28.温かい人達
何分経ったのか分からない。
けれど、次第に息の吸い方を思い出してく。
そうすると視界がクリアになってきて耳の膜が薄れていく。
汗で全身びっしょりな感覚を思い出していくと、声がクリアに響いてきた。
「どうも」
「チエ大丈夫?落ちついたか?」
目に映ったのは、タツとシュンさん。
タツは心配そうに覗きこんできて、シュンさんはいつも通りだった。
「ご、ごめんなさ…っ」
慌てて周囲を見渡して、奇異な目で見られているのを確認するとまた汗がどっと噴き出て、すぐに離れなければと脳が命じる。
のに。
「チエ。周り気にしなくて良い」
「そうだって。無理しちゃ駄目だろ。ウチ寄ってきな?」
耳に届いたのはひどく優しい言葉だった。
…甘えちゃいけない。
そう思うのに、勝手に出てくる涙に邪魔されて言葉がでてきてくれない。
「っ!?」
「大丈夫、落とさないからジッとしてな。良いね」
「…タツ、目立つ。チエが可哀想」
「んなこと言ってる場合か。チエ第一」
そうこうしている間に、タツが私をお姫様だっこで担ぎあげ動き始めた。
すぐ近くにある駐車場にあった車に乗せられ、辿りついた場所は前に来た居酒屋。
まだ、開店には早い時間。
今度は裏口からまた担ぎあげられて中に入れられた。
オーナーさんと奥さんは相変わらずのんびりと迎え入れてくれた。
明らかに様子のおかしかった私を見ても動じずに。
本当に温かい人達だ。
「ご、ごめんなさい。ご迷惑を」
「全然迷惑じゃないから気にしない。ね、シュン」
「…ああ」
部屋に連れ込まれて慌てて謝る私。
2人は苦笑してそう返してくれた。
そうしてシュンさんが、そっと私と目線を合わせて眺めてくる。
「もう大丈夫そうだな」
「は、はい!ご迷惑をっ」
「それは聞いた。…過呼吸は突発的に来るもんだ、気にしなくて良い」
その言葉を聞いて、対応を見て、私は目を瞬く。
まるで過呼吸のことを詳しく知っているようだったから。
私の反応に悟ったのか、小さく息を吐いて彼は声をあげる。
「昔、経験してる。パニック障害だったんだ」
簡潔な答え。
けれど、それは決して軽いものじゃない。
パニック障害。
言葉だけは聞いたことがある。
突然パニック症状というものが起きるってこと。
過呼吸だったり、めまいだったり、動悸だったり。
すごく怖くて酷い人だと家から出ることすら難しいと、昔病院の先生に聞いた。
『昔、ピアノの世界で随分騒がれてた天才少年だよ。』
ふと、大塚さんの言葉が頭をよぎった。
手を痛めて突然ピアノを辞めたと聞いた彼の過去。
関係があるのかは分からない。
けれど、才能があるのにピアノを辞めざるを得なくなって、おまけにパニック障害まで抱えたとなると苦労していないわけがない。
思わず黙り込んでしまった。
「今は大丈夫。だから、気を遣わなくて良い」
そんな私を察したのか、シュンさんは何でもないようにそう言って私の頭をポンポンと軽く叩いた。
あまり深く突っ込みすぎるのも失礼だと思って頷く私。
「ちょっと。シュンとチエ距離近くない?」
そんな時唐突にタツの方から声が上がった。
なぜだか拗ねたような声に聞こえる。
「…嫉妬か?」
ふっと微妙に笑うような顔でシュンさんがそう言う。
話の展開に付いていけない間にタツの方から深いため息のようなものが聞こえた。
「違うっつの。お似合いだなーと思っただけ。まさかとは思うけどもう付き合ってたり?」
さも何でもないという風にタツが答える。
「…?」
なぜだか胸がツキンとして、自分自身に首を傾げる。
一瞬だけ、すごく苦しくなった。
また過呼吸?
ううん、そういうタイプの苦しさじゃなかった。
分からない感情に戸惑って、それに精一杯になる私。
「…最後に会ったの、タツと同じだけど」
「え、なに。お前俺の目隠れてアタックしてた?意外とやり手だなシュン」
「……そうじゃない」
そんな会話を聞く余裕すらなかった。
けれど、ここは相変わらず温かい。
こんな私でも受け入れてくれていると感じる。
千歳くんや大塚さんと一緒にいる時みたいな安心感がある。
余裕がなくてもちゃんと症状を落ちつかせられたのは、この人達がそんな空気を生みだしてくれているからなんだろう。
心の底から感謝した。




