできなかったから。
「千歳くん。私、千歳くんがいなかったら何もできなかった。本当だよ。学校に通って友達と会うこともなかったし、タツやシュンさんとも会えなかったし、こうして幸せに芸能活動だってできなかった」
「…」
千歳くんは黙ったまま苦笑している。
そして力なく部屋の椅子にもたれて、長く息をはいた。
「あー…、ごめんねちー。楽しい気分だったのに水さして」
「そんなの全然」
「ちーは、俺をそうやっていっつも拾い上げてくれる。俺がいなきゃ何もできなかったって、そう言って俺の存在価値を高めてくれる」
「だってそれは本当のことで」
「…うん。でもね、俺も実はずっとちーに甘えてたんだよ。だからそんなに褒められるような良い奴じゃないの。むしろちーの優しさに付けこんだ悪い奴でさ」
「甘えて…?」
「はは、この先は俺にもプライドってものがあるもんで、内緒」
そう言って今度こそ完全に話題を切り替える千歳くん。
どうやらもうその話題には触れて欲しくないようだったから、それ以上つっこむことはできなかった。
けれど代わりに千歳くんは笑って言う。
「ちーが決めたことなら俺は全力応援。それに本当に会ってみたいしね、ちーの友達に」
それがきっと千歳くんなりに見いだした何らかの希望なんだろうと勘ではあるけれど思った。
だから力いっぱい頷く私。
…とても歯がゆい。
いつも助けてばかりの私なのに、何にも出来ないことが。
けれど、傷口を無理矢理つつくことが最善じゃないことを私は知っている。
だから、無理やり自分の中にある言葉を振り払った。
「あ、そうだ。ねえ、ちー。俺、ちょっと最近試したいジャンルあるんだけどさ、それ基にして曲作れる?」
「え?うん、教えて。新しいジャンルなら私も作ってみたい」
「よっしゃ、待って今資料持ってくる」
少しもやもやした気持ちもあるけれど、それでもこうして私達は日常に戻っていく。
音楽馬鹿な日常に。
曲をいったん作り始めると、やっぱり私達はそれにのめり込んでしまって。
2人して時間も忘れ目を輝かせ取り組んでしまう。
この時ばかりは私も千歳くんも目の前のことに没頭できる。
案外、私だけじゃなくて千歳くんも音楽にたくさん救われて来たのかもしれない。
私みたいに不器用ではないし、ある程度なんでもこなしてしまうけれど、それでも彼なりに何らかの葛藤が合って救いがあったのかもしれない。
そんなことを思う。
そして晩ご飯にと食卓に向かおうと話した頃。
集中力をかなり使って少しぐったり気味の私達にその連絡は来た。
「芸音、祭…?え、俺達、が…?」
『おう、決まったぞお前ら。おめでとう』
電話越しから聞こえる大塚さんの少し興奮気味な声。
あまりの大きな連絡に2人して固まる。
芸音祭。
年末に行われる、芸能音楽界の最高峰のお祭り。
一握りのアーティストしか出演できない、アーティストなら誰もが一度は夢見る舞台。
…タツとの約束の、場所。
「…ちー」
「うん」
「うん、頑張ろう」
手を握り合って、私達は喜んだ。




