第4話
仕切り直すようにコホンっと、一つ咳払いをした魔法使いさんは、少し迷うような仕草をした後、質問を始めた。
「ではまず、日本の首都は?」
「東京」
「じゃあアメリカの首都は?」
「ニューヨーク」
「うーん、残念だけど不正解」
「えっ!!」
苦笑いを浮かべる魔法使いさんに、僕は驚きを隠せなかった。
アメリカの首都ってニューヨークじゃなかったの?
どんなことを聞かれるのかと身構えていたところに投げかけられた、小学生でも分かるような質問に安心していただけに、僕はちょっと恥ずかしくなった。
まさか出だしからこんなことを間違えるだなんて。
「TVとかで耳にするのはニューヨークが多いからね、君みたいに覚え違いをしている人って結構いるみたいだから、そんなに気にしなくても良いと思うよ。ちなみに、正解はワシントンね」
「そうなんだ。でもごめんね、記憶が正しいか確かめるための質問なのに」
間違えていたら意味がない。そう落ち込む僕に、魔法使いさんは緩く首を振った。
その表情は、なんだか微笑ましいものを見るように優しい。
「いや、別に間違ったって構わないよ。この質問は、君の記憶喪失がどういった種類のものなのかという事と、君が私と同じ世界から来たのかどうかという事を確認するための質問だ。だから、正しいかどうかは問題じゃない」
「ふーん、って、え?同じ世界?」
至極当然のように語る魔法使いさんに、そういうものなのかと聞き流しそうになったけれど、魔法使いさんの言葉の中に紛れていた可笑しな単語に気付いて首を傾げる。
その言い方だとまるで、ここが別の世界だとでも言いたげだ。
訝しげな僕の表情からそんな心情を悟ったのか、魔法使いさんが再び気持ちを推し量れない類の笑みを浮かべる。
どうでも良いことだけど、この人といると、笑顔って結構種類があることに気付かされる。
少し口や目の角度を変えただけなのに、全然違う感情を表しているように見えるのだから凄い。
「ああ、そういえば言っていなかったね。私はここを私の居た世界とは別の世界だと思っているんだ。だから、君が私の居たところと同じ世界から来たのか確かめさせて欲しい」
「・・・分かった」
別のことに気を取られていて反応が少し遅れてしまったけれど、魔法使いさんは特に気にしていないようだから、まあ大丈夫だろう。
それにしても、別の世界か。俄かには信じ難い。
でも、彼の質問に答えるだけで自分のことが少しでも分かるのならばと、僕は藁にも縋る気持ちで頷いた。
その後された質問は、江戸幕府を築いたのは誰かとか、人口世界一の国はどことか、そんな一般常識的な質問から、好きな食べ物はとか、魔法は使えるかといった趣味思考に至るまで色々な種類のものだった。
中には答えられないものもあったけれど、僕はそれらの質問になるべく思ったままの事を答えた。
ちなみに、最後にされた魔法が使えるかっていう質問には、ここへ来る前の事は覚えていないけど、ここに来てからは試したことないって答えた。
そうしたら魔法使いさん、『なら、今やって見せて』なんて言うもんだから少し驚いた。
ていうか、そんなあっさり言われても困る。あなたは魔法使いだから使えて当たり前なのかもしれないけど、僕には魔法の知識なんて全然無いんだよ?そんな奴がいきなり使えるわけがないじゃないか。
そんな戸惑いから、僕は言葉を詰まらせる。
「やってみてって言われても・・・」
「適当に呪文を唱えるだけでいいよ。使えるのなら、それで何か発動するはずだから」
戸惑う僕に、魔法使いさんはお使いを頼むような気軽さで事も無げに答えた。
えー、魔法って本当にそんな簡単に使えるものなの?
魔法使いさんの言葉に多大な疑問を抱いたものの、魔法使いが言ってるんだから、そういうものなんだろうと深く考えない事にした。
考えたって分からないし、兎に角やってみるしか無いだろう。
からかわれていたんなら、文句は後で言うとして、ひとまず魔法使いさんの言う通りにしてみる。
「呪文、呪文、じゅもん!・・・ううーん、僕には使えないみたいだけど」
「・・・もしかして、今のが呪文かい?」
「うん」
「ぶっ!・・・くっくっくっ」
僕の呪文を聞いて何故か唖然としていた魔法使いさんの質問に、至極真面目に頷き返す。
なのに、魔法使いさんは僕の答えを聞いた途端、めっちゃ痙攣しだした。
どうやら笑いそうになっているのを必死で抑えているらしい。
そんな彼の様子に、笑うようなことをした覚えがない僕は首を傾げる。
すると、さらに魔法使いさんの痙攣が酷くなり、とうとう抑え込むような忍び笑いが爆笑へと変わった。
「あっはっはっはっはっ!」
「むぅ」
魔法使いさんは苦しいのか、お腹を抱え込むようにしながら笑い続けている。
なんで笑われているのかはよく分からないけれど、いくら温厚な僕でも、ここまで笑われるとムカムカしてくる。
でも、今話かけても碌な反応は返ってきなさそうな気がしたから、仕方なく無言で魔法使いさんの発作が収まるのを待つことにした。
それにしても、この人何時まで笑い続けるつもりなんだ。
意外と笑い上戸なのかな?
「・・・」
「あっはっはっはっはっはっは・・・くっ。ごめ、もちょっと、待って」
うん、うん。そんな涙を出すほど笑いながら謝られても全然謝られている気がしない。
寧ろ馬鹿にされている気分だ。
あまりの笑われように、流石の僕も、もしかして本当にからかわれていたんだろうかという考えすら頭を過ぎる。
そんな僕の反応に気付いた様子も無く、魔法使いさんは息も絶え絶えになりながら笑い続ける。
「・・・」
「・・・はぁ、はぁ、はぁ。あー、可笑しかった。君って面白いね、ここまで笑ったのは久しぶりだよ」
漸く笑いが収まったらしい魔法使いさんが、漸く顔を上げる。
その顔は笑い過ぎたせいか程よく上気し、目元には涙が滲んでいる。
美貌の彼がそんな姿をしているとなかなかにエロい。
でも、相手は男だ。そんなことで誤魔化されてなんかやらない。
僕は未だににやけている魔法使いさんを無言で睨んだ。
「・・・」
「おや?怒らせてしまったかな?」
僕の小さな抗議に気が付いたのか、魔法使いさんが首を傾げる。
その通りだよ、気づいてくれてありがとう。でも、謝るまで許してあげない。
そんな気持ちを表すべく、僕はわざわざ顔を覗き込んでくる魔法使いさんからぷいっと顔を逸らした。
決して、彼の高身長を見せ付けられたことにへそを曲げたわけじゃない。
これは僕の名誉を傷つけた彼への正当な抗議行動だ。
「・・・」
「ふふ、そんなふくれっ面をしていたら、可愛い顔が台無しだよ?」
「え?・・・可愛いって何言ってるの」
少しは反省してくれるかと思ったのに、何故か逆に楽しそうに可愛いなんて言ってきた魔法使いさんに、僕はそれまでの怒りや嫉妬心を忘れて困惑する。
いやいや、こんな普通の男に可愛いとか、無い。有り得ない。もしかして、魔法使いさんの目は腐っているのかもしれない。
そんな僕の反応に、魔法使いさんは笑顔を更に深くした。
「何って、思ったことを言っただけだけど?君はとても可愛い顔をしているよ」
「・・・もういいよ」
この人には何を言っても駄目だ。というか、これ以上怒ってもこっちがダメージを受けそう。
魔法使いさんの返した言葉からそう悟った僕は、そうそうに白旗を上げることにした。
彼のにこやかな笑顔から考えるに、どうやら僕はからかわれているらしい。
こういう時にはさっさと話題を変えるに限るんだよ。たぶん。
何故そう感じるのかは分からなかったけれど、この家へ着くまでの経験から考えて、自分の勘には従った方が良いだろう。
そう判断した僕は、ニコニコとこちらの反応を観察している魔法使いさんに、少し拗ねた表情のまま言葉を放つ。
「それより分かったの?僕の状態」
「うん、だいたいはね。君はおそらく僕と同じ日本人だ。ただ、やはり記憶喪失みたいだから、断定は出来ない」
ああ、やっぱりそうなのか。
魔法使いさんの言葉に、僕はやはりと思うと同時にどうしようもない悲しみに苛まれた。
覚悟していたこととは言え、断言されるとやっぱりショックだ。
そんな僕を気遣ってか、魔法使いさんが励ますように言葉を続ける。
「でも、忘れているのは自分の名前とか、出身地なんかの自己に関する記憶だけみたいだから、日常生活を送るのに支障はないと思うよ」
ここには君の知り合いはいないだろうしねと、魔法使いさんは朗らかに笑った。
それって安心して良いことなのかなぁ。
彼の笑顔に少し心は軽くなったけれど、やはり不安は拭えない。
そりゃあ、自分の知り合いがいたら早く思い出さなきゃいけない感じが増しそうで面倒だけど。その分、自分の名前とかなんかは分かるはずだ。
なのに、今のこの状況じゃあ、自分の名前一つ分からない。それに、自分のことを覚えていないということは、結局は元の世界に帰れたとして、家に帰るのって難しいんじゃないだろうか。
それはとっても困る。あ、そういえば。
「さっきも気になったんだけど・・・」
「ん?」
「魔法使いさんはここが別の世界だってどうして分かったの?」
始めにその話が出た時からずっと気になっていたんだよね。
だって、僕は魔法使いさんにそう言われるまで、知らない場所に来たとは思っても、別の世界に来たなんて考えもしなかったし。
まあ、僕の場合はもし知っている場所で目覚めたとしても、知らない場所に来たと思ったんだろうけど。
それはともかく、何故だか魔法使いさんはここが別の世界だってことを確信しているみたいだから、その根拠がなんなのかが知りたい。
もしかしたらそこに、僕が記憶喪失になった原因があるかもしれない。
そう思うと、俄然彼がここを別世界と判断した理由に興味が湧いた。
「ああ、それは私たちの世界ではありえない出来事があったからさ」
興味深々な僕に対し、相変わらずの飄々とした表情のまま返した魔法使いさんは、このままここで立ち話するのもなんだからと、僕を家の中へ招待してくれた。
魔法使いの家の中か。少しドキドキするな。
ここまで閲覧していただき、ありがとうございます。
話の中で出てきた主人公がニューヨークとワシントンを間違えた話は、私の実話だったりします。
高校の時に友達にクイズを出されて赤っ恥をかいたのは、苦い思い出ですね。