018 予選開始
残った出場者は半分。
出場者たちが悲壮な雰囲気を漂わせているなか、
「面白えじゃねえか」
盗賊バンバは不敵な笑みをうかべていた。
「しかし、吸血鬼百匹ですね」
「お天道様の下を歩くことすらできねえモヤシっ子が相手だろ。なあ、みんな!」
「そうですよ!」
盗賊たちは闘志を剥き出しにして叫んだ。
だが、盗賊たちとは反対に、彼らが連れてきた怪物たちはすっかり怯えていた。
トロールが盗賊の頭の腕を引いた。
一刻もはやく逃げたい様子であった。
「馬鹿言うんじゃねえよ! お前だって怪物だろうが! ビビってどうするんだ? トロールだろ? 俺たち人間よりも力が強いんだろう?」
しかし、トロールは足を踏ん張る。魔物だって怖いものは怖いのだ。
魔物としての野性が、自分たちよりも強い相手だということを察知しているのである。
「まったく、ご主人様が命を捨てる覚悟で戦うつもりだというのに……。ん? 待てよ。いいことを思いついたんだぜ……」
そう言って、怯えるトロールの尻を叩いた。
「おい、お前。怖がることはないぜ。いい案を思いついたんだよ」
「どうしたんすか?」
手下どもが訊ねる。
「耳を貸せ」
「えっ!?」
手下は慌てて耳を隠した。
「馬鹿野郎。てめえの耳なんかいらねえよ。いい案を思いついたから聞けってことだ」
「へい。バンバの親分何でしょう……」
ひそひそと耳打ちされると、
「なるほど……。そいつは名案だ」
手下どもはみんなうなずいた。
先ほどまで怯えていたのに、晴れ晴れとした顔をしていた。
バンバたち盗賊団は、悠然と黒水晶の迷宮をあとにした。
「あいつめ。何か企んでいるな」
その様子を横目で見ていたフアナが呟くように言った。
「あの表情をするときはいつもとびきりのせこい案が思いついたときなんだ」
カリアナも心配そうにフアナを見た。
「お母さん……」
だが、フアナの決意は変わらない。
「冗談じゃないよ、ライバルがいなくなってかえってせいせいしたくらいさ。あんたも逃げた方がいいんじゃないのかい?」
しかし、アカンサは悠然とした態度を崩さなかった。
「問題ありませんわ。私の研究対象には吸血鬼も入っておりますの。じかに会ったことも何度もありますのよ」
「あんた、何が目的でこの魔人武道会に出ようと思ったんだ?」
「この世のすべてを知るためですわ」
そう言うと、アカンサは白鳥のように優雅な足取りで迷宮のなかへと入っていった。
「なんだか変な女だね。子供の教育にはあんまりよくない女だけど」
呆れたようにフアナが言った。
不知火凶からみれば、
(子供を王のハーレムに入れようなんて親はもっと酷いと思うが……)
さすがにそこまでフアナの前で言うわけにもいかないが。娘のカリアナもいるのだ。
出場者たちは続々と迷宮へと入っていく。
が、アルブレヒトは中に入ろうとしない。
臆したわけではなかった。
(坂上利一の姿がない……)
そこで、トーライム卿に訊ねてみることにした。
「トーライム卿」
「ん? なんじゃ?」
トーライム卿の態度は柔らかかった。
ライトゲープ伯ユリウスに勝ったアルブレヒトには一目置いていた。
「『神の国』から出場者がいると聞いたんだけど」
「坂上利一のことかね? ここにはおらんよ」
「えっ……」
「予選は免除じゃ。決勝で出ることになっとる」
「特別待遇なんですか?」
「不本意ながらな」
忌々しげにトーライム卿が言った。
「エスード王国の要請つきじゃなんでも予選には出たくないらしいのだ。単に面倒だということだ。そんな奴は大会に出るなと言いたいところだが、エスード王国の寵姫の黒橋みかげとかいう女の口利きじゃ。わしとしては予選から出てもらいたかったが、レイウォン王がそうしろと言うのでな」
本来、言わなくてもいい裏事情についてまで喋るべきではない。
しかし、トーライム卿は言わずにはいられなかった。
「こんな予選を突破できんような奴が決勝で戦えるとは思えんがの」
はき捨てるようにトーライム卿が言った。
「坊や、わしが言うのもおかしいが黒水晶の迷宮はきついぞ。予選を突破して、決勝に来い」
アルブレヒトはうなずいた。
迷宮の中へと消えていった。
トーライム卿はその背中を見送った。
「パルニスは平和になったかもしれんが、ああいう熱気のある目つきをした奴がいなくなった」
いつになく感傷的になったのは、トーライム卿が子供の頃を思い出したからである。パルニスでは軍属は十五歳までだが、トーライム卿は一年ごまかして十四歳で軍に入った。パルニスには戸籍はないのでそのまま軍隊生活に入った。アルブレヒトの姿をみると、若かりし頃の自分を思い出す。
「いかんな。年甲斐もなく感傷的になってしまったな……ん?」
人だかりができている。
何事かとおもって近づいてみると、クロエ・ポンメルシーだった。
駅弁を売る販売員のように、木の箱に紐を通して首に掛けて、
「安いよ、安いよ~!」
と叫んでいる。鉢巻きまでしめているという気合いの入れよう。
熱心に商売に励むクロエの左腕には小さな白い蛇がまきついていた。
ただの蛇ではない。
蝶ネクタイにサングラスをつけていた。クロエがかわいがっているペットのバジリスクである。
「何をやっとるのですかな。クロエ殿」
トーライム卿は怪訝に思って訊ねた。
「予選では迷宮に潜るんでしょう? 食料は三日分しか渡さないっていうから、商売して儲けてるんですよ」
「その話は誰から聞いたのですかな?」
「ライトゲープ伯からですよ」
「あいつめ、余計なことを言いおって……」
トーライム卿は腕を組んで、ため息をついた、
「先日はケルベロスに襲われたそうですな。大変でしたな。怪我しなくて本当によかった」
「知っていたんですか?」
「噂になっておりましたぞ。バジリスクの魔眼を使ったとか」
トーライム卿がバジリスクを見る。
「それは……」
「あれは危険ですから、町での使用は考えてもらいたいものですな」
「ははは、以後気をつけます……。そうそう、お一つどうですか?」
クロエがサンドイッチを差し出した。
トーライム卿は渋い表情をして一つ食べた。
イチゴジャムの味がした。
「う、うむ……」
トーライム卿はあまり言い顔をしなかった。
甘いものがあまり好きではないのだ。
「ジャム以外の具はないのですかな?」
「あたしがジャム好きなんで」
「地下にもぐるんだから、保存のきく食品が欲しいですな。たとえば干し肉とか乾パンとか」
「あたしグルメなんで、みんなに美味しいものを食べてほしいんですよ」
味を追求するつもりなら、
(サンドイッチ以外の品物も用意しておけ……)
と、トーライム卿は思うのだが、国王の友人にそのような軽口は叩けなかった。
売っているのはサンドイッチだけではない。
木の箱には赤い宝石まで入っていた。
「宝石でも売っているのか?」
「違います。これは迷宮から瞬時に脱出できる魔道具です。冒険者ギルドでもなかなか手に入らない代物なんですよ」
「いくら?」
「一万タルザン」
だいたい日本円に換算して百万円である。
「安くゆずると言うわりには高額ですな……」
「命の値段ということを考えたら、めちゃくちゃ安いと思いますけど? 相場を考えてみてくださいよ」
クロエの腕に巻きついている白い蛇も、うんうん、とうなずく。
「研究費って馬鹿にならないんですよ。世の中、銭が大事なんですよ。最近はお菓子も値上がりしましたね」
「クロエ殿の場合は売上全部お菓子代になって消えそうですな」
「あたしがどれだけ大食いだと思っているんですかね……」
「とにかくそんな物騒な化け物はさっさと家に帰しなさい」
すると、クロエは唇を尖らせた。
「トーライム卿の方がはるかに物騒なことをしているじゃないですか」
「なんですと?」
「吸血鬼百人。クロエちゃん知ってます。そいつら、パルニスの偵察部隊でしょ?」
「……なぜそうだと思う?」
「だって考えてみてください。吸血鬼百匹捕まえるのってめちゃくちゃ大変ですよ。きのこ狩りじゃないんですから、吸血鬼なんてその辺に歩いていないでしょう」
「そりゃあ、まあ……」
「あいつらをこういう大会に使うのは好きじゃないです」
妖魔学者クロエ・ポンメルシーは、人間と怪物が仲良くできる世界を心から願っている。
しかし、すべての怪物を愛しているわけではない。
人間がすべて善良でないように、怪物とて善良なものばかりではないのである。
その筆頭が吸血鬼である。
その姿は人間よりも美しい。
しかし、その心は醜くて邪悪である。
練兵場で兵士たちと一緒に楽しく訓練しているオークやトロールとはわけが違うのだ。
もともと吸血鬼は人間を使役する立場であった。
だが、立場は逆転した。
人間の方が強くなった。
そのためにやむなくパルニスという人間の国家に庇護を求めたのだ。
吸血鬼の場合は、
(パルニスという国家が自分たちよりも強いから……)
やむなく従っているに過ぎないのだ。
「問題なのは」
クロエが声をひそめて言った。
「吸血鬼が血に飢えているってことですよ」
吸血鬼はパルニスの臣民を襲わない。
襲えないのだ。
かつては人間たちを襲っていた吸血鬼たちも、今ではパルニスの臣下である。
禄を食んでいる以上、自国の領民を襲うわけにはいかない。
人を襲って生き血を吸えば、誅せられる。
戦争でも起こらないかぎり、彼らの渇きが癒されることはないのだ。
「今回の一件は単なる武術会の予選では済みませんよ。本当の殺し合いになりますよ」
※
アルブレヒトは、迷宮の階段を降りた。
壁には火のついた松明が何本もある。
地下一階に到着した。いざ潜りこもうとすると、
「待っていたよ」
フアナとカリアナの母娘の魔女がいた。
アルブレヒトは目を丸くした。
二人が迷宮に入ったのはだいぶ前だ。
なのに、ずっとここで立っているのはどういうことなのか?
「どうしたんですか?」
「仲間は一人でも多いほうがいいじゃないか」
たしかに。
予選は地下百階の最下層にさえたどり着けば予選は通過なのだ。
極端な話、参加者全員予選通過もできる。
アルブレヒトひとりで行くよりも、フアナたちと一緒に迷宮に潜った方が安全ではある。
しかし……、
「他にも頼りになりそうな人はたくさんいたでしょう? たとえば盗賊の人たちとか……」
「ありゃあ役に立たないさ」
フアナは手を振った。
「あんたの方がよっぽど強い。あのライトゲープ伯に勝ったんだから」
そのときである。
ドン! と、地を裂くような轟音が聞こえてきた。
なにかが爆発したような音だ。
アルブレヒトたちは現場へと向かった。
到着すると、まず目にしたのは黒髪でツインテールの女性だった。
年齢は二十歳前後。
しかし、格好が奇抜であった。
下はズボンだが、上半身がビキニの水着なのであった。
読んでいただいてありがとうございました。




