14.目指す場所
どこにでもある車で、どこにでもあるような風景。
なのに、リュウがするとものすごく様になっている。
カッコいい…思わずそう思った。
「チエはさ」
「へ…え!?」
「ふはっ」
唐突に話しかけられて思わず変な声で返事するとリュウが噴き出す。
ガーッと顔が真っ赤になる私にも軽く笑って話を続ける。
「チエはいつから音楽を?」
「あ、えっと…あ、れ?」
「え、あはは、チエは天然だなあ」
混乱しちゃって何も答えられない私にリュウは穏やかに笑った。
そうして急かさず待ってくれるから、ちゃんと答えられた。
「あ!3歳です、3歳」
「へえ、なるほどピアノが上手いわけだ」
「えっ、とんでもないです!」
慌てて否定するとリュウが笑う。
「あれ、は、リュウの曲が良かったから!」
「あはは、チエは俺のこと過大評価しすぎ」
「そんなこととんでもないです!!」
「そんな力強く言わんでもいいのに」
リュウとの会話は穏やかだ。
心がすごく穏やかになれる。
なんだか夢みたいだと、そんなことを思った。
家の位置を案内しながら、車内での時間はゆっくりと進む。
不思議な気持ちだった。
家族や大塚さん達以外まともに話せなかった私。
けれど、リュウとはこうして話せる。
憧れ続けてきたリュウとだ。
「リュウは、すごいなあ」
「…チエがなんか小悪魔に見えてきたかも、俺」
「え、あれ!?こ、声に出て…うわあああ」
「……しかも無自覚」
ポンポンと頭を撫でられるから、ドキドキと胸が大きく鳴った。
「リュウ時代の俺を知っててくれんのは嬉しいけど、出来ればタツって呼んで?」
そうしてそんなことを言う。
そこで私は今さらすごく失礼なことを言っていたんだと理解して真っ青になった。
「ご、ごめんなさい!そうですよね、ごめんなさい!」
「いや、良いって。あ、何なら竜也って呼んでくれても」
「タツさんタツさんタツさんタツさん…」
「…って、聞いてないし」
相変わらず私のコミュニケーションの取り方は下手くそで。
だから車内の会話はなんかズレてて。
けれど、気にせずいられるようなこんな空間が何だかとても嬉しい。
「というか、リュウって呼び捨てしてたんだから、タツって呼んでよ。さんとかいらないよ」
「ああああ、重ね重ね失礼をっ」
「いや、だから失礼じゃないって」
ついつい芸能人を呼ぶ感覚でリュウのことをリュウと言ってしまっていた事にも今さら気付く。
また謝ると、リュ…タツさんは何故か爆笑しながら何度も「大丈夫だから」と言う。
「ほら、俺気さくに呼ばれた方が嬉しいし。はい、練習」
「た、タツさ…タッツ…タツ!!…さん」
「あははは、面白い」
言われるがままに練習する私に彼は笑いながら付き合ってくれる。
何度も練習して、タツと呼べるようになるのはちょうど家に車が着く頃だった。
「あ、あ、ありがとうございました!」
勢いよくお辞儀すると、タツはにこりと笑って「とんでもない、こちらこそ遅くまでごめんね?」と言ってくれる。
そして、おもむろに懐から何かを取りだした。
「チエ」
「は、はい」
「これ、チエに貰ってほしい」
そうして手渡されたのは、ボロボロになったチケット。
「こ、これ…」
チケットを見つめて私は固まる。
そのチケットは5年も前のものだった。
そう、5年前のあのラストライブの日付。
「アイドルとしてのリュウは、ここで終わったんだよなあ俺」
そうぽつりと言う。
それから私の方を真っ直ぐ見つめた。
「俺さ、もう一度目指してるんだ」
「…え?」
「もう一度、ここで音楽をしたい」
はっきりと口に出してそう告げるタツ。
彼の言う“ここ”がどこかなんて知ってるけれど、何となくもう一度チケットに目を落として会場名を目で追う。
「日本音楽文化ホール…」
口に出せば、タツがしっかりと頷く。
日本音楽文化ホール。
そこは日本で最も音楽発表に適したホールと言われている。
1万人以上収容できる大ホールがあり、しかもそこでは音楽に特化したステージ設備がある施設。
ここでライブができる人というのは、本当に限られている。
1万人を収容できるだけの人気を持った人だけに許されるステージ。
けれど、きっとタツが言いたいのは、ただそこでライブをするということだけじゃない。
強い目を見て、直感的にそう思った。
「頂点にさ、立ってみたいと思ったんだよ。やっぱり」
ふと目元を緩めて、彼は笑う。
その意味を理解して、私は胸が熱くなった。
「芸音祭、目指すんですね」
年末にその場所で行われる日本芸術音楽祭。
一流と世間から認められた人だけが参加できる音楽の祭典。
アーティストが皆、一度は目指す場所。
「だからさ、それは決意の証」
「これ、が」
「ん。チエに持っていてほしい。こんなこと、シュンやケンさん以外に言えたの初めてだしな」
すっきりした様子で笑うタツ。
そうして私に手を差し出してきた。
「本当、ありがとう」
「…え?」
「俺も、負けないから」
タツたちの“製作現場”で言った私の言葉に応えてくれたんだろう。
それを理解すると胸がいっぱいになる。
震える手を叱咤して、ゆっくり差し出すと力強く握られた。
想いを託すような握手だ。
タツの手は…掌はものすごく堅い。
指のあちこちが堅くてゴツゴツしている。
ギターだこ、だ。
何度も何度も弾いて何度も皮がめくれてできる、努力の勲章。
千歳くんにもあるから、分かる。
ずっと、この人は努力してきたんだ。
アイドルを辞めて芸能界から遠ざかっても、諦めずに努力を重ねて必死に這い上がろうともがいている。
だからこそ、あの輝きだ。
だからこそ、彼の曲は滅茶苦茶でもあんなに響く。
「…すごい人に喧嘩売っちゃった」
「ん?なに、チエ」
「勝負、です。途中降参は、許しませんから」
「お、良いね。乗った」
私の中でも、何かがすとんと落ちた。
あの輝いていたリュウも、悩んで苦しんでいるタツも、ここにいる前向きなタツも、全部ひっくるめてこの人の魅力なんだ。
…負けたくない。
そう素直に思えた自分が、何だか誇らしかった。
「チエ。また会おうね」
「はい!」
タツという人を知った一日。
私の中で、ただの憧れだった彼への想いが、別の想いを伴って変化してきたこと。
この時の私は、まだ知らない。




