33.千依の過去4
何度も何度も、リュウの声を聴いた。
お父さんお母さんにお願いして、フォレストのCDを買ってもらって。
テレビ越しで聴いたあの曲をフルで聴いて、尚更気持ちが届いて何度も泣いた。
リュウの声は粗いし、特徴があるわけでもない。
けれど、力強くて温かくて元気になれる。
大丈夫だ、一緒に進もうと、励ましてくれているように感じる。
その言葉のひとつひとつが、心を込めた声が、強く私の心を掴む。
惜しむことなく届くその悔しい気持ちと前を向こうと足掻く気持ちがどこか自分と重なる。
それでもこの人は一生懸命立ち上がろうとこんな明るく温かい曲を歌える。
「私も、そうなりたい」
強く励まされて、やっとそう思えるようになった。
恐る恐るピアノの鍵盤を触る。
『おー、上手い!』
それまで凶器にしかならなかった川口さんの言葉が脳内に流れる。けれど、それはどこか温かく感じた。
何もかも失ったわけじゃなかった。
あんなに怒られたけれど、ピアノに関してだけは2人共手放しでほめてくれた。
そうだ。
私には、音楽がある。
聴いて、弾いて、そうやって私を幸せにしてくれたものがまだある。
「…っ、ちー」
指が“ちゃんと”動いた瞬間。
私はボロボロと流れる涙を隠すこともできず、叫ぶような嗚咽を押し殺すこともできず、一重に安心して泣き叫びながら音を紡いだ。
あまりに滑稽で、けれど大事な一歩。
中学生に上がって、やっぱり学校には行けなかったけれど、少しだけ前を向けるようになっていく。
音を通じて、私は自分の心を表現できるようになっていった。
そうして、保健室に通えるまでに回復したのは中学3年の夏。
それだけでもすごい進歩だった。
けれど、やっぱりスローペースにしか進めない私。
最後までそこから先に進めなくて、勉強も大幅に遅れたおかげでちんぷんかんぷんで。
気付けば中学の卒業式。
受験は、出来なかった。
自分から人の集まる学校という場所に行くということに、勇気が持てなかった。
「ちー、一緒に音楽してみない?」
「…え?いつも、してるよ?」
「ん、そうなんだけど。そうじゃなくて、もう一つステップ上がってさ」
千歳くんからそんなお誘いがかかったのは、ちょうど中学を卒業してから2週間くらい経った頃のこと。
その日は、千歳くんの入学式だった。
「俺が表に立つ。ちーは、作曲家」
「作曲家?」
「ん。音楽の双子ユニット、名前はそうだな……適当で良いか。音を奏でるって言うし『奏』とか?」
千歳くんは真剣な顔で言った。
その頃には音符も難なく読めるし、ギターもスラスラ弾けるし、歌も上手くなっていた千歳くん。
どこまでも器用で、ある程度のことは全てすらすらとクリアしていた。
そうして、そんな千歳くんが実はそれを見据えて芸能科のある高校に入学していたと知ったときには驚いたものだった。
入学時は普通科だったけれど、著名人になれば芸能科への転入も可能という学校。千歳くんの狙いはそこだ。
「俺達、いけると思う。ちーの才能と俺の力を、試してみたい」
「わ、私才能なんて」
「あるよ、ちーには。とんでもない才能。俺は誰よりも信じる。誰よりも知ってる。だから、一緒に勝負したいんだ」
今でも一字一句違えずはっきり覚えている。
だって、その言葉と行動は、千歳くんが誰よりも私を信じてくれた証だ。
「はは、実は父さんのコネ使ってちょっと芸能事務所の人に啖呵きっちゃった」
「え、え…!?」
「だから助けてお願い」
確信犯の顔をして、千歳くんは言う。
私達の芸能生活が始まったのはここからだ。
「今すぐ契約しましょう。これは欲しい人材だ」
そこで初めて出会った大塚さん。
緊張してしまって上手く音楽を広げられなかった私なのに、何かを見いだしてくれたのかそうすぐ言ってくれた。
千歳くんが「ほらね?」なんて得意げに笑う。
そうして、奏が出来上がる。
人前が怖くて何もできないポンコツな私を、大塚さんもスタッフさんも根気よく励ましてくれた。
私のペースで私の思うままに音楽をさせてくれた。
千歳くんが初めはパイプになってくれて、次第に私からも直接大塚さんに話せるようになっていく。
この世の中で、皆が皆私に腹立つわけじゃないんだと、やっとそんな当たり前のことを知る。
こんな私でも必要にしてくれる人達が少しずつ増えていく。
あっという間にデビューして、私達の心である音楽を聴いてくれる人達が現れる。
音を通じてどんどん繋がっていく感覚。
不登校になってから約5年。
私はやっと、人と繋がるということの尊さと素晴らしさを理解できるようになった。
高校に行こうと、頑張ってまたやり直してみようと、そう思えるようにまでなったんだ。
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人から見れば、「たったそれだけ?」と思うようなことなのかもしれない。
けれど、そんなたった5分にも満たないリュウの歌から私の世界は広がった。
一度折れてもう立ち直れないとすら思っていた所から、この世界へと連れて来てくれた。
まだまだ人が怖いという部分はある。
どうすればいいのか分からないことは山ほどで。
時には恐怖が勝って、気持ちが沈むことも勿論たくさんだ。
けれど、前に進んでみたい。
次、川口さん達と会った時には少しでも認めてもらえる自分になれるように。
ズキズキと未だに痛む胸と一緒にそう決意した私。
…結局、今回も恐怖に負けて落ちてしまった私。
やっぱり駄目なんだとすぐに挫ける情けない自分。
でも、それでも。
「やっぱり、すごいなあ」
こうしてタツの歌は私を引き上げてくれる。
反省しなきゃ駄目なことは山ほどだけれど、必要以上に落ち込む私を引きとめてくれる。
いつだって、この歌は私の原点。
大事で大好きで、愛しい歌。
「俺の歌をそんなに言ってくれる子は君くらいだよ、マジで」
ボロボロ泣いてひどいことになっている私の顔。
それでも何一つそんなことは聞かずに、そう苦笑するタツ。
必死に頭を振って、私は否定した。
「タツは自分に自信がなさすぎ、です」
断言すれば、今度は爆笑された。
「それ、チエが言うの?本当自分のこと見てから言いなって」
首を傾げる私。
けれど、タツは優しく笑って頭を撫でる。
「さっきも言ったけど、チエは大丈夫。だってこんな一生懸命で優しいんだもん。大丈夫」
その顔があまりに温かくて。
頭に乗せられたゴツゴツな手が、優しくて。
ああ、って気付いてしまった。
いつからだったのかなんて分からない。
リュウとして最後の舞台であるあの歌を聴いた時からなのか。
タツとして出会って、その志に直に触れた時からなのか。
それともまさに今からなのか。
それでも、この気持ちはきっと、いや間違いなくそうだ。
「タツでもリュウでも、貴方は私の大事な恩人です。タツの歌に何度も救われた、今も。ずっと、大好きです…!」
「…っ」
そう、思わずこうして言葉に出てしまうほどに。
私は、この人のことが好きなんだ。
それは、予想していたより緩やかで温かくて幸せな始まりだった。




