002 最弱スライムでイケメン戦士に勝つ方法(上)
「エルムントの街は初めてですか?」
不審者のようにきょろきょろと首を左右に動かして街を眺めていると、クロエ・ポンメルシーが不思議そうに訊ねてきたので、
「うん、まあ。あはは……」
アルブレヒトは紫色の髪を掻いて笑った。
紫色の髪をした人間など異世界にもいない。
(俺も漫画みたいなキャラクターになったもんだ)
と、心の底から思う。
剣と魔法の世界だけあって、エルムントの街は中世の街によく似ている。
だが、違う箇所もある。
ヨーロッパの歴史に詳しくなくても一発でわかる。
通行人が人間だけではなくて、
(怪物……)
もいるのだから。
エルムントの街は人間と怪物が共存する街だとクロエから説明を受けたばかりだが、服をきたオークが通り過ぎるのを見て、思わずアルブレヒトは身構えてしまう。オークとは一言でいってしまえば豚人間である。ふつうの感覚ではオークは敵であった。しかし、エルムントの街において怪物は人間にとって脅威の存在ではないらしい。
さらにアルブレヒトには気づかないが、オークたちの服はアルブレヒトのものよりも上質なものであった。これはオークが相応の収入を得ているためである。
「オークは姫騎士とか襲わないのかなぁ?」
ぼそっと呟いたのをクロエは聞き逃さなかった。
口をへの字にして、アルブレヒトを見た。
「姫なのに騎士って何ですかね? 王族なのに騎士ってちょっとよくわかんないですけど。アルブレヒトさんの旅して回った国にそんな職業の人いたんですか?」
アルブレヒトの以前いた日本の文化について説明するとそれはとてもややこしい事態に陥るので、ははは、と笑っておくことにした。
「それに襲うってどういう意味で? ひょっとして性的な意味で?」
「うん、まあ……」
「じゃあ逆に人間がオーク襲ったことありますか?」
きっぱりとした口調でクロエが訊ねた。
「襲わないでしょう? なぜかといったら醜いから。人間とエルフは恋愛関係になったりしますけど、オークと恋愛関係になるとか聞いたことがない。逆にいうとオークだって人間を美しいとは思っていないのですよ。美的感覚が違うのです。
それにいくらエルフが美しいといっても、人間と姿かたちが似ていなければ恋愛関係にならないでしょう。
人間とドラゴンが子供をつくることもあるそうですけど、それはドラゴンが人間に化けているからだそうで。生物として違いすぎる者が生殖行為を行うことなどあり得ないのですよ」
流暢にクロエが語る。
年齢はおそらく十四、五歳くらい。
髪は三つ編み。鳶色の瞳。手足の腕は細い。
学者と名乗るだけあって好奇心にあふれている。
妖魔学を専門とするだけあって、怪物と自由に話ができるという。
妖魔学者クロエ・ポンメルシーといったらその筋ではたいへん有名な人物なのである。
「一つ聞きたいことがあるんだけど」
「はい。何でしょう?」
「君は蛇が好きなの?」
「いえ。べつに」
「じゃあ、どうして腕に蛇を巻きつけているの?」
クロエの腕には小さな白い蛇が巻きついている。
ただの蛇ではない。
黒いサングラスに蝶ネクタイ。
だが、アルブレヒトはその白い蛇が尋常ではない魔物であることを見抜いていた。
「それ、バジリスクだよね?」
バジリスク別名『蛇の王』と呼ばれている。
魔眼をもつと言われている。
睨むと敵は死ぬと言われている。その力は街一つを壊滅させるといわれているほどだ。
「そうですよ。バジちゃんって呼んでいるんですけど。かわいいでしょう?」
クロエはバジリスクの頭を撫でる。バジリスクは恐るべき魔性の怪物なのだが、恐れている様子は微塵もない。
「バジちゃんはお利口ですからね。人間を襲ったりはしませんよ。メデューサを連れてきたアルブレヒトさんが怖がることもないでしょう」
あれから、クロエはメデューサと面会した。
といっても、じかに会ったわけではない。たとえじかに目を見なくても並の者がメデューサの姿を見たら正気を失うと言われているほどだ。
メデューサは『蛇の王』と呼ばれるバジリスクとくらべても比較にならないほど危険な存在である。エルムントの街に連れていくのはもっての他である。人気のない森のなかで対面したのだ。しかも、メデューサは鉄の箱に入ったままだ。本物のメデューサかどうかは石の身体をもつゴーレムとガーゴイルが確かめたのだ。石の魔物ならメデューサの魔力も効かない。
妖魔学者であるクロエはなるべく多くの怪物と面会したいのである。そのために大陸各地に飛び回っている。バジリスクを飼い慣らすほど魔物とのコミュニケーション能力が卓越しているクロエでも、メデューサと話すのは無理だとあきらめていた。
だが、絶対に不可能なことをアルブレヒトが可能にした。
考えられないことである。
しかし、どうしてメデューサを連れてくることができたのか絶対に言わない。
クロエは、アルブレヒトについては冒険者ギルドに所属する魔術師だということ以外は何も知らない。ギルドに所属したばかりの新顔だが、三十年間誰も倒すことのできなかった魔王をあっさり討伐した凄腕だとは聞いている。
素性についても一切不明。
「おや?」
クロエは足を止めた。
「いい匂いがする。なにかと思ったらクレープですか」
左側にクレープの屋台があった。背の高い面長の男性が丸い鉄板の上でクレープを焼いている。
異世界にクレープなんてあるのかなとアルブレヒトは思ったが、薪で火を焚けばいいのだから何の問題もない。
「ちょっと買っていきましょう」
クロエは半ズボンのポケットに手を突っ込んで硬貨を渡す。
クリームのたっぷりとかかったクレープが紙に包まれる。二十一世紀の日本のクレープとほとんど見た目は変わらない。
「えへへ」
クロエはクレープを美味そうに頬張る。
「こんなの庶民はパルニス以外じゃ絶対に食べられませんよ。あたしは移民ですけど、子供の頃はそれこそ食うのがやっとでしたから。砂糖や牛乳なんて論外ですよ」
「どうしてそんなに豊かなの?」
「そりゃあね。怪物たちと共存できるおかげですよ」
自慢げにクロエは胸を張って答えた。
「パルニスって海がないんですよ。でも、新鮮な魚を売っているんですよ。この商店街を歩いているとわかりますが、港町のように様々な魚が並んでいるんです。どうしてだと思いますか?
飛竜で空輸しているからですよ。
大陸で飛竜を自由に操れるのはパルニスだけです。レイウォン王が人間と怪物と共存できる国をつくったおかげですよ。パルニスは怪物たちと協力して、どこよりも整備された道路をもつことができたんです。だから他の国と違って、怪物は旅人を襲わないので、商人は安全に街にやってくることがきできるんですよ。ところでクレープ食べます?」
クロエは食べかけのクレープを差し出した。
「いや、僕はいいよ」
「いえいえ遠慮せずに」
「そうじゃなくて僕は食事をしないんだよ」
「ははは。その言い方だとまるで食料を一切必要としないみたいじゃないですか」
「うん。魔術の修行で一切食事をしなくても大丈夫なんだよ」
目を丸くするクロエ。まじまじとアルブレヒトを見る。
「ごめん。クロエちゃんちょっとアルブレヒトくんの言っていること理解できないな。怪物だってスライムからドラゴンにいたるまで食物をとらずに生きていくことなんて不可能ですけど」
「メデューサは? 彼女は食物のない洞窟で何百年も生きてきた」
「彼女は野鼠食べていましたよ」
愕然とした。
(そんな惨めな生活をして何百年も生きてきたのか)
彼女の生活を想像すると、アルブレヒトは胸の痛む思いだった。
「あたしだって魔術師の知り合いいますけど、人間が食べずに生きていくなんてことは絶対に不可能です。アルブレヒトくんは不死生物ですか?」
「僕、そんなに顔色悪い?」
「そう見えませんが……。不思議系をアピールするためのキャラ作りなんですかねぇ? ああ、ここですよ」
二人は目的地についた。
王宮の隣にある練兵場である。ここで大陸屈指の精強さをほこるパルニスの兵士が鍛えられている。
「魔人武道会の委員長のトーライム卿はここにいるはずですよ。トーライム卿に頼み込めば参加を認めてくれるでしょう」
「会ったことあるの?」
「ええ。何度も。面白い人ですよ。好き嫌いの激しい人ですが。アルブレヒトくんみたいな人は好いてくれるでしょうね」
道を歩く。広々とした広場が右手にひろがっている。今日は訓練が行われていないらしく無人である。
アルブレヒトは道端に大きな割れた石があるのを見つけた。
(すこし不自然だな……)
そう思ったアルブレヒトは訊ねてみることにした。
「なんでこんなところに割れた石が?」
するとクロエは苦々しい顔をうかべた。
「それはたぶん力石ですよ」
アルブレヒトは力石というものを知らなかった。
「力比べをするための石ですよ。それを持ち上げて力を測るんですよ」
「ふうん。割れたから放置しているんだね」
「いいえ。それはトーライム卿が割ったんですよ。しかも自分の拳で」
そう言うとクロエは自分の小さな手で拳を作ってみせた。
「親衛隊員が力石で力比べをしていると、トーライム卿がやってきたんですよ。トーライム卿は『人間ってやつは死ぬか生きるかの修羅場をくぐらんと強くならねえんだよ』と叫んで素手で石を叩き割ったそうですよ」
「激しい人なんだね」
「パルニスが滅亡するかどうかの瀬戸際に陥ったケイロス戦役の生き残りですから。すでに六十歳になりますが、まだ全然元気ですよ」
二人は質素な青い建物に入った。
入り口には若い兵士が座っていた。ペンを走らせて事務を行っていたが、クロエの腕に巻きついているバジリスクに気づいて身震いした。
「トーライム卿はいますか?」
「あ、あなたは……」
「クロエ・ポンメルシーです。トーライム卿と会う約束をしています」
「あなたがあの妖魔学者の……。トーライム卿は現在こちらにはいません……」
「じゃあ、いまどちらに?」
「今呼びに行きますので。執務室にご案内します」
二人は案内されて二階の執務室へとやってきた。兵士はソファに座るようすすめると、
「では、私はこれで……」
早足で去っていった。
「慌てているような素振りですね」
クロエは首をかしげる。
「そりゃあ驚くさ。腕に蛇なんて巻きつけているんだもの。しかも『蛇の王』バジリスクだよ。怖くて当然だよ」
「そうかなぁ? バジちゃんかわいいじゃないですか」
アルブレヒトは執務室はたいへん簡素な作りになっている。変わったところはというと、世界各国の様々な刀や槍が壁に飾られている。どうやらトーライム卿は武芸を愛する人物らしい。
「おお。クロエ殿か。待たせてすまんかった」
白髪の老武人が部屋に入ってきた。髪も髭もすべて白い。
すでに年老いた身だが、いまだにトーライム卿よりも強い武人は現れていない。
親衛隊隊長でもあるトーライム卿こそはパルニス最強の戦士なのだ。
トーライム卿が軍隊に入ってすでに四十五年にもなる。人生のほとんどを軍隊で過ごした。
「トーライム卿。お久しぶりです」
クロエ・ポンメルシーは立ち上がって頭を下げた。
「どうですかな、肉は食べられるようになりましたかな?」
トーライム卿はすっかり好々爺の表情になっている。
クロエはすごく嫌な顔をした。というのも、肉、とくに脂身の部分が大嫌いで、決して口にしないのだ。
「その話はちょっと……」
「お母さん、心配してましたぞ。肉を食わないからうちの娘は身長が低いんだって」
「その話はよしましょう! それよりもじつはトーライム卿にお願いがあるんです」
「聞いとる。魔人武道会に出場したい少年がいるそうじゃな」
トーライム卿は顔を近づけてじっと見た。歴戦の戦士らしい、鋭い眼差しであった。
アルブレヒトも目を反らさなかった。
しばらくして、トーライム卿は笑った。武人らしい爽やかな笑みだった。
「いい面構えをしておる。名前は?」
「アルブレヒトです」
「どうして大会に出ようと?」
「自分がどれほど強いのか確かめたいのです」
歴戦の武人は、アルブレヒトの手に紫色の指輪を嵌めているのに気がついた。
(指輪を嵌めているということは、どこかの貴族か? しかし、貴族の匂いはせんな。魔術師だとしたら)
「大丈夫かね? 大会は厳しいぞ。あまり鍛えているようには見えないが」
「これでも見た目よりもはるかに頑丈ですから」
「そうかね。君も知っとると思うが魔人武道会は人間と怪物が一人ずつ出場することになっておる。どんな怪物と一緒に出るのかね?」
「出ません」
「なに?」
「たった一人で出ます」
トーライム卿の顔つきが険しくなった。
「本気かね?」
「はい」
「たしかに一人でも大会には出られる。しかし、一人で戦い抜けるほど甘くはないぞ」
「承知しています」
アルブレヒトは顔色を変えずに言った。
「では、これから親衛隊と戦ってもらおう。おぬしが勝ったら、大会の出場を認めよう」
それを聞いたクロエは首をかしげた。
「そんな規則ありましたっけ?」
「ない。わしが今作った」
元来、魔人武道会に出場資格はない。誰でも出場できる。しかし、
(こんな若いうちに危ない目に遭うことはあるまい)
トーライム卿の心に憐憫の情が沸きあがった。
(どうせ予選で死ぬに決まっとる。死んでもいい馬鹿ならべつにかまわんが、たった一人で魔人武道会に出場するというのはなにか特別な事情があるかもしれん。たった一人で魔人武道会に出ようとは勇気のある奴だ。さて、どんな奴と戦わせるか)
思案をめぐらせていると、
「失礼します」
書類の束を抱えた金髪の剣士が入ってきた。
年齢は二十五歳くらい。美貌の持ち主だった。むさくるしい男ばかりの軍人たちの中にあって、泥のなかに咲く一輪の花といった風情である。
ライトゲープ伯ユリウスであった。
パルニスの人間に美形がいないとは昔から言われていることである。しかし、ライトゲープ伯ユリウスにはその言葉はあてはまらない。もともと亡命貴族の息子で、柄の悪いパルニス軍人のなかでも貴公子然とした風貌で知られていた。雪のように白い肌の長身痩躯の青年だった。
「書類はお前に任せる。わしは事務仕事は嫌いだ」
「そう言わずにお願いしますよ」
「お前全部やれ。わしは平民出身だ。お前みたいな教養などない」
「そう言わずにせめてサインだけでもしてください」
「それよりもユリウス、この少年と戦ってくれんか」
紫色の髪の少年を指差した。
「魔人武道会に出たいんだと。腕を見たい。この少年が勝ったら出場を許可するつもりだ」
「ちょっと待った! ライトゲープ伯とですか!?」
クロエが驚くのも無理はない。ライトゲープ伯は尚武をもって知られるパルニスでも屈指の剣術の名手である。
止めようとしたが、
(待てよ……)
もしも、アルブレヒトと名乗る少年が負ければ、魔人武道会に出ることもない。
じつはクロエは、アルブレヒトが出場するのを反対したのだ。
メデューサを連れてくるかわりに魔人武道会に出られるよう頼んでくれといわれたが、死人が出るほど危険な大会なのだ。
説得しても、アルブレヒトは言うことを聞かなかった。
(まあ、負けたら負けたで、死にはしないか……)
クロエは黙っておくことにした。
一方、アルブレヒトはユリウスを見た。
「この人強いですよね?」
「ほう、わかるか」
「はい。ライトゲープ伯といえばパルニスでも名のある武人ですから。親衛隊の副隊長でしたよね?」
この紫色の髪の少年は、パルニスのことをしっかりと調べているらしかった。
(遊び半分で魔人武道会を出ようと思ったわけではないのか……)
「この人相手だったら、怪物と一緒に戦ってもいいですか?」
「なにぃ?」
トーライム卿は妙な顔をした。
「お主、さっきは一人で出場すると言ったではないか?」
「怪物なしで出場するつもりです。ですが、ライトゲープ伯を相手するとなるとさすがに魔物なしというわけには……」
「私は構いませんよ」
ユリウスは優雅に笑っていた。
「ハンデがなければ勝負にならないでしょう。しかし、どんな怪物で私と戦うというのかね? 見たところ怪物の姿など見えないけど、ひょっとして透明人間と戦えって言うんじゃないだろうね?」
「スライムで」
「なにっ!」
ユリウスとトーライム卿は血相を変えた。
説明するまでもなく、スライムとは液状型のモンスターだ。
その力は世界最弱。
妖魔学者であるクロエも、人間より強いスライムなど聞いたことがない。
「お主、ひょっとしてスライムしか持っとらんのか?」
トーライム卿が心配そうに訊ねる。
「いえいえ。そうじゃありません」
アルブレヒトは、まっすぐにユリウスを見た。
「なぜなら、ライトゲープ伯を倒すにはスライムがもっともふさわしいと考えるからです」
ライトゲープ伯ユリウスは何も言わなかった。
笑っていたが、その目は怒っていた。
改稿したのですこし長い話になってしまいました(汗)。
読んでいただいてありがとうございました。