35.兄の戦場
気持ちが上に向くというのは、とても大きなことだ。
気持ちが乗ると、体が頑張ってついてきてくれる。
「さて、続いては今話題のドラマで主題歌を担当されている奏です!」
「よろしくお願いします!」
生放送のスタジオ。
私はその片隅で大塚さんと一緒に、千歳くんを見守っていた。
今日は大事な歌番組の日。
地上波で初めて千歳くんが新曲を歌う日だ。
スタジオにはたくさんの有名人がいる。
最近話題になって人気急上昇中のアイドルから、ベテランな大物歌手まで様々。
その中に奏が混ざっているという事実。
私達はこれを次に繋げなければいけない。
こんなキラキラした人達と競って輝いていかなきゃいけないのだ。
いつも、それを目の当たりにすると緊張してしまう。
固まりながらジッと千歳くんを見つめる私。
大塚さんが私を落ちつかせるために、軽く肘で小突く。
そうやって何とかその場にいた。
「今回主題歌を担当されたドラマは超能力が題材ということで、チトセさんならどのような超能力が欲しいですか?」
「えー、俺ですか?うーん、あ、風見ソウさんが演じているシンヤの読心能力が良いですね。ああいうカッコいいこと言ってみたいんですよ」
「おーい、番宣はNGだぞーチトセ」
「あ、バレました?」
「はは、全く本当抜け目ないなお前は。樹隆、何か言ってやってくれ」
「え、ちょ、お、俺!?いきなり来ましたね、スモさん」
軽快なトーク。
会場が笑いで包まれる。
その中心で魅力的に笑う千歳くん。
相変わらず、千歳くんの仕事は完璧だ。
この先、私も表に出るとすれば、ここに加わらなければいけない。
気のきいたコメントも必要だろう。
…難易度が恐ろしく高い。
自分で言い出したこととはいえ、気が遠くなりそうだ。
けれど。
「まー、冗談はそこまでにしておいて、そろそろ歌のスタンバイいけるかな?」
「はい、よろしくお願いします!」
無邪気な笑顔からスッと歌手の顔に変わる千歳くんを見て、自分を叱咤する。
千歳くんがずっと戦ってきた世界。
音楽も勿論大事だけれど、音楽以外にもたくさんのことを求められている世界。
ずっとずっと、千歳くんが守ってくれたもの。
私は壊さずに花開かせたい。
こっちのことは一切見ない千歳くんから、信頼を感じる。
私だって、真っ直ぐ仕事だけに専念する千歳くんを信じてる。
いつかは、私もその少しだけ後ろに立って、表で千歳くんを支えるんだ。
彼の魅力を私が最大限に引き出すために。
「それでは、奏でドラマ・トクカの主題歌にもなりました新曲。『dusk』」
その声と共に、照明が落ちる。
私も一緒に目を閉ざした。
音に集中するため。
ほどなくして前奏が始まって、千歳くんのギターが重なる。
うん、今日も力強い音。
千歳くんも今日の歌には気合が入っていた。
どうやら、その成果はしっかり出ているみたい。
期待通りに、千歳くんは今日も最高の音を紡いでくれた。
「…お見事。本当面白い奴だよ、あいつは」
隣でボソリと大塚さんが言う。
千歳くんに向けられた全幅の信頼と期待がとても心地いい。
自分のことのように嬉しい。
「当たり前、ですよ?だって千歳くんは世界一になる男だから」
嬉しくなってそう返す私。
心底呆れたように笑って大塚さんは私の頭を小突いた。
「ソレ、千歳にも言ってやれ。アイツはちょっと自分を過小評価しすぎだ」
そう言って千歳くんを見つめる大塚さんの目は優しい。
「千依が見込んだ男がハズレなわけねえのにな」
「え?」
「何でもねえよ、独り言」
そんな会話をしている間にも曲は進む。
千歳くんの歌声はうんとこの空間に響く。
よく響く声なのに耳が痛くならなくて、ずっと聴いていたくなるような声。
千歳くんの持つものは、力強い。
笑顔も、言葉も、歌も、演奏も。
それでいて、どこか優しい。
千歳くんはとびっきりバランスが良いのだ。
飛びぬけて何かに突出しているわけじゃないのかもしれない。
けれど、歌を聞けばすぐに千歳くんだと分かる個性的な声質。
それでいて、偏りすぎず素直に聞くことのできる純粋な歌の伸び。
感受性も豊かで、表現する時も素に近い形になる。
トークだってあたりさわりない所から、少しつっこんだところまでテンポを掴んで飽きさせない。
全てにおいて近いようで遠く、遠いようで近い存在。
器用で素直で万人が好むような、そんなバランス感覚を持った人。
どこかにいそうで、けれどどこにもいない唯一の逸材。
私は音楽人の千歳くんに対してそんな印象を持っている。
そして、家族だからという先入観を外しても素晴らしいものを持っていると強く感じていた。
できなさそうに思えることも、何だかんででやってしまえる。
ボロボロに貶されても、見返すくらいに次は仕上げてしまえる。
やっていることの一つ一つは小さくとも、千歳くんが成長しない時はない。
音楽以外の大事なこともとことん理解している賢い兄。
そんな彼だからこそ、人の感情を読み解くことにひどく長けていて歌に心を乗せることができる。
簡単そうに見えて簡単じゃない。
技術面よりも千歳くんは表現面で輝く人。
歌うことの楽しさや魅力をいかんなく発揮するタツとは似ているけれど、同時に正反対でもある。
「まだまだ、これから」
ギュッと手を握って私はそう呟いた。
千歳くんの力を、私は再認識する。
スタジオ観覧にきたお客さん達も皆千歳くんの歌声に聴き入っている。
かなり距離のあるここから見ても、カッチリ様になっている千歳くん。
私の暗号のような音符を正確に読み解いて、私の想うままに形にしてくれる唯一の人。
さっきまで満面の笑みだった会場内が、千歳くんの紡ぐ音に支配されるこの感覚。
たまらない。
多くの人の中に入り込む音楽というものは、本当に奥が深い。
「私も、ああなりたい」
光の中で、音を紡げる人に。
紡いだ音を多くの人の心に残せる存在に。
近いようで、うんと遠い世界。
「できるよ、お前達なら」
大塚さんの声が、いつまでも耳に残った。




