016 魔人武道会の一幕
軍人と冒険者、どちらが危険な稼業か?
答えはない。
軍人は国家を相手に戦う。冒険者は怪物を相手に戦う。
しかし、軍人には降伏という手段が残されている。
捕虜になる。
降伏すれば、かならずしも死ぬことはない。
万が一死んだとしても、国から年金が出て家族を養ってもらえる。
だが、怪物相手には降伏できない。
人間と怪物が融和の道を模索し始めたのもここ十年のことだ。
怪物はまだまだ人間にとって脅威の存在なのだ。
文字通り昔のような、
(命をかけた冒険……)
になることは間違いない。
「どうやって最下層まで到達したと判断するんだ?」
先ほどの金色の鎧の騎士が訊ねた。
「最下層にわしの息子がおる。他に部下が数名いる。そいつらに会えば、証明書を渡してくれる手はずになっておる」
黒水晶の迷宮といえば、大陸でもとくに巨大な迷宮だ。
「食事はとりあえず三日分配給する」
「三日だけ?」
黒水晶の迷宮は踏破には、まず五日はかかるだろう。
配給されたのは乾パン、干し肉。そして水だった。
「これだけの食い物で……」
「飢えるだろうな……」
参加者たちに動揺の色が広がる。
無理もない。食料が二日分足りない。
二日間食わずに暮らすというのは辛い。
しかも、戦闘しながら迷宮を降りるのだ。
当然、すごく体力を消耗するので腹が減る。
「足りんじゃろな」
トーライム卿は当然と言わんばかりの顔をした。
「じつは迷宮のあちこちに食料を置いてある。数は言えんが、見つけたやつは自由に食ってかまわん。怪物どもにも食料には手を出さないように言ってある」
つまり、もっとも強い者が食い物を一人じめできるわけだ。
文字通り弱肉強食だな、と誰かが言った。
食い物なしで戦うのはきつい。
迷宮のなかで飢える可能性だってあるのだ。
「足りないなら、買ってきてもかまわんぞ」
「えっ?」
「一週間以内に最下層まで到着すればいい。何を持ち込んでもかまわん。武具も食料も自由じゃ。魔物一人、人間一人という決まりさえ守ってもらえればかまわん」
「何を持ち込んでもいいのか?」
「何でもかまわんよ。べつに世界を支配できる伝説の剣だろうが、持ち込んでもいい。今から買いに行ってもかまわんよ」
出場者たちの目の色が変わった。
よし……。
参加者たちの一部が迷宮をあとにした。
迷宮にいどむ準備のためである。
それを見たフアナは忌々しげに舌打ちする。
「やっぱり世の中、金のある奴は強いね」
「アルブレヒト」
トーライム卿が呼んでいた。
反応が遅れた。
なにしろアルブレヒトの名前で呼ばれるのは初めてのことだった。
(ああ、俺はアルブレヒトだったんだよな……)
不知火凶じゃなかった。
トーライム卿のところに近づくと、
「お主、これを使え」
トーライム卿は剣を渡した。
「これは?」
「レイピアだ。知らんのか?」
アルブレヒトは剣を抜いた。
剣に詳しくないアルブレヒトが見ても、一目でわかるほどの名剣だ。
「どうした? 実際の剣を手にして怖くなったか?」
トーライム卿はアルブレヒトの顔色を窺うように見た。
「俺、いらないです」
「強がっているのか?」
「俺は剣術は使えませんから」
「ふむ」
トーライム卿は納得した。
スライムを投げつけて戦うような奴である。剣など不要なのかもしれない。
「が、その指輪は許可できんぞ」
「えっ?」
「ユリウス相手にスライムで勝ったことを忘れたか?」
「あっ……」
「たしかに史上歳弱の怪物であるスライムでユリウスに勝った。しかし、一匹ではなかったよな。
ルールを思い出すのだ。この大会で出場できるのは人間が一人、魔物が一人じゃ。その指輪は大勢の魔物を飼うことができる。たくさんの魔物を引き連れているのと同じことだ。ルール上認められん。大会の期間中はその指輪は預からせてもらう」
トーライム卿の言うことももっともである。
アルブレヒトは指輪をトーライム卿に渡した。
「お主が倒したユリウスについてだが……」
指輪を受け取ったトーライム卿は、鋭い眼差しを向けた。
「あのような真似をして愚弄したのか?」
「ぐろう……?」
首をかしげた。
ヌジリに徹底的に魔術を習った。
しかし、一般常識は習わなかった。
それに不知火凶が必死に勉強したのは異世界に来てからなのだ。
日本にいたころはゲーム三昧の日々。
勉強の成績だってめちゃくちゃ悪い。
だから、愚弄という単語を知らないのだ。
「なぜに馬鹿にしたのかと聞いとるのだ!」
トーライム卿は苛立たしげに叫んだ。
「それはない」
アルブレヒトはきっぱりと言い切った。
「スライムで戦った理由は、それが相手を一番傷つけないからです」
「ううむ……」
「剣や魔法で戦ったらライトゲープ伯は怪我したでしょう」
「たしかにな。しかし、それがかえって相手を傷つけることになるのだ」
「どうして?」
「相手に気を遣うのは相手を下に見るからだ。とくに誇り高き武人にとっては屈辱的なことなのだ」
「難しいなぁ」
と、アルブレヒトは怒ったように言った。
「本気で戦ったら相手を殺しているかもしれないんですよ。命が一番大事でしょう。死んだら元も子もないんですよ」
トーライム卿は目を閉じて腕を組んだ。
「お主の言うことも一理ある」
そして、目を開けた。
「陛下なら同じことを言っているだろう。また、クロエお嬢ちゃんも同じことを言っているだろう。でも、お主が情けをかけたおかげで、ユリウスは大変な目に陥っているのだ」
「というと?」
「スライムに負けたことはあっという間にパルニス国内に広まった。お主も知ってのとおり、スライムに負けた。ライトゲープ伯が今ではスライム伯ユリウスと言われているぞ」
しかし、アルブレヒトは平然としたもので、
「水だって使い方次第ではダイヤモンドさえ斬ることができる。最弱のスライムだって使い方次第で役に立ちますよ」
「ふうむ……」
「ライトゲープ伯はひょっとして嫌われているのですか?」
「外国人だからな」
と、トーライム卿は言った。
「亡命貴族なのだ。しかも、あの通り美しい容姿だからな。敵も多いのだよ」
「なるほど……」
「それよりも、お主はいいのか?」
「何がですか?」
「怪物だよ。このなかにたくさん怪物を飼っているのだろう? 好きな奴を一匹連れていっていいぞ」
「いいえ。俺は一人で十分です。それに指輪のなかにはスライムしかいないんで」
「クロエ殿が怪物を貸してやるというわけにはいかんのですか?」
すると、クロエは血相を変えて叫んだ。
「絶対にお断りですよ! うちのかわいい子たちに危険な目に合わせるわけにはいきません!」
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