009 奴隷少女ヘレネ
「なにをするんだよ……」
顔にかかったオレンジジュースを拭こうとする。
しかし、クロエはそれを許さなかった。
「あんた、なんつうことしてんだよ」
すっかり激怒したクロエは、アルブレヒトの胸ぐらをつかんだのだ。
もう店内のお客さんに迷惑がかかるとか、そんなことこれっぽっちも考えていない。
「最っっ低だよ、あんた!! 見損ないましたよっっ!! 人間のクズのやることですよっっ!!」
「あの、鍵ならありますよ」
そう言って懐から服のポケットから鍵を取り出した。
放心したような表情のクロエ。
「どういうこと?」
「外そうと思えばいつでも首輪を外せるんだよ」
と、アルブレヒト。
「ヘレネがそうしないだけなんだ」
「……どういうこと?」
「私はアルブレヒト様の奴隷ですから」
ヘレネが頬を染めながら言った。
クロエの頭のなかではいまだに理解が追いつかない。
「ていうかっっ!!」
机をドンと叩いた。
「おとーさんおかーさんはどうしたの!? 親は泣いてるわよ!! 早く帰って安心させてあげなさいよ!!」
「親はいません」
クロエは一瞬黙った。
「ひょっとして死んじゃったの?」
ヘレネは首を横に振った。
「いいえ。最初からいないです」
「孤児?」
「いいえ。ヘレネには親が存在しないのです」
「どういうこと?」
「ヘレネはホムンクルスなのです」
「嘘でしょ?」
奴隷少女ヘレネの言葉み、クロエは耳を疑った。
ホムンクルスとは人造人間である。
蒸留器に人間の精液を入れて四十日密閉し腐敗させると、透明でヒトの形をした物質ではないものがあらわれる。それに毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の温度で保温し、四十週間保存すると人間の子供ができる。
妖魔学者であるクロエは知識としては知っている。
しかし、実際に目にするのはこれが初めてである。
数え切れないほどの魔術師たちが実験して、そして失敗した。
人類の歴史で人間をつくることに成功した者など一人もいないはずなのだ。
(しかし、万が一本当だとすると人類史上とんでもない発見になるはず……)
「ちょっと研究させてもらえませんか」
妖魔学者としての興味が手を伸ばそうとすると、アルブレヒトが腕をつかんで、
「うちのヘレネに手を出さないでほしいんだけど」
「いやいや、ちょっと血を抜いたり服を脱がして触ったりするだけだから」
「悪いけど、そういうのはお断りする」
「いやいや、決して人体には危害をくわえませんから」
「君は妖魔学者だろ」
と、アルブレヒトが警戒の眼差しをむける。
「もしも、ヘレネが人と違うところを見つけたら、君は本に書いて公表するだろう?」
クロエは視線をそらした。
図星だった。
「可哀相なヘレネを 買ったんだよ。ちゃんと保証書もある」
「パルニスでは人身売買は禁止ですよ」
「知っているよ。ヘレネはいつでもどこでも自由の身だ。鍵も渡してある。家では一切重労働はさせていない。掃除洗濯なんでもしてくれるが、それはヘレネの意志でしていることなんだ」
「……奴隷にする気はないのにどうして買ったんですか?」
「可哀相だから。で、買って離してあげようとしたら、
「私はアルブレヒト様のお世話をしているときが一番幸せなんです。アルブレヒト様以外のことは考えられません」
腕に抱きついた。
「アルブレヒトくんってモテるんだねえ」
クロエの生暖かい視線に、アルブレヒトはただ苦笑するばかりだった。
今回はちょっと短くて申し訳ないです。
読んでいただいてありがとうございました。