050 魔力をためて物理で殴ればいい。
「……本当にあたしたちを殺さないの? このまま帰すつもりなの?」
リウィアは大松清明を睨みながら言った。
しかし、怖がっているのはリウィアである。
相手は人ではない。
邪神である。
パルニスの精鋭五千でやっと倒した怪物だ。ただの武道士に過ぎないリウィアが勝てる相手ではないのだ。
「べつに殺す理由はない。予選をあきらめて帰ってくれればいいのです」
「でも、あんたが黒水晶の邪神だとあたしたち知っちゃったのよ」
「それがなにか?」
「だって、パルニスを滅ぼした邪神と一緒になったら……」
「僕を殺すと?」
「あたしたちには無理よ! でも、パルニスが放っておくわけないわ! パルニスを崩壊一歩手前にまで追いやった黒水晶の邪神を放置しておくはずがないわ!」
「勘違いしてもらっては困ります。僕は黒水晶の邪神ではない。あくまでも黒水晶の邪神の力を取り込んだだけなのですよ。あくまでも冒険者ギルドの社長として社会貢献しているだけ。もっとも、僕を殺せる人間が存在しますかね? 僕はあくまでも黒水晶の邪神を身体に取り込んだだけですよ。パルニスに害をなしているわけではない。僕は邪神の力を正義のために使っているのですよ」
大松清明の両肩の黒い犬がけたけたと笑う。
「僕はこれでも王太子とは懇意の仲でね。これも王家のために働いているのがわかってもらえなくて……。私を討つつもりですか?」
リウィアは知らないが、大松清明はエセルリアにとっては害悪というべき存在なのだ。
(麻薬を製造して売っている……)
悪人なのだ。
討つとしたら、今しかない。
しかし、それは無理な相談である。
いまの大松清明は黒水晶の邪神の力を得ている。パルニスの精鋭五千でやっと倒した相手である。
王子とその仲間たち程度ではかすり傷をつけることさえ不可能であろう。
もはや、戦うことは無駄だった。
「それとも食料がないから帰れないと? それなら特別に結界を解いて
その時群集がざわめいた。
振り向くとアルブレヒトだった。
「もう帰ってきたの!?」
リウィアは驚いて開いた口が塞がらなかった。
「ああ。壁を破壊して進めば、迷路もなにもないからね」
「あっ……」
たしかにアルブレヒトの魔力なら、迷宮の壁を全部破壊することも容易である。
「でも、それでも早すぎるわ……」
「全速力で走って戻ってきたから」
「これでも疲れには耐性があるんだ。いくら走っても疲れない」
「そんなはずないわ。人間であるかぎり……」
「俺の身体よりももっと大事なことがある」
「なにかしら?」
「トーライム卿の息子が黒水晶に閉じ込められている」
「ロートリンゲン男爵が!?」
「ああ。予選者を一人も出さないだめにな」
「いったい誰がそんなことを……」
「犯人は一人しかいないだろ」
アルブレヒトの視線は、一点のみを見つめていた。
すなわち大松清明。
「そこの大松清明だよ。黒水晶の呪いなんてここの邪神様しかいないだろう」
「まさか! だって、雇い主よ!!」
「知られたくない秘密でも知ってしまったのか?」
「そうじゃない。だったら殺している。呪いは一時的に過ぎない。予選通過者を出さないためだ。最下層にたどり着くのを判定するのはトーライム卿の息子だ。彼を呪いで意識を失わせればたとえ最下層にたどりついても予選通過を証明する者がいなくなる。全部『俺たち最強伝説』の評判を高めるためさ」
一同を見回した。
「あんたたち、そんなに信用されてないみたいだね」
戦士Aたちは渋い顔をした。
なんともいえない表情で聞いていた。
「早く逃げることを勧めていたのですが」
残念そうに首を横に振った。
「最下層のことを知ってしまったからには死んでもらうしかないですね」
笑った。
この世のものとは思えない笑みだった。
大松清明に人間性など微塵も残っていなかった。
「ぐぼおおおおおっっ!!」
突然、大松清明の身体が吹っ飛んだ。
まさか魔術師のアルブレヒトが殴ってくるとは思わなかったら完全に不意をつかれた。
ただの拳ではない。
この世界に存在する金属のなかでも奇跡と呼ばれる強度をほこるオリハルコンの拳である。
「おとなしく経営コンサルタントでもやってろよ」
※
「内臓迷宮のお前はこの外を見ることができないからわからんだろうが、ここは墓なんだよ」
ヌジリは太い指で禿げ頭を掻きながら言った。
「墓は墓なんだが、内臓迷宮みたいな邪悪なものが間近にあると瘴気を受けて悪い霊とかが出て来るんだよ」
不知火凶はすごく嫌な気分になった。
「まあ、お前のせいじゃないから気にするな。内臓迷宮ができる前からここは化け物の巣窟だったんだ。俺がはじめてここに来たときもスペクターに襲われた。まあ、倒したがね」
『ヌジリさんだったらドラゴンが相手でも楽勝でしょう』
「俺だって年寄りなんだぜ。昔みたいに身体は動かんのだよ。亡霊ばっかでな。本来なら僧侶の仕事なんだが、これがまるで役に立たない」
『亡霊って魔法が効くんですか?』
「効くよ。俺は拳で倒したけどな」
『本当ですか! すごいじゃないですか!』
「ただの拳じゃ無理だ。付加属性をつけた」
『なんですか、それは』
「幽霊なんかのは肉体がないんだから、いくら攻撃したって素通りするだけだ。古代魔術だって通用しない。聖文字を手のひらに書いた。聖文字ってのは僧侶の使う神様の言葉だ。もともとは武道士の術だったんだ。武道士が高僧の護衛の任務に使っていたが」
『それがあれば幽霊でもやっつけられるんですか?』
「そうだ。相手が魔王だろうが、な。場合によっては魔法をぶつけるよりも効くぜ。もっともじかにブン殴んないと効かないけどな」
※
オリハルコンの拳は効いた。
だが、拳の痛みどころではない。
天地がひっくり返るほどの衝撃をうけていた。
たとえ伝説の古代王朝の魔術師が百人目の前に現れたとしてもこれほど驚かなかっただろう。
「経営コンサルタント……」
かつて大松清明は『神の国』で経営コンサルタントになることを目指していた。
しかし。
異世界には経営コンサルタントなどいない。
実際に『神の国』からきた人間でなければ、その存在を知るはずがないのである。
アルブレヒトは古代魔術を唱えながら右手の甲に指で文字を書いた。手の甲の文字が金色に輝く。
「だとしたら貴様もチート能力を……。いや、そんなはずはない! 『神の国』からこの異世界に来た人間は十人だけだと……」
その嫌な予感は当たっていた。
古代魔術による付加属性。その力は絶大である。並の金属ではその強大な魔力に耐えられず壊れてしまう。しかし、神の金属といわれるオリハルコンならその強度にも耐えられる。
それが魂の拳だった。
「お前、まさか、不知火……。死んだはず……」
最後まで言わせなかった。
一国さえ滅ぼしたといわれる古代魔術の魔力を秘めた付加属性叩き込まれた。
おぞましい断末魔。
大松清明は邪神と合体するというチート能力を使いきれずに消滅した。
※
「うん?」
トーライム卿が空を見上げると、青い空に小さな赤い点を発見した。
その赤い点はどんどん大きくなっていく。
飛竜である。
「なんじゃ、いったい?」
飛竜が飛ぶのは火急の時のみである。
(もしかすると一大事か……)
どうやら飛竜がこちらに近づいてくる。
(わしに用事があるようじゃな)
飛竜が着陸した。
「おや?」
飛竜は騎手のほかにもう一人騎乗していた。飛竜に乗るのは一人だ。滅多にない。
走ってきた人物をみて、トーライム卿は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
「陛下!」
パルニス国王レイウォンは飛竜を降りると一目散に駆け寄ってきた。
「今すぐ予選を中止しろっっ!!」
レイウォンは激怒していた。
トーライム卿にはその理由がさっぱりわからない。
「陛下!? いったいなぜ……」
「『俺たち最強伝説』を雇ったな」
レイウォンは射抜くような眼差しを向ける。
「これには深いわけが……」
「なるほど。魔人武道会の出場者に大松清明を討たせるつもりなのか」
「ど、どうしてそれを……」
「貴様の考えていることはわかる」
『光輝王』と呼ばれる英明な君主である。その智謀はトーライム卿の比ではない。
「たしかに『俺たち最強伝説』がパルニスにとって害悪であることは俺も知っている。だからといって魔人武道会の参加者に大松清明を討たせようなどと言語道断」
「しかし……」
「政治は信用が第一だ」
レイウォンは老将の反論を許さなかった。
「この魔人武道会はあくまでも武術大会だ。戦争ではない。死傷者が出るようなことがあってはならない。
「多少どころが全滅しかねんぞ!」
「はっ……」
「疫病が発生したとか。しかもその症状が黒水晶の邪神が似ているそうだな。百名以上が罹病していると聞いている。幸いにして死傷者が出なかったから良かったものの……。クロエちゃんが皆の病気を治して助かったよ。貴様は知らんだろうがな、予選の参加者にはエセルリアの王子もいる」
「げえっ……」
「身分を隠しているが、たしかにジェームズ王子は出場している。
「ですが……」
「今すぐこの大会を中止するか、貴様が親衛隊隊長の地位を捨てるかどちらか選べ」
魔人武道会はトーライム卿にとっての夢である。だが、レイウォン王の命令である。
「とにかく今すぐ中止させろ! 『俺たち最強伝説』が参加者を皆殺しにしてしまわないうちにな!」
「た、大変ですっっ!!」
親衛隊員があわてて駆け寄ってきた。
「どうした?」
「陛下、大変でございます。魔人武道会の参加者たちが戻ってきました……」
「そうか……」
レイヴォンは深い溜め息をついた。
「大松清明たちを見て怖気づいて逃げてきたか? なんにせよ死なずに済んだのはよかった」
「それがトーライム卿のご子息まで一緒なんですよ」
「な、なんじゃと!」
意気消沈していたトーライム卿まで顔を上げた。
アルブレヒトたちであった。リウィアやジェームズ王子たちもいる。
「おみやげですよ」
アルブレヒトは両手に掴んでる物体を渡した。
レイウォンとトーライム卿は目を剥いて驚いた。
それはパルニスを壊滅状態に追い込んだ黒水晶の邪神の忌々しい犬の首だったからだ……。
「これはいったい……」
「大松清明の肩についていました」
「なに!?」
「くわしいことはトーライム卿のご子息に聞いてください」
「ハンス! これはどういうことじゃ!?」
トーライム卿の息子は大きな背を丸めて申し訳なさそうな態度だった。
「すまない。親爺。俺としたことが……」
アルブレヒトとトーライム卿の息子から事情を聞いた。
話を聞いたレイウォンとトーライム卿は黒水晶の迷宮で起こった事態の深刻さを理解した。
「なんということだ……」
トーライム卿の脳裏におぞましい記憶が甦る。
もしも黒水晶の邪神が人間の身体を借りて復活していたとは夢にも思わなかった。
「やったのはお主か?」
「ええ」
「他にはおらんじゃろうなぁ」
「死ぬかと思いました」
「どうやって倒した? 黒水晶の邪神に魔術は効かないはずじゃぞ」
「拳でぶん殴ったら吹き飛んでくれました」
「馬鹿な。拳でだと? あり得ん……」
「とにかく黒水晶の迷宮に兵を送れ! 全力で参加者を救出する!」
「はっ!!」
トーライム卿が去ると、
「アルブレヒトくん」
レイウォンはアルブレヒトの手を両手で握りしめた。そして深々と頭を下げた。
「君のおかげでパルニスの害を取り除くことができた。心から感謝する……これから参加者たちの救出に向かうので失礼する」
レイウォンは足早に去っていった。
アルブレヒトは、レイウォンの背をずっと見ていた。
「これからどうする気なの?」
リウィアが訪ねる。
「あたしたちとしては、あんたみたいな人にはずっといてもらいたいけど」
「そうだね……。どうするかしばらく考えるよ。でも、まずはヘレネに会いに行かないと。ずっと宿屋で一人きりだったから寂しがっているに違いない」
仇敵の一人を討ち果たしたアルブレヒトは黒水晶の迷宮を後にした。
やっと第一部完結しました。
これまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
第二部はシリアスから一転して、ギャグ、内政+学園ものをやる予定です。




