023 吸血鬼と鏡
魔女は、一般的に魔術師にくらべて戦闘力が劣る。
単体では弱い。
だからといって戦闘の役に立たないわけではない。
集団戦闘の場合、間接的な補助役として優れているのだ。
たとえば精霊や妖精を呼べる。
カリアナが呼んだのは、人を正気に戻す癒しの妖精といわれる種類のものである。
この癒しの妖精は、フアナも呼べる。
カリアナの力からすれば、混乱した者をもとに戻すことはたいしたことではない。
にもかかわらず、カリアナが魔法を使うのを母のフアナが止めようとしたのは、
(他人に対してすこしでも力を使いたくないから……)
なのだ。
そもそも魔女がどういう魔法を使うのか、アルブレヒトはヌジリから教わっている。
どのくらいの能力の魔女が、どんな魔法を使うのか全部わかっているのだ。
そして、魔女という存在の特性についても教わっている。
「魔女には気をつけろ。とくに年を取った魔女にはな」
と、ヌジリは言った。
「あいつらは口ではうまいことを言うが、俺たち魔術師のことを本で勉強してばかりの頭でっかちだと見下しているのさ。甘いことを言うが要注意だぜ」
だからフアナたち母娘と最初に会ったときから、
(こいつは用心しないといけないな)
と、警戒していたのである。
もっとも、娘のカリアナは母親のフアナみたいに老獪ではない。
母親とちがって、まだ純粋なのである。
一方、正気に戻った剣士はカリアナたちに気がついた。
「ここは……。なんで俺は縛られているんだ?」
「恐慌状態にあったので、身動きを封じました。一分もすれば輪は消えますよ」
と、アルブレヒトは声をかけた。
「俺はどうなっちまったんだ……」
「吸血鬼の魔法にやられましたね」
「そうだったのか……。ジュリアーニ様としたことが不覚を取ったみたいだぜ。あはは」
吸血鬼相手に不覚を取ったというのに陽気に笑っている。
口笛まで吹いている。
ジュリアーニは、とくに女砲兵がお気に入りの様子だった。
女砲兵の胸元をじろじろと見る。
「迷宮なのにずいぶんと刺激的な格好をしてるじゃないか。もしも二人きりだったら一杯誘いたいところだぜ」
「あいにくだけど、あたしは強い奴が好きなんだ」
と、女砲兵はにべもない。
「あたしは貴族だろうと弱いのには興味ないのさ。最初は威勢がよくてもすぐに逃げちまうのもいるからね」
「あの腰抜け貴族さんと同じ扱いをしないでくれ! 見ろ! この剣を! 何もできなかったとは思わないでくれ!」
ジュリアーニは血のついた短剣を見せた。
「それは本当に吸血鬼の血かい?」
フアナが首をかしげる。
「あいつらを倒したら灰となって消えるんだ。あんたの勘違いじゃないのかい?」
「吸血鬼だって血くらい流すさ! あんなに人間の血を飲んでいるんだ! 向こうも怪我を負っただけかもしれない」
「ところで怪物は連れてきていないんですか?」
カリアナが訊ねると、剣士の顔色から血の気が引いた。
「ゴブリンを連れてきた」
「どこにいるんですか?」
カリアナの言葉に、ジュリアーニの顔から血の気が引いた。
「そういや、あいつどこ行ったんだ……。なあ、この縄をはずしてくれないか。俺たちは敵じゃないんだぜ」
「もう時間が経ったので、解けてますよ」
ジュリアーニを縛っていた光の輪はすでに消えていた。
「ずいぶんときつく縛られちまったからな。魔法の輪なんてどうやっても解けないからな」
「いや、サイクロプスのような怪力だとヤバいですよ。たぶん外されます」
「あ、そう……。ところで状況はどうなんだい? みんな吸血鬼に殺されちまったか?」
「こいつは一匹倒した。あとの九十九匹は知らないよ」
と、フアナが親指で女砲兵を指した。
「よく倒せたな……。吸血鬼百人ってのはやっぱりきついなぁ。俺みたいな本物の戦士でなきゃあ生き残れない」
フアナと砲術士は冷たい視線で見た。
「って、うわっ……!」
ジュリアーニは無残な死体にようやく気づいた。
「こりゃあひでえなぁ。あの連中がやったのかい?」
「おそらくね」
ジュリアーニはさほど動揺していなかった。
「あんた、他に死体見た?」
「俺の見たかぎりでは、そんなに死体はないね。怪我して逃げる奴が多いね。俺は迷宮に潜るのは初めてなんだ。軍隊よりは簡単な仕事など思っていた。でも、これほどヤバい仕事だとは……」
「あんた、軍人なのか?」
「これでも百人隊長だったんだぜ」
だから、死体をみてもさほど動揺しなかったわけである。
「あんた軍人だったのか。 だと思っていたよ」
「冒険者ならいたぜ。でも、吸血鬼百匹なんか勝てるかって吐き捨てるように言って去っちまったぜ」
「ちなみにそいつのレベルは?」
「100くらいだ。自分で言ってた」
「吸血鬼よりも強いのに戦わずに逃げたのかい?」
「一匹二匹ならどうにかなるが、百匹なんて勝てるはずがないとさ。そいつは冒険者には条件があると言っていた。何だか知っているかい?」
「さあ……」
「生き残ることさ。どんなに強かろうが、どんなに業績をあげようか、死んでしまったらそれまでなんだよ。いくら立派な勇者でも死んじまったらそれで負け」
「それは傭兵と一緒だね」
と、女砲兵が言った。
「命で金は買えないさ」
「それについては同意するね」
「一緒じゃないか。気が合うねえ」
「でも、あんた弱いから」
「俺は魔法が苦手なんだよ。魔法ってやつはどうもいけねえ」
ジュリアーニはアルブレヒトを見た。
「坊やは武器を持っていないが、魔法使いか?」
「まあ、そんなものですよ」
と、アルブレヒトは曖昧に答えておいた。
厳密に言うとアルブレヒトは魔法使いではない。魔術師だ。
魔術と魔法は違う。
すくなくともこの異世界においてはそうだ。
簡単に言ってしまうと、魔法を学問で体系化したものが魔術だ。
魔術師は、魔術と魔法を混同されることをとても嫌っている。
魔術は、魔法よりも高等なものだと魔術師たちは考えている。
万事に鷹揚なヌジリでさえ、
「魔術を魔法なんかと一緒にするんじゃねえ」
と怒鳴るくらいだ。
「でも、迷宮に潜るからには、魔術に対しての対策がなければやってられないでしょ」
「魔術師は数が少ないんだよ。だからそんなに対策を立てなきゃいけないケースは少ないのだ」
ジュリアーニの言う通りだ。
最近、活版印刷ができたばかりなので、知識レベルがいまの日本よりもくらべものにならないほど低いのだ。
それに精神攻撃系の魔法は、効果のわりに大量の魔力を消費するのだ。
さっさと炎なり雷でも出して、相手を怪我させたほうがよっぽど効率的なのだ。
だから、対策をしない者が多いのだ。
ところで、ジュリアーニはじろじろと女砲兵を眺めている。
上半身が水着みたいな姿なのだ。それに容姿も美人の部類に入る。
「あんた、彼氏いるの? もしもよかったら一緒に食事でも……」
「迷宮でならかまわないよ。戦力になるからね。でも、外に出たらそれまでよね」
「そんな冷たいことを言わずに……」
ジュリアーニは軽口を叩くのを止めた。
死骸があった。
人間のものではない。
うつ伏せになったゴブリンだった。
「ジュリアーニさんのゴブリンですか?」
「間違いねえ。『猫の街道』の建設のときの給料で買った緑色のチョッキを着てやがる。可哀相に……。吸血鬼にやられちまったんだな。きっと仇をとってやるからな」
「ちょい待ち」
女砲兵は死体を転がして裏返した。
そして傷口を見た。
「これは短剣の傷だね」
ジュリアーニの剣にも血がついている。
混乱したあまり、仲間であるはずのゴブリンを刺し殺したのだった。
「この傷口にあんたの短剣を差し込んでみな。ぴったり合うんじゃないのかい? きっと、あんたが魔法で混乱しているときに刺したんだろうね」
男はそれ以上しゃべることができなかった。
※
「あいつ、茫然自失していたねえ」
しみじみとフアナが言った。
あいつとは、先ほどのジュリアーニのことだ。
金で雇った関係とはいえ、仲間であるゴブリンを刺し殺したのだ。
その場にうずくまったまま、両手を頬に当てたまま石像のように動かなかった。
「あの様子じゃあ、迷宮から去るだろうね」
「その方が本人のためだろ」
「さっきのジュリアーニもそうだが、フランソワといい、それなりの腕の奴がやられている。あいつらが一流だとはいわないが、それなりの修羅場をくぐった奴らさ。それがあっさりやられているんだ。よほど気をつけないとこっちがやられるよ」
と、女砲兵が言う。
「怖いよ」
少年がカリアナにしがみついて、今にも泣きそうな声で言った。
「僕、ずっとお姉ちゃんと一緒にいたい」
アルブレヒトは立ち止まった。
子供をじっと見ていた。
「どうしたのさ。急に足を止めて」
「悪いんだけど、鏡を貸してもらえませんか?」
「いいけど、どうして?」
「髪が乱れちゃったみたいなんで、整えたいんで」
「男のくせに身なりを気にするなんて、女みたいだね」
「すいません」
「こういう場所では身なりよりも身の危険に気をつかって欲しいけど」
と、女砲兵が皮肉を言った。
「まあ、いいさ」
フアナは鏡を渡した。
だが、アルブレヒトは鏡を受け取ると、鏡を少年に向けたのだ。
――鏡には、少年の姿がうつっていなかった。
「吸血鬼って鏡にうつらないんだって?」
「……お兄ちゃん、いつ気づいたの?」
「会ったとき。最初から出場者じゃないと気づいていたよ」
アルブレヒトはすこし哀しそうな口調で言った。
「そもそもおかしいんだよね。ユニコーンってすごい臆病な動物なんだよ。そして滅多に他人に気を許さない。か弱い乙女以外が触ると、相手を突き殺そうとするんだってね? フアナさんや女砲兵さんが触っても平気だったのが気になった。そいつ、ユニコーンに化けているけど正体は違う怪物でしょう?」
「くくく……」
怯えている子供は、そこにはいなかった。
天使は、恐ろしい堕天使の顔に変貌をとげていた。
「人間ってのは嫌だねぇ。何でも知りたがろうとするから。僕たちのことまで」
ユニコーンの純白の肌も、どす黒く変化した。
角は、一本ではなかった。
新しく一本生えて、二本になっていた。
瘴気がした。
迷宮の入り口に立ったときに嗅いだのと同じ匂いであった。
吸血鬼たちがアルブレヒトたちを取り囲んでいた。
読んでいただいてありがとうございました。




