006 古代迷宮にて
ヌジリは髑髏の門をくぐった。
ここは未だに魑魅魍魎の巣である。
だから、聖域であるにもかかわらず警備の兵士を置いていない。
置いたところで死ぬだけだ。
足元には瘴気が充満している。
「べつに戦ってもいいんだが」
ヌジリは魔除けの粉を取り出した。
皮袋に入った金色の粉が地面に落ちると、瘴気は消えていく。
「この粉で極上のステーキが百枚食えるんだが……。まあ、俺ももう若くないから、身体をいたわらないとな」
熊のような巨体をゆすらせて笑った。
ほどなくして、ヌジリは目的の場所に到達した。
「思ったよりも簡単に着いたな」
安堵したヌジリはがっしりと鍛えた首を撫でた。
内臓迷宮の入り口に立つ。
中は漆黒の闇。
「できたばかりだから邪気がほとんどねえや。まだ誰も食ってないんだろうな」
地面を見た。
足跡がある。
「やっぱりな」
ヌジリはにやりと笑った。
凄みのある笑みだった。
ヌジリは真っ暗な迷宮の中に入った。
そして『照明』の呪文を唱えた。呪文といっても様々だが、ヌジリの魔法は硫黄をつかったもので、あまり魔力を消耗しないものであった。ヌジリほどの高位の魔術師なら硫黄をつかわずとも『照明』の魔法くらい軽々と扱えるが、魔力の消耗を嫌ってのことである。
迷宮は大理石でできていた。
かつての古代文明は、いまの大陸の人間よりも数千年文明が進んでいたといわれている。
「古代の人間から見たら、俺たちなんてのはただの野蛮人程度にしか見えないんだろうなぁ……」
『誰……?』
どこからともなく声がした。
(来たな……)
「魔術師さ。お前さんと遊びに来た」
『魔術師って、トルゲマタ卿みたいな人ですか?』
トルゲマタ卿というのは、エスード王国の大教区長である。
エスード王国における教会の最高権力者である。
ヌジリは、トルゲマタ卿を知っていた。
(岩みたいな肌の色をした陰気なおっさんだ……)
トルゲマタ卿はエスード王国における教会の最高責任者である。
一言でいうと、狂信者だ。大変職務熱心ではあるが、
(あいつとは一生友達になりたくない……)
というような人間だ。
「そいつは僧侶だろ。俺たち魔術師とは違う」
『俺はいったいどうなったんですか?』
力のない弱々しい声だった。
「国家反逆罪の末路ってことさ」
『俺は無罪です!』
叫び声が迷宮に響き渡った。
ヌジリは、
(こいつは妙だぞ……)
と、怪しんだ。
(国家反逆罪は大罪だ。エスード王国でもこれまでに起きたのは5件だけ。滅多に起こるもんじゃねえ。国王でも暗殺しようとしたか? でも、こいつが国家転覆をたくらむような大悪人には見えねえぞ……)
とりあえず話を続けることにした。
「あんた、名前は? かつての名前は?」
『かつて? まあ、いいや……。俺の名前は不知火凶です』
ヌジリは嘆息した。この迷宮は、まだ自分の身がどうなったのか気づいていないのだ。
「あんまり聞かない名前だな。どこの国から来た?」
『日本です』
「俺は大陸中を旅して回っているが、そんな国は聞いたことがねえな」
『この大陸にはありません。異世界にあるんです』
(まさか『神の国』じゃねえだろうな……)
古代王朝では、迷宮は『神の国』の入り口にあると信じられていた。この不知火凶は『神の国』から来たというのだろうか……。
だが、今は反逆罪についてのみ聞くことにした。
「で、無実といったが、具体的にどういう罪で訴えられた?」
『パルニスにルールー一匹を売ったという罪で』
「ルールーって、あのルールーか?」
『はい』
「ふざけてんのか、おい」
ヌジリは憤怒を発した。
「パルニスにルールー一匹? 買うわけねえだろ。あんなペットも同然の怪物が何の役に立つって言うんだ!? パルニスにどれだけの怪物がいると思っているんだ? 飛竜もいれば、不死生物もいる。吸血鬼もいる。ルールー一匹なんか戦力にもなりゃしねえ。パルニスのレイウォン王はすべての迷宮マスターよりも怪物について熟知していて、怪物と自由に会話することだってできるんだ。ルールー一匹なんか欲しがるはずがねえ。たしかに怪物を他国に売るのは重罪だが、よりによってパルニスが買うわけねえだろ」
『すいません……。でも……』
声の主はあきらかに怯えていた。
「そもそもどうして迷宮マスターでもないお前がルールーを持っているんだ?」
『いいえ。俺は迷宮マスターだったんです。もともとただの高校生だったんです……』
「高校生? なんだそりゃ?」
『あ……、つまり、いわゆる学生のことです』
「ふうん。お前らの国ではそう言うのか。まあいい。話をつづけてくれ」
『僕たち、知らないうちにこの世界に飛ばされたんです。そしてすぐに役人に捕まってトルゲマタ卿のところへ連行されました。トルゲマタ卿は、命を助けて欲しくば迷宮マスターになれと言われたんです。網を持たされて外に出されたんです。三日以内に怪物を獲ってこいと。といっても、なかなか怪物がいないんです。できなければ死刑だと』
「そりゃあ、難しいだろうなぁ」
と、ヌジリは言った。
「昔は武器なしでは道なんか歩けないほど怪物がうようよしていたんだ。でも、十年前は怪物なんか絶対に出会わないぜ。エスード王国で怪物を捕まえようなんざ道端に宝石が落ちているか探すくらい難しいぜ。なんでそんな無茶な命令を無視して逃げなかったんだ?」
『逃げるといっても逃げる場所がありません。それに、俺たちは三日で死ぬ毒を飲まされていたんです。できなければ、死ぬしかないんです』
「うわぁ、ひでえ。そりゃ全員死ぬしかねえな」
『でも、俺は無事に怪物を手に入れることができたんです』
「どうやって?」
『どうしようか困っているところへ苫小牧幸太郎くんが助けてくれたんです。
幸太郎くんも僕と同じように異世界に飛ばされた人間の一人です。
どうしようと眠れずに悩んでいた僕を宿舎から連れ出しました。
どこへ連れて行くかというと、
「君を助けたいんだ」
とだけ言って、それ以上言わないんですよ。
黙ってついていくと、そこは豪邸でした。
そこでマルタという女性に会いました。真紅のドレスを着た三十歳くらいの女性でした。
「あなたが不知火凶くんね」
と、ソファに腰掛けていた女性が俺に言いました。
「幸太郎を助けてくれてありがとう。あなたを助けたいの」
といって、俺に怪物を一匹分けてくたんです。
マルタという迷宮マスターと知り合いになって、僕の境遇に同情してくれてルールーという植物系の怪物を一匹分けてくれるというのです。
ルールーはサボテンに似た怪物で、植物なのに歩行ができるのです』
「俺はルールーは知っているが、サボテンというやつは知らないな」
『すいません……』
「まあ、いいや。話をつづけてくれ」
『どうして 俺だけに優しくしてくれるか聞いたんです。
「あんただけ幸太郎に優しくしてくれたからだよ。
他のやつらは異世界にきてから幸太郎をいじめたそうじゃないか」
マルタさんの言うとおりでした。
幸太郎くんは俺以上に気が弱い子で、みんなからいじめられていました』
するとヌジリは、へえ、と呟いた。口元が笑っていた。
「怪物マスターからもらうって手があったのには気づかなかった。そのマルタって奴は何歳くらいだ?」
『二十……いや、三十歳くらいだと思います』
「結婚は?」
『たぶん独身だと……』
「その幸太郎って男は可愛かったかい?」
『ええ、とても……』
「なるほど。怪物だけじゃなくて男も飼いたかったんだな。寂しかったんだろうな」
不知火凶は困った様子だったが、話をつづけた。
『で、僕は宿舎に戻りました。
俺は助かったと思って喜んでいると、黒橋みかげが現れたんです。
「不知火くんにお願いがあるの」
いや、驚いたんですよ。向こうから声をかけてくるなんて。
俺、黒橋みかげとは話したことないんですよ。
むしろ嫌われているような気がしました。
高校生なんですが、モデルの仕事もしているということで大人びていて美人でした。
「不知火くん、どこへ行ってきたの?」
面倒だと思って、何も言わなかったんです。
「たいしたことないよ。ちょっとした散歩だよ」
すると、
「幸太郎くんと一緒に館に入ったわよね?」
心臓が止まるほど驚きました。
「ひょっとして怪物を一匹もらったとか?」
「そ、そんなこと……」
「嘘。顔にかいてあるわ」
「気のせいだよ……」
「お願いがあるの。幸太郎くんにあたしたちに怪物をくれるよう頼んで欲しいの」
絶対に無理だと思いました。
だって、幸太郎くんのことを一番ひどくいじめていたのが黒橋みかげでしたから。
俺自身、黒橋みかげのことがあんまり好きじゃありませんでした。
俺、その場で逃げましたよ。
そのときの黒橋みかげは、
(もの凄い顔で……)
睨んでいたのを覚えています』
「まあ、命がかかっていたらさすがに渡さないだろうな。
それが自分たちを邪険に扱っていた連中とあったらなおさらだ。
で、続きは?」
『迷宮マスターとして認められてからの数日間は楽しかったです。
俺は郊外に小さな一軒家を与えられました。
俺と幸太郎くん、それに幸太郎くんの庇護者であるマルタさんの三人でとても楽しい日々を過ごしました。
三人で祭りを楽しんでいると、兵士たちが近づいてきました。
「不知火凶くんだね?」
「そうですが……」
「君を逮捕する」
いつの間にか、両脇には兵士がいたんです。
「ちょっとあんた、どういう凶がどういう罪をおかしたっていうんだ!」
と、マルタさんが食って掛かるも、
「我々にもよくわからないのですよ。上司の命令ですから」
と、兵士が答えるわけだ。
「とにかく同行するように。無実の罪だったら釈放されるだろう」
俺は強引に馬車に連れ込まれました。
両脇には兵士が座っているわけで。
なにか物々しい館に連れてこられました。
馬車から降ろされた俺は、薄暗い一室に案内されました。
そこでは、髭を生やしたいかにも貴族といった雰囲気の男性がいました。
「私はオリバル伯爵という」
と自己紹介して、椅子に座るよう命じられました。
「君に起こったとんでもない事態については知っているかね?」
「どういうことですか?」
「君に国家反逆罪の容疑がかかっている」
「無理ですよ!」
あまりの突拍子もないことに僕は叫んでしまいました。
「俺はただの高校生ですよ! 誰の身よりもない……。国家に反逆するって何ですか!
「パルニスにルールーを一匹売った」
「えっ?」
「ルールーは怪物だ。我が国の法律では怪物は武器扱いなのだよ。そして、他国に武器を売った者は死刑になるのだよ」
「冗談じゃない! 何かの間違いです! あの動物を売ったら俺は死刑になるんですよ」
「しかし契約書がある」
そう言って俺に紙を見せました。俺たちが使っているノートのような紙じゃなくて、もっとしっかりした紙でした。
名前のところを見ました。
たしかに書いてあるんですよ。
不知火凶って……。
「違います! これは僕が書いたんじゃありません! 俺はみなさんの国の言葉を書くことができません」
「しかし、この署名は君の国の言葉だよね? 黒橋みかげさんが証明してくれたよ。君の名前だと。我々では君たちの言葉は読めないからね」
そのときの俺、ぼろぼろ泣いていたと思う。
わけがわかんないですからね。
迷宮マスターになって命が助かったと思ったら、いきなり身に覚えのない罪で死刑になるなんて。
「しかし、私はこの件について疑いをもっている」
俺は泣いていた顔を上げた。
「君たちはトルゲマタ卿の命によって、迷宮マスターにならなければ死刑にされるんだったね? 怪物を売ってしまえば、君は資格を失う。死ぬのがわかっていてルールーを売るとは思えないんだよ。なにか深い事情があるのかもしれない」
「そうなんですよ! 俺は無実なんです!」
「といっても、私の力ではどうすることもできない。しかし、このまま無実の罪で死んでしまうのはあまりにも可哀相だよ」
そういって、オリバル伯爵は俺の肩を抱いてくれた。
「とりあえずこれに署名してくれ」
と言って、紙を手渡したんです。
もう、手を震わせて書きましたよ。
手紙を書き終わると、俺は何度もオリバル伯爵に礼を言ってその場を去りました。
そこから先は覚えていないんです。
※
「聞けば聞くほど奇妙な話だな」
黙って話を聞いていたヌジリが、禿げ頭をぴしゃりと叩いた。
「いや、悪かった。じつを言うと今でも信じられない。が、お前さんが嘘を言っているようにも見えねえ」
『信じてもらえるんですか?』
「ああ。これでも六十年生きているんで、話を聞けばそいつが嘘を言っているかどうかわかる」
『ええっ!? そんな風には見えません……』
目の前にいるこの精悍な魔術師はせいぜい40歳くらいにしか見えない。
「これでも健康には気をつかっているんでな。しかし、そうなると話が難しくなってくる。いや、ひょっとして……」
ヌジリは眉間に皺をよせて考え込んだ。
「ところでお前さんを取り調べたオリバル伯爵ってどんな奴だ?」
『ひげを生やしていて、冷たい雰囲気でした』
「年齢は?」
『わかりません。でも、若そうな感じでした』
「俺より若そうか?」
『それはもう全然。二十代といってもおかしくないです』
「国家反逆罪を裁くにしては若いな……。エスード王国ってのはそんなに人材がいないのかね? そもそも裁判もなしにいきなり刑が決まるのがおかしい……。待て。そう言えば聞いたことがある。オリバル伯爵は国王の友人だったな。そして迷宮の研究者だ」
『迷宮の研究……』
「たぶんそれはお前さんが想像しているよりもデカい話だ」
『どういうことなのか教えてください。俺はすべてが知りたいんです』
ヌジリは太い腕を組んで考え込んだ。
「それを説明するには、まずお前さんがどういう風になっちまったのかを理解しないといけない」
ヌジリの隻眼が光った。
「お前さんはもはや昔のお前さんじゃねえんだ」
『言っていることがよくわかりませんが……』
「お前さんはもはや人間じゃねえんだ」
――迷宮そのものになっちまったんだよ。
不知火凶は無言だった。
「驚くなというのが無理だわな。自分自身が突然迷宮になったと言われても信じられんわな。
他の世界じゃ知らないが、この世界は本当に迷宮が多い。
とくに多いのが古代王朝時代の迷宮だ。
とにかく馬鹿みたいに迷宮を作った。どうしてかはわからない。一説には『神の国』への入り口だといわれている。
はっきり言えるのは、古代王朝の文化レベルが俺らとは比べものにならないくらいほど発達していたってことさ。
すべての人間が魔術を使えた。その力は想像を絶するものだったらしい。
そして敵に対しては残忍きわまりなかった。逆らうものは一人残らず殺された。
それほどすごい文明だったのに、どういうわけか勝手に滅んじまった。
理由は謎だが、伝説では乱脈をきわめた暴君が邪神を呼んだためだと言われている。嘘みたいな話だが、俺は本当なんじゃないかと疑っている。
で……だ。
死刑よりも残酷な刑罰って知っているか?」
『えっ?』
「死なせないことだよ」
すいません。ちょっとだけ鬱展開。
次の回には終わります。
読んでいただいてありがとうございました。