008 妖魔学者クロエ・ポンメルシー
「なにがあったんですか?」
突然、パンケーキを夢中で頬張っていたクロエが顔を近づけてきた。
「メデューサさん、あんたの冒険が成功するようにって天使の像を彫っているんですよ」
それを聞いて、アルブレヒトに滅多にない感情の念が沸き起こった。
つい三日ほど前の話だが、ずいぶんなつかしい事に感じられる。
「メデューサさん、アルブレヒトさんに本当に感謝してましたよ」
アルブレヒトは微笑んだ。
身体を手に入れてから、はじめて心の底から笑ったような気がした。
いま、アルブレヒトとクロエは菓子店にいる。
約束どおりデザートをおごっているのである。
最初はアルブレヒトが泊まっている『水晶の湖』で食事をおごろうとしたのだが、
「あたしの行きつけの店にしましょう」
ということで、この店にやってきた。
女の子が好きそうなかわいらしい雰囲気の店だ。
クロエは、クリームの乗ったパンケーキをじつにうまそうに食べる。
「アルブレヒトさんの泊まっている宿屋、あるじゃないですか。『水晶の湖』。あそこの女主人は未亡人なんですけど、いまお店で働いている若い子と付き合っているんですよ」
と、興味津々で言う。
異世界でも女の子は噂話が大好きらしい。
クロエはペットを連れてきていた。
小さな白い蛇だった。
サングラスに蝶ネクタイとかわいらしい格好をしている。
ただの蛇ではない。
――蛇の王バジリスクである。
睨まれると即死すると言われている。
アルブレヒトは魔術については知っているが、怪物についての知識もある。
蛇の王といわれたバジリスクについても知っている。
皿に注がれた牛乳をうまそうに飲んでいる。
舌でちろちろと舐めるように飲むのではない。首ごと突っ込んで、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。
(こんな恐ろしい怪物を連れて平気なもんだな……)
と思う。
もちろん身体がオリハルコンのアルブレヒトには害はないが。
そもそも一般的な常識があれば、
(は虫類が牛乳飲むかぁ?)
と疑問におもうはずなのだが、アルブレヒトは魔術と戦闘のみに特化しているのでそんなことはおかまいなしである。。
「あの石像、もとに戻りますよ」
ふいに、クロエが顔を上げて言った。
「石像って?」
「メデューサちゃんを倒そうとして返り討ちにされた冒険者の皆さんたち」
「そんな方法があるの?」
「メデューサの血です。メデューサの血には疾病のみならず呪いを解く力があるとされています。それでメデューサの魔力も解けるはずです」
「自業自得だと思うんだけど」
憮然とした表情でアルブレヒトは言った。
「家族親類を殺されたわけでもなければ、近所の住民に迷惑をかけたわけでもない。ただ単に怪物だって言うだけで退治しようというんだろ?」
「まあまあ落ち着いて」
アルブレヒトが怒っているのを、クロエがなだめる。
「フォトナの洞窟には門番がわりのガーゴイルを置きましたし、洞窟の入り口に『このメデューサは人に迷惑かけません』って書いた紙を貼っておきましたから」
「それにしても血を抜くって……」
「そりゃあ、いっぺんに抜いたら死んじゃいますから、すこしずつ分けてもらいますよ。メデューサちゃんもそれを望んでますから。それよりもアルブレヒトさんは食べないの?」
「俺は食べない」
クロエは手を止めた。
「宿屋に入ってから一口も食べないって本当ですか?」
「本当だよ」
と、アルブレヒトは言った。
「そういう修行をしてきたから。だから一睡もしないよ」
クロエは疑わしげな眼差しを向けた。
食べなかったら人間は死ぬ。
(なにを馬鹿を言っているんだ、この人は……)
と、クロエの顔にはっきりと書いてある。
「アルブレヒトさんは本気で言っているんですか?」
「もちろん」
「まさか人の魂を吸い取ったりしていないでしょうね?」
「俺はそんな邪法に手を染めていないよ」
「あのですね」
クロエはパンケーキを食うのを止めて、
「絶対にあり得ないんですよ! どんな生物でも、あたしやバジちゃんでも、エネルギーを取らずに生きていくことなんて不可能なんですよ! 無理に決まってます」
「不死の生物なら可能だろう」
「スケルトンって会ったことありますか?」
「そりゃあ、まあ……」
スケルトンは骸骨の怪物である。
じつはスケルトンに会ったことなどない。
「じゃあ、強いスケルトンって、じめじめした場所に多いの知ってます?」
「はあっ?」
「スケルトンにも強い弱いありますよね? 人間にも強い弱いがあるように、スケルトンにも強さはある程度違います。強いスケルトンって、どうもキノコから養分を取っているらしいんですよ。細かいことはまだ研究中ですけどね」
「さすがにそれは嘘だろう!」
「本当ですよ。データ取ってありますんで、ウチに来て見てもらってもいいですよ」
クロエは自信をもって言った。
若い少女だが、いちおう学者を名乗っているのだ。嘘ではないのだろう。
バジリスクまで、うんうん、と首を縦に振っている。
(俺がヌジリさんに徹底的に叩き込まれたのは戦闘魔術だけだ。口では勝てないだろう)
アルブレヒトは話を変えることにした。
「それよりも坂上利一について聞きたいんだけど」
それを聞くためにデザートをおごっているのだ。
「まあ、いいでしょう。まずは何について聞きたいんですか?」
「何でもいい。どんな小さなことでもいいから知りたい。どういう奴なのか。どんな戦闘能力があるのかを」
「わかりました。こんなにたくさん美味しいのおごってもらったから、あたしは受けた恨みは二倍にして返すけど、受けた恩は二乗にして返す主義なんですよ」
と、言って、クロエはオレンジジュースを飲んだ。
「とにかくすっげえ大金持ちなんですよ」
と、クロエは眉間に皺を寄せて言ったのだ。
「だいたい『神の国』から来たなんて胡散臭いじゃないですか。伝説の世界ですからね。
あたしたち庶民には絶対に手の届かないようなごちそうばかり食べているんですよ! 肉とジャガイモとキャベツの酢漬けばっかり」
「貴族みたいな生活を送っているわけだ」
「とんでもない。貴族以上ですよ! パルニスの人間は質素を旨としていますからね。レイウォン王でさえ嗜好品のチョコレートを飲んでいると『贅沢すぎる』と叱られるような気風ですから!」
「じゃあ、君、こんなところで美味しいお菓子食べていいわけ?」
「あたし、もともとパルニスの人間じゃないんで。家族で亡命してきたんです」
と、クロエは言った。
「それに女の子はいつだって甘いお菓子には目がないですから。おや……?」
金髪の少女が店に入ってきた。
鉄の首輪をつけた粗末な身なりの少女だった。
それを見たクロエの表情が曇った。
「奴隷ですね、あれ」
吐き捨てるようにクロエが言った。オレンジジュースのストローに口をつける。
「いったい誰があんなひどいことをしたのか……」
「ああ、あれは俺の奴隷」
それを聞いたクロエは、ショックのあまり口に含んでいたオレンジジュースを思い切り顔面にぶちまけた。
やっと少しばかりハーレムっぽい展開になりました。
読んでいただきありがとうございました。