038 治療
クロエとユリウスは『黒水晶の迷宮』に飛ぶようにやってきた。
移動手段はユリウスの馬である。
いつもお供として連れてきているバジリスクさえ連れてこなかった。
『黒水晶の迷宮』に到着すると、クロエは馬から飛び降りた。そして近くにいた親衛隊員に声をかけた。
「患者は!?」
「いま隔離しています。あそこに見えるテントを作って、そこに病人たちを置いています」
たしかに松明の炎とともに白いテントが見える。
「布、ありますか?」
「布?」
「病気がうつらないように口と鼻を覆うんです」
新鋭隊員は布をもってきた。
「隊員の弁当箱の包みですが、これでよろしければ……」
クロエは礼を言って口と鼻を覆った。
ランタンを持った隊員の案内で二人はテントに入った。
すると……。
地面に山賊たちが転がっているのである。それも大勢。
地面の下には何も敷いていない。毛布も与えられていない。
ただテントのなかに押し込められているだけである。足の踏み場も見当たらない。
「ひどい……」
クロエが呻くように言った。そして親衛隊員に、
「この人たちどうにかしてあげることできないんですか!? これじゃ物扱いでしょう!?」
「しかし病気がうつらないように処理するのが第一でして……」
「せめて毛布でも!」
「とにかく病気が感染しないように隔離するのが第一だったんです。今後のことはこれから……」
クロエは苦しんでいる病人を見ると、顔に赤い斑点があるのを見つけた。
「これは……」
「赤死病らしいよ」
クロエが声のする方を振り向くと、アルブレヒトが胡坐を掻いて隅のほうに座っている。
幽霊のように陰気な顔をしているが、赤い斑点は顔には出ていなかった。
「アルブレヒトさんは平気だったの?」
「うん。それよりもみんなの手当てを」
クロエは苦い顔をした。
「いまのところ薬草を手配して熱を下げるくらいしか……。リュウビンという熱を下げる薬草があるんです。うちは薬草屋だから百人くらいは用意できると思います」
「助かるの?」
「なんとも……。本で読んだことありますけど、実際に見るのは初めてです」
クロエは目の前にひろがっている惨状に顔をしかめた。
「坂上利一だったらどんな病気でも治せるんでしょうけど」
アルブレヒトは一瞬だけ表情を歪めた。だがクロエたちは気づかなかった。
「これだけの重病なのによく戻ってくれましたね」
ユリウスがしみじみと言うと、
「逃走の翼≪エスケープ・ウイング≫がありますから」
「あれは基本的に一人、熟練の魔術師でも5~6人にしか使えない」
「すこし疲れますけど、百人くらいならいけますよ」
クロエとアルブレヒトは信じられないといった顔をした。
「その話が本当なら君は天才だな」
ユリウスはすっかり感嘆していた。
「彼らの治療は誰が?」
「あたしたちがなんとかします」
「そうですか。クロエさん、頼みますよ」
アルブレヒトはフアナとカリアナを見た。
二人ともすでに虫の息である。
とくにカリアナは今にも死にそうな顔をしている。
アルブレヒトは、苦しんでいるカリアナの頬に触れた。
そして立ち上がった。
「どこへ行くんですか?」
「迷宮に。まだ予選は終わってないんで」
「今からですか!?」
ユリウスが驚きの声をあげた。
「予選は一週間、今から行っても全然間に合いますよ」
ところが……。
「行かせませんよ」
クロエがアルブレヒトの腕をつかんだ。
険しい顔つきだった。
「大丈夫だよ、僕は病気じゃないから」
「そうはいきません」
「なぜ? 僕は病気にかかる身体じゃないんだよ」
「アルブレヒトさんが病気にかからない頑丈な体だとしても絶対に駄目です」
「どうして?」
「アルブレヒトさんが元気でも、病気の菌は人に伝染するのですよ」
アルブレヒトはあっと低い声をあげた。
「だから、アルブレヒトさんを外に出すわけにはいきません。大会は辞退してください」
「それは困る」
アルブレヒトは首を横に振った。
「僕はこの大会のためにパルニスにやってきたんだ。辞退なんて考えられない」
「駄目でも辞退してください!」
「嫌だ!」
アルブレヒトは駄々っ子のように叫んだ。
「僕はこのために生きてきたんだ! この時を待っていたんだ! なぜなら僕は……」
そこでアルブレヒトは言うのを止めた。
復讐のことは誰にも言うわけにはいかない。自分の身体がオリハルコンでできていることを打ち明けたメデューサにさえ言っていない。不知火凶が受けた仕打ちについて知っているのは師匠のヌジリだけなのだ。
「そもそも大会の存続さえ怪しい」
と、ユリウスが言った。
「迷宮で赤死病が蔓延しているようでは大会の継続は難しいだろう。おそらく今回の大会は中止になると思う」
「トーライム卿の指示ですか?」
「まだ指示はないが、おそらくそうなる」
「そんな指示、わしは出しとらん」
トーライム卿がテントに入ってきた。
驚くユリウスをよそに、地面に這いつくばっている山賊たちを一瞥した。
「クロエ殿。この者たちに治療は?」
「これからするところです」
「結構ですぞ」
「どういう意味ですか?」
「治療はしないでくだされ」
「病人ですよ!」
怒ったクロエが声を張り上げて叫んだ。
しかし、トーライム卿は平然としている。
「大会はまだ終わっとらんのですよ」
「えっ?」
「参加者に手を貸すのは禁止じゃ。そいつらはまだ棄権しとらん。棄権するまでは手を出してはいかん」
「そんな……」
「かまわねえ。助けてやってくれ」
山賊の頭バンバである。
わずかな力をふりしぼって上体を起こした。
「大会はいい。部下を助けてやってくれ。子供のいない俺には、こいつらが子供みたいなもんだ」
「棄権でいいんだな」
「ああ」
「ユリウス。この者たちを手当てしてやれ」
そう言い捨てて出て行こうとした。
が、突然振り向いた。
「アルブレヒト」
手招きする。
「ちょっと来い」
言われたとおりに出て行った。
行き先は『黒水晶の迷宮』だった。
二人は中に入る。灯りはアルブレヒトの呪文である。
トーライム卿は一言も発しない。
しばらく歩くと、トーライム卿は足を止めた。
そこはトイレだった。
「トーライム卿。用を足すんですか?」
「違う。ここに用があるんじゃ」
「えっ?」
「どうした? ついてこんか」
アルブレヒトはわけがわからなかった。
言われたとおりに狭いトイレの中に入る。
狭いトイレの中は二人だときつい。
中には便器がある。
だが、トーライム卿はじっと壁をみている。
壁を押した。
すると、壁が動いたのだ。
「まさかトイレに隠し扉があるとは夢にも思うまいて」
トーライム卿は不敵な笑みをうかべた。
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