19.回顧5(side タツ)
「由希が随分可愛がっていたガキでなあ」
「…もう高3だけど」
「若っ」
ピアノの先生が由希さんと一緒という理由で、ケンさん達とも交流のあったシュン。
初めから妙に大人っぽい奴だった。
「で、何の用。僕、受験あるんだけど」
雰囲気も口調も氷のような印象を持つシュン。
クールにそう尋ねるそいつの手には参考書。
何を言っているのか分からずケンさんを見れば、ニタリと性格の悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「いや、ほら。お前がフォレストを見て思い詰めた顔してっから、実物見せて悩み解決させようと思ってよ」
「実物って…元、だろ」
「うわ、容赦ないね君…」
俺の周りに集まるのはどうしてこうも素直すぎる人達ばかりなのか。
そんなことを本気で考えていた俺。
それでも、その時フォレストから離れて早3年。
世間からすっかりリュウの名前も消えていたその頃に、俺の存在を認識してくれている存在がいるのは正直嬉しかった。
自分から切り捨てた過去だというのに、やはりその過去の自分を認めてくれる人がいるというのは嬉しい。
「まあ、良い。お前勉強のしすぎで煮詰まる前に、ピアノでも弾いて発散させろよ」
「…ピアノ弾く方がストレス溜まる」
深いため息と共にシュンは言う。
由希さんが教わっていたピアノの教師は、名の知れた力のある先生だとは聞いていた。
そしてそこの生徒は皆優秀だとも。
だからシュンもまた上手いのだろうとは思っていた。
だがその割に、全く乗り気にならないシュンの様子がどうにも引っかかった。
「じゃ、タツ。お前弾け」
「…って、はあ!?何で俺」
「良いから弾け。師匠命令だ、背くな」
そしてどうしてあの時ケンさんがそんなことを突然言い出したのか俺には分からない。
それでもあの時ケンさんには何かが見えていたのかもしれない。
ついさっきギリギリOKが出た譜面をめくり、俺は言われるままに曲を弾いていく。
なんだ、この変な空間…。
そう思いながらも、曲を弾いていく途中でついつい譜面を追うことに夢中になってしまう俺。
「…意外。リュウってもっと下手な印象あったけど」
「酷いもんだったぞ。叩き上げたがな」
「……あのさ、もう少し本人に気使ってくれないかな」
酷い評価にざっくり傷つきながら、それでもとりあえず褒められたと言うことで良しとした。
そして、どうしてかは分からないが、シュンも抱えた荷物をその場に置いてピアノの椅子に腰かける。
ただそれを眺める俺に、腕を組んで真剣な顔で見守るケンさん。
そうして響いた音に驚いた。
「…ケンさん、こいつプロなの」
「いや?そこら辺の奴らよりは上手い素人」
「いや、素人の域軽く越えすぎだって」
そう、シュンの実力は普通じゃなかった。
ピアノに疎い俺ですら分かるほど、透き通った音。
滑らかな指使い。
こんなレベルの演奏者が素人なら、俺なんて赤ん坊と同じだ。
それくらい、とんでもない実力と才能。
ああ、これが本物。
強くそう思ったことはよく覚えている。
どんなに俺が技術を磨こうと、まだまだ絶対的に追いつけない領域。
自分の無力さを痛感して、やはり落ち込む。
本物の前で俺はなんてちっぽけなんだと、自嘲しそうになる。
真剣にやっているからこそ、面白くない気持ちにもなるし、何より悔しい。
自分より若い奴が、自分より数百倍も技術も才能もある。
その事実を認めるのは、偉そうだと思われても苦しい。
だから睨むようにシュンを見る俺。
そこで初めて、そいつの違和に気付いた。
「なんで君、そんなに辛そうな顔してるわけ」
思わず演奏中に尋ねてしまうほどだった。
別にそんな分かりやすく顔が歪んでた訳ではない。
ポーカーフェイスなんだろう、本当に少ししか表情が変わらない。
それでも苦しげに見えてしまった。
そして、よくよく耳を澄ませばピアノの音にも少し躊躇いがあるような感じがするのだ。
気のせいかとも思ったが、なんとなく。
すると、ハッとその手を止めて俺の方を向くシュン。
「…楽しくない」
一言だけ、そいつはそう言った。
あんなに難しそうな曲をあんなに綺麗に弾くのに、シュンは言う。
「勿体ないな、そんなに才能あんのに」
言葉が出てきたのは自然なことだった。
途端にムッとしたように眉を歪ませるシュン。
顔の変化が少ないだけで、案外分かりやすい奴なのかもしれないと思う。
「僕の音は綺麗なだけ。つまんない音だ」
「はあ?あのなあ、その綺麗なだけの音を出すのがどれっだけ難しいのか分かってんの?さらっと出せるの羨ましいんだけど」
「けれど、そんなもの誰も評価しない。世界じゃ通用しない」
否定ばかりの言葉に俺は一瞬詰まった。
中々、自分にとっても痛いところをつかれた。
こんなもの、誰も評価しない。
あの世界じゃ通用しない。
そんな焦りは俺にもあったから。
だが、それにしても俺は羨ましく思った。
それだけだと言ったシュンの音は、特別なものがあったから。
俺の出す音はいつまでたっても凡の域から出ない。
先天的なものと言えば良いのか分からないが、そういうものが俺には皆無だった。
けれど、少なくともこいつにはそれがある。
それは、大きな武器だ。
そして、そこまでのものを紡ぎ出すのが簡単なわけじゃないことくらい俺にだって分かっていた。
才能は磨かなければ表に出てこない。
原石は案外たくさんある。
けれど正しく磨くことの出来る人間なんざ一握りもいない。
だからこそ天才はあんなにもてはやされるのだ。
どんな経緯があるかは分からない。
だが、こいつは相応の努力をして代償を払ってきたんだと思う。
それだけの才能がありながら、あそこまでの自嘲が出ると言うのはそういうことだ。
真剣に取り組んで、こいつもどこかで折れてしまった。
自分の経験もあって、そう分かってしまった。
「じゃあ、俺が評価してやるよ。嫌々でも苦しくてもあんな音が出せるんだ、お前はとんでもない才能持ちだよ」
言った瞬間、シュンの目が見開いた。




