12.才能
双方なんとなく噛み合わない会話の後、リュウの視線が私の手の方に移る。
「あー…見られちゃったか」
そんなことを言うと苦笑する。
何だかその笑顔が痛々しい気がするのは思いこみすぎだろうか。
言葉を紡げないまま、ただ見つめる私。
声をあげたのは、リュウの方だった。
「めちゃくちゃだろ、色々」
自嘲するようにリュウは言う。
…思いこみなんかじゃない、リュウは今本当に苦しんでいる。
そう確信する。
譜面を見る。
確かに、リュウの作った曲は一見するとめちゃくちゃだ。
コード進行も、音楽理論もない。
曲として成り立つかと聞かれれば、首を傾げる人も多くいるだろう。
けれど、でも。
私は言いたくて、けれど言葉にならない。
言葉で伝えたいことを伝えることは私にはものすごく難しい。
その間に彼の自嘲の言葉は続いた。
「俺はさ、どこにいたって足手まといなんだよ。大した実力もないくせに高みを目指してる」
「そ、そんな…っ!」
「自分で捨てた過去のくせに、縋りついて嫌になる。周りの才能にばかり支えられてさ、自分は何もできない」
それは初めて聞く、憧れの人の苦悩。
グッと、譜面を握り締めてしまう。
どうか、そんなに自分を蔑まないでほしい。
心が折れてしまって、前を向けなくなることは誰にだってある。
挫けたって良いと思う。
時には自信を失うこともあるんだろう。
それできっと良い。
けれど、どうか知って欲しい。
世の中、技術だけが才能じゃないってこと。
技術は大事だけれど、それだけじゃない。
それを私は、リュウやフォレストに教えてもらった。
リュウが何もできないなんて、そんなことあるわけない。
「……っ」
言いたいのに、上手く声になってくれない。
こんなときくらい、ちゃんと言いたいのに。
千歳くんにいつも言っているリュウの魅力を、今誰よりも私は伝えなきゃいけないはずなのに。
目を一度強く瞑ってから、私は譜面を見つめる。
何度も書き直された跡のある滅茶苦茶な譜面。
…本当はものすごく怖い。
怖い、けれど。
「あ、ちょっと!」
「……タツ」
そんな声が聞こえた気がした。
私は必死すぎて、何も考えられない。
気付けば、ここが人様の家だということも忘れて音を大きく鳴らしお店まで戻っていた。
「あれ、チエちゃん?どうしたんだい、そんな切羽詰まった顔して」
「野郎どもになんかされたか、チエ?」
オーナー夫婦の2人は、私に気軽に話しかけてくれた。
きっと良い人達なんだと思う。
そんな人達相手にとても失礼なことをするかもしれない。
迷惑になるかも。
それでも、私は頭を下げた。
「す、すみません!ピアノを、ピアノを弾かせてくだざい!」
言葉はたどたどしく、綺麗に発音もできず、嗚咽のような言葉になる。
「ピアノ?ああ、あれかい」
奥さんが、部屋の隅に置物のようにあるアップライトのピアノを向いた。
「けど、あれ、長いこと調律もしてないし綺麗な音なんて出ないよ?」
「良いんです、それで!」
お店の中にあるピアノを弾かせてくれと言う私は、とんでもなく失礼なことを言ってるんだろう。
だってそれは、このお店の大事なお客様にも曲を聴かせろと言っていることと同義だ。
ピアノの音を騒音だと思う人だっている。
下手をすればとんでもない迷惑をかけるんだろう。
けれど、だ。
私だって信じてみたい。
いや、信じている。
この曲の力を。
リュウの心からの音を。
「…いいぞ、使って」
私のたどたどしい言葉でも何かを感じ取ってくれたのかは分からない。
けれどオーナーさんはそう答えてくれた。
「ああ、ありがとうごあざいます!」
体が二つに折れるくらいのお辞儀をすれば、お客さんたちが何事かとこっちを見てくる。
…人の目は怖い。
途端に体中から冷や汗が流れてくる。
必死に頭を振って、私はピアノに向かった。
蓋をゆっくり上げて、譜面台に譜面を置く。
「お?お嬢ちゃんなんか弾くのかい?良いねえ、楽しい曲弾いてくれよ」
「馬鹿野郎、緊張してる可愛い女の子に余計なこと言うなっつの」
お客さん達も良い人達だ。
…大丈夫。
そう強く言い聞かせた。
一度ジッと譜面を見つめて、頭の中で曲を積み上げていく。
主旋律だけの譜面。
この曲を最大限に活かせる音を。
どんな環境でも、才能は輝く。
どんな場所だって、想いは響く。
ピアノの音は確かに鈍い。
ぼやけた音だ。
そしてリュウが作った曲だって確かに本人の言うとおり滅茶苦茶ではある。
けれど、ここには全てが詰まってる。
私がリュウに救われた理由が。
シュンさんがリュウのことを強く信じるだけの理由が。
息をひとつ吸って、吐き出す。
そうして私は指を弾いた。
力強く。
居酒屋だから、お酒を飲んだ人ばかりの店内。
楽しい話で盛り上がるお客さんもいる。
聴いてくれているお客さんもいる。
寝てしまっているお客さんだっている。
けれど、次第に全員の目がこっちに向いてきたのが分かった。
「おー、いいぞー!」
そんな誰かの言葉を皮切りに、お客さん達が楽しそうに手拍子を打つ。
中には掛け声をあげるお客さんもいた。
わあっと盛りあがる店内。
そうだ、これだ。
そう思った。
世の中、理屈だけじゃない。
理屈じゃなくて通じるものというのはあるんだ。
リュウの中にはそれが詰まっている。
だって、譜面の中には溢れていた。
どんなに辛くても自嘲しても、上を向こうとあがくリュウの気持ちが。
どんな状態だろうと、紡がれた音は前向きで明るくて皆を引っ張ってくれるような音だった。
あの日、私を強く惹きつけてくれたように。
必死で真っ直ぐな思いが見えたんだ。
視界の端っこにリュウの姿が映る。
どうか、届いてほしい。
言葉にはできないぽんこつな私の思い。
リュウの魅力が詰まったこの音。
私にできるのはこれしかないから。
そんな時間は、本当にあっという間に、夢のように終わった。




