039 エレベーターにて
アルブレヒトが不思議に思うのは、
(なぜトイレの中に隠し扉を……)
ということであった。
「この隠し扉はわしが作ったわけではないぞ」
首をかしげるアルブレヒトを見て、トーライム卿が口をひらいた。
「もともとこういう迷宮だったんじゃ。古代王朝時代に作られたらしいがな」
通路をまっすぐ歩く。しばらく歩くと、
「ここじゃ」
アルブレヒトは、あっ、と声を上げた。
それは、エレベーターであった。
アルブレヒトが不知火凶として暮らしていた頃とまったく同じものであった。
この世界にはないと思っていたはずのが目の前にあるのだから唖然とする。
「これはエレベーター……?」
アルブレヒトが驚きの声をあげた。
「なぜ知っとる?」
「僕は魔術師ですから」
「ああ……。そりゃあ古代の研究もしとるから、知っていても不思議ではないか」
この世界でもエレベーターはエレベーターという言葉で通用するらしかった。
トーライム卿がボタンを押した。扉がゆっくりと開く。
エレベーターのなかに入る。
「まったく古代の人間はすごいもんを作った」
「ええ」
「調べてみたが安全装置というものがついとるらしい。綱が切れても下に落下することはないらしい。たいしたもんじゃよ」
「ええ。素晴らしいものです」
「じゃが、それゆえに滅びた」
と、トーライム卿は言った。
「自分たちだけが賢いと思って、傲慢さゆえに滅びたのじゃよ」
エレベーターがゆっくりと動き出す。
「大丈夫ですか?」
「なにがじゃ?」
「赤死病。迷宮に蔓延しているんですよ」
「わしはかからん」
断言した。
アルブレヒトは目を丸くした。
人間である。人間が疫病にかからないという保証はない。
「どうしてですか?」
「すでにかかっているから免疫があるのじゃ」
そう言うとトーライム卿は昔をなつかしむような目をした。
「あの頃はまだ調練所の所長じゃった。パルニスでは赤死病が大流行した。大勢死んだよ。わしも死にそうになった。でも、どうにか生きとる。それもこれも黒水晶の迷宮の邪神のせいでな。知っとるか?」
アルブレヒトはうなずいた。その話はイサキオスから聞いた。
「ひどいもんだった。よく倒せたと思っておる。あやつのおかげでパルニスは滅亡寸前まで追い込まれた。もう二度と会いたくないもんだな」
「これからどこへ行くんですか?」
「地下百階。最下層じゃ」
「えっ!?」
「お主は予選通過じゃ」
トーライム卿は、アルブレヒトの顔を見ないまま言った。
「それは……大丈夫なんですか?」
「わしはこの大会の委員長じゃ。誰にも文句は言わせん」
頑固な性格にふさわしい無愛想な口調で言った。
「それに、な」
「はい?」
「この予選は危険だ」
「吸血鬼が百人ですからね」
「あんなの雑魚じゃろ」
「え?」
吸血鬼百人は、楽ではない。
一人でも恐ろしい存在なのだ。
しかし、トーライム卿は吸血鬼をうるさい蝿程度にしか思っていない様子だ。
「ユリウスを苦もなく倒したお主なら楽勝じゃろ。ヴァンパイアロードもおるが、一対一ならお主が圧勝するじゃろな」
アルブレヒトは苦笑した。
「だが、六十階以降にいる連中は強いぞ」
「どんな奴ですか」
「冒険者ギルドじゃよ。それも丸々一つ」
「ほう……」
「ちょっとした小国に匹敵するほどの力をもつ」
「そんなに恐ろしい連中なんですか?」
「ああ。他の連中はまあまあじゃが頭領が強い。お主がどんな魔術師か知らんが相手が悪い。黒いローブを着ているが……」
「黒いローブ、ですか?」
アルブレヒトが口をはさんだ。
「どうした?」
「じつは……」
アルブレヒトはイサキオスから聞いた話をそのままトーライム卿に伝えた。
「ふむ。そんなことがあったのか」
トーライム卿は白い髭の生えた顎を撫でる。
「あやつはわし以上に長生きし取るが根性が足りん。三百年以上も生きとる化け物だからそれなりに強いが、あやつ相手では太刀打ちできんだろう」
「じゃあ、黒いローブの男が……」
「ギルドの頭領だ」
「そうですか……」
「地下の悪魔を用意したのもあいつらだ……。じつはあいつらをこのもう一つの理由がある。これから言うことは絶対に言うなよ」
「はい」
「ユリウスやクロエ殿もこれから言うことは知らん」
「えっ?」
「おそらく陛下も知らん。もっとも察しのいい陛下のことだから、とっくにお気づきになっているかもしれんが。
わしはな。その冒険者ギルドをこの大会で潰したいのだよ」
「えっ……」
「わしらが直接手を汚すわけにはいかんのだ」
「でも、悪いことをしていないんでしょう?」
「パルニスに対してスパイ活動を行っておる」
それはただ事ではない。事態は国家問題である。
「国家機密を盗むだけではないぞ。要人の暗殺さえ請け負っている」
「殺人!? 逮捕しないんですか?」
「証拠がない」
トーライム卿は憮然とした表情で腕を組む。
「わしらとてパルニスに歯向かう犬どもを捨てては置けん。
しかし、奴らは狡猾だ。仕事を済ませると煙のように消えていく。
裁判で有罪にすることはできん。
しかも、わしらは冒険者ギルドとは仲が悪い」
「どうしてですか?」
「パルニスでは冒険者ギルドがいらんからな。だいたいの事件は役人で片付ける。
だが、連中はそれあ面白くない。
有力貴族に賄賂をおくってパルニスでも仕事ができるように働きかけておる。
実際にいくつかの反社会的な冒険者ギルドを軍隊を送って壊滅させたことがある。
ただ、それで世論が悪くなってな。
陛下は民衆の評判をとても気にするお方なのだ。
実力行使はできん。
だからわしは今回の役をまかせたのだ。
冒険者同士で戦わせることにした」
「なんだ。それじゃ結局冒険者って必要じゃないですか」
トーライム卿は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「アルブレヒト」
「はい」
「たぶん、な。今回の疫病はあいつの仕業だ」
「そんなこと可能なんですか?」
「わからん。しかし、あいつの仕業だろうとわしは睨んでいる。あるいは邪神そのものか……」
すこしうつむいた。
その瞳には怯えているかのように見えた。
歴戦の武人であるトーライム卿が人前でそのような顔を見せたことは滅多にない。
「いや、そんなことはあるまい。邪神だったら、今度こそパルニスは滅ぶかもしれん。あいつが邪な手段で疫病を流行らせたんじゃろ。うん、そうに違いない」
(よほど邪神というのは恐ろしかったんだな)
「さて。このエレベーターは60階までじゃ」
「じゃあ、その先は歩いて……」
「いや、ちゃんとすぐ近くにさらに下に降りるエレベーターがある。それで最下層まで行ける」
エレベーターが止まった。
二人は降りて、隠し通路を歩く。
扉を開けた。
そこには女性がいた。
若くて美しい金髪の女性だった。
しかもトイレの真っ最中だった。
「しまった」
トーライム卿が顔をしかめた。
「ぎえええええええええええええええええええええええええええ!!」
……トイレであった。
「しかし、ここまで来るとは女とは思えぬほどたいした力の持ち主……」
「痴漢っっ!!」
蹴りだった。
アルブレヒトでさえ反応するのがやっとの疾風のごとき蹴りだった。
が、トーライム卿は難なくこれを腕で受けた。
「ん?」
トーライム卿は我が目を疑った。
「お前はユリウスの妹のリウィアではないか」
読んでいただいてありがとうございました。
これからすこし文章を修正するので次の投稿は遅くなるかもしれません。
しかし。
はっきり描写してませんが、トイレに入ったまま蹴りをいれたということは……。




