41.スタートライン
教室の前で大きく息を吸って、吐く。
そして気合を入れて教室に入るのは最早いつものこと。
今日は友達ができて初めての登校。
尚更緊張して、ドアを開ける。
「あ、千依。おはよー!」
「おはよう、千依」
そうすると当たり前のように声をかけてくれる真夏ちゃんと萌ちゃん。
感動して目が潤むけれど、ハッと我に返って気合を入れる。
「お、お、おはよう!!!」
…思った以上に大音量になってしまったらしく、周りにいる人達が何事かとこっちを見たのが分かった。
そうそう簡単にはやっぱり変われない。
「ちょ、ち、千依さん。そんなに緊張しなくて大丈夫だから」
「うー、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「…テンパると呪文みたく言葉繰り返すのはデフォなのか」
真夏ちゃんがそう言いながら私の座る椅子を用意してくれる。
萌ちゃんは何も言わないままポンポンと私の背を撫でてくれていた。
周りのクラスメイト達がそんな私達を不思議そうに見ているのが分かる。
昨日までそんな感じじゃなかったから、驚くのも無理はないと思う。
けれど視線を感じてなおさら緊張してしまう自分。
「根っからの人見知り、か。千依、大丈夫だから。ほら、深呼吸」
「う、うん」
萌ちゃんがやっぱりお姉ちゃんのように私の世話を焼いてくれる。
頼りきりで申し訳ないけれど、その優しさが嬉しい。
それでやっと少し冷静になれた私は、カバンから五線譜を取り出した。
「ま、真夏ちゃん。これ…その、楽譜」
「ん、楽譜?」
「あ、その『dusk』の…」
「え、もう!?まじで!?」
途端にガバッと私の方に身を乗り出して目を輝かせる真夏ちゃん。
その勢いに呑まれて背中をそらせながら頷くと、真夏ちゃんは書いた五線譜をぱらぱらとめくり始めた。
「ちゃんとドレミついてる!千依まじで天才!ありがとう!!」
あまりに声が大きくて、またクラス中から視線が集まった。
心臓が破れそうなほど大きく鳴って、目まいすらしてくる。
「どうしたんだよ、山岸。お前今日は一段とうるさいな」
「ひゃあ!?」
「え、な、中島?ごめん、大丈夫?」
「ごごご、ごめんなさい、何でもないです、ごめんなさい」
近くで届いた新しい声に驚いてしまって大声をあげてしまう私。
慣れないことをいっぺんにするとどうにも調子がおかしくなってしまう。
謝りながら視線を声のする方に向ければ、そこにいたのは爽やかイケメンの宮下くん。
「ちょっと宮下見てよこれ!千依が奏の楽譜書いてくれたの!」
「というか、お前らいつの間に仲良くなった」
「昨日、ばったり会って仲良くなったの。そんなことより、私ついに奏を演奏できるようになるんだよ!」
「…お前って、楽器できたんだっけ」
「ちょっと萌と同じこと言わないでよ。小学の時鍵盤ハーモニカ得意だったんですう」
「……それは楽器できるとは言わないんじゃないのか」
どこかで聞いたような会話に、萌ちゃんがため息をつく。
それに反応して、宮下くんが視線を萌ちゃんに移した。
「萌、だんだん山岸のテンションが壊れてる気がすんだけど」
「違うわよ。だんだん皆に晒すようになっただけ」
「…あれ、山岸ってそういうタイプか?誰にでも包み隠さずなタイプだと思ってたんだけど」
「そうだよ。だけど、これでも人見知りだからね」
「人見知り…。よく分かんないんだけど」
親しそうに会話している2人。
宮下くんは萌ちゃんのことを下の名前で呼び捨てにしている。
きっとこの2人はすごく仲が良いんだろう。
そんな発見をこんな近くでするのも、何だか新鮮だ。
変な所で感心していると今度は視線がこっちに向いた。
「…って、ちょっと待った。さっき中島が楽譜作ったって言ったか?」
そう問われる。
きょとんとしながら頷けば、今度は何故かクラス中からざわめきが起きる。
な、なんだろう。
そう思いながら固まる私。
「中島さん、楽譜作れるってまさか…まさか、何か音楽経験」
クラスの誰かがそう言った。
誰なのか判別できないまま、変な所に視線をやりながら頷く私。
「ぴ、ピアノ…とか、ぎ、ぎ、ギター?、とか」
注目を浴びると途端にカタコトになる言葉。
それでも何とか繋げれば、また一層にざわめきが広がった。
そして雄たけびのような声があがる。
「ピアノ!ちょっと、ここにいたよ救世主が!」
「うおおお、まじで良かった!なんとかなった!」
突然の事態に何が何だか分からず、思わず救いの目を真夏ちゃんと萌ちゃんに向けてしまった。
そうすると2人とも目を瞬かせてから「ああ」と何か思い出したように声を発する。
「そっか、千依学校休んでた時だから分かんなかったか。1週間も休んでたから連絡いかなかったんだね、ごめんごめん」
萌ちゃんにそう言われて、前に例の主題歌作りのため学校を休んだ時のことを思い出した。
どうやらその間に何かあったらしい。
「あのね、今年の卒業祭。テーマが“音楽”なの。で、うちのクラスでも何するかって話してて、どうせなら流行り曲をとびきり豪勢な合唱で発表してやろうってなったんだけど…」
「うちのクラスなぜか誰ひとり伴奏できるほどピアノ弾ける奴いなくてさあ。いっそアカペラにするかって話もでたんだけど、音符読める人2人しかいないし、そもそもハモリ作れる人もいないしで進まなかったんだよ」
萌ちゃんの言葉を繋いで真夏ちゃんも説明してくれる。
卒業祭。
それは私の学校独自の習慣で、卒業式直前に卒業生を送るためのイベントだ。
送る側の1、2年生の各クラスが毎年決められたテーマに沿って何らかの発表をして最後に皆でワイワイするという行事。
去年のテーマは確か“笑い”。
漫才をしたり、喜劇をしたり、賑やかだったことを覚えている。
そしてほらこれ…と、候補に挙がっている曲のリストを見せてくれた。
「最近やっと伴奏や歌の楽譜はゲットできたんだけど、伴奏弾ける奴いなかったんだよ!お前これ弾ける!?」
いつの間にやら私のすぐ目の前まで来ていた宮下くんが、バンッと音のなりそうな勢いで楽譜を見せてくれる。
びっくりしながらも、楽譜に目を落とすと、それは去年の卒業シーズンに流行ったフォレストの曲で。
よく知っている曲だったし、楽譜自体もそんなに難しいものではなかった。
「た、ぶん…?」
そう告げると、また歓喜の声が上がる教室内。
そこでハッとして、私は声をあげる。
「ま、ま、まさか、私、これ、伴奏…」
「頼む!予想以上にこれピアノ難しいらしくてできる奴いないんだよ!お前だけが頼りだ!」
宮下くん筆頭にそんなことを皆して言う。
人前で何かをすることがすごく…もう、ものすごく苦手な私は冷や汗をかいてしまう。
どうしよう、どうしようと焦る自分。
そんな中で萌ちゃんが「大丈夫?」と心配そうに聞いてくれる。
真夏ちゃんも「こら!勝手に決めんな!」と怒ってくれる。
それを聞いて、ふとタツや千歳くんの言葉を思い出した。
『チエは大丈夫』
『ちーはもっと自信持ちなよ、大丈夫だから』
ギュッと手を握り締める。
頑張らなきゃいけない時だと思った。
この先、私は千歳くんと一緒に奏として表舞台に立ちたい。
そのために必要なことは何なのか。
このままでいいわけがないから。
この人達ならきっと大丈夫。
そう言い聞かせて私は視線をあげた。
「わ、私で良いなら、が、頑張る」
大きな決意とは裏腹に小さな声になってしまったけれど、それでも周りはそれを拾ってくれたらしい。
「マジか!ありがとう!」
すぐに満面の笑みで宮下くんがそう言ってくれる。
周りも「良かった!」と安心したように笑っている。
私はやっとちゃんと、このクラスの一員になれたのかもしれない。
そんなことを思って、胸がすとんと落ちつく感覚を味わった。
大丈夫だ。
そう心が納得してくれた。
気付けば笑顔になっている自分がいる。
「…俺、中島が笑ってんの初めて見た」
「なんだ、いつも笑ってりゃいいのに。けっこう可愛いじゃん」
「…あんたらね」
そんな会話が教室のどこかでされていたこと、私は知らない。
けれど、私の中でどんどんと先に向けて歩いている感覚がした。
それと同時に、色んな覚悟と決心がはっきりと固まったのはこの時なんだと思う。
やっと、本当のスタートを切った気がした。




