第2話
舟を漕ぐのって、思っていた以上に難しいんだね。
「うわっ!!な、何をしているのだ愚民!きちんと横、へ、すす、進ま、ぬか~!!」
「そんな、こと、言われても。僕、舟なんて、漕いだ事、無いもん」
舟の縁にしがみつきながら王子さんが怒鳴るのに、僕は舌を噛みそうになりながらどうにか返事をした。
可笑しいなあ。僕は確かに横へ進もうとしているのに、何故か漕いでも漕いでも、舟は同じ所でぐるぐるぐるぐる回り続ける。
ヤッバ、気持ち悪くなってきた。
「うえぇ」
「うああああああ!!!もうよい、止まれ!!」
「はーい」
吐き気と戦っているところへかかった制止の声に、僕は嬉々として従った。
そのまま舟の縁へもたれ掛かり、吐いても大丈夫なように水面へ少し顔を突き出す。そして、少しでも気分が良くなることを期待して目を瞑った。
うええ、気持ち悪。止まったはずなのに、まだぐらぐらする。
いや、これは舟が水の上に浮かんでいる限り仕方が無いのか。うう、早く陸に上がりたい。
そう考えているのは王子さんも同じみたいで、額に手を当てて苦悶の表情を浮かべている。
心なしか、顔色も青いような気がする。きっと、人から見れば僕も同じような顔色をしているのだろう。
「この愚民め。こんな舟一つ満足に漕げんのか。・・・仕方がない。大臣、今度はお前がやれ」
「畏まりました」
「うひゃっ!」
気を抜いていたところに、後ろから急に視界の中へ手が現れたもんだから、驚いてオールから手を離してしまった。
そのうえ、手を外へ投げ出していたからオールはそのまま川へ向かって落っこちる。
しかし、オールが水に着く寸前で手の持ち主が素早くそれを掴んだことで事なきを得た。
そのことに安堵しながら後ろをゆっくりと振り返る。
すると、僕と目が合った途端、僕を驚かせた男の人が丁寧に頭を下げてきた。
「驚かせてしまって申し訳ございません。厚かましいお願いとは存じますが体調が優れないようですし、宜しければ私と漕ぎ手を代わってはいただけませんか?」
「え、あ、はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
男の人があんまり丁寧に言うもんだから、深く考えもせずに承諾する。
でも、すぐにそれが賢明な判断だったという事が分かった。
だって、その人が漕ぎ始めた途端、舟はちゃんと岸へ向かって進み始めたからだ。
すごいな、僕がどんなに頑張っても全然進まなかったのに、スイスイ進んでる。
男の人の技量に感心しながら景色を眺めていると、少し吐き気が収まったような気がした。
それなりにスピードが出ている影響で風が当たるおかげかもしれない。
このままここにいると漕ぐのに邪魔みたいだし、移動しよう。
そう判断し、僕は吐き気がぶり返さないように気をつけながら、漕ぎ手を代わってくれた人と向き直る位置にまで移動して座り直す。
そうして改めてその人を見ると、漕ぎ手を代わってくれたのはあの王子さんの従者っぽい人だった。
王子さんが大臣って呼んでたし、僕の見立ては的ハズレでは無かったみたいだ。
それにしてもあの人、さっきまで王子さんの向こう側にいたはずなんだけど、いつ後ろに回ったんだろう。
乗り込んできた時といい、この人達は気配が消せるんだろうか?
そんな事を考えながら、暇つぶしに二人を観察する。
王子さんは、さすが王子といったところか、豪奢な服や宝石で彩られた装飾品を身に着け、腰にはこれまた高そうな剣を提げていた。
一方大臣さんの方は、装飾品の類は一切身に着けていなくて、服も執事が着ているような黒い服。その服も、仕立てこそしっかりしているみたいだけど、あんまり高そうには見えない。
唯一お金がかかっていそうなのは剣くらいのものだけど、デザイン性重視って感じの宝石や飾りでゴテゴテした王子の剣とは違って、使い易そうなシンプルなものだった。
真逆な服装の彼らは、纏う雰囲気も正反対。
王子さんは子供っぽくて落ち着きが無い感じで、大臣さんは少し頼り無い気がするけど、理性的な感じがする。
あ、そうだ!家に帰る方法を大臣さんに相談するっていうのはどうだろう。
その閃きに、内心僕は天啓を受けたような気分になった。
突然の思いつきではあったけど、なかなか良い考えなんじゃないだろうか。大臣ってことは、この国で結構上の地位にいるはず。
それなら、ある程度の権力を持っているだろうから、僕一人位簡単に家に帰せるんじゃないかな。
そこまでテンション高く考えたところで、一つの可能性に気が付いた。
でも、逆に怪しいヤツって事で捕まっちゃう可能性もあるよね。
見えたと思った希望に水が差され、高揚していた気分が急降下する。
どうやってここまで来たのかも分かんないし、不法入国してるかもしれないよね、僕。
困ったな。もし捕まっちゃったら、無罪だと証明するものなんて何も無いし、これじゃ安易に相談出来ないよ。
うーん、どうしたら良いんだろう。
「おい、いつまでそこに座っているつもりだ。早く来い、この役立たずの愚民が!」
「う、うえっ!」
怒鳴られたのに驚いて顔を上げると、岸の上から王子さんがこっちを睨みつけていた。
どうやら、考え事をしてる間に岸に着いていたみたいだ。
けど、なんで王子さん怒ってるんだろう。僕、何かしたっけ?
あ、早く来いとか言ってたし、呼んでるのに座ったままでいる事に怒っているのか。
だけど、それにしても疑問は残る。
何で王子さんは僕のことを呼んでるの?岸まで着いたなら舟も漕げない愚民の僕になんて用は無いだろうし、さっさと置いていけばいいのに。
それとも、まだ何か用があるんだろうか。
「えっと、僕に何か用?」
なんとなく嫌な予感がしたから、出来ればこのまま無視して豚さんの所へ行きたい。
でも、そんな事をしたらまた怒られそうだし、余計面倒な事になりそうだから、仕方なく舟から降りて話しかける。
出来れば予想が外れていますように。
「用もないのに貴様のような愚民へ話しかけるわけがないだろう」
「・・・あっそ。で、用件は?」
「喜べ、貴様も魔王討伐へ連れて行ってやろう。貴様のような卑しい身分の者を供にしてやるのだ、有り難く思え」
うん、全然喜べないし、有り難くもない。なんかね、そんな気はしてたんだ。雰囲気的に。
願いも空しく王子さんから発せられた予想通りの言葉に、僕の気分は底辺まで落ち込んだ。
何故王子さんは僕が喜ぶと思ったんだ。寧ろ嫌がるに決まっているだろう。
あんな如何にも頭イッてそうな人の所に進んで行こうとする人がいると、この王子は本気で思っているのだろうか。
そう本気で疑問に思う。
そもそも、なんで僕が魔王討伐なんかに行かなきゃいけないの?僕、全く関係無いじゃん。
それに、僕はこれから豚さんを助けに行かなきゃいけないんだ。
その後はすぐにでも家に帰りたいし、王子さんの我儘に付き合っている暇なんてないんだよ。
「やだよ。僕これから豚さんを助けに行かなきゃいけないんだから」
「はぁ?貴様は魔王相手に私と大臣だけで戦えと言うのか。なんて薄情な奴だ。しかも、その理由が豚だと?ふざけているのか!!」
ここは毅然とした態度で断るべきだろうと、少しきつめの口調で断る。
すると、王子さんは掴みかかってきそうな勢いで怒鳴ってきた。
いや、なんでそんなに怒るの?確かに、魔王相手に二人だけっていうのは心許ないだろうけどさ。だからって僕一人が増えたところで戦力的には大差ないと思う。
それに、豚さんの事で怒るのは意味が分からない。
王子さんがお姫様を早く助けたいと思っているように、僕も早く豚さんを助けたいってだけなのに。王子さんの言い方だと、豚さんの事は大したことじゃないみたいじゃないか。
僕は王子さんの態度にムッとする。
でも、王子さんの様子からして、納得する答えを言うまで解放して貰えそうにないから、どうにか怒りを抑えて言葉を紡ぐ。
「ふざけてなんかないよ。さっきすごく大きな蔦にしがみ付いてる豚さんがいたんだ。自力で降りれないなら、誰かが助けないと危ないでしょ?」
頑張って諭すように言ってみたけど、王子さんはますます気分を害したようで睨みつけられた。
そのことに、なんだか怒りよりも悲しい気持ちが湧いてくる。
僕は王子さんの焦りがなんとなく分かるのに、王子さんは僕の気持ちがなんで分からないんだろう。
僕にとってはお姫様も豚さんも扱いは同じで、お姫様の方は命の危険が無さそうな分、豚さんよりも優先度が低いってだけの話なのに。
これ以上どう言ったら彼に伝わるのか分からなくて、僕は途方に暮れた。
それにしても、なんで王子さんは僕にこだわるんだろ?自分達だけじゃ不安って言うんなら、お城に帰って幾らでも兵士を連れて行けば良いじゃない。
なのに、なんで手っ取り早くこの場で見繕おうとしてんの?馬鹿なの?死ぬの?
ああ、このままいったら確実に魔王さんに殺されるよね。いや、こんな行き当たりばったりな考え方しか出来ないようじゃ、魔王さんの所に辿り着く前に死んじゃうかも。
なるほど、王子さんは真性の馬鹿なんだな。
そう思うと、なんだか彼らのことが心配になってきた。こんなんで本当に魔王さんからお姫様を助けることなんて出来るのだろうか。
「おい、貴様!私を無視するな!!」
「え、ごめん」
どうやら、思考に夢中になり過ぎて周りが見えなくなっていたみたいだ。
歩いている時とかだったら何かにぶつかったりしちゃうかもしれないし、気を付けよう。
「まったく、この私を無視するとは無礼にも程があるぞ」
「ああはいはい。それで、何?」
「だから、豚とは煽てられれば高い所に登る生き物だと言ったんだ!放っておいてもその内自力で降りてくる。そんな事よりも私を手伝え!」
へえ、豚さんてそういうものなんだ、知らなかったよ。
王子さんの言葉に僕は目から鱗が落ちた。
そして、そんな事を知っているなんて、馬鹿だと思っていたけど意外と物知りなんだなと、王子さんの認識を改める。
それにしても、さっきも思ったけど、この王子さんはどうしてこんなに僕に付いてきて欲しいんだ?
もしかして、お城には大臣さん以外に王子さんの言う事を聞いてくれる人がいないのかな。
そんな疑問から、不思議そうに王子さんを見つめていると、何を勘違いしたのか、大臣さんに頭を下げられた。
「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに、関係ないあなたにまでご迷惑をおかけして・・・」
「まったくだ。魔王を倒すのに供がコヤツとお前だけでは頼りなさすぎる。このままでは魔王の城にすら辿り着けるかどうか」
頭を下げられたのは僕なのに、何故か王子さんが上から目線で答える。それにまたムッとした気持ちになった。
なんで王子さんが返事するの?別に、なんとも思ってないけどさぁ。
あと、なんで僕も一緒に行くみたいな感じになってるのかな。僕、まだ何も返事して無いよね。
そうは思ってみたものの、豚さんを助ける必要が無くなった今、他にすることと言えば家に帰るだけだ。
まあ、どうせ家に帰る方法が分かって無いんだし、ちょっと位なら手伝ってあげても良いけど。
うん、そうだな。断る理由も無くなったし、このままだと王子さんはともかく、大臣さんが可哀そうだから、暫くの間は一緒に行ってあげよう。
危険な目に遭うのは嫌だけど、手伝ってあげたら家に帰る方法も相談しやすくなるし、悪いことばっかりじゃないよね、と自分を納得させる。
「では、この先の湖の畔に住む魔法使いに助力を請うては如何でしょう?」
「ほう、その者は役に立つのか?」
「はい。この国一番の魔力の持ち主です。魔法の実力だけなら魔王にも引けを取らないとか」
「そうなのか。よし、ではその者も連れて行くとしよう」
僕が一人脳内会議を繰り広げている間に、また僕抜きで話が進んでいた。
どうしてこの人は人の話を聞かないのか。
けど、今度の話は僕も興味が湧いた。
へー、魔法使いって本当にいたんだ。それは会ってみたいかも。
それに、その魔法使いさんをどうにか説得して王子さんのお供になって貰えば、僕が付いて行く必要も無くなるし、僕にとっても都合がいい。
少し付き合うのは良いけど、魔王の所まで行くのは嫌だもん。
魔王さんって強そうだし、何よりあんなサディストな変態には近づきたくない。
ただ、問題はどうやって魔法使いさんを説得するかだ。
あの王子さんがまともに頭を下げるとも思えない。逆に、さっきみたいに上から目線の横柄な態度で怒らせて魔法で攻撃されそうだ。
その事を思うと憂鬱な気持ちになる。
はあ、前途多難だ。