032 フォークをもった悪魔
「嘘だろ……」
ヴァンパイアロードのイサキオスは愕然とした。
悪魔の死骸。それも何体も。
どこからどこを見ても悪魔の死骸ばかり。
いや、アルブレヒトは悪魔というものを実際には見たことがない。
しかし、禍々しい羊の角のようなものや黒い翼が身体から切り離されて床に散らばっている。
アルブレヒトは文献で悪魔の姿をヌジリから見せてもらった。
アルブレヒトの記憶が確かならば、これは悪魔の死骸に違いないだろう。
しかし、あくまでも本の知識だ。
本当に悪魔かと問われると断言はできない。
「なあ、教えてくれ」
イサキオスが、低く押し殺したような声で言った。
「こんな恐ろしい真似をしたのは誰だ?」
「あたしは知らないよ。あんたらの領分だろう?」
「いや、そっちの領分だ! 魔女が悪魔の手先だろう?」
「あたしは知らないよ」
「そんなはずないだろう。サバトはどうだい?」
「そういう邪道に落ちた連中と一緒にしないでほしいわね」
相変わらずフアナとイサキオスがいがみ合っているなか、
「アルブレヒトさん、本物の悪魔なの?」
すっかり頼りにしているカリアナが訊ねた。
「たぶん、ね。でも、断言はできない。実際に見るのはこれが初めてなんだから」
アルブレヒトは魔王なら倒したことがある。
ちなみにアルブレヒトが倒した魔王は、角が生えている人間の女の姿をしていて巨乳だった。
「そもそも悪魔って体とかあるのかな?」
カリアナがつぶやくように言うと、イサキオスは困った顔をした。
「悪魔なら何でもできるんじゃないのかな……」
「それについては僕が説明するよ」
と、アルブレヒトが言った。
「マナによって肉体化することができる。強大な魔術師なら悪魔を召喚することができる。ただし、その段階で精神体である悪魔は物質化してしまう。基本的に物質化した悪魔は物質世界の法則に囚われてしまうんだ」
「じゃあ、この悪魔は本物なの?」
「どうだか」
アルブレヒトは肩をすくめた。
「本物の悪魔を見たことがないからその判別は僕にはできない」
「今回の出場者たちはどう考えてもおかしいよ! 血を吸うことができない魔術師さえいる……うぐぐ」
アルブレヒトは、イサキオスの口を押さえた。
口には出していないが、
(その話はいうな)
と、目で語っていた。
イサキオスとしては従わざるをえない。
「あたしらは清く正しい魔女なのさ。悪魔なんて物騒な連中とは
(清く正しい人間は、娘を権力者のハーレムに入れないだろう……)
とアルブレヒトは思った。もちろん口には出さないが。
アルブレヒトは、悪魔の死骸のなかに魔法陣が書かれているのを見つけた。
悪魔の死骸を手で除けて、魔法陣を見た。
魔法陣は赤い文字で書かれている。
「これ、誰が書いたんだろ?」
「わからない」
と、イサキオス。
「パルニスの魔術師たちが書いたんじゃないの?」
「絶対にパルニスじゃない。パルニスにこんな魔法陣を書けるような奴はいないよ」
と、イサキオスが断言した。
「パルニスは戦士は圧倒的に強い。しかし、魔法は弱いんだ。筋肉馬鹿の集まりなんだ」
「レイウォン王は頭いいだろ」
と、アルブレヒトが口をはさむ。
「たしかに政治とか戦争とか建築とかは稀に傑出した人物は出てくる。でも、魔法みたいなイメージする力を必要とする能力は弱いのさ。それに……」
「それに?」
「彼らは僕みたいに美しくないし」
(自分の口からそれを言うかね……)
アルブレヒトは呆れた。
「レイウォン光輝王は悪魔を嫌っているから、この悪魔の魔法陣はトーライム卿の独断だな。この大会への執着は異常だよ。彼はこの大会に人生をかけているから」
「トーライム卿ってどんな人なの?」
「典型的なパルニスの武人だよ」
その口調にはすこしばかり侮蔑の響きが混じっている。
「強いさ。でも、それに見合った頭の中身の持ち主だとは言えないな」
気配がした。
悪魔である。こっちを見ている。
背丈が人間の半分ほどしかない。己の背よりも巨大なフォークを抱えている。しかも、アルブレヒトたちの姿をみて、
「……ひいっ?」
と、悲鳴をあげた。
あきらかに悪魔の方が怯えていた。
「お、お助けを……」
その場で土下座したが、イサキオスの姿を認めると怪訝な顔をして顔を上げた。
「……おい? こんな場所に吸血鬼がいるんだ? お前らの持ち場は二十階までのはずだぞ!?」
だが、イサキオスは居丈高な態度を取った。
「お前たちを呼んだ主は誰だ?」
誇り高き吸血鬼が下級悪魔ごときに頭を下げるはずがないのである。
「知らないな。俺たちはただ主に召喚されただけさ」
「主はどんな奴だ?」
「黒いフードで全身を覆っていたから、どんな奴だかわからない」
イサキオスの顔色が一瞬、蒼白になる。
それこそが吸血鬼の群れを一瞬にして倒した奴に違いない。
だが、吸血鬼としての誇りがイサキオスを正気に戻した。
「口の利き方に気をつけろ、ゴミ屑が」
イサキオスが不快そうに言った。
「僕はただの吸血鬼ではない。ヴァンパイアロードだ。君たちみたいな下等悪魔と一緒にしてもらっては困る」
「殺すなよ」
アルブレヒトが鋭い声を発した。
「せっかくだから彼に下まで案内してもらおう」
「待て。どうして吸血鬼が人間の言うことを聞いているんだ!?」
「うるさい。とっとと案内しろ。それとも無に帰したいか?」
イサキオスが凄んでみせた。
「わ、わかったよっ!!」
いかに悪魔とはいえ、ヴァンパイアロードと下級悪魔とでは力の差は歴然。
アルブレヒトの見たところ、この下級悪魔のレベルは20前後。
戦えば、あっという間に滅されるだろう。
「貴様らのような小物がなぜここにいる? ここの参加者たちに勝てるとは思えんのだが」
「あっしらの役目はあくまでも偵察だ。詳しいことはわからないんだ。迷宮に呼び出されたばかりなんだから」
「じゃあ、どの範囲までわかるかい?」
アルブレヒトは物腰の柔らかい態度で訊ねた。
居丈高な態度のイサキオスとは対照的だ。
「二十五階まで。その下はわかりやせん」
アルブレヒトをみて並の人物ではないと思った下級悪魔は、口調を丁寧なものに変えた。
「じゃあ、そこまで案内してくれればいい」
と、アルブレヒトが言った。
「わかったから、その吸血鬼を遠ざけてください。おっかなくてしょうがないや」
アルブレヒトは視線で合図した。
イサキオスは下級悪魔から距離を置いた。
「これでいいかい?」
「ありがとうございやす。それにしてもヴァンパイアロードが人間の言うことを聞くなんて滅多にみない光景だぜ。ひょっとして魔王すらアゴでこき使ったという伝説の古代王朝の魔術師かね……」
と、下級悪魔がぼやくように言った。
それを聞いて、アルブレヒトの顔色が変わった。なにしろ本当に、
(古代王朝の魔術師)
なのだから。
厳密には古代王朝の魔術を使えるのだ。古代王朝そのものは数百年も前に滅んでいる。
アルブレヒトはヌジリから古代魔術を学んだ。
そのことは誰にも言っていない。
手の内は極力明かさないのが勝負の鉄則だからだ。
もちろんアルブレヒトが古代魔術を使えるのがバレたところで、イサキオス程度の力ではどうしようもない。
この下級悪魔が、ヌジリから古代魔術を習ったことを知っているはずがないのだ。
さて。
下級悪魔の案内で探索をつづける。
しかし……。
「え~っと、ここの階段はどこだったかな?」
下級悪魔は困ったようにきょろきょろと首を振っている。
「貴様。この辺りについては詳しいと
「あっしも召喚されたばかりだから、この迷宮のことはそんなに詳しくないのさ」
「地図は誰が持っている?」
「地図? 何のことだい?」
「とぼけるな。この責任者に手渡されているはずだ」
「何を言っているかさっぱりわかんないな」
「魔人武道会のことは知っているだろう?」
今度はアルブレヒトが訊ねる。
「何ですか、それは」
本当に何も聞かされていないらしい。
アルブレヒトが魔人武道会について話すと、
「へえ……。人間と怪物が協力して戦うねぇ……。変わった世の中になったもので。不思議だとしか言いようがない。あっしが以前こっちの世界にやってきたときは人間と怪物は親の敵のように殺しあっていたものでさぁ。しばらく見ないうちに世の中は変わっちまうもんだなぁ」
「貴様ら悪魔が言えた義理か」
アルブレヒトに牙を折られていなければ、牙をむき出しにして睨みつけていたことだろう。
「悪魔だって人間を食い物にするだけさ」
「それは誤解で」
下級悪魔は首を横に振った。
「あっしらの方から人間を襲うなんてことは滅多にしません。あくまでも契約をかわすだけです。悪魔だけに、ね」
「ところで君はどうしてフォークを持っているんだい?」
「あっしは大魔王の給仕係でして。これは大魔王さまのお使いになるフォークでさぁ」
アルブレヒトは興味をしめした。
「面白いね。大魔王って何を食べてるの?」
「そりゃもう何でも。大魔王だから、食べようと思ったら世界中のどんなものでも食べることができまさぁ」
それを聞いたアルブレヒトはなんともほろ苦い表情をうかべた。
(大魔王でも食事をするんだな)
アルブレヒトには胃袋もなければ舌もない。
食事を必要とする身体もすでにないのだから……。
ひゃあああああ。
また、悲鳴だ。
男のものか女のものか判別できない。
「無様な奴だな」
昨日、アルブレヒトに命乞いをしたばかりのイサキオスが嘲笑するように言った。
「助けるの?」
カリアナが訊ねると、
「そうしよう」
アルブレヒトが答えた。
それを聞いた下級悪魔が口笛を吹いた。
「おやおや、利害関係なしに助けようなんて」
アルブレヒトの横顔を見る。
「冒険者のくせに奇特なお方だ」
一同は、声のする方へと向かった。
そこで一同は不思議なものを目にした。
豚の怪物オークが逃げている光景である。
全身、切り傷だらけである。
「敵かしら?」
フアナは首をかしげる。
「馬鹿言っちゃ困る。あれはどこからどう見てもオークだ。あれが悪魔に見えるんですか? 魔女なのに悪魔とオークの区別もつかないなんて困ったもんだ」
「きっとご主人様を置いて逃げているのだろうな」
イサキオスは嘲笑するように言った。
が、オークを追っているのは人間だった。
全身を鎧にまとった戦士だった。
「人間? 悪魔の手先か?」
イサキオスは首をかしげる。
「そんなわけないだろう! ここにいるのは悪魔だけだ!」
と、下級悪魔。
「あたし、あの顔を見たことあるわよ」
フアナが言う。
「あの顔は地上で見たわ。あれは魔人武道会の参加者だわ」
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