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図書館の狼っ!

作者: 瀬川潮

「図書館では静かに」

 書架の向こうからそんな囁き声が聞こえた。

 吐息混じり。若干の甘さが耳につく。

 そして衣擦れの音も。

 一体、何をやっているのか。

 俺は「38* 民俗学」の書架にいた。ちょうど手を掛けていた本の背の上、わずかな隙間から向こうをのぞき見る。眼鏡の女子学生と、学ランの生徒らしき男性の大きな背中が見えた。向かい合って密着していた。

――あっ!

 女子学生の目が、見開かれた。大きな背中越しに俺と目が合ったのだ。

 俺は、逃げた。偶然目に入った「カンガルー防衛線」という書籍の名称だけが、目に焼き付いた。請求記号ラベルの上ふた桁は、「39」。国防や軍事関連書籍だ。その一つ奥の書架のことは、知らない。

 俺は、逃げた。

 晩秋の図書館での出来事だ。


 初冬。

「……ん」

 気配を、感じた。

「図書館では、静かに……」

 続けて甘い声。語尾が押し殺されている感じ。もちろん聞き覚えがある。一つ向こうの書架からだ。

 ちくしょう。わざわざ今回は前の書架を避けて「64* 畜産業」の棚を選んだのに!

 本の背に手を掛けた上部の隙間から、眼鏡の女子学生が見えた。やっぱり学ランの男子生徒の背中越しだ。

――はっ!

 やはり、女子学生は目を丸め驚く。キスをしていた最中だった。

 俺は手を掛けていた「カンガルー牧場経営概論」という書籍を戻し、逃げた。

 いや、逃げたふりをした。

 気配を消して、こっそり隣の「50* 技術・工学~」の書架の側板に身を隠し、覗いてみた。

 が、いない。

 眼鏡の女子学生も、学ランの男子生徒も。

「バカな!」

 俺は、がく然とした。彼女らがあの熱いキスからすぐに移動するはずがない。第一、そんな気配はなかった。

「図書館では静かに」

 ぞっ、とした。うなじに熱い吐息がかかったようだった。

 振り返ると、背後にあの眼鏡の女子学生がいた。俺の鼻先と、彼女の鼻先が触れるか触れないかの距離。リンスの香りで息が詰まる。鼓動が高鳴り体内の何かが気道を塞ぐほど突き上げてくる。

――キス。

 そんな予感が、あった。

 しかし彼女は鼻先すれすれを掠め、ひらりと交錯すると俺の背後に歩き去った。

 はっ、と首を巡らせる。「80* 言語~」の書架列へと、翻るスカートの裾が消えていった。

 だっ、と追うが、いない。

「あっ……、ん。図書館、では、……静かにぃ」

 差し迫った声が本の向こう、「70* 芸術・美術~」の書架列から聞こえた。彼女が隙間から見える。俺は急いで回り込んだッ!

 ざざっ、と側板を越え奥に続く書架列を見る。

「……いない」

 そんなバカな。

 ばっ、と振り返っても彼女はいなかった。

「そんなバカな」

 書架列を通り過ぎ左右を見るが、いない。

「一体、どういうことだ?」

 彼女が揉み合っていた場所まで戻り、痕跡を探してみる。かすかに、リンスの残り香がある。

「図書館では静かにと、あれほど言ったのに」

 突然、背後から声。

 振り返ると、彼女が至近にいた。顔と顔がぶつかるような、鼻先と鼻先がキスしてしまうかのような距離。

 そして彼女の眼鏡が、俺の視界を塞いでしまうかのように近寄ってくる。

 唇に、柔らかい感触があった。


 そして俺は今日も、本棚で誰かに読んでもらうのを待っている。

 眼鏡の彼女は卒業してしまったらしい。あれからまったく見なくなった。

 そう。

 彼女にキスをされてから、俺は本になってしまったらしい。

 図書館で長い月日を過ごすうち、誰かに読んでもらえれば元の人間に戻れるらしいことが分かった。

 俺は、俺のタイトルを知らない。 

 それでも、隣は「カンガルー牧場経営概論」だということは、分かった。どうやら「64* 畜産業」の棚にいるらしい。

 時は、新年度。

 何も知らない新入生、制服衣装も初々しい一年生が多くなった。こんな書架に近付く気まぐれな新人がいることを、願う。

 もちろんかわいい眼鏡の娘だったらなお、良い。



   おしまい

 ふらっと、瀬川です。


 他サイトの競作企画に出展した旧作品です。深夜真世名義で、2009年産品。

 縛りは確か、事前に提示された単語の中から5つ以上を作中およびタイトルに盛り込むことでした。仕上げることで手いっぱいであまり詰め込んでなかったのではないかと思います。精神的敗北。

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