27.トラウマ
久しぶりに見たその姿。
それでも見た瞬間に、鮮明に過去の記憶が蘇る。
「あ…」
「久しぶりー、元気ぃ?チエちゃんは相変わらずだねえ」
「ほんっと、変わんないねぇチエちゃん」
言葉がいつも以上に重くて喉を通らない。
その間にも速いテンポで彼女達は話を振ってくる。
冷や汗が背を走った。
「またダンマリ?チエちゃんもさあ、少しは話せるようにならなきゃ駄目だと思うよ」
「そうそう。そんなんじゃ“お兄ちゃん”がいつまでたっても心配しちゃうじゃない」
最初は相手を気遣い、そこから少しずつ毒を混ぜていく。
それがこの人達の話すお決まりのテンポだ。
綺麗で、スタイルも良くて、頭も良い。
話上手な上に、裏表の少ない性格。
私だけじゃなく、誰に対してでも彼女たちは同じ様に話す。
イジメなんかじゃなく、この人達は昔から素のままだ。
私の同級生だった頃から。
おかしいと思えばいつでもその場でおかしいと言うし、良いと思うことは確かに良いと言う。
少し人に対する評価は厳しいけれど、そういう人達。
「相変わらずチエちゃんは逃げてるんだね。私達のことも千歳君に愚痴ったんでしょ。あれから遠ざけられてさ」
それでも、私はどうしても苦手だった。
彼女達の言うような理想通りに私は出来なかったから。
それを期待され続けられるのは、私には重すぎて。
彼女達の言う“普通”は、私にとっての“理想”よりはるかに遠い。
「川口、さん。村谷、さん。その、久しぶり」
なんとか震える声で、言葉を返す。
小学の頃を思い出して、苦しい。
泣きそうになるのを必死に押さえる私。
「…あはは、本当変わんないね。生活が変わって少しは良くなったかと思ったんだけど。そんなんじゃ千歳くんが可哀想」
「ねえ、チエちゃん。私達本当に心配してたんだよ、あの頃。それなのにチエちゃんがそうやって泣きだしたせいで皆私達がいじめたってことになった。今さらだから言うけど、酷い話だよね」
責めるように言われた言葉が突き刺さって、息を吸い込む喉が冷たくなった。
川口さんと村谷さん。
この二人は、私にとって初めての女友達だった。
小学生の頃の同級生で、仲の良かったはずの人達。
1人でいた私を誘ってくれて、友達になってくれた人達。
けれど私は、その絆を上手く深めることができなかった。
できないままに、その絆を断ち切ることになった。
半ば強制的に。
「チエちゃん。チエちゃんはさ、音楽で努力できる人なんでしょ。なのに何でその情熱と根気を他に回せないのかな」
「そうだよ、チエちゃんはこんなにウジウジするべき人じゃないのに。千歳くんを支えられる人なのに」
昔よく言われたことを、また言われる。
それがこの2人の思いやりなのは私だって知っている。
なのに、心が痛くなる。
息が苦しくなる。
励まされると励まされるだけ、嫌になってしまう。
心配され思いやられて発せられたはずのその言葉が。
何もかも駄目な自分自身が。
「ま、良いや。こんなこと言ったって、チエちゃんにとってはイジメの言葉になっちゃうんだよね」
川口さんがハアとため息混じりにそう言う。
同調して、村谷さんが言葉を付け加えた。
「チエちゃん。お節介だとは思うけど、世の中どんなに嫌なこともやらなきゃいけないことはたくさんある。そこを努力できなきゃこの先、生きていけないよ?」
ズキンと心臓を射抜かれるような言葉。
勝手に流れる涙をこらえようと歯を強く噛むのに、それでも涙は止まってくれない。
「テレビ見た。せっかく仕事、順調なんでしょ?しっかりしなきゃ駄目だよ、特にチエちゃんの世界は人と付き合えなきゃ駄目なんだから。音楽だけじゃ駄目なんだよ」
「音楽のことは私には分かんないけどさ。千歳君に甘え過ぎるのはおかしいよ。ユニットってそういうもんじゃないよ、2人で効果が上がるからユニットって組むんでしょう?」
…正論だ。
正論なんだ、2人の言うことは。
けれど、駄目な私はその言葉に素直に頷けない。
それが尚更自分を駄目にしていく。
「…って、これもチエちゃんにとっては暴言に聞こえるのかな。最後まで伝わらないか。ごめん、忘れて」
「別にカナは悪いこと言ってないよ。でも、これ以上言っても伝わらないのはそうだね。安心して、もう言わないから」
そう言って、彼女たちは去っていった。
姿が見えなくなった瞬間、膝がガクンと崩れる。
涙が滲んで前も上も横も何も見えない。
「うう、ううう」
抑えても漏れ出る言葉。
止まってくれない涙。
叫びださないのを抑えるので必死だった。
どうして、私はいつもこうなんだ。
そう思った瞬間に、急に喉がキュッと閉まった。
自分や誰かが首を絞めている訳じゃないのに、確かに狭くなる喉。
息が、吸えない。
吸っても吸っても空気が入ってこない。
次第に吐き気が強くなって、強すぎて目の周りがぐるぐると真っ白く渦巻いてくる。
焦って、怖くて耳を塞ぐけれど、そもそも苦しすぎて耳に入ってくる音も鈍い。
怖い…!
周りを気遣う余裕なんて欠片もなくて、ただひとつの感情だけに支配されてなにも分からなくなる。
「チエ…?」
誰かに呼ばれた気がする。
のに、体が全く反応しない。
「チエ、どうした。チエ?」
「…タツ。ちょっとどけ」
…知っている気がするけれど、誰か分からない。
誰かというか、その声が何なのか分からない。
余裕がないから。
けれど、その声は私に向かって綺麗に響いてきた。
「大丈夫だ、チエ。大丈夫」
そう言って、そっと背に手を当てられる。
決して大きな声じゃないけれど、冷静で落ちついた声。
「大丈夫」
何度も何度もそう言ってくれた。




